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2009年5月 7日 (木)

憲法記念日 続々

また、憲法記念日の話題で申し訳ないです。
西部遭氏が主張したという「廃憲論」という言葉に妙に関心を感じてしまったものですから。

5月3日には愛知県でも憲法集会が開かれた。護憲・改憲・中立の立場で3つの集会が開かれたことが報道されている。

改憲派の集会では西部邁氏が講師として講演し、「廃憲」を訴えたという。

廃憲ということは、近代国民国家を解体することである。法律的には、近代国民国家は、憲法によって国家の仕組みや国家の理念を定めることによって生まれたものだから、憲法を廃止するということは法的には、国民国家の枠組みをなくすということに他ならない。早い話が国会も政府も裁判所も自治体も憲法が決めているのだから、廃憲するということは、全部、いったんやめにしようという主張なのだ。

僕は、近代国民国家が成立して以来、戦争は一般民衆を巻き込んで、大規模化し、悲劇を拡大していったと理解している。国民国家こそが、戦争の元凶だとまで思い詰めている。地上から国民国家という枠組みがなくなれば、きっと一般民衆が犠牲にされる、今のような悲惨な戦争はなくなると思う。

だから、廃憲によって近代国民国家を解体しようとする西部遭氏の意見には、僕も究極のところで賛成である。

で、しかも僕の直感では、近代国民国家という枠組みや、そのベースとなった資本主義経済は、遠からぬ将来、決定的な壁にぶつかると思っている(ケインズの予言によれば、遅くともあと20年くらいの内には、そうした事態が訪れることになっていると読んだ覚えがある)。

だから、近代国民国家の解体=廃憲も全くの夢想という訳でもない。

ただし、5月3日の朝日新聞朝刊の報道記事を読む限りでは、どうも西部氏は、占領軍が押しつけた憲法だからということを廃憲の理由にしているようだ。
僕は、人類最大の悲劇の一つである戦争をなくすためには、究極的には国民国家という枠組みを解体することが必要だろうから、廃憲したいという立場である。
結果は、同じでも理由は違う。
果たして、僕は西部氏のお仲間に入れていただくことができるであろうか。(^-^;

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