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2009年8月の1件の記事

2009年8月 7日 (金)

裁判員裁判と重罰化

初めての裁判員裁判が終わった。
裁判員になった方々の苦労は計り知れない。
苦労した方々が、よい体験だったと肯定的に評価するのは、当然だろう。
否定するつもりはない。

しかし、制度の導入を主導する法律実務家の立場に立ったとき、
国民に強いる苦労の大きさに見合う意義が裁判員制度にあるとはとうてい思われない。

わかりやすい裁判になったという。
しかし、刑事裁判をかみ砕いてわかりやすく表現することに、
いかほどの憲法的価値があるというのか。

市民感覚が反映されたという。
しかし、一般の国民が「人を裁く立場に立つ」ことは、裁く責任を拡散させる。
そうした制度が、憲法原理に適合的だとはとうてい思えない。

唯一、明確な成果は、重罰化である。
考えてみれば、当然だ。
普通の市民にとっては、「本当に人を殺してしまう」ような犯罪者は、
どのように想像力を働かせても理解の範囲外だ。
人生で初めて、そのような想像を超える犯罪者と正面から向き合うのだから、
重罰に値すると考えるのは当然だろう。

法律実務家だって、殺人者を理解できる訳ではない。
しかし、職業柄、複数の事例に接する立場にある。
これらの例を比較する考慮も働く。
相互の均衡ということを考える。
残虐な刑罰が禁じられている憲法の下では、刑罰には自ずと上限がある。
したがって、刑罰の幅の中で事件を位置づけざるを得ない。
不可避の社会現象として凶悪犯罪を理解せざるを得ない立場にもある。
職業としての法律実務家は、客観的に考える。
それが法律実務家の使命だ。

市民感覚を入れることをスローガンとする裁判員裁判は、
逆に、重大犯罪を自分の身に引きつけることを求める。
重罰化は、当然の結果だったろう。

裁判員と被告人ではおよそ住む世界が違うのだ。
弁護人がどのように努力しても、
凶悪犯罪者に対する裁判員の理解を得るのは不可能だ。
だから、情状や量刑についていえば、
裁判員制度は、弁護人にとっては、受難の制度だ。
おそらく介護や看病に疲れ果てた末の心中に近いような事例以外は
裁判員の共感を得ることは不可能だろう。

裁判員制度を率先して推進する日弁連は、
刑事政策的に厳罰化を選択したということになるだろう。

日本は、凶悪犯罪の少なさでは世界でも屈指の平和な国だ
刑事政策に大きな失敗があった訳ではない。
敢えて刑事政策の転換を図る必要があったとは思われない。

裁判員裁判制度の導入によって、刑事政策は、重罰化へと舵を切った。
重罰化のもたらす不寛容のメッセージが治安に及ぼす影響は未知数である。

今回の「比較的簡易な事案」で明らかになったのは、
量刑を裁判員が決定する点において、裁判員制度には明らかな欠陥があるということだ。

第1に、裁判員に量刑の責任を持たせる点において、
国民に無用に過酷な精神的負担を与える。

そして第2に、必然の結果として重罰化が進む。
本来、刑事政策の転換は司法なり立法、行政なりが責任を持つべきことである。
しかし、裁判員制度によって進む重罰化には、
統治機構を担う誰も責任を持たなくて良いのだ。
こんな無責任が許されてよいはずはない。

裁判員裁判最初のケースで明らかになったのは、
裁判員の職務に量刑を含めてはならないということだと考える。

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