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2011年5月17日 (火)

欠陥工事事件の記憶 (体験的マスコミ論2)

平成10年頃、プロミス相手の損害賠償事件の提訴をマスコミが全く取り上げなかったことにショックを受けたことを5月14日のブログで書いた。

平成14年頃、マンションの風害と工事被害に関する事件の手伝いをN弁護士から依頼された。僕は、建築分野に詳しいだろうというか、熱心だろうという勝手な思い込みからである。

僕が分担したのは、マンションの建築工事中に隣地地盤に亀裂が入り、一部が陥没した件に関する損害賠償についてだ。
施工業者は一流中の一流の清水建設。

清水建設側は、亀裂・陥没という結果が生じたことは認めたが(歴然としているので、否定しようがない)、補修は形ばかりで抜本的な対策にはならないような対応策を示していた。

僕の役割は、亀裂・陥没が生じた土の中がどれほど痛んでいるかを明らかにすることと、清水建設の過失によってこの事故が生じたことを示すことだった。

過失による亀裂・陥没であれば、土中の事態が深刻なことを予想でき、もっと抜本的な補修を、要求できてしかるべきだ。

マンションを建築する場合は、マンションの基礎工事をするためにまず、本体周辺プラスアルファの部分の土を掘り下げる根切り工事を行う。
そのままでは、当然、土が崩落するので、山留め(土留め)工事を施工する。

事故はこの根切り工事中に起こっていた。

清水建設が、住民に示した山留め工事の施工図では、構造計算上は、とりあえず土の変形が起きないだけの強度が保たれているということになっていた。
清水建設は過失を認めない。
だから、清水建設の提案する事故への対応も形ばかりのものになる。

構造計算が専門分野の強い味方G建築士の意見に基づく反論書を出す。
自分なりに土の工学に関する入門本(但し、入門本でも計算式が出てくると、途端に頭痛がして理解できなくなる)を読み込んで、土の回り込みだとか、孕み出しだとか様々な反論を試みる。

相手方から、改めて山留め施工図を添付した再反論が出された。

これまで2年近く経ち、もはや意地になっているので、相手方資料をためすつがめつ眺め、他の資料と比較対照する。

そのうち、当初、清水建設が提出していた山留め工事の施工予定図と現場で現実に行われた山留め工事の施工図が違っていることを発見した。

山留めの角部分を突っ張る支保工(火打ち梁)の長さが、本来の5m(だったと思う)から2m程度(だったと思う)に短くされているのだ。

早速G建築士に相談し、角部分を支える支保工が短くては、山留めの辺に当たる部分の強度が不足し、壁がたわむのは当然だという結論を得る。

要するに、設計図どおりに工事が行われず、現場で、一種の手抜きが行われた結果、山留め壁の土圧に対する強度が不足して、隣地地盤の亀裂と陥没が生じたことがはっきりしたのである。

おそらく5mもある支保工は、施工の邪魔になるということで、現場の勝手な判断で2mの支保工に変えてしまったのである。

問題は、ここから先だ。

相手は、2流、3流の土木屋ではない。
日本のゼネコンを代表する天下の清水建設である。

このような手抜き工事が発覚すれば、企業イメージに対するダメージは計り知れない。と、僕は勝手に思った。
判決で、手抜き工事が指摘されることは極力、避けたい筈だ。

そこで、このタイミングで、何とか有利な和解に持ち込めないか裁判官に申し入れた。平成16年の頃だ。
裁判官は、「以前だったら、ここで和解勧告すれば、企業側も企業イメージを重視して検討したと思いますよ。しかし、最近は、全くダメなんですよ」と寂しそうに諭した。

と言うわけで、この事件は、手抜き工事発見から、最終解決まで、さらに1年近くを要することになってしまった。

何が、企業の態度を変えたか、明らかだろう。
平成10年には、すでに、サラ金相手の裁判ですら、スポンサーに配慮して、全くマスコミが取り上げなくなっていた。

平成16年には、何が起ころうが、スポンサーである大企業に不利なことをマスコミが書くはずがないという体制が完成していたのである。

だから、手抜き工事という不都合なことが裁判の経過で出ようと、マスコミのスポンサーである大企業は、高をくくって平然としていられたのである。

僕が弁護士になった頃、少なくとも大企業にはそれなりの倫理観があると(誤解にしろ)、信じることができた。
(隠蔽していたにしろ)ミスが暴露されれば、それなりに信用を重んじた適切な対応をとるのが常だった。

平成16年には、これがすでに遠い過去であることを思い知らされた。

手抜き工事をした清水建設の現場責任者が社内で責任を問われたという話は聞かなかった。
マスコミによる監視を恐れる必要がなくなった企業の技術や倫理は当然、劣化していっただろう。

ことは、多分、清水建設に限る話ではない。
規模は、ずっと大きいが、東電の劣化もマスコミや政府による何重もの防護の中で進行していったに違いないのである。

統計によれば、バブル時代に、新聞社の収入は広告料収入が購読料収入を上回ったと言われる。

広告料収入に惑わされたマスコミが企業のミス・事故隠蔽に加担したことによって、失われた日本の国力は、決して小さくはないに違いない。マスコミの罪は重い。

実は、この頃、別件でも清水建設は、はるかに大きな手抜き工事をしていた。
そのことを報じたメディアは存在した。
赤旗でないとすると、どこだかおわかりだろうか。

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