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2010年12月 6日 (月)

ガリレオ裁判は正しかった? 一人一票意見広告に反対する

5日付の朝刊に
『“清き0.2票”はガリレオ裁判より不条理』
とする全面意見広告が踊った。

「どういう意味?」と立ち止まらせるのが、広告会社のうまいところ。
実際、何を言いたいのやらよくわからない。

どうも、ガリレオ裁判すら一人一票で行われたのに、今の参議院選挙は最大5倍の格差があるので、ガリレオ裁判に比べてすら不公正が著しいという意味のようである。

本文では
「“清き1票未満”はガリレオ判決より不条理です。なぜなら、ガリレオ判決の天動説は、当時の『世間の常識』でしたが、“清き1票未満”は“清き1票”の『世間の常識』に反しているからです」
となっている。

う~ん。不平等な投票で正しい結論に至るより、一人一票で間違った「天動説」に至る方がよいと、言いたいのかなぁ。

ところが、広告には、一人一票にしてこそ、正しい結論に至ることができるかのように主張する部分もあるのでややこしい。

そこでは、このまま不平等を是正しないと
少数の人口が立法、行政、司法を支配している国・日本が、競争の激しい世界市場の中で、向う30年間、多数の人口が行政を支配している競争相手国(米国、韓国等)に伍してゆくことは困難です。
と述べている。

改めて、発起人を見てみると、小泉竹中路線で重用され、国民の資産である「かんぽの宿」を値切りに値切り倒した宮内義彦氏がいる。宮内氏は弁護士増員を強力に主張し、年間8000人説を唱えている司法改革(弁護士没落政策)の急先鋒だ。
これまでの市民広告でよく見るメンバーはほとんどおらず、大企業系、渉外事務所系の弁護士の名前が目立つのも特徴だ。
 

何より心配されるのは、この広告の発起人の多数が、グローバルな市場主義への参加の障害として投票価値の不平等を主張しているところだ。

現在のように地方が疲弊して、地方でこそ危機が進行している中で、単純な選挙権の平等を実現すれば、地方選出議員は国会の圧倒的少数となり、地方の声はますます国会に届かなくなるだろう。
投票価値の較差の是正を第一義とする限り、人口の少ない県を中心にして、一人の議員もいない県が相当数、生まれるのは不可避である。

現在の国会が、農産業に致命的な打撃を与えることが懸念されることを理由に、最大規模のグローバル市場であるTPPへの参加に慎重になるのも地方議員の声が反映されているからだ。
一方で、TPPへの参加は、大企業には大きな市場機会をもたらす。だから、地方への定数が過大に配分されている現行の選挙区制は大企業にとっては、当然、不満だ。

東京中心の論理で進められた弁護士増員が、現在の弁護士業界の惨状を生んでいると考える僕の立場からは、大都市・東京中心主義で国政を運営しようとする意見広告の趣旨には生理的に反対になる。

どうもこの広告の真意はそんなところにあるようだ。
これまで投票価値の平等にあまり関心を示さなかった人たちが発起人になっているのもそんな理由からだろう。

 

意見広告は、裁判官の罷免権が国民にあることを強調して、裁判所の民主化も訴えている。

少数者の人権を擁護するためにこそ、裁判所は多数決を基本原理とする民主主義から距離を置いたとする僕の見解と、この罷免権の強調の仕方は微妙にずれている。

司法を支配する優越的な原理が多数決民主主義となれば、司法の独自性は失われ、三権分立の重要な一画は崩されると僕は考える。

 

広告は、住所(選挙区)の差別で、33%の人口が選挙区選出議員の過半数を選出できるのも不平等だとして定数の改正、すなわち選挙区制度の見直しを訴える。

しかし郵政選挙(2005年)でも、政権交代選挙(2009年)でも、50%に満たない有権者が75%近い議員を決めてきた。

広告主は民意を正確に反映することこそ代議制民主主義の要だと考えているようである。だとすれば、この不公正の是正も訴えるのが筋だろう。

 

もう一度、ガリレオ裁判に戻る。一人一票による裁判によりガリレオの地動説は誤りとして断罪された。
(最近では、ガリレオ裁判は、本来無罪だったガリレオを陥れるための陰謀であったとの説が有力なようである。WIKIPEDIA
この広告は、こうした裁判こそ、現状の選挙よりは望ましいと主張する。

その受け止めは、ひとそれぞれであろう。
僕は反対である。こと投票価値の問題については、政策的配慮による一定の不平等があったとしても、より適切と思われる結論に漸近するべきだと考えるからだ。

  
この意見広告との対比において、僕はとりあえず、一定の批判を保留しつつ、以下の最高裁判決を支持するすることにする。
意見広告の単純明快さよりはるかにマシであるという意味において支持するということである。

憲法は、……すなわち投票価値の平等をも要求していると解するのが相当である。他方、憲法は、国会の両議院の議員の選挙について、議員は全国民を代表するものでなければならないという制約の下で、議員の定数、選挙区、投票の方法その他選挙に関する事項は法律で定めるべきものとしている(43条、47条)。
また、憲法は、国会を衆議院と参議院の両議院で構成するものとし(42条)、各議院の権限及び議員の任期等に差異を設けているところ、その趣旨は、衆議院と参議院とがそれぞれ特色のある機能を発揮することによって、国会を公正かつ効果的に国民を代表する機関たらしめようとするところにある。そうすると、憲法は、投票価値の平等を選挙制度の仕組みの決定における唯一、絶対の基準としているものではなく、どのような選挙制度が国民の利害や意見を公正かつ効果的に国政に反映させることになるのかの決定を国会の裁量にゆだねており、投票価値の平等は、参議院の独自性など、国会が正当に考慮することができる他の政策的目的ないし理由との関連において調和的に実現されるべきものとしていると解さなければならない。それゆえ、国会が具体的に定めたところがその裁量権の行使として合理性を是認し得るものである限り、それによって投票価値の平等が損なわれることになっても、憲法に違反するとはいえない。」(平成18年10月4日最高裁大法廷判決)

また、
「このように公職選挙法が採用した参議院(選挙区選出)議員についての選挙制度の仕組みが国会にゆだねられた裁量権の合理的行使として是認し得るものである以上、……右のような選挙制度の仕組みの下では、投票価値の平等の要求は、人口比例主義を最も重要かつ基本的な基準とする選挙制度の場合と比較して、一定の譲歩を免れないと解さざるを得ない。
また、社会的、経済的変化の激しい時代にあって不断に生ずる人口の異動につき、それをどのような形で選挙制度の仕組みに反映させるかなどの問題は、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断を要求するものであって、その決定は、種々の社会情勢の変動に対応して適切な選挙制度の内容を決定する責務と権限を有する国会の裁量にゆだねられているところである。したがって、議員定数配分規定の制定若しくは改正の結果、又はその後に人口の異動が生じた結果、各選挙区間における議員一人当たりの選挙人数又は人口の較差が生じ、あるいは、右較差が拡大するなどして、当初における議員定数の配分の基準及び方法と現実の配分の状況との間にそごを来したとしても、その一事では直ちに憲法違反の問題が生ずるものではなく、当該選挙制度の仕組みの下において投票価値の平等の有すべき重要性に照らして到底看過することができないと認められる程度の投票価値の著しい不平等状態を生じさせる議員定数配分規定の制定又は改正をしたこと、あるいは、その後の人口異動が右のような不平等状態を生じさせ、かつ、それが相当期間継続しているにもかかわらずこれを是正する何らの措置も講じないことが、複雑かつ高度に政策的な考慮と判断の上に立って行使されるべき国会の裁量的権限に係るものであることを考慮してもその許される限界を超えると判断される場合に、初めて議員定数の配分の定めが憲法に違反するに至るものと解するのが相当である。」(平成10年9月2日最高裁判決)

 

つまり、最高裁は、参議院の特殊性を踏まえて、種々の政策的配慮と参議院の安定性を議員定数配分に際して考慮することを認め、その結果が国会の裁量権を逸脱すると見られない限り、投票価値の較差は憲法14条に違反しないとしているのである。最高裁の傾向からするとその目処を5倍に置いているようであるが、その目安の是非についてはむろん議論の余地があろう。

意見広告は、ここで、アメリカ連邦最高裁の判決を対置し、連邦最高裁判所が1票対0.993票の格差を違憲とした判決を持ち出して極端な平等性を主張している。
アメリカ型民主主義万能の立場をはしなくも露呈しているようにも見える。

確かに最高裁の論旨は、意見広告の論旨より、わかりづらく読みづらいであろう。
しかし、我々は単純なキャッチフレーズに繰り返し踊らされ、辛酸をなめさせられてきた。
正しいことは、必ずしもわかりやすいこととは両立しない。

たかが意見広告で、長々と書いてしまった。

まんまと電通?の罠にはまった気もする。

しかし、わかりやすさに騙される同じ過ちは繰り返すまいと思うのだ。

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 追伸
この意見広告の論理に対する反論は、以下のブログですでに緻密に検証されていました。とくに意見広告が連邦最高裁判決を引用するのが明らかに誤導であることがはっきりします。
是非、お読みください。
まさ(弁護士)の視点

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