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2010年10月の14件の記事

2010年10月31日 (日)

尖閣ビデオの全面公開を

慣れない携帯から書いているので、舌足らず、ご容赦。
尖閣7分ビデオ視聴に反対する。
日弁連は被疑者取り調べの全面録画を求めている。一部録画では検察に都合のよい部分だけを録画して開示するに決まっているからだ。
同じことは尖閣ビデオでも言える。日弁連はなぜ意見を出さない?
尖閣ビデオは全面公開すべきだ。
それでこそ、わが国が、かの国とは違う民主主義の国であることを示す絶好のチャンスだ。
ビデオは血税で撮られた国民共有財産だ。
是非、尖閣ビデオの全面公開を求めよう。
全ては事実から始まる。
国の行く末を左右しかねない問題であれば尚更である。
事実をうやむやにすることは、必ず将来に禍根を残す。

2010年10月29日 (金)

被疑者国選 7終(含む1~6)

被疑者は、10月5日に逮捕された。
10月7日、僕が、被疑者国選弁護人に選任された。
法テラスからFAXされた書類の被疑事実(勾留の理由とされた犯罪事実)を一見して、イヤな事件が当たったなと思った。
精神医学的に見て、あるいは器質的に見て、どのような異常があるとこのような犯罪を犯すのか、
知的興味だけでやるしかないな、と覚悟した事件だった。

初めての接見で、「被疑者」は、宮崎なまりがあるからかもしれないけれど、お人好しに見えた。
少なくとも被疑事実との落差は、あまりに大きいと感じた。
自衛隊を定年まで勤め上げ、子ども2人を育て上げ、10年ほど前に妻を亡くした。

「絶対にやっていない。調べればわかることだから、徹底的に調べてほしいと警察に言っている」
と、強く主張する。

弁護人は、半信半疑ではあるが、ひょっとしたら、万が一、「やっていない」という主張は、本当かも知れないと思った。

日弁連は、被疑者国選制度が導入されるのに備えて、被疑者ノートという便利なグッズを作っている。
被疑者が置かれている立場や、今後の手続、供述調書というものの重みと性格、取り調べにどう対応するかなど、事細かに懇切丁寧に説明してある。
このノートに日々の取り調べの状況を克明に記載してもらうことによって、密室の取り調べを可視化しようとするものである。
郵便不正事件の濡れ衣を着せられた厚労省の村木さんもおそらく最初は、このノートから獄中日記を書き始めたのではないかと思う。

「被疑者」は、自衛隊時代に爆音や発砲音のせいで耳が遠くなったと言い、しばしば全く聞こえないようだった。お互いに口と耳をガラスに付けんばかりにして話す。それでもガラス越しの接見は大声になり、留置場の職員にまる聞こえになった。
かと思うと、ふいに雑談はよく通じたりする。(耳が遠いのはホント?)

また、家に残したネコのことを気にするくせに、娘や息子には、こんな罪人扱いの姿は見せられないから、連絡するなと言う。
普通の「被疑者」は、やたら家族に連絡してくれというものだ。
やっぱ、有罪だからじゃないかと思ってしまう。
(後で娘には「お前に怒られると思うと、怖くて言えなかった」と白状したそうだ)

朝は、10時までは毎日寝ている。犯行時間帯には、絶対に寝ていると仕切りに主張するが、一日の生活パターンに照らし合わせても、どうしてそうなるのか説得力がない。

いつ出られるのかという初犯の被疑者なら一番、気にして、必ず尋ねることを尋ねてこない。
無理にでも出してくれと言われるのが常なので、弁護人としては、わがままを言わないだけ、楽と言えば楽だが、見方によっては、有罪だから覚悟しているのか、と見えてしまう。
しかし、どうも自衛隊の過酷な勤務を定年まで勤め上げた人物の腹の据わり方だったようだ。
自衛隊に比べたら、警察のレンジャー部隊なんか遊びだともいう。

とにもかくにも被疑者ノートに毎日の取り調べを記録するようにと言って、「被疑者」を十分に納得させて、被疑者ノートを差し入れた。

被害者の供述に頼る事件の構造に見えたので、虚偽自白をさせられたらアウトだ。繰り返し大声で注意して、必ず書くことを約束させた。

ところが、翌8日に、接見に行っても、書いていないというではないか。

徹底的に調べてくれという割に、大事なことについて、言うことを聞いてくれない。

これはいけない。僕は僕で、何か記録を残さないといけないと考えた。この日には確実にこういうことがあったと動かせぬ証拠を残す必要がある。通常は、報告書を作って、公の機関の確定日付を付ける。公証役場が近ければ、公証役場で確定日付を取ることができる。
また、内容証明を書いても、郵便局の確定日付が付けられるが、いかんせん、困ったことに使っているパソコンが選りに選ってビスタだ。電子内容証明を利用できない。通常の内容証明では、郵便局に行く手間がかかる上に、一枚に書ける文字数があまりにも少ない。
親しい弁護士に毎日のことをメールすることも考えたが、裁判で証拠に出すときに、どういう関係で、外部に情報を流していたか説明するのも面倒だ。
こういうとき、一人事務所は困る。

結局、行き着いたのがブログだった。
はたからは、何をしているのか、わからないが、この日に確実にこんなことがあった。こんなことをこの人から聞いた。それだけでも、残すようにしなければと思って、始めたのがこのシリーズである。

で、今日、一応、決着がついた。
今朝、検事から、今日中に不起訴処分にすると電話があった。
不起訴処分の通知は今日か、遅くとも週明けには、弁護人宛に郵送するということだった。
嫌疑があるが、今回は、裁判にしないという不起訴は起訴猶予という。そうではない不起訴処分だ。その中にも真っ白の「嫌疑なし」と、灰色の「嫌疑不十分」というのがある。どちらかは公式に伝える方法はないというが、聞いている範囲では、確実に、シロだ。
嫌疑なし不起訴。
警察が、早速、「被疑者」に事情説明と詫びに来た。
しっかり者の娘さんがいるので、彼女を同席させ、僕は仕事をしていたが、警察ははっきり誤りを認めた。
と言うわけで、一応、マチベンにとっての被疑者国選の任務は、本日をもって解除、無事除隊である。

それで、多数にわたって煩雑になった被疑者国選を一つにまとめた。

しかし、それでも残る。
「それにしても、なぜ」まだ、わかったようで、わからないままだ。

いずれ、気が向いたら続きを書く。

2010年10月10日 (日)

被疑者国選

僕は、刑事事件はあまり扱わない。
裁判員裁判が導入されて、刑事事件に熱心な弁護士が一斉に動員されてしまった煽りで、やむなく後方の人手不足を補うため、裁判員裁判以外の国選の当番を引き受けることになった。
今回の割当事件は、被疑事実を見る限り、裁判員裁判対象にならない事件の中では、最も重大で、かつ極めて悪質な事件である。
とにかくも、まず接見すると、全く身に覚えがないと、強く訴えられる。
定年まで勤め上げて10年、前科もないという。
必死に訴える様子は、僕には嘘には見えない。
物証に乏しく被害者の供述に頼る危うい構造の事件だ。

無理な自白を強いられないように、取り調べの全面録画・録音を求めることにした。
不起訴に終わればいいが、刑事事件は、それほど甘くはないのが常だ。
証拠は全て捜査側が握っており、弁護人にわかるのは、その一部に過ぎないからだ。

2010年10月12日 (火)

被疑者国選 2

被疑者国選の件、とりあえず、昨日、取り調べの全面録画・録音を求める申入書を出してきた。

一応受け取りの署名だけもらえないかと尋ねると、担当の刑事は、一存では受理を決められないということで、コピーを受け取り、申し入れがあったことは上司に伝えるとのこと。

いまだ先は全く見えず。

ところで、マチベンは、警察が嫌いではない。

日夜、市民の生活を守ってくれていることには篤く感謝している(「アライグマと消防車」参照)。

取り調べの全面可視化については、日弁連が定型書式を用意してくれている。

しかし、マチベンはオリジナルな申入書を作った。

4 供述証拠に頼る捜査が重大な人権侵害を引き起こしてきたことは、志布志事件、氷見事件、足利事件、厚労省元局長事件等において、今や社会の共通認識になるに至っている。
   供述ではなく、地道な捜査により、まず客観的証拠を積み上げて真相に迫るのが捜査の王道であり、弁護人は、そのような伝統は捜査機関の一部には根強く引き継がれているものと信頼したい。

いったん批判キャンペーンが始まると、味噌もクソも一緒くたに批判される。

しかし、マチベンは現場には良心があると信じたいのである。

2010年10月13日 (水)

被疑者国選3

昨日、今日と犯行時刻とされる時間帯に現場周辺へ行ってみた。

今日は、犯行があったとされる日と同じ水曜日。
あらま、警察官が何人も先着している。
同じ曜日の同じ時間帯。現場はどんな状況なのか確認したい。
客観的な裏付けがほしいのは、
マチベンも警察も同じ。
考えることは同じなのね。

さっそく、責任者らしき刑事に名刺を渡す。
もう僕の名前を知っていたみたい。

周囲では、一昨日、お会いした刑事さんとも顔を合わせる。
にこやかに挨拶。

ついでに、一番、目撃している可能性が高い人物と小一時間、お話した。
「見ていない」

どう考えたらいいのか、意味不明な情報もあり。

この2,3日、現場に不審な○があったのを見た。

訳、わかんね。

2010年10月15日 (金)

被疑者国選 4

昨日は、予定があって現場に行けなかった。
今日は、三度、犯行があったとされる時刻に、現場周辺に行く。

○○○が減っているのはどうしてだろう。
そういえば、昨日、検事から電話があった。
○から、検察に対して
「×することは控えてほしいとの連絡があった、
ついては弁護人も×しないようにしてほしい。」
だから、○側が対策を取ったのだろうか。

昨日の電話では、弁護人の意見を聞かれた。
疑問点を伝える。
検事も全く同じ疑問を持っている、
捜査には慎重を期するとのことだった。

目撃している可能性が最も高い人物のところを訪ねる。
また、30分くらい話す。
「そんなことする人には見えん。○さんもそう言っていた」
警察は、まだ、聞き取りに来ていないという。
最も可能性の高い現場証人なのに!
是非、聞き取りをしてほしいので、
了解をとって、警察に名前と電話番号を伝えた。

『不審な○』の謎は解けた。
無関係だった。
捜査線上から消す。

接見に行こうとしたら、突然、法テラスから「被疑者は処分保留で釈放されました」とのFAXが入る。
任務終了につき、11月5日までに報告書を出すようにとのこと。
何のこっちゃ。

あわてて警察に電話。
もう、釈放寸前とのこと。
どういうことか、聞きたくて、刑事に電話。
彼ではなく別の刑事が「おって正式に説明する。今は言えない」
検事から電話があり「今は言えないが、おって正式に説明する」
その他、被疑者に対して伝言を依頼された。

時間を見計らって、被疑者の家を訪ねる。
偶然、ちょうど帰宅した被疑者と会う。
喜んでいる。
警察に対しては怒り心頭だが、
「今日は呑むよ」とのこと。
若干のアドバイスをする。
そんなことは絶対にしませんとのこと。

処分保留ということは、起訴するとも起訴しないとも決めていないということだ。
法テラスから突然、任務解除を指令されても困る。
決着が付くまで見届けたい。

この日記を読んでいる人には、何が何やらわからないだろう。
僕にも何が何やらわからなかった。
だが、推測は正しかったようだ。
「それにしても、なぜ?」 謎は残る。

決着が付くまで書けないこともある。
決着が付いても書けないこともある(ごめんなさい)。

(続く)決着が付くまで

2010年10月16日 (土)

被疑者国選 5

今日は、週末。
現場にも行かなかった。

番外編である。

被疑者は、10月7日に僕が裁判所から国選弁護人に選任されるや
すぐに接見を求めてきた。
やりくりして駆けつけた接見での第1声がネコのことだった。

10年前、道ばたで鳴いている赤ちゃんの捨て猫が
かわいそうで、拾ってきた。
ずっと家の中で飼っている。
逮捕されてもう3日経っている。
食事もないし、水もない。
何とかならないだろうか。

使い走りのような接見依頼は
被疑者国選ができる前、
弁護士会が当番弁護士として任意にやっていた頃からあった。

何とかならないかと言われても、困った。
代わりに飼うわけにもいかない。
独立している被疑者の子に連絡しようかと言っても
こんな犯罪者扱いの姿は絶対に見せられないと固く拒む。
じゃあ、逃がすかと、尋ねる。

結局、被疑者は、「ネコちゃん、かわいそうだけど、いいです」と断念した。

翌日、刑事に面会したときも、
刑事から「こちらからも相談がある」として
持ち出されたのが、ネコの処遇だった。
保健所で処分するのも忍びない。
逃がすのも近所迷惑。
頭を抱えただけで、終わった。

釈放されて良かったこと。
何と、10日間以上の飢餓に耐えて、ネコちゃんは生きていたのだ!! (^。^)

処分保留釈放のおかげで、一つの命が助かった。
現在、マチベンが確実に獲得した成果は、ネコちゃんの命である。

2010年10月22日 (金)

被疑者国選6

本当に怒れた。

今日の警察の振る舞いは何だ。
僕が、優しいマチベンだからと言って、なめんじゃねぇ。

被疑者が処分保留で釈放された日の夕方、
何が何やらわからず、説明を求める僕に、
警察も検察も、「今は何も言えない。おって正式に説明する」と言っていた。

だから、身に覚えのない被疑者が、
怒り心頭で、
警察、検察、裁判官、「被害者」等の責任を追及したいと訴えるのを、
法的手続の決着のためには時間が必要だから、
もう少し待ってほしいとなだめてきた。

警察にも検察にも協力的態度を示して、
抗議の一つもしないできた。
待ってくれと言われたから、待ってやっていた。

昨日、被疑者から電話があった。
偶然、担当刑事と行き会って、「お話したいことがあるので、明日警察へ来てくれないか」と、言われた。

「行ってもいいか」、と。
僕は、「いいんじゃないの」と、軽く答えた。
お人好しのマチベンは、内心、警察は、きっと被疑者本人には、内々に詫びの一つも言っておきたいのだろうと思ったからだ。

一晩、寝たら何だか僕が一緒に行った方がいいような気がしてきた。
被疑者の娘さんに連絡をしたら、娘さんが一緒に行く予定になっていると言っていた。

この娘さんがなかなかの強者である。

今回の被疑者は、勾留中、一度も弱音を吐かなかった。

これほど、腹の据わった被疑者(初犯)を、僕は、初めて見た。

      あぁ、そう言えば、
      私選事件では、不思議に落ち着いた被疑者もいた
      国選の初犯は、ほぼ必ず早く出たいと言う。

しかし、娘さんは親より、もっと筋金入りだと、自分で言っている。

とりあえず、超筋金入りの娘さんに同行してもらえることを確認して、日和ることにした。

弁護士会の委員会に向かう車の中で、突然、被疑者の娘さんから電話があった(ハンズフリー。念のため)。

「調書を取ると言われて、同席を断られた。私だけ、いったん帰るように言われた」、
「帰っていいのか」、
と言う。

とんでもない。
良いわけがない。

すぐに被疑者を連れ戻すように依頼して、結果を電話してもらうように言う。

少し考えたくて、道ばたのファミリーレストランの駐車場で、一息入れる。
委員会が先か、警察が先か。

結局、警察を優先させることにして、警察署へ急行。

車中から警察へ電話。
「すぐに釈放しろ」(身柄を取られた訳ではないので、この言葉は変。でも生々しい)

相手は、何か言っているようだったけど、
「すぐに釈放しろ」
「(電話を切らず)このまま待つから、被疑者に電話を代われ」
「ぐずぐず言わずに被疑者に電話を代われ」
少し待たされる。

被疑者に代わったので、調書を作る必要はないので、すぐ出て、警察署の駐車場で待つように言う。

電話を切って、娘さんの携帯にかけるが、非通知だとやっぱり通じない。

事務所に電話して、事務員から電話してもらう。
「僕も警察に向かっているから、被疑者を連れ戻したら、警察署の駐車場で待っていてほしい」

警察署近くで、弁護士会の同僚委員に車中から電話。
「突発事態で委員会、遅刻します」
(結局、欠席になった)

警察署の駐車場には、被疑者親子が立っていた。
僕は、さすがに興奮していることが、自分でもわかる。
わざと、ゆっくり、駐車させ、動作をゆっくりにして、車内を整理し、たたむ必要のないサイドミラーもたたむ。
気持ちが落ち着く。

経過を確認した上、被疑者、娘、私の3人で、刑事課長に抗議した。

なぜ被疑者を呼び出したのか、なぜ調書を作るのか、なぜ時間がかかると被疑者にも娘にも言ったのか。

刑事課長の言い分は、二転三転する。

のらくら言い逃れをする犯人を怒鳴りたくなる刑事の心境がわかる。

大声を上げたのは一回だけ。

僕は、警察を信頼していた。
今でも、警察が好きだ。
感謝している。
その警察が、「近いうちに正式に説明する」と約束し、

「待ってくれ」と言っていたので、
待っていた。
まさか、弁護人に無断で、取り調べするとは考えもしなかった。
市民が信頼し、善意で接している、それに乗じて、いいように裏切る。

それが警察か!

村木さんの事件や、菅谷さんの事件、志布志事件など、お決まりの事件のことは一言も言わなかった。

僕は、それは一部の逸脱だと信じたいから、そうした事件を引き合いに全部がそうだと言うのはイヤだから。

抗議は、30分以上に及んだろうか。

経過は、娘さんにまとめておいてもらうように依頼して、ある。

その後、整髪料など、被疑者宅から押収した品目の一部を被疑者が返却を受けた。

敵意を持って接すれば、敵意が返ってくる。
善意を持って接すれば、善意が返ってくる確率が圧倒的に高い。
だから、人に接するときは、善意で接した方が、ずっと楽だと僕は思っている。

弁護人という仕事の性格上、警察に対しては、善意を持っては、いけないのだろうか。

僕は、それでも、現場の人を信じたい気持ちが捨てきれない。
へなちょこな弁護人である。

おい、法テラス、マチベンは、国選弁護任務解除、除隊中の身である。

決着が付くまでの弁護費用を持て。

2010年10月28日 (木)

小沢一郎へのアドバイス 幻になった子分編

マチベンである。
宮崎学の子分を気取った親分は、実は、小沢弁護団は特別抗告しないと読んでいたようだ。
予定稿があったのを見つけた。
マチベンの親分をやっている程度の人物では、多々、読み間違えることがある。

親分は、おとといの記事で、朝日新聞に強制起訴制度違憲論を投稿した播磨益夫氏にもいちゃもんを付けていたが、播磨氏の憲法9条論はともかく、実名で主張しただけ、覆面弁護団より度胸があると僕は思うので、僕は少しは評価している。

マチベンの親分の予定稿(笑っちゃうな、マスコミ記者気取りだ)は、先読みは間違っていたが、なぜ、小沢一郎氏にとって行政訴訟が必要なのか、なぜ特別抗告して最高裁まで持ち込まなければならないのかについては、よく書けていると思う。

だから、特別抗告をしなかったという点が大誤報であることだけ、しっかりと踏まえて読んでいただければ、ややこしい行政法のからくりの一端は、わかってもらえるのではないかと思い、こっそり、マチベンの親分が書いた予定(誤報)記事を掲載することした。

親分には、叱られるかもしれないけど、本心は、まんざらでもないだろうと思う。

====以下、親分の予定稿(誤報記事)==========
宮崎学の子分である。
自称して便乗しているだけだから、本気にするな。
誤解されると、宮崎親分に迷惑がかかる。

小沢は、まだわかっていないようだから、もう一度、アドバイスしてやる。
今、雇っている弁護団は、だめだ。
弁護士を代えろ。
弘中のことではないぞ。他の連中だ。

行政訴訟の弁護団は、特別抗告をしないそうだな。(誤報)
最高裁に持ち出さないのだとしたら、
何のために仮の差止と手続の続行の停止を求めて、
裁判所に超スピード審理をさせたのだ。
俺には理解できん。
マチベンの言っていたことが正解になってしまう。
それでは俺の立場がない。

まさか、本当に指定弁護士の選任を裁判所が差し止めてくれると思っていたのではあるまいな。
いや、そう思っておったとしか見えんな。
涙が出るぞ。

弁護団もわかっておらんようだから、仕方がない。
俺が教えてやろう。

行政訴訟は出す必然性があった。
行政訴訟をしておかなければ、
刑事事件で、起訴議決の違法を争えなくなる可能性があるからだ。

なぜか。
わかりにくい説明になるが、よく聞いておけ。

刑事裁判で、弁護人が、起訴議決の違法・違憲を主張して
公訴棄却を申し立てたとする。
公訴棄却の申立というのは起訴自体が違法だから、
有罪無罪を審理する前に起訴を門前払いすることを求める申立だ。

裁判所の立場に立ってみろ。
小沢の有罪・無罪を判断しろと言うのが「国民の声」だと言われておる。
公訴棄却で門前払いするなぞという「国民の期待」に背を向ける判決は間違っても出したくない。
裁判所にしてみれば、小沢と一蓮托生で、民衆から迫害されてはたまらん。
小沢に対して、それほどの義理もない。
かと言って、多少の良心があれば、
小沢の起訴議決をした審査会の手続がうさんくさいことくらいはわかる。
憲法の適正手続保障に反しないと断言するのも良心に照らして、憚られる。

裁判所は賢いぞ。
逃げ道を心得ておる。

「起訴議決は行政処分に該当するから、行政訴訟で争うべきだ」と言ってしまえばいい。
行政処分だと言われると、争う場は行政訴訟に限られる。
いいも悪いもない。
そういう仕組みになっておるのだ。
裁判所は、刑事裁判では起訴議決の違法性の問題は扱えないと言ってしまえばいい。

そう言われてから、急いで、行政訴訟を起こしても手遅れだ。
起訴議決があったことを知った日から6ヶ月で、
出訴期間が過ぎてしまい、行政訴訟は却下されるからだ。
わかりにくいからもう一度繰り返すと、
仮に起訴議決が行政処分だったとしても、
起訴議決があったことを知った日から、6ヶ月以内に行政訴訟を起こしていないと、
起訴議決の違法性は争う手段がなくなる。
起訴議決は、違法であっても、
取り消すことはできなくなり、有効な処分として確定する。
これを行政処分の「不可争力」というぞ。
ロースクール生なら100人が100人、みんな知っておる。
基本中の基本だ。

だから、弁護団としては、
刑事裁判で起訴議決の違法性を争うためにも、
行政訴訟の対象にならないことを裁判所に確かめておく必要があった。

ここまでは、わかるな。

その上、刑事裁判で思う存分、起訴議決の違法を争うためには、
刑事裁判で争うべきだという決着を早くつけておきたい。
だから、わざと勝つ見込みのない指定弁護士選任の差止を求めて、
裁判所に超スピード審理をさせることも、小沢の立場としては、正解だ。
一般市民にとって、はなはだはた迷惑なことだが、
民衆から迫害されている異端の身では、
一般市民に配慮する余裕もあるまい。

問題は、その先だ。
地裁、高裁は、思惑通り起訴議決の違法は、行政訴訟の対象とはならず、
刑事裁判で争うべきだとして、小沢側の申立を却下した。

弁護団は、ここでやめてしまった。(大誤報)
なぜ、最高裁に持ち出さないのか。
ここまでやったら、最高裁に持ち出して、決着を付けるべきだ。
最高裁に持ち出す計画がなければ、
間違っても、指定弁護士選任の差止など出して、
超スピード審理など、求めてはならなかった。
弁護団のしたことは中途半端で何の成果もない。
悪い結果だけを残しておる。
また、涙が出るぞ。

最高裁に持ち出しても、
最高裁も判断をしてくれなかったかもしれんが、
持ち出してみないことには、
最高裁の判断が示される可能性は皆無だ。

小沢弁護団は甘いな。(誤報)
刑事裁判で、起訴議決は行政処分だから、
行政訴訟で争うべきだと裁判所に言われたら、どうする。

東京高裁が刑事裁判で争うべきだと言ったというのか。

刑事事件の裁判官としては、
東京高裁が、どう言っておろうが、知ったことではない。
刑事事件の裁判官としての良心にしたがって、
これは行政処分だと考えると言われてしまえば、おしまいだ。
裁判官は、その良心にしたがい、独立して職務を行う(憲法76条3項)。

最高裁が、刑事裁判で争うべきだと言っておれば、
さすがに、これに逆らう骨のある裁判官は、最近では、滅多にいない。
だが、東京高裁の判断では不十分だ。

つまり、最高裁に持ち出しておかない限り、
行政訴訟では、刑事裁判で争えと追い返され、
刑事裁判では、行政訴訟で争えと追い返されることは、
合理的に見て、十分にあり得ることだ。
いかにも不条理だ。
それでは、小沢は、起訴議決の違法は、行政訴訟でも争えない、
刑事裁判でも争えないことになるではないか、と。
しかし、庶民は、これに苦しめられてきた。
そんな芸当は、裁判所にはたやすいことだ。
庶民の苦しみなど、知ったものではない。
貴様が、自民党の幹部だった頃だと思うが、同じような裁判があった。
自民党に有利だったぞ。
知らぬではすまされない。
しかし、知らんだろうな。

蛇足だが、行政訴訟の裁判所では「起訴議決は、準司法手続だから、刑事裁判で争え」と言っておる。
「準」司法手続というのがくせ者だぞ。
起訴議決が、司法の作用に属すると断言した訳ではない。
ひょっとして、あっちから見ると、行政作用に見えるかもしれんと含みを残しておる。
刑事の裁判所に配慮しておるのだ。
だから、刑事事件の裁判所としては、
安心して、これは、「準行政処分」に見えると言えばよいのだ。

特別抗告をしないという弁護団の判断で、はっきりした。
(誤報につき削除)
小沢の行政事件の弁護団は、出入りらしい出入りを経験したことがない。
キャリアの連中だ。

親分は、ヤメ検はやめとけと言っておる。
子分としては、キャリアの典型として、ヤメ判もやめとけと言っておこう。
圧倒的な弱者の立場で苦しんだことがない。
異端として迫害されることが、どういうことか全く理解できない。

人権派の行政訴訟のエキスパートが見つからないのか?
そんなはずはないがな。
環境派の有力な弁護士が、弘中の人脈の中に、きっとおると思うが、違うか?
断られたか。

それなら、憲法訴訟のエキスパートでもいい。
間違っても政府側ではないぞ。
人権派の憲法訴訟のエキスパートだ。
彼らも一度も勝ったことがない。
それでも、義のためなら、
飯のことも勝ち負けも考えず、
全てを投げ打って、突っ込んでいくぞ。
立派なものだ。
見上げた根性だ。
そういう奴らこそ、愛国者だ。
俺は心から尊敬しておる。

まずは、海外派兵の野望を捨てるのが先だ。
心を入れ替えて、憲法を遵守する覚悟が固まったら、連絡をくれ。
誰がいいか、教えてやる。

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2010年10月26日 (火)

小沢一郎へのアドバイス 子分編2

宮崎学の子分である。自称しているだけだから誤解するな。
あらぬ誤解をされると、宮崎親分に迷惑がかかる。

親分がすでに、小沢一郎へのアドバイス6を書いておる。
むつかしい法律論の大半は、親分が説いたので、
俺が言うことはあまりない。

わかりやすいことだけ言おう。

行政訴訟の弁護団の匿名をやめさせろ。
テレビカメラの前で堂々と主張させろ。
自分たちは隠れて、
裁判所に責任をなすりつけるような卑怯なことはさせるな。
それでは、検察審査会の審査員と同じだろうが。

小沢のように民衆から迫害を受けたとき、
気骨ある弁護士はどうしたか、知っておるか。
松本サリン事件で、河野義行は、マスコミによってひどい迫害を受けた。
小沢に対する迫害の比ではない。
河野は、聞くに耐えない、執拗な嫌がらせを受けた。
河野が逮捕されなかったのは、
河野が強かったからだけではない。
永田恒治が弁護士として、繰り返し河野とともに、
メディアに露出して、理を尽くして河野の無実を訴え続けたからだろう。

今でこそ、刑事弁護の第一人者として名高い弘中も、
いかにもうさんくさく見えるロス疑惑の弁護をしていたときから、
実名で弁護をしていた。
だから、弘中もうさんくさく見えて
迫害を受けた。
それでも弘中は、体を張って三浦を守った。

光市母子殺害事件の弁護団を見るがいい。
みな実名で弁護しておる。
民衆から迫害されるのを覚悟の上で、
悪の権化のように糾弾され、
客が離れていくのにも耐えて、
身を挺して被告を守っておるのだぞ。
言っておくが、弁護士は客商売だぞ。

親分は、小沢にもっと、メディアに出ろと言っておる。
俺も、そう思う。
そのとき、弁護団も面をさらして、
ともに耐えてやれ。
それができないような腰の引けた弁護士には
この事件は、荷が重すぎる。

この間の経緯を見ると、弁護団は、
本気で、指定弁護士の選任の差止の裁判を裁判所がしてくれると
思っていたように見える。
愚かだ。

裁判所の身にもなってみろ。
小沢の有罪・無罪を判断しろと言うのが「国民の声」だと言われておる。
指定弁護士の選任手続を差し止めるような「国民の期待」に背を向ける決定は間違っても出したくない。
裁判所にしてみれば、小沢と一蓮托生で、民衆から迫害されてはたまらん。

裁判官は実名で決定をする。
へたな決定を出せば、裁判官がバッシングにあう。
一部集団の唱える司法の民主化の成果である。
弁護団は、匿名集団で、安全地帯におる。
こんな損な役回りを引き受ける裁判官がいると思うか。

強い立場しか知らぬヤメ検には、
そのことがわからない。

小沢も小沢だ。
姑息なことはするな。
今朝の朝日新聞の「私の視点」に強制起訴制度は違憲とする投稿が掲載された。
初めてまともな議論を見たと思ったが、
投稿者は、国連軍に自衛隊を派遣するのは憲法違反にならないとする
小沢と同じ主張をしている元官僚ではないか。
小沢の子分だろう。

特別抗告の期限は明日だ。
特別抗告は、憲法違反を理由にしないと受け付けてもらえぬ。
だから、訴訟提起の時点から、親分は、検察審査会の違憲論を中心に据えろと言っておった。
小沢の弁護団はこれを無視した。

特別抗告のために憲法違反の主張が必要になったものだから、
急遽、小沢の子分を使って、朝日新聞に違憲論を掲載させる。
あまりにも見え透いていて、吐き気がするぞ。

そもそも、国連決議さえあれば、
戦地であろうがどこであろうが、自衛隊を派兵でき、
戦闘行為に加わることもできるという
貴様の解釈は明らかに憲法を解体するものだ。
アフガニスタンへの陸上自衛隊の派兵をまだ諦めておらぬのか。

アフガンの陸上戦は、これまでの派遣の比ではないぞ。

国連軍は、ゲリラだけではない一般民衆も殺戮している。

なぜ、自衛隊が、それに直接、加わらなければならんのだ。

自衛隊員の身にもなってみろ。

行けば、殺さねばらなぬ。殺さなければ、殺されなければならぬ。

自衛隊員の苦悩を想像したことがあるか。

自衛隊は政治家のおもちゃではないぞ。

その憲法違反の主張を変えぬまま、
同じ主張をする子分を使って、
検察審査会違憲論を主張する。

右も左も、都合のいいときだけ、憲法を持ち出す輩が多すぎる。
憲法が、いい迷惑だ。
憲法が泣くわ。

こんな姑息なことを続けている内は、
小沢に勝ち目はないわ。

小沢よ、
今の弁護団ではとうてい勝ち目はないぞ。
外野の子分も、やり方がうさんくさすぎる。

民衆の迫害から逃れるために、

弱者の盾である
憲法に縋ろうというのであれば、

政治家としての良心に誓って

憲法に心からの忠誠を誓え。

さもなくば、途は永遠に閉ざされるぞ。

2010年10月25日 (月)

司法の危機 検察審査会という名の民主主義(再掲)

【再掲】 小沢バッシング(以下、小沢現象と呼ぶ)によって、今や司法を初めとする国の構造が代わりつつあるように見える。私は、決して小沢の支持者ではない。彼の独裁が始まれば、体を張っても止めたいと考えたかもしれない立場である。しかし、小沢現象によって、国の仕組みやあり方までが変わってしまうことは、一憲法実践者として座視できない。

以下は、小沢現象にこだわり始めたきっかけとして、私のスタンスを示す大事な記事だと考えている。トップページからのアクセスがむつかしくなったので、再掲する。(10月25日)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2010年10月5日

小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件について、検察審査会が2度目の起訴相当の議決をし、小沢一郎氏の強制起訴が決定した。

僕は、特捜部の捜査のあり方が厳しく問われている中、検察審査会が再び起訴相当の決議をなすことはないだろうと思っていた。

まさか民主党代表選の当日に議決されていたとは裏をかかれた。
ま だ、村木元局長の無罪判決を帰結した特捜捜査の強引さの認識については十分には定着しておらず、特捜部主任検事によるフロッピーディスクの改ざん問題は、 全く予測もされていなかった時期だ。まして中国漁船衝突事件が起きるまでは、中国とのパイプとして小沢一郎が必要な存在ではないかという認識は成立する余 地もなかった。


ところが、結局、二度目の起訴相当の議決がなされた。

おそらく、この事件は、国民の名において司法が政治利用された例として、歴史に残るだろう。

場合によっては、司法のあり方を根本から変えた歴史的転換点とされることになるかもしれない。

それくらい、この起訴議決には重大な意味がある。

小沢一郎氏の問題では、僕は、くじで選ばれた一握りの市民が一国の国政を左右するような決定を行うことを、検察審査会制度は本来予定していないと「勘違い」していた。

憲法の定める統治構造のあり方と、こうした検察審査会のあり方は整合しないと考えてきた。

小沢一郎氏の事件は、検察審査会の政治的濫用であると考えてきた。

しかし、メディアの多くでは、検察審査会の決定があたかも所与の前提のように扱われている。

所与の前提とはすなわち検察審査会の目的規定にある「民意」(検察審査会法第1条)であり、すなわち国民の声、国民の目線だ。

今回の議決も、メディアの論調を見る限り、民意に沿ったものと評価されており、まさに民意が反映されて検察審査会の本来の機能が果たされたということのようである。


この問題には、二つの論点がある。

一つ目は、くじで選ばれた一握りの市民が国政を左右するような決定に与るということが民主主義のあり方として許容されるかという問題であり、

二つ目は、司法のあり方を民主主義原理によって是正することが許容されるかという問題である。

実は、一つ目の問題は、本質的な問題ではないかもしれない。

国政に大きな影響を与えるような刑事事件については、国民投票によって起訴を決定するという制度を導入すれば、起訴の決定の民主性には疑いの余地がなくなる。

実際には国民投票を導入することは困難だから、科学的検証に十分、耐える厳正な世論調査を2回以上行なうという措置で代替してもよいだろう。

したがって、観念的に考える限り、くじで選ばれたにせよ、一握りの市民が「民意」を反映している限り、民主主義の問題は起きないということになる。

間接民主制を基本とする憲法の統治構造のあり方と整合するかは別論点として残る。

しかし、民主主義原理に関わる問題としては、直接民主制と間接民主制の選択の問題に帰するであろうし、大雑把に言ってしまえば、国会で国民投票(世論調査)に付することを決議することを前提要件とすれば、この問題もクリアされるように見える。

本質的な問題は、司法に民主主義原理を導入してよいのかという2点目の問題である。

この点について、僕は根本的に違和感を持つ。

司法の場で問われるのは、人権の問題であり、司法の使命は基本的人権尊の擁護にある。

人権は、多数決によっても奪うことのできない人間にとって根源的なものであると規定される。

したがって、人権の問題は、基本的に少数者の問題である。

人権の問題が顕在化するのは、多数者による決定が少数者の根源的ななにものかを侵すときである。

だからこそ、憲法は裁判官と司法の独立を定め、裁判所を敢えて民主主義から遠ざけている。

司法を支える基盤は、個々の「裁判官の良心」に過ぎない。
司法の基盤は、極めて脆弱ある。

他方、民主主義は、戦争の遂行すら正当化する強大な力を持つ。

司法の場において、民主主義が指導的な原理とされることがあれば、司法の独自性は失われ、少数者の権利の擁護者としての司法は瓦解する。

近代刑事司法において、多数者によって、「異端」が裁かれる民衆裁判が最も忌み嫌われたのも、このためである。



法改正による、検察審査会の「民意」反映の強化によって、今、司法は、戦後2度目の危機にある。

前回は政治介入という名の危機であった。

今回は、民主主義という名の危機である。

(法廷ミステリーを読むと、アメリカでは、裁判官も検察官も選挙で選ばれるのが原則のようである。
しかし、GHQの作成した日本国憲法草案は、司法と民主主義に距離を置くものとなった。
なぜ、そのようになったのか、僕は知らない。
しかし、民主主義に直結し、党派性を色濃く帯びるアメリカの司法制度より、僕は日本国憲法の司法制度の方がすぐれていると思う)
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追記
国会議員 各位
小沢一郎の次はあなたかもしれません。
どんなに日頃から身の回りに気をつけておられても、政治家ですから何か怪しいところはおありでしょう。
狙われたら、民意によって一気に政治生命を絶たれる可能性があります。
検察審査会法を改正しましょう。
「民意を反映し」等という目的規定ははずし、強制起訴の制度は、被害者の申立案件に限って適用することにすればいいだけですから、極めて簡単な改正です。
全会一致で可決することをご進言します。

議員の皆様の安全だけを慮ってものを言っているのではありません。

「民主主義者」は、すでに尖閣諸島中国漁船衝突事件に関して、検察審査会を利用する布石を打っているでしょう。
那覇地検は、不起訴にしたのではなく、処分保留にしているだけだから大丈夫などと思っているとしたら、きっと甘いと思います。
くじで選ばれた一握りの市民が、一国の外交と行く末すら決しかねない危険が迫っているのです。

国会議員の皆様のご英断を心よりご祈念申し上げます。

2010年10月22日 (金)

知らなかった(汗)! 研修医には給料出てるじゃん

司法研修所の給与制の維持について、メディアは全て反対の社説で統一されているように思う。

なぜ弁護士にだけ給費制による研修を保証しなければならないかというのが、共通のトーンのように見える。

だから、僕は、弁護士と並び称される研修医も、無給に決まっていると思っていた。

事務員が、「そうですか?」と言うので、調べてみた。

ウィキペディア

なんだ、研修医には給与出てるじゃん。

2004年から、臨床経験を義務づけるとともに、適正な給与を保証することになり、研修医の研修先には国庫から補助金が出ている。

医者の方が、ずっと金持ちの子弟の可能性が高いのにな。

みんなこれは、当然の前提で議論しているんだそうだ。

恥ずかしながら、知らなんだ。

でも、なんか、変だな。

マスコミは、弁護士に恨みでもあるのかな。

医者との違いは何だ?

医者は、国家試験に合格すれば、医師の資格が得られる。

弁護士も司法試験に合格した段階で、弁護士の資格を与えれば、その後の研修は臨床研修と同じで給費制でなぜ悪いんだろう。

いよいよ、訳がわからん。

追伸

そういえば、裁判員裁判に、むりやり国民を駆り出すために、
裁判はむつかしくありません、素人でもできます
と、盛んに宣伝していたっけ。
素人でもできることをしている弁護士を国費を使って養成するまでもない、ということなのかしらん。

確かに、テレビコマーシャルをしているような法律事務所は、素人の事務員を大量に雇って、事件を処理してるよな。マニュアルが作ってあるから、ほとんど事務員任せだよな(N弁護士は、マニュアル化・細分化するのが弁護士の才能だなんて言ってた。法律事務のフォードシステムだ)。
なるほど、弁護士のやっているようなことは素人でもできるんだ。

診察員制度とか、治療員制度とか、手術員制度とか作って、国民を駆り出すことはできないよな。
診察・治療・手術は素人でもできます、なんて口が裂けても言えないもんな。

知らなきゃよかった。
何か、えらく割を食ったような気分である。

最高裁の指定保証金融機関はオリコ 続

最高裁が司法修習生の保証人をオリコに指定した理由はいまだに不明。
だれか最高裁事務局に聞いてもらえないかなぁ?
給費制廃止に反対する若手弁護士らがビギナーズネットというグループを作っているそうだから、最高裁事務局に電話してみたら、どうかな。
マスコミの記者さんが聞いてくれたら、もっといいな。
最高裁も案外、正直に教えてくれるかもしれない。
僕は宮崎学の子分を気取っている親分から、当分は仕事に専念しろと言われてるので、今のところ身動きができないので…(泣)

もしけんもほろろな対応だったら、僕まで教えてね。

2010年10月20日 (水)

宮崎学の子分からマチベンへのアドバイス

宮崎学の子分である。俺が勝手にそう言っているだけで、親分は全く知らないがな。
マチベンが間違ったことを言っているので、教えてやろう。

マチベンは執行停止申立に対する却下決定が3日で出たことを、裁判干渉の証拠のように言って騒いでおる。

しかし、マチベンは間違っておる。ロースクール生にも笑われるぞ。

訴えを見てみろ。

起訴議決の取消だけでなく、指定弁護士の選任の差し止めも求めておるだろうが。

少しは考えて見ろ。

裁判所にしてみれば、ほかっておいて、指定弁護士が選任されたら、差し止めの訴えは、訴えの利益が失われたとして却下すれば、すんだことだぞ。裁判所もその方がよほど手間が省けた。面倒な裁判なんだから、後は塩漬けにしておけばよかった。

それではあまりに忍びないので、小沢の裁判を受ける権利を最大限に守ってやっるために、不眠不休で、お前の言う「目にもとまらぬ早業」を見せたのだ。

裁判所の親心もわかってやれ。

結果として、却下の理由を見れば本裁判の結論も見えてしまうことになった。しかし、これは、小沢が切迫した時期に差し止めを出して判断を求めて来たから、超スピードで、判断したに過ぎん。

即時抗告の時間さえ与えてやっておる。

超スピード訴訟になることがわかっておって、指定弁護士の選任の差し止めを求めたのか、

それともできの悪い司法試験の受験生みたいにとにかく考えられるあらゆる手続きをやみくもに全部上げてみたのか、俺にもよくわからん。

後の方だとすると、小沢が行政訴訟を頼んだ弁護団は、喧嘩の仕方を知らん連中だ。出入りらしい出入りの経験がないのではないか。

なんとなくではあるが、後の方にみえるな。

前の方だとしても、裁判官の独立が時には、不条理な結果をもたらすということを理解しているのか、気になるな。

小沢よ、今からでも遅くはない。行政訴訟を本気で闘うために、人権派の行政訴訟のエキスパートを頼んだ方が貴様のためだぞ。

そのためには、まず、クーデターを企てたことを反省して、心を入れ替えなきゃならんがな。

マチベンは、そろそろ、日銭稼ぎに戻ったらどうだ。預金残高は大丈夫か。事務員を泣かすなよ。

行政訴訟の結果も見えたことだ。仙谷の裁判干渉はお前が初めて明らかにした、司法の独立を脅かす憲法上の大問題だ。
功績は認めてやるから、後は憲法学者にでも任せて、本業に戻ることを勧める。

まずはご苦労だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

10月23日追記

10月22日、東京高裁は小沢の即時抗告を棄却。ここまでやったなら、特別抗告しろよ。しないと、小沢にとって、一体、何をやったのかわからんことになるぞ。最高裁が特別抗告に当たる理由なし、あるいは執行停止・差止の利益なしとして門前払い却下にするか、強制起訴と行政訴訟との関係について内容に関する判断を示すか、まずは第1の分かれ目だろう。小沢にとっていいことが、我々にとっていいとは限らんが小沢弁護団は、どうシミュレートしておるのかな。

それにしても、指定弁護士が、堂々と名乗りを上げておるのに、小沢の行政訴訟弁護団は、実名が見当たらん。マスコミにコメントだけ載るので、正体不明の弁護団と揶揄されておるぞ。さしずめ「謎の黒装束集団」といったところかな。そんな腰の引けた姿勢でいいのか、他人事ながら、気になる。

2010年10月19日 (火)

起訴議決執行停止却下

 民主党の小沢一郎元代表が自身を政治資金規正法違反で強制起訴すべきだとした東京第5検察審査会の起訴議決の取り消しなどを求めた行政訴訟に絡 み、東京地裁(川神裕裁判長)は18日、判決が出るまで強制起訴手続きの執行停止を求めた小沢氏側の申し立てを、却下する決定を出した。小沢氏側は即時抗 告する方針。

 検察官役の弁護士を指定することについての「仮差し止め」も却下した。小沢氏の代理人によると、決定は「検察審査会は準司法的な機関であり、小沢氏側の主張の適否は行政訴訟ではなく刑事司法手続きの中で判断されるべきだ」と指摘した。(毎日新聞10月19日)

仙石官房長官が「行政訴訟になじまない」と発言したとおりの決定が出た。

しかし、行政法上、検察審査会の起訴議決が行政訴訟の対象になるかどうかは、そうそう簡単に結論が出る問題ではない。

行政法の学者に議論させれば、議論百出で、当分、収集がつかないだろう。

仙石官房長官が弁護士出身だから、専門知識に基づく発言だと、一般には受け止められているようだが、行政法は極めて特殊な分野なので、理解している弁護士は100人に1人もいない。

だから、仙谷氏も本当のところは自信がないはずである。

おそろしいのは、執行停止の申立から、わずか3日という目にも止まらぬ早業で、この難論点に、裁判所が却下決定を下したことだ。

裁判所は、判決や決定の文書を作るときには、細心の注意を払う。

誤字の一つでもあれば、「裁判所が間違えた」として、メディアや市民に揚げ足を取られかねない。

だから、結論を出して、起案をしてから最低でも2日は必要だ。

結論を出すまでには、提出された訴状を精査しなければならない。

今回の決定は、申立からわずか3日という超スピードで出された。

訴状を熟読して検討する、議論して結論を決める、決定文を起案する、ミスがないか書記官ともどもチェックする。

どう考えても、これ以上の早さでは決定を出すことはむつかしい。

多分、提訴と同時に(あるいは提訴以前に)、結論を出して、決定文の起案にかかった。

それが一体何を意味するだろう。

行政訴訟にはなじまないとする行政法には素人の官房長官の発言と密接な関係があるという僕の見方は、うがちすぎなのか。

僕は、これを戦後最大の裁判干渉と呼ぶことにした。

司法は危機にあるのか、それともすでに政治部門の下請機関に変質しているのか。

今後の推移を注目したい。

注:執行停止事件の場合、一刻も早く決定が必要なのは、停止を求める側だ。停止決定がされなければ、手続はどんどん進んでしまうからだ。逆に停止の却下は急ぐ話ではない。ほっておいても、起訴議決に基づく手続は粛々と進んでいく。結論が却下なのであれば、普通、裁判所はもっと急ぐ事件に集中して、当面、執行停止はほっておく。目にもとまらぬ早業で却下というのは、どう見ても奇妙きわまりない。

そういえば、重大事件なのに、ものすごく早かった例が、あった。安保条約を違憲と断じた東京地裁判決を破棄した最高裁判決だ(砂川事件)。このときも異例ずくめの早さだった。なんだかよく似てきた。

2010年10月18日 (月)

小沢一郎へのアドバイス 子分編

宮崎学の子分である。面識はない。

親分の言うことはよく聞いておけ。

子分からもアドバイスしてやろう。


1 環境派、情報公開派の弁護士を雇え

弁護士の大半は、行政法は全く理解できておらん。

ロースクール生にも劣る連中が大半だ。

だから、行政法のエキスパートの弁護士を雇わなければならん。

行政法のエキスパートの弁護士の大半は、行政側だ。

間違っても行政側のエキスパートを雇ってはいかん。

行政側の弁護士は、裁判所に庇護され甘やかされてきたから、鍛えられておらん。劣化しておる。

へっぽこ特捜検事どもが劣化したのと同じだ。

百戦錬磨であっても、裁判所と結託しているから勝っているだけで、闘う弁護士にはならない。

キャリアとか地位に惑わされるとろくなことにならない。

俺が勧めるのは、人権派の行政法エキスパートだ。

行政法は飯のタネにならない。

人権派で行政法のエキスパート弁護士は、意地だけでやっている。

但し、オンブズマン系には行政法を飯のタネにしている輩がいるかもしれないから気をつけろ。

環境派や情報公開派の人権側弁護士が、いいぞ。

環境訴訟や情報公開訴訟は勝っても金にならん。

しかも、負ける確率が圧倒的に高い。

生涯、勝てんかもしれん。

だが、彼らは飯のことを考えず、百戦百敗しても、挑み続ける。

いい根性だ。

名古屋で言うと、ダムとか、河口堰だとか、ジュゴンだとかで騒いでいた連中がいい。

義があることさえ理解すれば、彼らは、飯のことも勝ち負けのことも考えずに突っ込んでいく。

見上げたもんだ。

そういう奴を雇え。


2 検察審査会違憲論を中心に据えろ

報道されている訴状要旨では、起訴議決で認定された犯罪事実が告発された被疑事実から逸脱していることが主要な理由になっているように見える。

親分が言うように検察審査会違憲論を中心に据えなければいかん。

どうも訴状は、そのようになっていないように見えるのが、気になる。

櫻井敬子のレクを見たが、なかなか勇ましくていいぞ。

レジュメも読んでおけ。憲法問題だということがわかるだろう。

民主党の子分なのだから、彼女も使え。


3 起訴議決の効力停止はしておけ

おそらく当然、効力停止も申し立てておると思うが、報道ではよくわからん。

指定弁護士の権限は、起訴議決に基づいているので、仮に弁護士が指定されても、指定弁護士が活動できないようにしなければならない。

そのためには起訴議決の効力の執行停止を求めておく必要がある。

そのことが、わかっているか、ふと不安を覚えた。


4 検察審査会のベールをはげ

親分は、検察の証拠リストを手に入れろと言っておる。

俺が言うのは、細かいことだ。

日弁連が、審査補助員向けのアンケートをしておる。

これを見ると、該当事件を特定して、審査会議が開かれた日にちと時間帯を聞いておる。

ということは、審査会議が開かれた日にちと時間帯は、評議の秘密でもなんでもないということだ。

また、日弁連は、堂々と検察審査会補助員の経験交流会も開催しておる。

そこでどのような経験交流がされたか、その筋を使って確認しろ。

そこで話された内容は、評議の秘密でもなんでもないはずだ。

日弁連のやることだから、間違いない。

でなければ、今頃、審査補助員だった弁護士はしょっ引かれている筈だ。

とにかくやれることは全てやって、審査会の化けの皮をはがせ。

案外、ホントにユーレイだったのかもしれん。


5 クーデターを企てたことを反省しろ

貴様は、憲法9条を解体するために内閣法制局長官を国会審議から排除しようとした(「小沢一郎という問題」参照)。

いっておくが、貴様の企みはクーデターだぞ。

その貴様が、今や、異端として追われ、民衆からむち打たれておる。

民衆の迫害から逃れるためには、憲法にすがらなければならん。

皮肉なものだ。痛快である。

憲法は、憲法を解体しようとした奴さえ守ってやるのだ。

憲法のありがたさが身に沁みるだろう。

今後は、独裁クーデターのようなことは決してするな。

心を入れ替えて臨め。

ならば必ず途は開かれるだろう。

2010年10月15日 (金)

仙谷官房長官違憲発言の重大性

仙谷由人官房長官の発言は、極めて重大だ。

ことの重大さに当人は、全く気づいていないらしいことに愕然とする。
社会の木鐸たるべきメディアも、ことの重大さに触れようともしない。

この国の政治と言論は、いつからこれほど劣化してしまったのか。


ことは、憲法に違反する発言を最高権力者の一人が記者会見という公式の場でしたということだ。
漢字を読み間違えたとか、講演の場で不用意な発言をしたとかいうレベルの話とは全く違う。

内閣の事務を掌理する最高権力者が、公式の場で、公式の見解として、行政訴訟にはならないという発言をした。

仙谷官房長官は言うかも知れない。

小沢氏が起訴議決取消(無効)の訴えを提起するということについて、コメントを求められたので、小沢氏の行動について意見を述べたに過ぎず、司法に圧力をかけたものでは断じてない、と。

しかし、考えてもみるがいい。
小沢氏の提訴を受け、これを審理する裁判官は、最高権力者が、行政訴訟にはふさわしくないと言っていることが全く気にならないと思うか。

裁判官の任命権は内閣にある(憲法80条)。
その内閣の事務を掌理する権力者が、行政訴訟にふさわしくないと発言したのだ。
任命権者の意思から全く自由に判断ができると思うか。


裁判官は、個人として、強大な権力を有する内閣の責任者と対峙しなければならない。
彼、彼女を支えるのは、日本国憲法が裁判官に求める「良心」でしかない。

私が記憶する限り、個別の裁判について、判決前に閣僚が意見を述べたなどということはない。

あったとすれば、自衛隊と安保条約の違憲性が鋭く争われた時代まで遡るだろう。

あるいは、あなたは言うかもしれない。

あの発言は、個別の裁判について述べたものではなく、一般論を述べたまでだと。

しかし、検察審査会の(強制)起訴議決取消訴訟などというものが、他にあるのか、あるはずがない。

あなたの発言は、明らかに、個別の裁判について、意見を述べたものに他ならない。

少なくともかつての政府には、憲法や司法に対するたしなみがあった。

今の民主党政権には、それがない。

いや、ないとしか見えないのが残念でならない。

民主党に期待する市民は今でも多い。

しかし、憲法に対するたしなみがない政党には、権力を任せることはできない。法治主義の根幹に関わる問題だからだ。

仙谷官房長官は、市民が民主党に寄せる期待に応えるためにも、憲法を蹂躙した最低限のけじめとして、直ちに発言の誤りを認め、官房長官の職を辞するべきだ。

本当は、あなたに期待していた一弁護士より

============================

追伸

福島みずほ議員が、小沢氏は無罪となる可能性が高いと思うと語った問題と同列に論じることは許されない。

福島氏は今や、零細政党の一議員に過ぎない。最高権力者の発言とは全く違う。

しかも、推定無罪の原則に従う限り、「被告人は無罪だ」とする以外の回答はあり得ない。

あなたもお読みになったかも知れない米国のミステリー小説に次のような件がある。

陪審員選定に当たって、裁判官が、陪審員候補者に質問する。

「被告人は、有罪だと思いますか、無罪だと思いますか」

陪審員候補者は答える。

「わかりません」

裁判官は、あなたの答えは誤りだと指摘する。

推定無罪の原則によって、被告人は判決がなされるまで、無罪だと推定される。

だから、「被告人は無罪です」とするのが正しい回答だと。

裁判官が、その候補者を陪審員から排除したかまでは覚えていない。

しかし、訴訟前から、不適切な却下すべき訴訟だと発言してはばからない権力者を擁する国とは憲法に対する忠実性において、対照的な姿が、そこにはある。

2010年10月14日 (木)

仙谷発言は司法の独立の蹂躙

「仙谷由人官房長官は14日の記者会見で、民主党の小沢一郎元代表が国を相手取り、東京第5検察審査会が「強制起訴」とした議決の無効確認を求める行政訴訟を15日にも起こすことをについて「行政訴訟として立てるというのはどうかな。刑事公判としては成り立たないという申し立てをするのが伝統的法律家の思考方法だ」と述べて、行政訴訟提起の方針に疑問を呈した。」(産経新聞10月14日配信)

あなたは、内閣の最高責任者のひとりだ。

行政の最高責任者が、特定の裁判について、意見することは、自民党ですらしなかったはずだ。

司法の独立が、重要な憲法上の原則であることを知らぬ訳ではないだろう。

内閣の最高責任者のあなたの発言は明白な裁判干渉だ。

司法の独立の基盤は脆弱だ。

政治家がたしなみを忘れれば、司法の独立は容易に掘り崩される。

あなたの軽率な発言は、憲政史上に残るだろう。

直ちに官房長官を辞することを求める。

発言の中身も、きっと誤りだと思うが、行政法の無知は大半の弁護士に共通だ。

しかし、最高権力者である弁護士が憲法を蹂躙することは許されない。

潔くけじめを付けるべきだ。

2010年10月 5日 (火)

司法の危機 検察審査会という名の民主主義

小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件について、検察審査会が2度目の起訴相当の議決をし、小沢一郎氏の強制起訴が決定した。

僕は、特捜部の捜査のあり方が厳しく問われている中、検察審査会が再び起訴相当の決議をなすことはないだろうと思っていた。

まさか民主党代表選の当日に議決されていたとは裏をかかれた。
まだ、村木元局長の無罪判決を帰結した特捜捜査の強引さの認識については十分には定着しておらず、特捜部主任検事によるフロッピーディスクの改ざん問題は、全く予測もされていなかった時期だ。まして中国漁船衝突事件が起きるまでは、中国とのパイプとして小沢一郎が必要な存在ではないかという認識は成立する余地もなかった。


ところが、結局、二度目の起訴相当の議決がなされた。

おそらく、この事件は、国民の名において司法が政治利用された例として、歴史に残るだろう。

場合によっては、司法のあり方を根本から変えた歴史的転換点とされることになるかもしれない。

それくらい、この起訴議決には重大な意味がある。

小沢一郎氏の問題では、僕は、くじで選ばれた一握りの市民が一国の国政を左右するような決定を行うことを、検察審査会制度は本来予定していないと「勘違い」していた。

憲法の定める統治構造のあり方と、こうした検察審査会のあり方は整合しないと考えてきた。

小沢一郎氏の事件は、検察審査会の政治的濫用であると考えてきた。

しかし、メディアの多くでは、検察審査会の決定があたかも所与の前提のように扱われている。

所与の前提とはすなわち検察審査会の目的規定にある「民意」(検察審査会法第1条)であり、すなわち国民の声、国民の目線だ。

今回の議決も、メディアの論調を見る限り、民意に沿ったものと評価されており、まさに民意が反映されて検察審査会の本来の機能が果たされたということのようである。


この問題には、二つの論点がある。

一つ目は、くじで選ばれた一握りの市民が国政を左右するような決定に与るということが民主主義のあり方として許容されるかという問題であり、

二つ目は、司法のあり方を民主主義原理によって是正することが許容されるかという問題である。

実は、一つ目の問題は、本質的な問題ではないかもしれない。

国政に大きな影響を与えるような刑事事件については、国民投票によって起訴を決定するという制度を導入すれば、起訴の決定の民主性には疑いの余地がなくなる。

実際には国民投票を導入することは困難だから、科学的検証に十分、耐える厳正な世論調査を2回以上行なうという措置で代替してもよいだろう。

したがって、観念的に考える限り、くじで選ばれたにせよ、一握りの市民が「民意」を反映している限り、民主主義の問題は起きないということになる。

間接民主制を基本とする憲法の統治構造のあり方と整合するかは別論点として残る。

しかし、民主主義原理に関わる問題としては、直接民主制と間接民主制の選択の問題に帰するであろうし、大雑把に言ってしまえば、国会で国民投票(世論調査)に付することを決議することを前提要件とすれば、この問題もクリアされるように見える。

本質的な問題は、司法に民主主義原理を導入してよいのかという2点目の問題である。

この点について、僕は根本的に違和感を持つ。

司法の場で問われるのは、人権の問題であり、司法の使命は基本的人権尊の擁護にある。

人権は、多数決によっても奪うことのできない人間にとって根源的なものであると規定される。

したがって、人権の問題は、基本的に少数者の問題である。

人権の問題が顕在化するのは、多数者による決定が少数者の根源的ななにものかを侵すときである。

だからこそ、憲法は裁判官と司法の独立を定め、裁判所を敢えて民主主義から遠ざけている。

司法を支える基盤は、個々の「裁判官の良心」に過ぎない。
司法の基盤は、極めて脆弱ある。

他方、民主主義は、戦争の遂行すら正当化する強大な力を持つ。

司法の場において、民主主義が指導的な原理とされることがあれば、司法の独自性は失われ、少数者の権利の擁護者としての司法は瓦解する。

近代刑事司法において、多数者によって、「異端」が裁かれる民衆裁判が最も忌み嫌われたのも、このためである。



法改正による、検察審査会の「民意」反映の強化によって、今、司法は、戦後2度目の危機にある。

前回は政治介入という名の危機であった。

今回は、民主主義という名の危機である。

(法廷ミステリーを読むと、アメリカでは、裁判官も検察官も選挙で選ばれるのが原則のようである。
しかし、GHQの作成した日本国憲法草案は、司法と民主主義に距離を置くものとなった。
なぜ、そのようになったのか、僕は知らない。
しかし、民主主義に直結し、党派性を色濃く帯びるアメリカの司法制度より、僕は日本国憲法の司法制度の方がすぐれていると思う)


2010年10月 1日 (金)

最高裁は説明責任を果たせ。司法修習無給研修制

 「貸与制」と呼ばれた制度が、保証人2名を付けられない場合は、オリコの審査を受け、オリコの審査を通らない者には修習資金を貸与しないという制度であることが判明したのは、ごく最近のことである。

 要するにこの制度は、最も貸与が必要とされる「困窮した修習生にはお金を貸さないよ」という制度だった訳だ。

 司法修習生が修習資金貸与を受けるためには、保証人2名か最高裁指定の金融機関1つの連帯保証が必要であるということが明らかになったのは、昨年(2009年)10月30日

 ありがたくも、オリコが最高裁ご指定の「金融機関」のご指名を受けたことが明らかになったのは制度実施の直前である今年8月頃。

 「貸与制」(裁判所法改正)を決めた国会では、確認した範囲では、保証人の問題については、全く議論されていない。

そのまま全て最高裁規則に一任されたのである。

 最高裁が、保証人を付することにしたのは、国の債権の管理等に関する法律にしたがったということになるだろう。

 しかし、経済的事情から法曹の道を断念することがないようにすることが大前提とされた「貸与制」について、保証人1名ではなく、2名を付けることにした理由は何ら説明にされていない。

 まして、「最高裁が指定する金融機関」という極めて格式の高い、ありがたい「金融機関」がオリコになった理由も経緯も全く説明されていない。

 「最高裁が指定する金融機関」の保証を要するという最高裁規則から、日本学生支援機構等を想像した人はいたとしても、オリコを想定した人は皆無だった(筈だ)。

それくらいこの指定は奇っ怪だ。

困窮した修習生にはオリコが生殺与奪の権利を持つことになる。

最高裁には説明責任がある。
1 なぜ、連帯保証人を2名必要とすることにしたのか。
2 なぜ指定保証金融機関を「オリコ」にしたのか。

司法修習制度が「貸与制」から「無給研修制」に変更されたのは、全て最高裁にその処理が任されて以降である。

最高裁は、説明責任を果たさなければならない。
説明責任を果たし、国会の納得が得られて初めて、裁判所法改正が施行されるべきである。
「無給研修制」に変容した制度の実施は、その間、停止されなければならない。

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