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2010年10月15日 (金)

仙谷官房長官違憲発言の重大性

仙谷由人官房長官の発言は、極めて重大だ。

ことの重大さに当人は、全く気づいていないらしいことに愕然とする。
社会の木鐸たるべきメディアも、ことの重大さに触れようともしない。

この国の政治と言論は、いつからこれほど劣化してしまったのか。


ことは、憲法に違反する発言を最高権力者の一人が記者会見という公式の場でしたということだ。
漢字を読み間違えたとか、講演の場で不用意な発言をしたとかいうレベルの話とは全く違う。

内閣の事務を掌理する最高権力者が、公式の場で、公式の見解として、行政訴訟にはならないという発言をした。

仙谷官房長官は言うかも知れない。

小沢氏が起訴議決取消(無効)の訴えを提起するということについて、コメントを求められたので、小沢氏の行動について意見を述べたに過ぎず、司法に圧力をかけたものでは断じてない、と。

しかし、考えてもみるがいい。
小沢氏の提訴を受け、これを審理する裁判官は、最高権力者が、行政訴訟にはふさわしくないと言っていることが全く気にならないと思うか。

裁判官の任命権は内閣にある(憲法80条)。
その内閣の事務を掌理する権力者が、行政訴訟にふさわしくないと発言したのだ。
任命権者の意思から全く自由に判断ができると思うか。


裁判官は、個人として、強大な権力を有する内閣の責任者と対峙しなければならない。
彼、彼女を支えるのは、日本国憲法が裁判官に求める「良心」でしかない。

私が記憶する限り、個別の裁判について、判決前に閣僚が意見を述べたなどということはない。

あったとすれば、自衛隊と安保条約の違憲性が鋭く争われた時代まで遡るだろう。

あるいは、あなたは言うかもしれない。

あの発言は、個別の裁判について述べたものではなく、一般論を述べたまでだと。

しかし、検察審査会の(強制)起訴議決取消訴訟などというものが、他にあるのか、あるはずがない。

あなたの発言は、明らかに、個別の裁判について、意見を述べたものに他ならない。

少なくともかつての政府には、憲法や司法に対するたしなみがあった。

今の民主党政権には、それがない。

いや、ないとしか見えないのが残念でならない。

民主党に期待する市民は今でも多い。

しかし、憲法に対するたしなみがない政党には、権力を任せることはできない。法治主義の根幹に関わる問題だからだ。

仙谷官房長官は、市民が民主党に寄せる期待に応えるためにも、憲法を蹂躙した最低限のけじめとして、直ちに発言の誤りを認め、官房長官の職を辞するべきだ。

本当は、あなたに期待していた一弁護士より

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追伸

福島みずほ議員が、小沢氏は無罪となる可能性が高いと思うと語った問題と同列に論じることは許されない。

福島氏は今や、零細政党の一議員に過ぎない。最高権力者の発言とは全く違う。

しかも、推定無罪の原則に従う限り、「被告人は無罪だ」とする以外の回答はあり得ない。

あなたもお読みになったかも知れない米国のミステリー小説に次のような件がある。

陪審員選定に当たって、裁判官が、陪審員候補者に質問する。

「被告人は、有罪だと思いますか、無罪だと思いますか」

陪審員候補者は答える。

「わかりません」

裁判官は、あなたの答えは誤りだと指摘する。

推定無罪の原則によって、被告人は判決がなされるまで、無罪だと推定される。

だから、「被告人は無罪です」とするのが正しい回答だと。

裁判官が、その候補者を陪審員から排除したかまでは覚えていない。

しかし、訴訟前から、不適切な却下すべき訴訟だと発言してはばからない権力者を擁する国とは憲法に対する忠実性において、対照的な姿が、そこにはある。

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