無料ブログはココログ

« ηなのに夢のよう 森博嗣の死生観 | トップページ | 士業のモラルハザード マッチポンプな司法書士 »

2010年12月 4日 (土)

若年非正規労働者の命の値段

命をめぐる話が続いた。

政府が人を利益を生み出す機械と考えているのと同様に、裁判所にもその傾向が忍び寄っている。

生命侵害(死亡事故)の損害賠償の問題がそれだ。

生命侵害の損害賠償額は、交通事故を中心とする多数の裁判例の積み重ねの中で、「逸失利益+慰謝料」という算定式が確立してきた。

(命を金額に換算すると言うこと自体に無理があることは裁判所も承知している。しかし、民事事件としてこれを裁く以上、損害賠償事件として裁かざるを得ない。そのために一定の算定式が必要なことも大方の異論はなかった)

逸失利益というのは、生きていれば働いて得られたであろう利益のことである。

これまで多くの裁判例は、労働者の現実収入が平均的な正規労働者の賃金を下回る場合でも、いずれ平均賃金相当額の収入を得られるようになる見込が高いとして、低収入の労働者の場合でも原則としては、平均賃金による逸失利益を認めてきた。

死亡事故について仮に現実収入で逸失利益を算定するとすれば、低収入の労働者の命に対する賠償額は著しく低額になることが避けられない。

これは命の価値は本来、平等であるというだれも否定できない真理に反することになる。

このため、裁判所は多少のフィクションを用いても、生命の価値をできるだけ平等に扱うように工夫し努力してきたと言ってよい。

たとえば、無収入の主婦についても家事労働を平均賃金と同程度の価値を生み出す労働とみなして、女性の死亡事故の逸失利益を算定してきたのも、一種のフィクションを用いながら、生命価値の平等を確保する努力とみてよい。

ところが、最近、重大な変化が現れようとしている。

交通事故をめぐる実務的問題については、東京、大阪、名古屋の各地方裁判所の交通事故専門部が、随時、会合を開いて意見交換をしている。

この意見交換会は、交通事故の裁判実務に支配的な影響を与える。

昨年開かれた3庁合同の意見交換の結果が、法曹時報62巻1号(今年初め頃発行)に掲載されている。

これによれば、今後、非正規若年労働者については、平均賃金相当の収入が得られる見通しが高くないことが明らかであるから、現実収入で逸失利益を算定すべきだとする意見が主張されている。

さすがに、単に、非正規若年労働者は、平均賃金相当額が得られる見込が少ないとするだけでは説得性に乏しいと考えたのか、提案者である裁判官は、次のような見解を述べている。

「グローバル化に伴う厳しい市場競争や産業構造の変化、生産・サービスの柔軟な供給体制を取る企業の経営戦略、……労働者の意識の変化等が複合的に結びつく形で就業形態の変化が進む中、非正規雇用者が増加し、雇用者に占める割合も上昇してきた。……企業の採用抑制や雇用情勢の悪化とともに、雇用者の意識の変化などもあり、特に、若年層で大きな増加が見られてきたところである。そして、非正規雇用者は、技術・技能形成のための機会が乏しい」
「正規雇用者に比べて賃金水準・上昇において劣る非正規雇用者が、全年齢層において増加し、2008年には全労働者中、34.1%を占めるまでにな(った)」

さらに政府の経済白書を次のように引用している。

「20歳台前半層の非正規雇用者には、自分の都合の良い時間に働けるから等の理由でその就業形態を選んでいる者が少なくなく、長期の職業キャリアを十分に展望することなく安易に職業選択を行っている」

こうした認識を元に裁判官は、若年非正規労働者には、原則として平均賃金によるのではなく、現実の少ない収入によって逸失利益を算定すべきであると主張するのである。

そこには命の尊厳の平等という規範的要請に対する配慮は全く見られない。

こうした意見を述べる裁判官の非情さを責めるのはやさしい。しかし、こうした意見が出てくる日本社会の土壌にこそ問題の本質があるだろう。

自殺する命を救うための対策を取る理由が、自殺者が働き続ければ、1兆9000億円の経済利益が得られたはずだからだとする、厚労省の発表と、この裁判官の意見交換会の発想は通底している。

人間を、何よりも利益を生み出す機械とみる見方だ。

バブル経済、失われた20年を経て、市場原理主義が深く根付いた社会は、ますます労働の意味を利益を生み出すことだけに見いだし、生きることの価値を利益を挙げることだけに見いだすようになろうとしている。

この国の陥った拝金主義の病は重い。


* ランキングに参加しています *
応援クリックしてもらえるととっても励みになります

にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村

« ηなのに夢のよう 森博嗣の死生観 | トップページ | 士業のモラルハザード マッチポンプな司法書士 »

裁判所界隈」カテゴリの記事

法律」カテゴリの記事

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 若年非正規労働者の命の値段:

» 「ある障害者の死」…命の価値は働くことだけでしょうか [dr.stoneflyの戯れ言]
 貨幣経済こそ最強の共同幻想だ、、、、貨幣なんざもともと紙やら金属片だもんなぁ、生はもちろん煮ても焼いても食えないし、見つめていいても何もおもろないわね。でも人はそれを欲しがるし、見つめてニヤけるヤツもいる。そりゃそうさ、別に紙や金属片みつめてニヤついてるわけじゃねぇもんな。それに織り込まれた最強の共同幻想をみつめているんだからさ。ところでこの幻想に換算される「いのち」って、なんだろうなぁ。命もまた幻想ってことかなぁ、、、なんてね。... [続きを読む]

« ηなのに夢のよう 森博嗣の死生観 | トップページ | 士業のモラルハザード マッチポンプな司法書士 »

2022年2月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28