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2010年12月の16件の記事

2010年12月31日 (金)

皆さまお大事に

ブログの更新をさぼっていた内に、いよいよ、大晦日である。

何か、年末近くになった11月頃から、相次いで、病気が見つかったとか、発病したという話を聞くことが重なった。

それぞれ身近な人であるから、心配である。

とくに若い人や若い人の身近な人の病気の話は、なんだか切ない。

みな、大事に至らず、来年には健やかさを取り戻されることを心から祈りながら年を越させていただきます。

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2010年12月18日 (土)

朝日新聞は「政府公報紙」きゃあ?

政府は16日、来年度の税制大綱を閣議決定した。法人税5%減税を軸に、その財源を個人増税に求めた。

 

これを報じる17日の朝日新聞の見出しを見て、のけぞったなも。

 

『雇用増へ企業に減税』の大見出しが踊っとるぎゃあ。

何で法人税減税が雇用増に結びつくのか、素人にはさっぱりわからんでかんわ。風が吹けば桶屋が儲かる理屈だとしか思えんでかん。

 

しかも「個人は増税5500億円」の見出しはあるけど、『富裕層中心に』だそうな。年収580万世帯の一部扶養控除廃止もある。とうとう日本は年収580万世帯まで『富裕層』になってまった。誠にめでたいことだなも。

久しぶりに明るい話題だなも。

 

かつて日本の所得税率の上限は75%だった。今は38%。何十億の所得があっても同じ。住民税に至っては年収に関係なく一律10%。ここをいじらんで何で『富裕層中心』の増税なんじゃ。

 

朝日の批判精神の欠如はいよいよ末期症状だなも。財界には何も言えん。財界に強い影響力のあるアメリカにも何も言えん。

 

そんでもって、相変わらず、飽きもせんと、小沢排除には忙しい。大企業べったり、アメリカ擁護と小沢排除が一体なのが見え透いとるでかんわ。

 

同じ日、中日新聞の見出しは『企業優遇 個人に負担』であった。これが当たり前だがね。

 

一体、朝日新聞のデスクは何を考えとりゃあすか?

これでは現場の記者があんまりにもかわいそうでないきゃあ。


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2010年12月15日 (水)

司法統計2 弁護士さえ増やせば法の支配は行き届くのか

昨日は、最高裁の司法統計をグラフ化したことだけを報告して、仲間内にしかわからなかったと思いますので、改めて、グラフ化してわかったことを説明してみます。

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1 平成13年から平成17年まで事件総数が減少傾向にあった。

  この時期は、いざなぎ越えをいわれる長期好景気であった。
  しかし、事件数は平成13年15万7000件から平成17年の13万5000件へと約85%に減少した。
  一般市民にとっては、好景気という実感はなかった。

2 事件数は平成18年から反転して増加している。急増といえる。
  平成17年の13万5000件から平成21年21万5000件へと6割増という大増加である。

3 その全ては、金銭を目的とする訴訟である。
  同時期に9万件から17万件に増加している。9割近い増加である。

4 平成17年にサラ金関係で、過払金返還を原則化する最高裁の重要判例が出されている。
  この判決が過払金請求のブームを起こした。
  増加している金銭を目的とする事件は、全てこの過払金請求事件であると一応、推定しても不合理ではない。

5 金銭を目的とする事件以外は、平成13年から平成21年まで一貫して減少傾向にある。
  平成13年5万7000件あった金銭以外の事件は平成21年には、4万1000件とほぼ7割に減少している。

6 金銭を目的とする事件も、過払金請求を除けば、減少している可能性が高い。
  争いのある事件では、最低限でも当事者尋問は行われる。
  したがって、当事者尋問延べ件数は、事件数の増減に応じて正比例していた(以下、表24参照)。
  当事者尋問延べ件数は平成13年3万4000件から平成17年2万6000件に減少、この間、事件数は、15万7000件から13万5000件に減少しており、ほぼ正比例している。
  ところが、平成18年以降、事件数が増加しても当事者尋問延べ件数は減少の一途をたどっている。平成17年2万6000件から平成21年には2万2000件に84%に減少している。
過払金請求事件では、争いがあっても、当事者尋問が行われることは皆無に近い。
 つまり、過払金事件以外は、平成17年から平成21年にかけておおむね84%に減少したものと考えることが加納である。

7  したがって、過払金請求事件を除いた実質事件数は、平成17年より84%に減少したと推測するのも不合理ではない。
 この推測は、平成18年以降の事件増分だけ、過払金請求事件があるのではなく、増加分を超えて過払金請求事件があることを示す。
 法廷の事件一覧表の大半が「不当利得返還請求事件」(過払金請求事件はこうした法的呼称になる)で埋められている日常の実感にも合致する。

8 過払金請求のブームはほぼ去りつつある。せいぜい1,2年である。

9 過払金請求を除いて、平成13年から平成21年の事件数を推測すると、平成13年15万7000件、から平成21年11万3400件(平成17年事件数13万5000件に84%を乗じた)になる。8年間で72%に減少したことになる。この減少率は、5で述べた金銭を目的とする以外の事件の減少率とほぼ一致している。

10 平成13年から平成21年にかけて弁護士数は1万8000人から2万7000人に5割増加している。
 過払金を除く一人当たりの事件数は、平成13年の8.7件から平成21年4.2件に減少している。

11 以上、通常訴訟を見る限り、過払金資源枯渇後の弁護士業界には先の見通しは全くないといってよい。

 異なる観点からの意見や批判が様々にあることは十分に承知している。

しかし、司法改革の理念である生活のすみずみまで方の支配をもたらす(泣き寝入りをなくす)ことが、弁護士増員によって図ることができていないことは明らかである。

 過払金返還請求が、一面で、困窮した市民の権利実現につながっていることは否定しない。しかし、弁護士と司法書士が競うようにして出している広告の氾濫を踏まえれば、現状は割のよい事件の奪い合いの様相を呈している。困窮した被害者の救済や生活再建を目的としたものとなっていないと僕は考えている。法廷でも、裁判所からもそう見えているに違いないという光景をしばしば目にする。

 弁護士の増員は過剰な市場化をもたらしただけだ。この状況が続く以上、とりあえず弁護士増員には可及的速やかにストップをかけなければ、弁護士を志す有為の人材自体が枯渇することは目に見えていると思われる。

司法統計のみによっているので、推論の中にはおおざっぱな部分があることは否定しない。

これだけ金銭を目的とする種類の事件が突出して増えているのであるから、本来、最高裁が過払金返還請求事件が何件あるのか司法統計で明らかにすべきである。過払金返還請求事件のくくりが難しければ、金銭を目的とする事件の内、「不当利得返還請求事件」の件数であれば容易に集約できるはずである。それによって、現在の裁判所の実態は鮮明になるはずである。

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2010年12月14日 (火)

司法統計

最高裁の司法統計で、平成13年から平成21年までの地方裁判所の新受件数(その年に新たに提起された訴訟件数)の概要を拾って、グラフにしてみた。

普通、弁護士の活躍場所は地方裁判所とされているので、その件数と、弁護士の関与件数を拾った。

「訴訟件数推移」

一見、右肩上がりで順調そうである。

ところが、僕はむしろ危機的な兆候があると見る。

多分、普通の一般市民の事件を主として扱っている人は、すぐにこのグラフの危うさに気づくと思う。

ちなみに、サラ金について、取引履歴の開示義務を認めた最高裁判決は、平成17年7月19日。

そして、それまで通用していた見なし弁済(利息制限法を適用せず、サラ金の約定利息をそのまま有効とするため、過払金が生じない)を一般的に否定するのに等しい最高裁判決が出たのは平成17年12月15日。

この後、過払金バブルが始まった。

 とりあえず、あまりグラフ化されたものを見たことがなかったので、グラフ化して分析しやすくしてみた次第です。

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2010年12月13日 (月)

死刑という事実

死刑廃止フォーラムのサイトの「7月28日に千葉景子法務大臣に死刑を執行された2人」に、尾形英紀さんの手記が掲載されているのを知り、読みました。

言葉もありません。

なお、宮崎学親分は、12月19日は死刑廃止集会のために日比谷公会堂に終結せよと子分どもに呼びかけておられますので併せてお伝えします。

刑場を公開するだけでなく、メディアにしろ、千葉景子元法相にしろ、こうした生の声の全てを、どうして伝えてくれないのかと思います。

以下、全て引用です。

*******************
尾形英紀さん(東京拘置所)
熊谷男女4人拉致殺傷事件(2003.8.18)
1977年7月20日生まれ
2007年4月26日 さいたま地裁(飯田喜信)にて死刑判決
2007年7月18日 控訴取下げにより死刑確定

 死刑囚の気持ちや考えを聞いてもらえる機会を与えてくれてありがとうございます。
 事件を起こしてから現在に至るまで、考える事や納得のいかない事が数多くありすぎて、それをすべて書いていたのでは、何十枚も書くことになってしまうので簡単に書きます。

 

 まず、事件についてですが、見張り程度しかしていない共犯が2人います。
 すべて俺のやった事ですが、4人を殺そうとして2人を殺害、2人は殺人未遂の事件です。
 事件当時の俺は、かなりの酒を飲んでいたためと、あまりにも興奮していたので、ほとんど記憶がありません。ただ、あまりにも強烈な印象がある部分だけが、はっきりと記憶に残っています。

 

 しかし、それでは警察も検事も都合が悪いので、事件当日の行動の大まかな所は、共犯の記憶などを総合して作り、もっとも大事な部分は刑事と検事が作りあげたストーリーが裁判で認められてしまいました。それは最初から殺害の話し合いをしてから殺しに行ったというのですが、全くのウソなのです。

 

 裁判では、不利になるのは分かっていましたが、殺意を持った事を認め、いつの時点で殺意を持ったかも証言しました。
 実際には暴行している時に被害者が死にそうになった時にはじめて「それなら殺してしまえ」と思ったのです(その時の精神状態では、そのようにしか考えられなかったのです)。それ以前は殺意はもちろん、死ぬ可能性すら考えもしませんでした。

 

 しかし、検事と刑事の調書にははじめから殺意を持って行動したとなっていました。何でその様な調書になったのかと言うと共犯も証言していますが、共犯2人が事実と違うのは分かっていたけど無理やりにサイン・指印をされ、俺の調書は最後のページのサインがある所以外を差し換えられました。警察と検事はあたり前の様に不正をしているのが現状で、不正をかくすためには裁判の証人尋問で平気でウソをついています。しかも裁判も全くの茶番で検事の言う事をすべて認定してしまいました。

 

 殺意についての証人尋問で刑事と検事の言っている事がくい違い、苦しまぎれに少しだけ、俺の言っている事が正しいと刑事が証言したにも関わらず、俺の言っている真実は都合が悪いからはじめから聞く気がありませんでした。完全に結果ありきの裁判です。

 

 一審で2度にわたり精神鑑定を受けました。一度目は裁判所が認定した先生でした。その先生はよく調べてくれ、調書よりも俺の証言の方が信用できると証言してくれました。それは俺の言っている方が精神医学上もふくめ自然であり、しかも俺の証言は自分にとって不利になる事まですべてを言っているからです。その結果、部分的ではあるが(1人目殺害)、責任能力がいちじるしく低下していたと判断されました。

 

 その為に検事が納得せずに2度目の鑑定となったのです。2度目の先生は検事の推薦した人であり、検事の犬になり下がった人でした。当時の俺の考えなどは1度も聞く事もなく、ただ事件の経過を聞いただけで、すべて検事や刑事の調書を参考に鑑定書を作ったのです。

 

 はじめからやる気のない鑑定士を採用し、驚くことに裁判では、一度目に真面目にやった先生の鑑定を棄却し、やる気のない検事の犬の鑑定を採用したのです。

 

 俺は責任を逃れたいのではなく、今の日本の裁判や刑事や検事のやっている事が許せないのです。一般の人は信じないと思うけど、今の刑事は事件のでっちあげも日常的にやっているし、まして調書の改ざんなんてあたり前にやっているのです。だけど無実を訴えても今の裁判では無罪になる事はないし、たとえ無罪を勝ち取っても年月がかかりすぎるから、懲役に行った方が早く出れるので皆、我慢しているのです。俺の殺人などは事実は変わりませんが、事件の内容はかなりでっち上げなのです。だから俺は100%無罪の死刑囚は何人もいると思っています。

 

 検事の主張ばかり聞く裁判は不公平ですが、一般の人から見れば刑事や検事の言ってる事は無条件で信じられるのだから、来年から始まる裁判員制度では冤罪も今まで以上に多くなると思います。

 

 事件に関して長くなってしまいましたが、死刑囚が考える死刑制度について、一般市民の考えているものとは違う所もあるかと思うので書かせてもらいます。

 

 収容者と話す事はありませんが、他の死刑囚を見ると本当に殺人をやった人なのかと疑えるほど普通の人です。俺はぐれ始めてから、ヤクザやその他のアウトローを社会や少年院、刑務所で数多く見てきましたが、それらの人達と比べてもかなり気の弱くおとなしい印象です。きっと心から反省しているので、そう見えるのかもしれませんが、俺はそれだけでなく、本当に普通の人達なのだと思います。

 

 どの様な事件を起こしたのか知りませんが、色々な理由により精神状態が乱れ、普段ならまともに判断できる事が出来なかっただけなのだと思います。だから、誰にでも死刑囚になる可能性はあると思います。

 

 自分の気持ちは後で書きますが、本当に心から反省している死刑囚を執行する事で本当に罪を償う事になるのでしょうか? 罪を背負って生きていく事が、本当の意味での償いになるのではないかと思います。日本人の美徳として死者に対して悪く言ったり思ったりしない所がありますが、何か問題を起こしたり、犯罪を犯した後に自殺をする人達に対して、一般の人の中には責任を感じての自殺、アウトローの人の中にはケジメをつけたという考えをする人がいます。本当に自分自身でケジメをつけたと思える人もいるので、すべてを否定はしませんが、俺には、つらい事から逃げただけにしか思えない事のほうが多いと思います。被害者や遺族の感情は自分で犯人を殺したいと思うのが普通だと思います。今は連絡を取っていませんが、両親・姉・元妻との間に二人の娘がいます。俺だって家族が殺されたら犯人を許すことはないし、殺したいと思うのがあたり前です。

 

 しかし、それでは、やられたらやり返すという俺が生きてきた世界と同じです。死刑という名の殺人を国家権力がやっているにもかかわらず、国民にどんな理由があろうと殺人を禁ずるのはどういうわけだ。世界では色々な所で国家による虐殺があったようだが、それと日本の死刑とどこが違うのか?
日本の法律にのっとり死刑があるように、虐殺のあった国にもその国の法律(権力者)にのって死刑にしただけだろう。

 

 色々と考えながら書いているので、ちょっと興奮してしまいました。
 死刑囚を助ける活動をしている先生に対して言う事ではないし、やつあたりの様な事を書いてしまったので、書きなおそうとなやみましたが、俺の考えでもあるので、失礼は承知のうえ、このまま続けさせて頂きます。話を戻します。

 

 俺の考えでは死刑執行しても、遺族は、ほんの少し気がすむか、すまないかの程度で何も変わりませんし、償いにもなりません。

 

 俺個人の価値観からすれば、死んだほうが楽になれるのだから償いどころか責任逃れでしかありません。死を覚悟している人からすれば、死刑は責任でも償いでも罰ですらなく、つらい生活から逃してくれているだけです。だから俺は一審で弁護人が控訴したのを自分で取り下げたのです。

 

 死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族の事を考えるのをやめました。

 

 なんて奴だと思うでしょうが、死刑判決で死をもって償えと言うのは、俺にとって反省する必要ないから死ねということです。人は将来があるからこそ、自分の行いを反省し、くり返さないようにするのではないですか。将来のない死刑囚は反省など無意味です。

 

 もちろん他の死刑囚は日々反省していることと思います。俺は、ただでさえ東拘には人権など全くないし、24時間カメラで監視され独居にいて、執行されるのを待っている中で、事件や遺族・自分の家族の事を考えていたのでは気がおかしくなるし、ストレスだらけで、そんな余裕すら1秒もありません。  

 

 俺のように反省する気がない死刑囚もいる中で、ほとんどの死刑囚は日々反省し、被害者の事も真剣に考えていると思います。そういう人達を抵抗できないように縛りつけて殺すのは、死刑囚がやった殺人と同等か、それ以上に残酷な行為ではないのですか?

 

 俺が執行されたくないのではありませんが、その様な事などを考えれば、死刑制度は廃止するべきです。

 

 言いたい事が色々と多く長くなってしまいましたが、切りがないので、この辺で失礼します。今の気持ちを伝える機会を頂き、ありがとうございました。

 追伸
 最近、執行が多くなりましたが、執行について意見があります。
 執行時に求刑・判決を出した検事・裁判官それに法務大臣らが自ら刑を執行するべきです。それが奴らの責任だと思います。

 

 それと執行時・その後に死刑囚の希望があった場合、絶対に経をあげてはいけないようにして下さい。俺は宗教が嫌いだし、経は死者に対してではなく、生きている人達の気やすめでしかありません。俺の執行時・執行後は絶対に宗教関係の事はやらないようにお願いします。

---------------------------------------------------
この文章を書いた尾形英紀さんという精神は、日本国民の総意を代表する千葉景子法務大臣の死刑執行命令により、2010年7月28日、日本国民および日本国家によって殺されました。



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2010年12月11日 (土)

仙台地裁の裁判員裁判で死刑判決の少年被告人、控訴に同意

「来栖宥子★午後のアダージォ」様のブログで、仙台地裁で死刑判決を受け、控訴しないとしていた少年が弁護人らの説得で、控訴に同意したことを知りました。(12月6日控訴)

           (最近は、新聞は、スポーツ・論壇面以外、あまり読みません)

本当によかったと思います。

裁判員裁判で死刑判決の少年被告人、控訴に同意

来栖さんの

 よかった。死刑判決は間違っている。時間をかけねばならない。人は変わるものだ。少年被告人に、既にその兆しが見えている。問題は、この社会が、我々が、彼らを如何に受け入れてゆけるかということだ。人は、不信の中、たった一人では更生できない。更生の鍵は彼にではなく、この社会に、我々のほうに、あ る。

とのご意見に全面的に賛成である。

少年には発達可能性と変化可能性がある(可塑性)。
少年の可能性を信頼したが故に、少年法は保護を原則とし、刑事罰についても不定期刑を置くなど、少年に対する教育的な配慮を優先している。

わずか5日の審理で更生可能性なしと断定として、少年を殺すことにした裁判はおかしい。裁判員裁判だからおかしいだけでなく、未成熟な子どもの将来の可能性を想像することすらなく、信頼できないと切って捨てた精神の貧しさにおいて断じておかしい。
すぐに理解できない異物には、排除で対応するという反射的な反応が蔓延している社会の貧しさがおかしい。

控訴審では、是非、少年法の精神と、子どもの可能性に対する十分な信頼に基づいた適正な裁判がなされることを強く希望する。

こと少年事件については、裁判員裁判の量刑を慮る必要は全くないと断言してよい。裁判員には少年事件に不可欠な少年の発達心理に関する専門知識がない上、裁判員裁判であるが故に専門的知見を排除してなされた結果は、参考にすらすべきではない。

将来、変わりうる少年を一人殺すかどうかなのだ。

ここは、是非とも、意地でも、裁判官の良心(憲法76条3項)を見せてほしい。

ちなみに、ここしばらく、表面化していないが、成年年齢を18歳にする議論は当然、少年法も射程に入れている。むしろ成年年齢を18歳にしようとする主張は、少年法を本丸にしているともいえる。成年年齢が満18歳に改正されれれば、18歳には少年法は適用されない。少年の将来の発達・変化の可能性に対する信頼は考慮する必要なく、18歳は、すでにできあがった人格として、成人と同じ基準で裁かれることになる

来栖宥子さんのHPには、以前、トラックバックを張ろうとしたところ、「不正なURLです」とはじかれたことがあり、わざわざ、記事をまるまる引用していただいたことがあり、お世話になりました。併せて感謝いたします。

ちなみに、なぜか、僕のURLは、gooblogを初めとするいくつかのプロバイダでは、「不正」の烙印を押されて、トラックバックが貼れなくなっています。

私のプロバイダであるniftyに善処を求めていますが、今のところ、自分で相手先プロバイダに聞いて対処するように言われるので、そのたびに、全くの素人である一ユーザーに対応させるのではなく、niftyが対応するのが本来の責任のあり方ではないのかと言っては、押し返すという繰り返しです。

11月半ば過ぎ頃から、以前はトラックバックが貼れたブログに、急にトラックバックが貼れなくなりました。

何でですかね。


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2010年12月10日 (金)

指定弁護士への激励  宮崎学の子分編

宮崎学の子分である。何度も言うが、僭称しているだけだから誤解するな。

小沢一郎へのアドバイス8を書いてから、宮崎親分は、すっかり仕事に没頭してしまったようだ。
弘中弁護団が結成されたので、安心してしまったのか。
子分としては甚だ寂しい。

親分の頭越しに小沢一郎へアドバイスするのも僭越だから、今日は、起訴議決を受けて小沢一郎を起訴する栄光を担う指定弁護士を激励してやる。

東京第2弁護士会が選任した指定弁護士は3人、会員数3800名を超える中から選ばれたのだから、弘中に負けず劣らず凄腕の精鋭であるはずだ。

ところが、指定弁護士に選任された10月22日からすでに2か月近くも経ったが音沙汰がない。検察審査会法では指定弁護士は速やかに起訴議決にかかる公訴を提起するものとなっているのにだ。
指定弁護士は、検察庁に専用の部屋を借り、検察事務官も使う。至れり尽くせりの待遇だ。
なぜ、そう時間をかけねばならん。

検察審査会の審査委員は、1週間(9月7日、審査補助員に吉田弁護士選任、9月14日起訴議決)で起訴議決したぞ。最長で考えても、1か月半(8月に二回会議を持ち、9月に入ってからは頻繁に会議を持った)で、起訴議決しておる。

検察審査員は、検察庁に専用部屋を借りたわけでもなければ、検察事務官の助けを借りた訳でもないぞ。
素人が11人で、今回の3人の指定弁護士に比べれば、経験も少ない吉田弁護士一人の指導で、短期間で、検察官の弁明も克服して、起訴議決したではないか。

凄腕の精鋭が雁首揃えて何をもたもたしておる。

あまりにも遅くないか。
すぐに起訴して白黒つけてくれというのが、世間の期待だぞ。

毎日のようにマスコミがいつになるか、聞きに来ておろう。待ちきれないという声も、弁護士会に届いておるのではないか。

何と言っても国民の期待を一身に背負っておるのだからな。

報道では年明け起訴などとされているが、またぞろ、統一地方選挙に絡めた日程に起訴を設定するとすれば、いくら何でも検察権力の政治利用が見え透いているぞ。止めた方がよろしい。

小沢一郎再聴取かなどという報道も流れておるが、政治的影響が大きいだけで、検察官役として得る物が何もないようなことはしないのがよろしい。政治利用との批判が一段とヒートアップするだけだぞ。

審査員は小沢一郎を起訴するのに足りる十分な証拠がすでにあると断定しておるだから、とにかく、はよ、起訴せんかい。

もたもたしているものだから、弁護士より素人の方が有能なのではないかと意見が強まっておる。いっそ指定弁護士なんぞという制度はやめにして指定市民が起訴するようにした方がよほどましだという声も高まっておるぞ。

 

なぜ、それほど迷う。

最高裁は起訴が違法にならぬための要件を決めておるわな。これを満たさぬ起訴は、国家賠償の対象になる。

だから、下手な起訴をすれば、指定弁護士が責任を負わねばならん。
そんなことが気になって決断できんのか。
起訴すべしとされた起訴議決の内容にしたがって、起訴してみたら、後で国家賠償の対象にされたのではまあ浮かばれないことは確かだわな。

最高裁によれば、検察官の公訴が適法であるためには、

公訴提起の当時に検察官が現に収集した証拠および通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠を合理的に総合勘案し、有罪と認められる嫌疑

がない起訴は、国家賠償の対象となる

新証拠を収集できるかもしれんから小沢一郎をもう一度、聴取しようというのか。やめとけ。アンフェア何でもありの特捜ができなかったことがフェアな弁護士にできるわけがなかろう。

この最高裁判例は吉田弁護士は審査員に教えなかったろう。

何と言っても、「裁判所で白黒つけるのが国民の権利だ」等という暴論で、起訴議決を起案した弁護士だからな。

合理的に有罪と認められる嫌疑があるかどうかなんて、知らんということだろう。

だが指定弁護士は、困るだろうな。
合理的な嫌疑もないのに起訴して、後で国家賠償など食らいたくないからな。
現に、検察官は検察審査会で合理的な嫌疑がないと主張しておった。
捜査を担当した検察官が合理的な嫌疑がないとした事案を起訴しなければならん。何としても合理的な嫌疑がある起訴にしなければならん。

 

しかも本丸である小沢一郎本人の故意の立証の前にすでに幾重もの壁がある。

残念なことに、起訴議決の後に、前田検事のフロッピー改竄事件が発覚するわ、特捜検事による供述調書が筋立てに合わせるための強引な作文の山であることが一般常識になるわで、検察調書の信頼は地に墜ちた。
いずれ供述調書の任意性や信用性が争われるが、信用性を裏付けるための取り調べメモは、最高検察庁が組織的に廃棄するように支持していたこともわかった。

弁護人は、供述調書の信用性を争う。取り調べ検察官が証人に立つ。検察官は、一応は、殊勝に信用性があると証言してみせるが、取り調べメモを出せと言われて、廃棄しましたと証言する。一方、証人は被疑者ノートに日々の無理な取り調べの実情を事細かに記録しておる。特捜の無理な取り調べの実体があからさまになる。これでは村木裁判の再現ではないか。

その上で、最大の課題は小沢一郎関与である。共謀共同正犯としても問う合理的嫌疑はないと担当検察官は説明した。

もはや小沢一郎の嫌疑の立証は、客観的に絶望的だ。

もう一度繰り返すぞ。
最高裁は、

公訴提起の当時に検察官が現に収集した証拠および通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠を合理的に総合勘案し、有罪と認められる嫌疑

がなければ、公訴提起は違法であるとしておる。

精鋭弁護士であればあるほど、事態が深刻なことはわかるわな。
一方では、起訴議決通り起訴しろと言われ、
一方では、その通り起訴すれば、国家賠償の責任を負いかねない。

ま、せいぜい頑張ってくれや。
村木裁判のように、ドラマチックで面白い裁判をまた見せてくれることを期待しているぞ。

指定弁護士への激励である。



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2010年12月 9日 (木)

士業のモラルハザード 続

士業のモラルハザード マッチポンプな司法書士の記事が、司法書士の方々のブログに取り上げてもらっている。

サロン歌麿(ニュース版)さん

司法書士の基本的な職務義務の怠慢と倫理を逸脱した行為として、鋭い批判を浴びせる前提に、サロン歌麿さんは、慎重に、

ここに書かれている記事の内容が事実である、との前提に立ちますがね。

と留保を付けておられます。

僕の勘違いがあるといけませんので、以下に、該当の司法書士が作成した根抵当権設定契約書をリンクしておきます。

根抵当権設定契約書 

 この書面では、相談者は「債務者」になっています。

私の相談者は、あくまで、地主が新たな貸金業者から借入をするのに必要な範囲で、地上建物に担保を設定することに同意しただけです。

地主と連帯責任を負わなければならないような義理は何もありません。

でも、みごとに「債務者兼根抵当権設定者」にされています。

相談者は、貸金業者にあくまでも自宅の建物を担保に入れるための書類との説明で「借入申込書」にサインをさせられ、タッグを組んだ司法書士は、素知らぬ顔で相談者を「債務者」にしました。

 

 

むろん司法書士には良心的な方が多くいます。

以下のような柔軟で気骨ある記事を見ると、ホッとします。

るんるん司法書士のつれづれ日記

司法書士とは「公益性」「アカデミック」な立場でなくてはならないと、信じて貧乏事務所に甘んじているワタクシメです。

(スタッフには楽をさせてあげられないけど)

そのような司法書士がいることが心外であり、

記事に書かれていたのは、安易な規制緩和がもたらした

「ありえない」司法書士の姿か・・。

昨今は合格者数も900人超と一気に過当競争に。

「過当競争になれば、自然淘汰で質のいい司法書士が残る」ハズ・・・

これが、規制緩和を声高に叫んだ某大臣だか官僚だかの

思惑だったようですが、はてさてその結果たるや??

しかし、何度読み返しても「腹が立つ!!」

赤貧洗うがごとくの生活をしろとはいいませんが

(ワタクシメもそれは、ちょっと辛い)

やはり「武士は喰わねど高楊枝」って、好きだな。

でも、どこの世界にもあるのよね。

「医は仁術」ならず「医は算術」なんて揶揄する言葉が

あるくらいだから。

ま、他所の世界のことは関係ないですが。

と今日は、真面目に怒っています。

お互い司法改革の嵐の中、士業としてのプライドを捨てずに行けるところまで生き抜きましょう。

僕が常にお願いしているT司法書士は、僕が、親権者と子の間の利害相反はないので、特別代理人は不要と判断していた事案で(夫の母の遺産分割を夫と兄弟が2人で争っていたところ、夫が亡くなり、妻と子どもが夫を相続した。夫の兄弟との遺産分割協議)、亡夫の物とする旨の分割案をFAXで見ただけで、特別代理人が必要になることを教えてくれました。危うく、解決が混乱するところを助けてもらいました。多分、弁護士なら半分くらいは、実質的な利害対立がないから特別代理人は不要だと判断したと思います。

弁護士の分野だろうとお叱りを受けそうですが、司法書士のプロですね。T司法書士には、常に教えられるばかりです。

彼も独立自営の士です、

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2011年2月14日

物上保証人の一郎さんについて債務者と記載したのは登記事務としては一郎さんの利益にもなるので、間違っていないとのコメントが出ているので、弁護士的発想を付け加える。

一郎さんが、金融業者のいうままに十分理解しないで連帯債務者として金銭消費貸借契約書に署名してしまい、その後、地主の支払が滞り、地主とともに2000万円を請求する裁判を起こされたとする。

一郎さんは、建物を担保に入れるために必要だからと言われて、物上保証の意思で署名しただけだとして、錯誤無効を主張して争うことになるだろう。

金銭消費貸借契約書に署名してしまっている以上、非常に不利な裁判だが、経過からして物上保証の意思に止まる可能性が高いとして、裁判官が金融業者との間の金銭消費貸借契約書に疑いの目を向けるところまで持って行ったとする。

ところが登記には、債務者として記載されている。

司法書士作成にかかる登記書類に明確に債務者と書かれている。

ここで、裁判官に司法書士まで疑ってかかることを望むのは極めてむつかしい。

司法書士は職務上の義務として当然、一郎さんが債務者になる意思を有していたことを確認して登記書類を作成したと、裁判官は信用するに違いないからだ。

かくして、一郎さんは、貸金業者からの貸し金請求に敗訴する。

コメント氏は、健全な取引を前提で得失を考えるようだ。

しかし、弁護士的発想としては、イレギュラー事案で相談を受けるのであるから、トラブルが顕在化したときの書証の重みでを最重要視して考える。だから登記用書類を回収して一件落着になった。

司法書士という職業に対する信頼感は一郎さん敗訴の決定打になりうる。

そう考えたとき、債務者になるつもりは全くない一郎さんを債務者と表示する書類が作られたことは問題だと思わざるを得ないのである。

 

2010年12月 8日 (水)

疲れは走って取る! 年相応の言い訳

特定の事件のため韓国へ、かなり頻繁に行き来している。
で、行くたびに太って帰ってくる。
何しろ、韓国食は旨い。辛くて食が進む。
韓国人は、たくさん食べてくれるのを喜ぶ。
影響を受けたか、一緒に韓国へ行く仲間も、僕がたくさん食べるのを見て喜ぶ。
だから、つい度を超して食べる、

韓国へ行って、太って帰ってくる。
体重が減る前に、また韓国へ行ってたくさん食べる。

体重はこのところ、増える一方である。
ついに先日68㎏に達した(身長164㎝)。
僕のベスト体重は58㎏から60㎏である。

この体重のとき、一番気持ちよくランニングができる。

65㎏を超えたら自覚的危険水域であるが、最近は、65㎏まですら戻ることがない。
季節が変わる度にはけるズボンを探して大騒ぎである。

週末が連続してつぶれたりしたこの月曜日(12月6日)、疲れ気味であった。
疲れを吹っ飛ばそうと考えて、昼間に緑地公園へ走りに出た。
走れば疲れは取れるものなのである。

残念ながら、走り出しから体が重い。
10㎏の荷物をしょって坂を駆けるのだから無理はない。
1周回って、しんどいなと思ったが、疲れを乗り切ってこそ、疲れも取れると信じて2周してみた(計約7㎞)。

結果は、疲れが取れるなんてものではなかった。
走ってから、事務所に戻り、仕事をしようとするが、体は泥のように重く、電話で話すのおっくうだし、手元もおぼつかず単純なタイプミスは連発するわで散々である。

翌火曜日、重要な予定が午後にあったが、疲れがたまって、緊張感ゼロ。
相方の仲間にはずいぶん迷惑をかけた。

で、今日であるが、僕にとっては位置づけのある大事な裁判がある。
本来なら、機先を制して、数日前に出た相手の書面に反論するところだったが、残念ながら、できそうもない。
相手方の書面に対する反論は次回に回すことになる。
通常の進行であるからそれでよいのであるが、本当はもっと意気込みを見せたかった。

結局、疲れを吹き飛ばすために、激しい運動(と言っても10㎏の土嚢をしょったような超スローペースのジョギングであるが)をするのは、もう年齢的に無理だと知った。

年寄りの冷や水とは呼ばないで。
でも年相応に疲れたときには素直に休むことにしようと改めて自覚する次第である。

名古屋シティマラソン(11月23日)が、片隅に追いやられ、衰退の危機にあった頃、仲間を集めて、名古屋市に掛け合った。

今の名古屋シティマラソンの盛況もわれわれ仲間の力があってこそであると自負している。

今年のシティマラソンには、エントリーを目指すだけの走力もなかったのが残念である。

反省しながら、なお、野心は捨て難し。再来年の名古屋シティフルマラソンに参加できるように頑張りたい。

まとまりのない日常の話である。


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2010年12月 7日 (火)

アライグマ出没 その後3

子アライグマがいることは、近所には秘密である。
よりにもよって、僕がアライグマを繁殖させたなどというあらぬ誤解を受けては、世間様に合わせる顔がない。

僕は、子アライグマが成長してから、退去願うつもりだった。

アライグマが通路にしてしまったために空いたプラスチックトタンの穴を塞ぐ工事は1週間後に決まった。

穴は、日に日に大きくなっている。せめて、工事までの間だけでも穴の拡大を防ぎたい。

そこで、僕は床下通気口を塞いだ重いブロックを外し、まずはアライグマが心おきなく出入りできる環境を整えた。

しかし、いったんプラスチックトタンから出入りすることを覚えたアライグマが、そうやすやすと床下換気口から出入りしてくれるようになるとも思えない。
そこで、僕は、インターネットでアライグマのエサを調べ、ペット屋で売っているキャットフードでよいことを確認して、ホームセンターでネコのエサを買ってきた。
皿に入れて、通気口の前に置く。
エサに釣られてこちらを通るようになっておくれ。

もうこの頃は、僕は、半ばアライグマと一緒に住んでもいいやという気分だった。
ホームセンターでキャットフードを勧めてくれた店員さんも自分の地元では、みんなでエサをやってアライグマを共同飼育しているということだった。
そう、アライグマも親しくなってみれば、怖い動物なんかじゃないぞ。
それなりに可愛いのだ。
子アライグマとなれば、なおのことである。

ところが、プラスチック皿に猫のえさを入れて通風口の前に置いたら、すぐにお隣さんに見つかった。

なにしろお隣さんはアライグマを怖がっている。

タイミングの悪いことに、何週間か前に、NHKがアライグマが天井裏に住み着いて家屋被害をもたらしているというドキュメントを放送したらしい。以来、お隣さんは、アライグマは日本の固有種であるタヌキとは違ってどう猛有害な外来種だと思いこんでいるのだ。

アライグマにとってははなはだ迷惑なNHKである。

僕は、しどろもどろに

「そ、そんな飼うつもりなんかある訳ないじゃないですか。

トタンを直すまで、もうトタンから出入りしてほしくないので、通風口に誘導しようとしただけです。」

「エサはやらん方がいいと思うよ。ご近所さんもそう思うと思やあすよ。」

はい。もうやりません。

ということで、5キロも飼ったエサは、ちょっと自分で食べては見たが、あまり口に合わないので、そのまま廃棄処分する次第となった。

まだ、子アライグマは見つかっていない。

とにかく穴が大きくなる前に工事屋さん早く工事をしておくれ。

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2010年12月 6日 (月)

ガリレオ裁判は正しかった? 一人一票意見広告に反対する

5日付の朝刊に
『“清き0.2票”はガリレオ裁判より不条理』
とする全面意見広告が踊った。

「どういう意味?」と立ち止まらせるのが、広告会社のうまいところ。
実際、何を言いたいのやらよくわからない。

どうも、ガリレオ裁判すら一人一票で行われたのに、今の参議院選挙は最大5倍の格差があるので、ガリレオ裁判に比べてすら不公正が著しいという意味のようである。

本文では
「“清き1票未満”はガリレオ判決より不条理です。なぜなら、ガリレオ判決の天動説は、当時の『世間の常識』でしたが、“清き1票未満”は“清き1票”の『世間の常識』に反しているからです」
となっている。

う~ん。不平等な投票で正しい結論に至るより、一人一票で間違った「天動説」に至る方がよいと、言いたいのかなぁ。

ところが、広告には、一人一票にしてこそ、正しい結論に至ることができるかのように主張する部分もあるのでややこしい。

そこでは、このまま不平等を是正しないと
少数の人口が立法、行政、司法を支配している国・日本が、競争の激しい世界市場の中で、向う30年間、多数の人口が行政を支配している競争相手国(米国、韓国等)に伍してゆくことは困難です。
と述べている。

改めて、発起人を見てみると、小泉竹中路線で重用され、国民の資産である「かんぽの宿」を値切りに値切り倒した宮内義彦氏がいる。宮内氏は弁護士増員を強力に主張し、年間8000人説を唱えている司法改革(弁護士没落政策)の急先鋒だ。
これまでの市民広告でよく見るメンバーはほとんどおらず、大企業系、渉外事務所系の弁護士の名前が目立つのも特徴だ。
 

何より心配されるのは、この広告の発起人の多数が、グローバルな市場主義への参加の障害として投票価値の不平等を主張しているところだ。

現在のように地方が疲弊して、地方でこそ危機が進行している中で、単純な選挙権の平等を実現すれば、地方選出議員は国会の圧倒的少数となり、地方の声はますます国会に届かなくなるだろう。
投票価値の較差の是正を第一義とする限り、人口の少ない県を中心にして、一人の議員もいない県が相当数、生まれるのは不可避である。

現在の国会が、農産業に致命的な打撃を与えることが懸念されることを理由に、最大規模のグローバル市場であるTPPへの参加に慎重になるのも地方議員の声が反映されているからだ。
一方で、TPPへの参加は、大企業には大きな市場機会をもたらす。だから、地方への定数が過大に配分されている現行の選挙区制は大企業にとっては、当然、不満だ。

東京中心の論理で進められた弁護士増員が、現在の弁護士業界の惨状を生んでいると考える僕の立場からは、大都市・東京中心主義で国政を運営しようとする意見広告の趣旨には生理的に反対になる。

どうもこの広告の真意はそんなところにあるようだ。
これまで投票価値の平等にあまり関心を示さなかった人たちが発起人になっているのもそんな理由からだろう。

 

意見広告は、裁判官の罷免権が国民にあることを強調して、裁判所の民主化も訴えている。

少数者の人権を擁護するためにこそ、裁判所は多数決を基本原理とする民主主義から距離を置いたとする僕の見解と、この罷免権の強調の仕方は微妙にずれている。

司法を支配する優越的な原理が多数決民主主義となれば、司法の独自性は失われ、三権分立の重要な一画は崩されると僕は考える。

 

広告は、住所(選挙区)の差別で、33%の人口が選挙区選出議員の過半数を選出できるのも不平等だとして定数の改正、すなわち選挙区制度の見直しを訴える。

しかし郵政選挙(2005年)でも、政権交代選挙(2009年)でも、50%に満たない有権者が75%近い議員を決めてきた。

広告主は民意を正確に反映することこそ代議制民主主義の要だと考えているようである。だとすれば、この不公正の是正も訴えるのが筋だろう。

 

もう一度、ガリレオ裁判に戻る。一人一票による裁判によりガリレオの地動説は誤りとして断罪された。
(最近では、ガリレオ裁判は、本来無罪だったガリレオを陥れるための陰謀であったとの説が有力なようである。WIKIPEDIA
この広告は、こうした裁判こそ、現状の選挙よりは望ましいと主張する。

その受け止めは、ひとそれぞれであろう。
僕は反対である。こと投票価値の問題については、政策的配慮による一定の不平等があったとしても、より適切と思われる結論に漸近するべきだと考えるからだ。

  
この意見広告との対比において、僕はとりあえず、一定の批判を保留しつつ、以下の最高裁判決を支持するすることにする。
意見広告の単純明快さよりはるかにマシであるという意味において支持するということである。

憲法は、……すなわち投票価値の平等をも要求していると解するのが相当である。他方、憲法は、国会の両議院の議員の選挙について、議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとしている(43条、47条)。
また、憲法は、国会を衆議院と参議院の両議院で構成するものとし(42条)、各議院の権限及び議員の任期等に差異を設けているところ、その趣旨は、衆議院と参議院とがそれぞれ特色のある機能を発揮することによって、国会を公正かつ効果的に国民を代表する機関たらしめようとするところにある。そうすると、憲法は、投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準としているものではなく、どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の裁量にゆだねており、投票価値の平等は、参議院の独自性など、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものとしていると解さなければならない。それゆえ、国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって投票価値の平等が損なわれることになっても、憲法に違反するとはいえない。」(平成18年10月4日最高裁大法廷判決)

また、
「このように公職選挙法が採用した参議院(選挙区選出)議員についての選挙制度の仕組みが国会にゆだねられた裁量権の合理的行使として是認し得るものである以上、……右のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して、一定の譲歩を免れないと解さざるを得ない。
また、社会的、経済的変化の激しい時代にあって不断に生ずる人口の異動につき、それをどのような形で選挙制度の仕組みに反映させるかなどの問題は、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要求するものであって、その決定は、種々の社会情勢の変動に対応して適切な選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量にゆだねられているところである。したがって、議員定数配分規定の制定若しくは改正の結果、又はその後に人口の異動が生じた結果、各選挙区間における議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差が生じ、あるいは、右較差が拡大するなどして、当初における議員定数の配分の基準及び方法と現実の配分の状況との間にそごを来したとしても、その一事では直ちに憲法違反の問題が生ずるものではなく、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせる議員定数配分規定の制定又は改正をしたこと、あるいは、その後の人口異動が右のような不平等状態を生じさせ、かつ、それが相当期間継続しているにもかかわらずこれを是正する何らの措置も講じないことが、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断の上に立って行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮してもその許される限界を超えると判断される場合に、初めて議員定数の配分の定めが憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。」(平成10年9月2日最高裁判決)

 

つまり、最高裁は、参議院の特殊性を踏まえて、種々の政策的配慮と参議院の安定性を議員定数配分に際して考慮することを認め、その結果が国会の裁量権を逸脱すると見られない限り、投票価値の較差は憲法14条に違反しないとしているのである。最高裁の傾向からするとその目処を5倍に置いているようであるが、その目安の是非についてはむろん議論の余地があろう。

意見広告は、ここで、アメリカ連邦最高裁の判決を対置し、連邦最高裁判所が1票対0.993票の格差を違憲とした判決を持ち出して極端な平等性を主張している。
アメリカ型民主主義万能の立場をはしなくも露呈しているようにも見える。

確かに最高裁の論旨は、意見広告の論旨より、わかりづらく読みづらいであろう。
しかし、我々は単純なキャッチフレーズに繰り返し踊らされ、辛酸をなめさせられてきた。
正しいことは、必ずしもわかりやすいこととは両立しない。

たかが意見広告で、長々と書いてしまった。

まんまと電通?の罠にはまった気もする。

しかし、わかりやすさに騙される同じ過ちは繰り返すまいと思うのだ。

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 追伸
この意見広告の論理に対する反論は、以下のブログですでに緻密に検証されていました。とくに意見広告が連邦最高裁判決を引用するのが明らかに誤導であることがはっきりします。
是非、お読みください。
まさ(弁護士)の視点

2010年12月 5日 (日)

士業のモラルハザード マッチポンプな司法書士

案の定、借地権と抵当権に関する記事は、特別な関心がある人を除いて、これまでで最も読まれない記事になった。

これが僕の本来の仕事である。

すべからく仕事とというものは、面白くないのである。

これは、その続編である。したがって、きっと面白くない・・かな?

前回の相談から10日ほど後、一郎さんから、朝、電話があって、今日中に相談したいと言う。

急患である可能性があるので、相談者や相談内容によっては、こういう急な申し入れに応じるのが地域に密着したマチベンの仕事である。どうぞ、お越しくださいな。

事務所を訪れた一郎さんは、いささか動揺した様子である。
昨晩、書面に判を押した。
何やら胸騒ぎがするという。

(先回、相談したとおり建物に担保を設定した訳だから、いいんじゃないのかなぁ)

数日後に地主への融資が実行される。一郎さんも立ち会ってもらいたいと言われているが、立ち会わなければならないのかと聞く。

司法書士にはすでに担保に入れる書類を渡したという。それなら何のための立ち会い?

いろいろ話を聞く内に、判を押した書面の中に家族構成と収入を記載する欄があったという。

今度は僕が青ざめた。

家を担保にだけ出すなら、本人の返済能力など関係ないはずだ。

本人の責任は提供した担保である家を失う範囲に限定される。残金が残っても支払う責任はない。

ところが、本人の返済能力に関する記載がある書面に判を押したとなれば、一郎さん自身が借主か保証人にされている可能性が高い。保証人になっていれば、家を失うだけではすまず、残金を完済するまで支払う責任を負う。その元本は2000万円だったはず。

確かに、融資と担保提供の場面では、多数の書類が入り乱れるので、本人が意味もわからず判を押すことはよくある。

しかし、裁判になれば、書面が、決定的だ。
いい年をした大人が意味もわからず判を押したなどという言い訳を裁判所が認めてくれる可能性は1割もない。

本当に保証する書面に判を押したのかどうか、一郎さんの話だけでは、確定的なことは言えない。

だが、もし書面が保証人になった書面なら、異議を言わずに、時間が経てば経つほど、一郎さんは不利になる。

一瞬でも早く、一郎さんには保証の意思がないことを伝えておく必要がある。

とにかく、保証の意思がないことを伝えるため、その場で僕は、貸金業者に電話をした。

「出られない」とのコールがあり、通じない。

大急ぎで、一郎さんには保証の意思がない、仮に保証の書面が作られているのであれば、一郎さんには保証の意思はないのだから、錯誤により無効だとの書面(急ぎなのだから誤字・脱字はあっても構わない。趣旨が明確ならばよいのだ)を作成して、業者のFAXに送る。

業者のFAXが通じてくれるのを祈るばかりだ。

やがて、FAX受信音がして、送付レポートが排出された。

よし、「ファックス送信良好」

すぐに業者に連絡が取れる状況でもなかったので、とりあえず、この件は全て弁護士に任せたことにして、一郎さんが直接、相手に関わらないように指導して、帰ってもらう。

その日、業者へ電話。
業者は、あくまでも物的担保だと主張(内心、ほっとする)。

担保だけなら、なぜ年収や家族構成を書くのかと食い下がる。

銀行でもどこでも年収や家族構成は書かせているだけだと業者はとぼける。

そんな馬鹿な話はない。

保証人にしたのではなく、家を担保に取っただけなら、それをはっきりさせるためにとにかく書類をファックスしろと粘る。

業者は業界所定の様式を使っているだけだから、見せる必要はないとか粘るが、結局、FAXを送ることを約束。

後日、送られたFAXを見て、唖然とした。

一郎さんは、保証人どころか借主にされようとしていたのだ。

一郎さんが署名させられたのは「借入申込書」が2通。

1通の借入申込書には地主が借入申込者欄に署名し、一郎さんは「保証人・物上保証人」欄に署名させられていた。

送られたFAXには保証人・物上保証人」と保証人に抹消線が引かれているが、予定通りに進めば、そのまま保証人にするつもりだったことが明白だ。

もう一通はさらに奇怪な書類だ。

同じく「借入申込書」だが、この申込書は一郎さんだけが申込者の欄に署名している。

この書面には手書きで「担保提供」と書き加えられ、「担保提供借入申込書」とされた書面の、「借入」に抹消線が引かれている。

どう見ても、貸金業者は、一郎さんが地主に同情する人情に厚い人であることに乗じて、一郎さんが建物を担保にい入れるのは止むなしと考えているのを利用して、一郎さんも借り主にしようとしていたとしか見えない。融資実行寸前で、ストップをかけたから、トラブルを避けて、敢えて、手書きで担保提供やら抹消やらを加えたとしか見えない。

愛知県登録の業者だったので、事前に愛知県に苦情が出ている業者ではないかと確認したが、苦情はないとのことだった。苦情がない業者でも当事者の油断に乗じてその程度の詐欺的なことは平然と犯すのが今の時世なようだ。

一郎さんがもしも、融資実行の場に立ち会うようにとの業者の要求に疑問を持たずに、立ち会っていたら、借入申込書の署名は決定的な意味を持った。申込書の効力を覆すのは容易ではなく、一郎さんは、みすみす2000万円の負債をおわされるところだったのだ。

急患扱いしなければならない相談者は、病院に限らず、弁護士の場合にもいるのである(但し、急患かどうかは弁護士が長年の勘で的確に判断するので悪しからず)

 

この話には後日談がある。

結局、地主は、この業者からの借入を止めた。だから、僕は、司法書士にも担保提供の意味がなくなったので、書面を返すように求めて、司法書士が一郎さんから交付を受けていた書面を返してもらった。

当然、僕は、一郎さんは建物に担保を設定した担保設定者になっているだけだと思っていた。

ところが、送られてきた書類には、一郎さんが地主と並んで「債務者」、つまり貸金業者から借入をした借り主となっていたのだ。

この司法書士は、一郎さんが書面に署名させれたとき、もともと業者と一緒に一郎さん方を訪れると言っていたが、道に迷ったとのことで遅刻して、書面を作るばかりのときに現れて、ろくに説明もせずに、書面に判を押させて、帰って行ったという。

傍から見れば、詐欺的な事態に直接関わる痕跡を残さないようにしながら、貸金業者の詐欺的融資に助けているように見えてならない。

その司法書士のホームページのキャッチコピーは

「過払い請求、借金返済、多重債務整理、自己破産の相談なら、司法書士○○○○○○○○○○○にお任せください。任意整理、自己破産、民事再生、特定調停など適切な解決方法で解決します。全国対応が可能……」

悪質貸金業者に手を貸しながら、他方で、サラ金からの救済を表看板に謳う。

司法書士のホームページには、600万円の過払金を回収したとか、800万円の過払金を回収したとか、派手な成功例が上げられている。

その昔、多重債務の事件は、悪質サラ金と対決しながら、債務者の生活の再建を図るためのものだった。表で多重債務救済を謳いながら、裏で悪質業者と提携するなどはとうてい考えられなかった。

すくなくとも、ほんの数年前までは、こんなマッチポンプ司法書士のようなモラルハザードは、士業の業界にはなかった。

士業の自由競争化がもたらした確実なものは、新たなモラルハザードである。

 
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2010年12月 4日 (土)

若年非正規労働者の命の値段

命をめぐる話が続いた。

政府が人を利益を生み出す機械と考えているのと同様に、裁判所にもその傾向が忍び寄っている。

生命侵害(死亡事故)の損害賠償の問題がそれだ。

生命侵害の損害賠償額は、交通事故を中心とする多数の裁判例の積み重ねの中で、「逸失利益+慰謝料」という算定式が確立してきた。

(命を金額に換算すると言うこと自体に無理があることは裁判所も承知している。しかし、民事事件としてこれを裁く以上、損害賠償事件として裁かざるを得ない。そのために一定の算定式が必要なことも大方の異論はなかった)

逸失利益というのは、生きていれば働いて得られたであろう利益のことである。

これまで多くの裁判例は、労働者の現実収入が平均的な正規労働者の賃金を下回る場合でも、いずれ平均賃金相当額の収入を得られるようになる見込が高いとして、低収入の労働者の場合でも原則としては、平均賃金による逸失利益を認めてきた。

死亡事故について仮に現実収入で逸失利益を算定するとすれば、低収入の労働者の命に対する賠償額は著しく低額になることが避けられない。

これは命の価値は本来、平等であるというだれも否定できない真理に反することになる。

このため、裁判所は多少のフィクションを用いても、生命の価値をできるだけ平等に扱うように工夫し努力してきたと言ってよい。

たとえば、無収入の主婦についても家事労働を平均賃金と同程度の価値を生み出す労働とみなして、女性の死亡事故の逸失利益を算定してきたのも、一種のフィクションを用いながら、生命価値の平等を確保する努力とみてよい。

ところが、最近、重大な変化が現れようとしている。

交通事故をめぐる実務的問題については、東京、大阪、名古屋の各地方裁判所の交通事故専門部が、随時、会合を開いて意見交換をしている。

この意見交換会は、交通事故の裁判実務に支配的な影響を与える。

昨年開かれた3庁合同の意見交換の結果が、法曹時報62巻1号(今年初め頃発行)に掲載されている。

これによれば、今後、非正規若年労働者については、平均賃金相当の収入が得られる見通しが高くないことが明らかであるから、現実収入で逸失利益を算定すべきだとする意見が主張されている。

さすがに、単に、非正規若年労働者は、平均賃金相当額が得られる見込が少ないとするだけでは説得性に乏しいと考えたのか、提案者である裁判官は、次のような見解を述べている。

「グローバル化に伴う厳しい市場競争や産業構造の変化、生産・サービスの柔軟な供給体制を取る企業の経営戦略、……労働者の意識の変化等が複合的に結びつく形で就業形態の変化が進む中、非正規雇用者が増加し、雇用者に占める割合も上昇してきた。……企業の採用抑制や雇用情勢の悪化とともに、雇用者の意識の変化などもあり、特に、若年層で大きな増加が見られてきたところである。そして、非正規雇用者は、技術・技能形成のための機会が乏しい」
「正規雇用者に比べて賃金水準・上昇において劣る非正規雇用者が、全年齢層において増加し、2008年には全労働者中、34.1%を占めるまでにな(った)」

さらに政府の経済白書を次のように引用している。

「20歳台前半層の非正規雇用者には、自分の都合の良い時間に働けるから等の理由でその就業形態を選んでいる者が少なくなく、長期の職業キャリアを十分に展望することなく安易に職業選択を行っている」

こうした認識を元に裁判官は、若年非正規労働者には、原則として平均賃金によるのではなく、現実の少ない収入によって逸失利益を算定すべきであると主張するのである。

そこには命の尊厳の平等という規範的要請に対する配慮は全く見られない。

こうした意見を述べる裁判官の非情さを責めるのはやさしい。しかし、こうした意見が出てくる日本社会の土壌にこそ問題の本質があるだろう。

自殺する命を救うための対策を取る理由が、自殺者が働き続ければ、1兆9000億円の経済利益が得られたはずだからだとする、厚労省の発表と、この裁判官の意見交換会の発想は通底している。

人間を、何よりも利益を生み出す機械とみる見方だ。

バブル経済、失われた20年を経て、市場原理主義が深く根付いた社会は、ますます労働の意味を利益を生み出すことだけに見いだし、生きることの価値を利益を挙げることだけに見いだすようになろうとしている。

この国の陥った拝金主義の病は重い。


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2010年12月 3日 (金)

ηなのに夢のよう 森博嗣の死生観

自殺の経済損失のニュースが伝えられた頃、僕は、
森博嗣の「η(イータ)なのに夢のよう」を読んでいた。

「ηなのに夢のよう」という謎のメッセージを残す連続自殺(他殺?)事件を題材にする小説だ。

かなり粗雑な要約になるが、この小説から読み取れる自殺観は次のとおりだ。

殺人(凶悪犯罪)には動機などない。
動機と呼ばれるものは、社会が、納得して不安を抑えるために考えられた虚構に過ぎない。

同様に自殺にも動機はない。

生まれることに動機がないのと同様に、死ぬことにも動機などない。

生きることに意味がないのと同様、死ぬことにも意味などない。

最終章近く、卓越した能力を持つ科学者に森はこう語らせる。

「そんなに、深刻になる問題ではない、と私は思うの」

瀬在丸はゆっくりとした口調で言った。

「死ぬことってそれほど特別なことかしら?そうじゃないわ。本当に、身近なことなんですよ。(略)生命は刻一刻どんどん入れ替わっている。人間よりも、もっともっと短い時間しか生きられないものがたくさんあります。今鳴いている虫は、もう明日は死んでいるのよ。それが虚しい?でも、普通のことでしょう?とても平和で、穏やかな事なんです」

「まだ、若いのだから、死が遠いと感じるのも、無理はありません。私くらいになったらね、もういつ死んだっておかしくないんだから」瀬在丸は笑う。

「ですから、自殺についても、そんなに不思議なことではないと私は理解しています。なかには、生きることに執着する人もいますけれど、それとまったく同じレベルで、反対の道を選ぶ人もいる。つまり、どうせ一度死ぬのならば、自分で今と決めて死にたい、と考えるのね。そう、たとえばね、立っている場所がもうすぐ崩れ落ちるというとき、崩れるぎりぎりまで待つ人と、自分からジャンプして落ちていく人がいるんじゃない?それだけの違いでしょう?どちらも生きたのです。一回生きて、一回死んだのです。同じじゃありませんか?」

森博嗣の死生観は、諦観のような静けさも感じさせる。
悔やまなくていいんだと、遺族に告げているようで、優しくもある。

そこには、少なくとも「死んでも働け」等という心ないメッセージはない。

生きることに意味がないとすれば、そして自殺者の周囲もなぜ自殺したのだろうと後悔する必要もないのだとしたら、自殺はやはり権利、少なくとも自由の範囲に属することになるだろうか。

おそらく、そうだと僕は思う。

森は、この世の物とも思えぬ才能に恵まれた天才にとっての死生を想定する。
天才にとって、生きることのジレンマはさらに深刻になる。
なぜなら、天才にとっては、自分と自分を取り巻くものしか存在せず、社会への定着という概念が存在しないからだという。

自分が必要とされていることを実感できてこそ、人は、生きていたいと思うのではないだろうか。それが森の言う社会への定着である。

そして、自分自身を必要としてくれる存在を身近に感じられるほど、生きていたいという思いは、切実になるだろう。

仮にも自殺対策として政策を考えるのであれば、何よりも必要なのは、ばらばらにされた人間関係の回復と、働くことだけでは満たされない関係性の欲求を満たす時間の余裕だろう。

うつ病を生み出し、政府が自殺せずに働くことを想定している職場は、仕事の内容も著しく細分化されて非人間的な作業の反復となり、人間関係も分断され、しかも、表には現れない(タイムカードを押す前の、そしてタイムカードを押した後の)際限のない時間外労働を強いる職場だ。

急速に発展したトップ企業であるほど、24時間、全人生を会社に尽くすことを求める(ネットではブラックと呼ばれている)。数年で半数近くがうつ病に近い状態になって退職していく。

そうした企業環境を是正・監督することなく、自殺せずに働くことを求めても、自殺者が浮かばれるはずもない。

自殺者には、人間らしい労働と、仕事を離れた親密な人間関係こそが必要だろう。

ただ、労働力として、死んでも働け、国家財政の損失だといわれて「生きていたい」と思う者などいる筈もないのだ。

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2010年12月 1日 (水)

小沢一郎氏行政事件最高裁特別抗告棄却決定(全文)

11月25日の最高裁決定が、最高裁判決速報サイトに掲載されましたので、以下に紹介します。全文といっても極めて短いものです。

   主 文

本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
   理 由
1 本件申立ては,原々審以来,検察審査会法41条の6第1項所定の検察審査
会による起訴をすべき旨の議決の取消しを求める訴えを本案として,上記議決の効
力の停止を求める趣旨のものと解される。

2 平成22年(行ト)第63号事件について
抗告代理人則定衛,同阿部泰隆,同南裕史の抗告理由について
民事事件について特別抗告をすることが許されるのは,民訴法336条1項所定の場合に限られるところ,本件抗告理由は,違憲をいうが,その実質は原決定の単なる法令違反を主張するものであって,同項に規定する事由に該当しない。

3 平成22年(行フ)第4号事件について
抗告代理人則定衛,同阿部泰隆,同南裕史の抗告理由について検察審査会法41条の6第1項所定の検察審査会による起訴をすべき旨の議決は,刑事訴訟手続における公訴提起(同法41条の10第1項)の前提となる手続であって,その適否は,刑事訴訟手続において判断されるべきものであり,行政事件訴訟を提起して争うことはできず,これを本案とする行政事件訴訟法25条2項の執行停止の申立てをすることもできない。したがって,上記議決の効力の停止を
求める本件申立ては,不適法として却下を免れない。これと同旨の原審の判断は正
当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官白木勇  裁判官宮川光治  裁判官櫻井龍子 裁判官金築誠志  裁判官横田尤孝)

弁護団は、最高裁決定を受けて、11月30日付で行政訴訟本体そのものを取り下げました。この取下は合理的な理由があります。

 

最高裁は執行停止を斥けるに当たって、起訴議決の当否は刑事訴訟手続きで争うべきで行政訴訟で争うべきではないとの判断を示しているので、残された行政訴訟の結論も同じになることが確定したからです。

 

また、第1回期日前の取下であれば、相手方の同意も必要がないからです。

 

第1回期日を過ぎてしまうと、相手方の同意が必要になるので、相手方が同意しない限り、不毛な訴訟を続けなければなりません。

 

ある意味で、この最高裁決定は当初から小沢弁護団が追及してきた目的でもあります。

とりあえず、超特急で、起訴議決の瑕疵は刑事訴訟手続きで争うべきであるとのお墨付きを得るという成果を挙げることには成功した訳です(起訴議決の効力を刑事訴訟で争ったところ、それは行政訴訟で争うべきことだと言われるおそれは当面なくなった)。

これは、小沢弁護団が、指定弁護士の選任の差止というスケジュール的にほとんど無理な要求を申立に加えた戦果といえるでしょう。

 

ですから、小沢一郎氏にとてっは、まずまずの成果というべきでしょう。

 

しかし、本当にこの結論で良かったかは、多いに疑問です。

 

強制起訴制度には、起訴の基準も審理の準則も定められていません。

証拠を検討すべきことすら義務化されていません。

噂・風聞による感覚で判断することを抑制する手だてもありません。

審査会 の実体の存否すら確認する手だてがない密室の議決手続きです。
  

たとえ起訴の前提手続きに過ぎないとしても、専門家である検察官が二度にわたって起訴できないと判断した事件、ですから本来は刑事被告人にされる余地のなかった人を起訴するのですから、適正手続きの保障が必要であることはいうまでもありません。

 

ところが、この間の経過で、検察審査会制度や起訴議決には、適正手続きが全く保障されていないことが、あからさまになってしまいました。

 

今回の最高裁の結論が一人歩きすると、法律の専門家である検察官が不起訴とした事件でも、市民感情によって、あるいは扇動的な審査補助員によって起訴議決されてしまい、無実の一般市民が、刑事被告人という汚名を負うという事態が正当化されかねません。

 

いったん刑事被告人とされた場合の社会的打撃には図り知れないものがあります。

刑事被告人にならないこと自体が利益であることは社会通念からも明らかでしょう。そのためには行政訴訟で争う途を残す必要があります。

 

したがって、この最高裁判決の射程距離は、あくまでも不起訴とされた被疑事実から逸脱しているという起訴議決の当否を争う場合には、刑事訴訟によるべきであるとする特殊に限定された範囲に限られると理解する必要があると考えます。

 

さて、最高裁決定が公表されたお陰で、覆面弁護団の名前はわかりました。宮崎親分が言っていて則定氏の名前もありましたね。一応行政事件の専門家もいらしたので、報道では不明でしたが、起訴議決の効力の停止も当初から申し立てていたようですね。

 

行政訴訟も終わり、小沢一郎氏の刑事弁護団は、弘中惇一郎弁護士を中心に組むことも決まりました。

陸山会事:小沢氏主任弁護人、弘中氏に正式決定

 検察審査会の議決に基づき、政治資金規正法違反で強制起訴される小沢一郎・民主党元代表の主任弁護人に、郵便不正事件で無罪が確定した元厚生労働 省局長の弁護人を務めた弘中惇一郎弁護士(65)=東京弁護士会=が就任することが決まった。弘中氏は取材に対し「自分の事務所の弁護士を含め数人で弁護 団を編成したい」と語った。裁判では無罪を主張するとみられる。

 弘中氏はロス銃撃事件で無罪が確定した故三浦和義氏や、薬害エイズ事件の1審で無罪を言い渡された故安部英・元帝京大副学長(控訴審中に死去)ら の弁護人を務めたことで知られる。小沢氏側から弁護団入りを要請されており、小沢氏が審査会の起訴議決取り消しを求めた行政訴訟を30日に取り下げたこと から、受諾することを正式に決めたという。 (毎日新聞2010年12月1日朝刊)

マスコミは、弘中氏の就任が決まるや、恰もこれに歩調を合わせるかのようにして、いっせいに小沢一郎氏の金絡みの話題を報道して、イメージダウンを図ることで足並みを揃えています。

 

マスコミが、小沢一郎氏のイメージダウンを図るということは、今なお、小沢氏が政局の中心にあることの証拠でしょう。

 

小沢イメージは現に動いている政局と密接に絡んでいるのです。

 

したがって、刑事弁護団には、刑事事件で無罪を勝ち取ること以外に、小沢のイメージアップを図ることも求められるでしょう。

 

その場合、この間、各地で自然発生的に立ち上がってきた運動を、弘中弁護団は、どのように扱うのでしょうか。

 
刑事事件の内容や検察審査会の異常さに対する丁寧なマスコミを含むメディアレクチャーも必要になるでしょう。
お互い人間ですから、丁寧な接触を重ねれば、現場の記者は心情的に味方に付けることができるというのは、常に経験するところです。

 
また、宮崎親分のおっしゃっている名誉毀損訴訟もいよいよ必要ななのではないかとも考えるところです。

 
今後の帰趨に注目したいと思います。

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自殺を経済コストで計るな!

だいぶ前、9月初め頃のことになるが、自殺による経済損失が、1兆9000億円に及ぶという調査結果が厚労省から発表された

自殺者が死なずに働いていたとすれば、上げられたであろう経済的利益が1兆9028億円に上るという。自殺したためにこの利益が得られなかったから経済損失だというのだ。

自殺者の中には、働くことに疲れ切って、自殺したという人も少なくないだろう。

その人たちは、もうこれ以上、働きたくないから自殺したのである。

ところが、政府は、自殺した人にまで、働けという。働いて利益を挙げられた筈だと迫る。

この国は、いつから、国民を利益を生み出す道具のように考えるようになったのだろう。

厚労省は、自殺対策のために敢えてこうした数字を発表したのだという。

これも逆転している。

命が大事だから、対策を取ろうというのではない。

自殺が国家経済に損失を与えるから自殺・うつ病対策をしようというのだ。

お金のことを持ち出さないと、人の命を救おうという当たり前のことさえ言うことができないのだ。

この国は徹頭徹尾、人の命をお金で計算するのだ。

この国で生きるのはとても生きづらいと思う。

 

 

人は自殺しなくても、いずれ死ぬ。

医療技術が極端に発達した現代では、死ぬときには治療費は必ずかかると思った方がよい。

長患いすれば、治療費は一層、増大する。

いっそ、きれいに自殺した方が、国にかかる治療費は軽減するのではないか。

自殺者は、ことによれば、国家財政に貢献すらしているのである。

自殺した人が、自殺せずにうつ病から完全に回復して生き生きと健康な状態で働き続けられるなどというのは粗雑な仮定に基づく推計だ。現に研究資料

「自殺予防によって、自殺でなくなられた方がなくなられることなく働くことができると仮定すれば、自殺でなくなられた方の人数だけより多くの方が労働市場に参加することになる。

例えば、2009年に20代、30代、・・・60代の人は、賃金プロファイル(次のページに示す表の賃金の横方向の並び)にそって、それぞれ年齢が上がるにつれて変化する賃金所得をえていくことができる。

こうした2009年でみた年齢別の生涯所得に、年齢別の自殺者数をかけて得られる額の合計が、自殺予防によって得られる生涯所得(の期待値)という経済的便益になる。」

としている。

こんな粗雑な推計が許されるなら、むしろ逆に「自殺の経済的効果」だって推計できるだろう。

長生きするよりは、自殺した方が、治療費が抑制される。年金に関する財政負担も軽減され、失業保険給付や生活保護給付も軽減されるので、社会保障の改善に資することもできる。

政府が展開する議論は、この程度の議論とどれほど違うのであろうか。

人の生き死には、経済の問題ではない。その個人の尊厳をどれほど尊重するかという基本姿勢の問題である。

政府のいうことは個人の尊重を最大の基本原理とする憲法(13条)の精神から遠く離れているというほかない。

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