国民置き去りの裁判員制度改革議論
裁判員制度施行3年目に入った5月21日、中日新聞は、最高裁が2月に行った裁判員制度に対する国民意識調査結果を「裁判員参加イヤ 増加」との見出しで報じた。
2年間にわたり、裁判員制度に異を唱えるマスメディアは全くない中で、なお、8割を超える国民が裁判員に参加したくないと主張し続けている。
メディアによる世論操作に弱い常の調査と比べると、国民は裁判員制度にはっきりとノーを突きつけ続けている。
今回は、「あまり参加したくない」42.6%に、「義務でも参加したくない」41.4%が肉薄しているのが特徴的だ。
義務の遵守において他国には引けをとらない国民性を持つ日本人が、「義務でも参加したくない」と明確な意思表示をするのは、よくよくのことと考えねばなるまい。
それなのに、なぜ、参加したくないのかという設問を最高裁は設けていないらしい。
また、メディアなどの議論も、圧倒的な国民が、なぜ、それほどまでに参加したくないのか、掘り下げようとはしない。
不思議なことに、民意を反映するのが使命の政党ですら裁判員制度に反対する政党は相変わらず、皆無である。
これほど国民の声が無視されるのも極めて珍しい。
メディアも政党も、論じているのは、廃止ではなく、改善である。
対象から覚せい剤事案や性犯罪を外す、等々である。
日弁連の議論は、多分、
- 裁判員の仕事から量刑を外し、
- 有罪・無罪を争う事案であって被告人が望んだ場合に限り、
- 無罪判決が出た場合は、検察官控訴を認めない
という裁判員を限りなく陪審員制度に近づける案であろうが、これが通る見込があるなら、初めから、現在のような得体の知れない鵺のごとき裁判員制度など最初からあり得なかった。
原発事故に限らず、この国では、官僚、政府、業界、マスコミのコングロマリットができあがっていて(分野によってはアメリカが入る)、都合がわるいことは一切、議論にならないようにできているとしか思えない。
裁判員の場合は、ここに政党まで加わってしまっているのが致命的である。
国民の声を無視する圧倒的な仕組みができあがっているのだ。
せっかく最高裁が比較的公正で客観的な調査結果を発表しているのに、そこに現れた国民の声を適確な見出しで報じているのは、またも中日新聞だけらしい。
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