交通事故の話の続きの続き
僕は、追突された直後、停車しない割り込み車を追いかけた。夢中であった。
後で考えれば、追突してきた車は放ったまま、先を急いだ訳である。
これを追突車から見れば、こうなった。
えっ~、どうして被害者が逃げていくの??!!
追突車の運転手は、ガタガタで動かなくなった車をかろうじて路肩に止めて車を降りるや、駆け足で僕の車を追いかけてくれた。
加害者が被害者を追いかけるという珍妙な事態の出現である。
ちょうど僕が、
「僕も10時の裁判をキャンセルにしたのだから、おあいこだから、警察を待とう」
と割り込み車の運転者を説得している最中に、追突車の運転手が合流した。
加害者は、被害者が見つかって、ホッとしたという。
加害者は、仕切りに「お体は大丈夫ですか」と気遣ってくれる。
ゴールド免許に傷が付くの、苦労して取った資格がどうのと訳のわからないことを主張する割り込み車の運転手に手こずっていた僕は、加害者のすまなそうな仕草や、僕を気遣う優しい言葉にほろっとする。
腰の違和感が怪我と呼ぶほどでもなく終わったのも、その優しい言葉のせいかもしれない。
という訳で、追突した加害者と追突された被害者は、すっかり意気投合した。
煙草を吸わないと、待つということができない僕に、駆けつけてくれたご主人が、灰皿を差し出してくれたりして、和気藹々であった。
と言うわけで、全くめでたく、僕の交通事故被害体験は被害者側の過失0で円満に解決したのである。
何でも、加害者の知人が正義感の強い弁護士を探しているということで、先日、相談者を紹介してくれた。
「加害者」側の紹介で訪れた相談者も僕のことを気に入ってくれたそうだ。
交通事故が取り持つ縁である。
縁は異なもの、ありがたいものである。
【追伸】
僕が取った行動は、確かに正義感から出たものらしい。しかし、考えてみれば、果てしなく間抜けでもある。
もし加害者が悪い人で、被害者が逃げたことをいいことに、その場から去ってしまっていたら、僕は、最も重要な加害者を取り逃がしたことになる。
どう考えても、あまりにも間抜けである。
警察が来たとき、どう説明すれば、わかってもらえるのか、保険会社に何と言って顔向けができるのか、およそ想像ができない。
正義とは、あるいは間が抜けたものをいうのかもしれぬ。
情と出会うことで初めて、正義は実を持つのかもしれぬ。
かくのごとく世の中は、不可思議に満ちている。
【どうでもいい補足】
そういえば、この日記の書き手は弁護士であった。法律論を少しだけ。
追突車がとりあえず、被害者に対して100%の賠償をした後、割り込み車との関係はどうなるかというと、追突車と割り込み車との間で、過失割合を決めて、加害者双方の内部で清算することになる。
被害者は、共同不法行為の加害者に対して、どちらに対しても全額の賠償請求権を有する。被害者の救済を優先するためである。後は、加害者の内部で責任に応じて清算するという理屈である。

