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2011年6月の14件の記事

2011年6月25日 (土)

名古屋市情報公開条例は誰を見ているか

5月31日に、名古屋市情報公開条例の運用実態について述べた。

マンションの各階平面図を全て墨塗りにして「公開」してきたので、名古屋市情報公開条例と改称すべきだと主張した。

実はこのとき、書き落としたが、設計図を書いた設計士の印影も墨塗りにしてきた。
通常人なら知られたくない情報だそうだ。

そんな馬鹿な話はない。


私生活で使う印鑑ならともかく、設計士が建築確認を取るための図面に押印した印鑑だ。

公的場面で用いる職業上の印鑑、職印なのだ。

職業上、公に用いる印鑑は、公のもので、墨塗りして秘匿するようなものではあり得ない。

あまりに馬鹿げているので、問題外と思って、前回は書かなかった。



ところが、名古屋市の審査会の議題を見ると、複数回にわたって、「法人の印影」が議題に上がっているのを知った。

法人は法律によって初めて、その存在(法人格)が認められる、その意味では、本来的・本質的に公的な存在である。

法人の印影まで墨塗りにしておれば、設計士の公的な職印も墨塗りにすることには合点がいく。



そして、名古屋市は、「法人の印影」というあまりにも当然なことについてすら、審査会で何度も議論を重ねないと、結論が出せないという訳だ。

審査会の委員を見る限り、良識的な方々で構成されているように見受けられ、「法人の印影」に結論を出すのに何度も議論をしなければならないメンバーとは思われない。

事務局を握っている名古屋市の役人が抵抗しているのではないかと疑いたくなる。


何でもかんでも秘密にすれば、無難で文句を言われずにすむと考えているのだとすれば、まさに、名古屋市情報「非」公開条例の名が似つかわしい。

うがってみれば、名古屋市の役人の天下り先に相当数の企業があるということなのかと思いたくもなる。


とくに、建築関係の職員の市民に対する対応は、最近、とみに企業よりだ。

河村市政で職員の姿勢が改まることを期待したが、悪くなっているようにさえ感じる。



河村市長は、職員の監督をしっかりすべきだ。
退職職員の再就職先を調査して、公開してもらいたい。
国だけでなく、地方も天下りによる癒着の弊害が顕著になってきているのではないか。


市長自体が、市民のためではなく、企業のために働こうとしているのかと、思うようになった昨今である。

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2011年6月24日 (金)

真っ暗な廊下 「電力不足」キャンペーン過剰演出 省庁編

5月12日付ブログで中日新聞「特報」をご紹介したとおり、東電の発電能力は6100万キロワットを上回っている。


ところがテレビは東電の言うなりに5200万キロワットだかを発電力の限界として、ピーク時の消費電力が早くも90%を超えた等と騒いでいる。


昨日、さる省庁の審査会に申し立てた審査請求の口頭審理があり、その省庁に出向いた。

驚いたことに廊下の電気が全部消されている。
廊下は窓に面していないから、ホントに真っ暗である。

廊下沿いに並んだ部屋のドアから漏れる光が唯一の光源である。

50人くらい入った審査会室は冷房が入っているかいないかすれすれの状態で、暑くて座っているだけで頭がぼーっとしてきそうだった。


官庁は「率先して節電を」というのが建前なのだろうが、それにしても、お化け屋敷でもあるまいに、真っ暗な廊下というのは初めての体験だった。

お利口なお役人の皆さまはとっくに東電のウソを知っているに違いないので、「電力不足」キャンペーンに参加するために、真っ暗な廊下を演出しているのだろう。

ちなみに、昨日、訪ねた省庁は、経産省ではない。


原発に無縁とも思える省庁も、「電力不足」キャンペーンに忙しいのである。


ようやくにしてメディアの一部には、脱原発を志向する動きも出てきたが、「官」は挙げて「原発必要」「東電擁護」の立場に揺らぎない。


「官」「業」「財」の癒着構造は固いことを痛感した次第である。


話はずれるが、口頭審理の傍聴者について、全て、氏名・住所・電話を登録するシステムになっているのには正直、驚いた。

裁判所は傍聴自由、空席がある限り、いつでも出入り自由である。

名前を聞かれるなんてことはあり得ない。

傍聴者には何の権利もない代わりに責任もないからだ。

裁判所のおおらかさが染みついているので、お役所の対応には違和感が残った。

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2011年6月21日 (火)

この時代を自由に生きるということ2

6月17日の拙ブログで、3人の子どもの生活がいまだに安定しない一件に触れた。

なんだかんだ言って、結局、
「何になっても、安定が約束されない時代だからこそ、自由に自分の信じる道を生きることが大切なんだろう。」

と結論した。



自分のことになると客観的に見えないが、実は、この時代の閉塞感に多少なりともひびを入れるとしたら、安定を志向しないこうした層が一定程度出てくる必要があるのではないかと思うようになった。


僕がしばしばコングロマリットと呼んでいるのは、経済的な意味の企業結合ではなく、政府・官僚・財界・マスコミ・アメリカ、そしてときに学会が固く結束して一定の方向を志向し、問題を歪ませてしまうがゆえの閉塞感を指している。


脱原発の問題を考えればわかるように、あらゆる問題の解決が、このコングロマリットのために阻まれてしまうのだ。
裁判員裁判を含む司法改革に一貫して反対してきた僕に言わせれば、司法改革と称する弁護士ばらまき増員政策もそうだ。


有能で心ある若者が、仮に官僚や大企業やマスコミを志向するとすれば、結果として、このコングロマリットを強化し、延命に力を貸すことになるだろう。



うちの子どもたちを有能とは言わないが、そこそこの能力を持って志ある生き方を目指した方が、社会全体としては、コングロマリットから離脱した生き方の選択肢が増えていくだろう。


正面からコングロマリットに挑まないにしても、コングロマリットの弱体化の一助には確実になる。


あえて「不安定志向」と呼ぶならば、この「不安定志向」な若者の一群は、時代の必然が生んだグループなのかもしれない。



10年先になるか、20年先になるか、その頃、彼らの苦闘が何かしらの意味をもたらす時代がくるのかもしれない。


親としての心配には目をつむり、子どもらの選択を、見守り、応援していきたい気分になった。

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2011年6月18日 (土)

弁護士よ、他人のお金に手を付けるな

裁判所から選任された成年後見人の弁護士が1500万円あまりを着服したとして逮捕された。
愛知県弁護士会の出来事である。

しかも愛知県弁護士会が家庭裁判所に成年後見人として推薦した弁護士である。

二重・三重に恥ずかしい。



金絡みの非行を働くのはほとんどが年輩の弁護士だという認識だった。
35歳、弁護士歴4年くらいの若手の金絡みの事件は珍しい。


動機が何だったのか、ニュースを見守っていたが、今日の中日新聞では、ギャンブルとFX取引(外国為替証拠金取引取引)の穴埋めだったと報じられている。
若いからと言っても、変わり映えしない動機だ。



弁護士が、仕事上、管理している他人のお金に手を付けるのは最悪である。

どうして、弁護士が成年後見人になることができるのか、考えてみれば、わかるだろう。
弁護士には絶対の信頼を置いても大丈夫だという前提があるから弁護士にお金の管理を託すのだ。

今回の事件は、その信頼を根底から崩しかねない。



弁護士が仕事上、他人のお金を預かる機会は、頻繁にある。

僕のようなマチベンでも、場合によっては数千万円を預かることもあるし、破産管財人の仕事では、破産管財人口座に1億円前後のお金を預かっていたこともあった。

たとえば、弁護士間の交渉で、お金を払う下約束ができ、後は合意書の完成をまつばかりというようなとき、履行を確実にするために、相手の弁護士に当事者からお金を預かってもらったり、こちらが支払う場合は、相手方の要求で、弁護士が予めお金を預かっておいたりする。

他人のお金には絶対に手を付けない。
弁護士に対する信頼があるから、当事者は弁護士にお金を預けることを躊躇しない。

預けた弁護士が老若問わず、着服するかも知れないとなったら、当事者は一体、どうしたらいいのか。


仮に今回の事件が事実なら、マチベンとしては、あまりにもいい迷惑である。
彼のやったことはマチベンにとっては、業務妨害に等しい。


成年後見人に対する家庭裁判所の対応としては、おそらくかなり頻繁に通帳のコピーと後見事務計算報告書の提出を求めるという対応をとることになるだろう。

コピーの偽造もしていたらしいから、コピーではだめで、毎月、通帳の原本を持参して出頭しなさいなんてことになったら、煩わしいことおびただしい。


ただ、この際だから、もう一つ、言っておきたいのは、成年後見人のなり手が少ないという現状だろう。

現在の成年後見人制度は、財産管理だけでなく療養看護と一体になっていて、後見人に選任されると、財産管理だけでなく、療養看護にも責任が生じるからだ。
真面目に考えると、責任感が強いほど二の足を踏んで、受けられない。



また、いったん後見人に選任されると、裁判所が許可するような正当な理由がないと辞任できず、いったん引き受けると、辞めるのは容易ではないという制約もある。
被後見人が比較的若いと、極めて長期間の仕事になる可能性が高い。


こうした問題には家庭裁判所も気づいていると思う。
誠実な成年後見人を得るには、一定の法改正が必要なのではないかと一方では思うところである。

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2011年6月17日 (金)

この時代を自由に生きるということ

離婚弁護士の僕には、3人の子がある。
いずれも成人している。

まだ、養育費を支払っているのは一番下の子だけだが、3人が3人そろって、自分のやりたいことに忠実であろうとして、安定した生活に入ろうとしてくれないのが心配の種だ。



ほぼ口を揃えて言われるのは、
「お母さんとお父さんの子だから」とか
「遺伝だから、仕方がないわ」
である。

確かに、母親も父親も好きなことをして生きてきた。
とくに安定ということを求めた覚えもない。



よくぞ言ってくれた、親の姿を見て育ってくれたという嬉しい思いと、
食べていくだけならどうでもなった時代と
リーマンショック後、東日本大震災後の今は違うぞという身勝手な思いが交錯する。



先日、親しい同年配の女性弁護士と裁判所で出会った。すれ違いざまの会話で僕が不満をこぼしたら、彼女の子どもも、自分探しのさすらい状態だそうな。
うん、子どもがそうなることは、母親を見れば、納得できる。


それにしてもと、僕が「食っていくだけならどうにもなった時代とは違うから」とこぼすと、
彼女は「何になれば、安定しているという時代でもないから」と返してきた。


彼女の言い方の方が同じ事を言っていても前向きなのだろうな。
何になっても、安定が約束されない時代だからこそ、自由に自分の信じる道を生きることが大切なんだろう。



親の心配はつきないが、できるだけの応援はするから、せめて健康でたくましくあれ、よ。

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2011年6月16日 (木)

補助金電気自動車普及におけるエコサイクルとは

6月14日の拙ブログ「電力不足のウソ 補助金100万円で200万切る電気自動車発売」に、「来栖宥子★午後のアダージォ」さんがトラックバックをつけてくださった。 「電力会社の利権を奪えば脱原発できる! ニッポンの自家発電はすでに原発60基分」

トラックバックの記事から飛躍して、電気自動車の確実な購買層に気がついた。

ソーラーパネルで自家発電して、余剰電気を常に生み出す家なら、電力不足を心配する必要はないし(なにしろ暑ければ暑いほど大量に自家発電できる)、無料で充電して電気自動車を使いこなすことができるんですね。
電気も無料、ガソリン代もなし。
車は大枚100万円の補助金熨斗付。
笑いが止まりません。


我が身を振り返れば、ソーラーパネルを買うようなお金もない。
いち早く離婚弁護士を決め込んで、転がり込んだワンルームマンションの家賃より安いローンの戸建ては、築45年のボロ家。
もとより耐震基準など、あろうはずもなく、ソーラーパネルなど、夢の又夢である。
パネルを付けようものなら、自壊しかねない。


ソーラーパネルを導入しようとする家庭は、それなりの手持ち資金の余裕があるに違いないし、住宅も新しくて立派に違いない。



で、政府がしてきたことは、ソーラーパネルを導入できるような裕福な家庭には、政府・自治体をあげて補助金を交付して、普及を図り、電気自動車(1回の充電での走行距離が極めて短いから当然、2台目、3台目の自動車)の購入者には、100万超の補助金ばらまき。


エコを建前に、要するに国の予算の配分は、高所得者向きに急速に傾斜している。
一方で不足財源は、消費税増税が確実視されているので、税制の逆累進制は高まっていく。
エコサイクルというのは、低所得者から取り上げて、高所得者へ配分することをいう。



また、飛躍して思いつく。
不足してもいない電力が不足していると騒ぐのも、エコという名の商品を大量にばらまくのも、どうもこれは「経済成長」のためである。
商品が一定、行き渡ってしまえば、無理に需要を作るしかない。
無理に作った需要に応えるのは高所得者である。
「経済成長」をするためには、低所得者から高所得者への「エコサイクル」が必要な訳だ。


そして、これからも「経済成長」を続けるためには、経済成長を続けるだけの膨大な電力供給力の実現が必要になる。

たとえば、電気自動車の普及方針を変えないとすれば、膨大な電力が必要なことは明らかだろう。

原発必要論の根拠は実は目先の電力不足の話ではないだろう。

将来的に膨大な電力を必要とする経済成長を見据えた話なのだ。



いい加減に経済成長にとらわれた発想を捨てなければ、この国は、どんどんいびつに分断されていくだろう。


もともと地球温暖化の主たる原因がCO2だということは証明されている訳ではない。
むしろはっきりしているのは、これで、商機が生まれたり、排出権取引市場ができたりして、潤う企業があるということだけだ。


過剰に踊らされれば、馬鹿を見るのは庶民だと思っていい。



ボロ家に住む、貧乏弁護士のひがみである。

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2011年6月14日 (火)

電力不足のウソ 補助金100万円で200万切る電気自動車発売

電力不足尻目に電気自動車販売開始、シャブ浸け補助金100万円付き。

「三菱自動車は13日、自社の電気自動車(EV) 「i―MiEV(アイ・ミーブ)」で実質の購入費が200万円台を切るタイプを今夏にも国内で発売すると明らかにした。同車種の現行タイプは販売価格が 398万円で、政府の購入補助金を引くと実質購入費は298万円。新タイプは現行タイプより車載電池の容量を減らすことで価格を約100万円抑える。

「 新タイプに対する政府補助金は100万円超となるもよう。三菱自はこれを加味すれば、実質購入費は200万円を切るとみている。」(日本経済新聞6月13日

「電力不足」が「深刻な」この夏に電気自動車の販売を開始するそうな。

しかも政府補助金大枚100万円ののし付で。

呆れて物も言えんわ。

「電力不足」が本当なら、早速、世論がかみつきそうなものだ。

被災者・被害者救済や復旧・復興に当てる財源がないと騒いでいる中、批判されて当然の大盤振る舞いでもある。

しかし、メディアが騒ぐ気配は毛頭ない。

小出裕章さんがおっしゃるとおり、電力はあまっていて使い道に困っているのよね。

電力不足キャンペーンは、原発必要キャンペーンに他ならないのよね。

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ちなみに僕はハイブリッド派である。

減速時に無駄に放出される熱を電気に変えるという発想に惹かれるから。

原発事故で、電気自動車の時代は終わり、燃料電池自動車の開発へ舵を切ることになるんだろうと思っていたんだけどな。

2011年6月12日 (日)

夏の電力不足心配なし 『たね蒔きジャーナル」6月9日

「原発を止めても電力は足りる」
(たね蒔きジャーナル6月9日 小出裕章氏インタビュー)

やっぱ、情報源は、テレビ・新聞よりラジオだなぁ。

電力不足の話は8分30秒くらいからです。

できれば、全編お聞きになるのもよろしいかと。

なお、中日新聞の「特報」(5月12日)記事は東電の発電能力を6130万キロワットと試算しています。これも、ご参考にされるとよろしいかと。

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離婚後氏続用、旧姓への変更

数えてみると、木曜日と金曜日で10本近くの電話相談を受けた。

来客があれば、手短に終わるが、来客がなく興味を惹かれると、ついつい長話になってしまったりする。

かなり重たい裁判書面の作成に集中したいのに、これだけ電話相談が続くと、どうにも能率が悪い。

仕方なく土日出勤で起案。
さすがに電話がなくて集中できた。

尤も、電話相談に応じていると勉強になることもある。

こんな相談があった。
離婚したとき、夫の姓である枝野姓(別に大島姓でもいいんだけどね)を名乗る届け出をしたが、旧姓の野田姓(別に前田姓でもいいんだけどね)に戻したいと。

大抵の弁護士が反射的に頭に浮かぶのは、氏の変更は極めてむつかしいということだ。

戸籍法は、やむを得ない理由がなければ、氏を変更することはできないとしている。

名前の変更については、正当な理由があれば名前を変更できるとしており、氏の変更より容易だと言われている。
それでも、結構、狭き門だと言われている。

名前と比べて「やむを得ない理由(事由)」は極めてハードルが高い表現であり、実際上も、認められるのは極めて稀だと聞かされている。

相談者の場合、離婚に当たって、わざわざ夫の氏である枝野姓を選んだのだから、そんなに簡単な事情で野田姓に代えることはできないのが道理だ。

通称として野田姓を使ってきた実績はないか確認しても、それらしい実績はないという。

むつかしいかもしれないと思いながら、電話で聞かれていても間違いがあってはと思い、判例検索する。
と、出てきた。

離婚した夫の氏を11ヶ月間続用した後、旧姓に戻すことを認めた審判があった。
ポイントは、氏続用の期間が短いことにあるようである。

電話の主は、離婚から既に2年近く経っている。

すでに家庭裁判所に申立書を出してきたというので、
ひょっとしたら、それくらいの期間であれば、認められる可能性があるので、手続を進めたらと、答えた。

2週間ほど後、家庭裁判所から野田姓への変更を認める審判書が送られてきたと電話があった。
で、木曜日にあったその相談は、「枝野」の表札をいつ外せばいいのかという相談だった。

あの~、表札の問題は、法律問題にはならないかと思いますが…。

ともかく希望していた旧姓に戻せてよかったですね。

それにしても、氏の変更は困難と、思いこんでいたが、家庭裁判所は、離婚復氏に関わる場合は、かなり緩やかに認めているんですね。

知らなかった。勉強になりました。


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2011年6月 9日 (木)

「マイバックページ」を観た。 ★☆☆☆☆

なぜか弁護士会のボックスに、マイバックページのパンフレットが入れられていて、さして興味もなかったのに、もののはずみで観てきた。

わたくし的には、これほど途中で席を立とうかと何度も思った映画は初めてだった。

何しろ登場人物の誰にも感情移入できない。
時代は1969年から1972年。
学生運動崩壊過程で起きた自衛官殺害事件を題材にしている。

潮が引くように去っていく学生たちから孤立した活動家梅山は、存在自体が怪しい組織を騙って、暴力革命路線を追及する。

そこには何の理念もありはしない。
あるのは、ただ、世間を騒がすようなことをしでかして見返してやりたいという情念だけだ。

一方、彼の取材を続ける記者沢田は、彼の理念なき大言壮語を易々と信じて肩入れしていく。

僕にとっては、どこにも共感できる要素がないのだ。


僕が大学に入ったのは74年。
初めてセクトというものと出会ったのも同じ時期である。

当時は、中核派と革マル派の内ゲバ事件が最盛期だった。

東大駒場寮から引っ越し作業中の活動家が敵対セクトから襲撃されて殺された事件があった。僕も駒場寮に住んでいたが、それを聞いても、特段の感慨すら抱かなかった、そんな時代だった。

結局、崩壊した学生運動は、どれだけ派手な成果を挙げるかだけを競い、三菱重工爆破事件や、北海道庁爆破事件を次々と起こし、自壊していった。

映画は、そうした学生運動の崩壊過程の初期を描いていることになろう。



実は収穫が一つだけあった。

常々、学生運動の経験者が実権を握った現代日本がなぜ、これほどまでに保守化していくのか、疑問に思っていた。
朝日新聞などのメディアには、相当数の学生運動経験者が、今やデスクを握っているに違いないのに、とめどなく保守化していくのはなぜなのか。

映画は、そんな疑問に明快な回答を与えてくれた。

熱病が醒めれば、潮が引くように一部の活動家を孤立化させて、抵抗なく社会に適応をする学生が大半だった。
熱病には、確固たる信念もなかった。
共通する心情は、何かしら、目立つことがしたい、いい言葉で言えば「自己実現したい」ということだけだった。

政界にしろ、メディアにしろ、組織を左右する地位を手に入れる人たちは、人並み以上の権力欲を持っている人たちだろう。
そして梅山がそうであったように、権力欲とバランスするような理念を持っている訳ではない。

政治やメディアで権力を掌握した学生運動経験者たちは、過激派と違う方向で、「自己実現」を図っているに過ぎないのだろう。



誤解なきようにいえば、学生運動経験者の全てを批判している訳ではない。

若き時代の初志を貫いている人たちがいることも僕は知っている。
但し、そうした人たちは、基本的に、名前も権力も求めず、ひたすら地道に現代という時代が抱える問題に真摯に向き合う活動を続けている人たちだ。



それにしても、と僕は思う。
少し時間を遡り、学生運動の最盛期に戻れば、大人が手を付けられないほどの若者のエネルギーがあった。

若者のエネルギーは、今こそ発揮されて欲しい。

既得権にしがみつく、私も含む大人たちが、若者の行く手を阻む構造になっていることは見やすい道理だ。

日本の社会保障費は国際的に見て、年金が占める割合が大きいといわれている中、厚生年金で、現役世代以上の収入を得て、頻繁に海外旅行を楽しむ高齢者。

40代で1000万円の年収を約束されている大企業の会社員たち。
彼らが、日本の将来を考え、若者に道を譲ることを考えない限り、若者には未来が開けないと僕は思う。
しかし、彼らは、決して既得権を手放そうとはしない。

その結果、若者の30%以上が非正規雇用に甘んじている。

かつて学生運動が華やかだった頃、若者に対して不公正な社会構造があった訳ではない。

今の社会構造は明らかに若者に対して不公正なのだ。

若者はもっと怒っていい。
僕はつくづくそう思うのだが、「希望は戦争」といわざるを得ないほど、この国は閉塞してしまっているのだろう。

この閉塞感を生み出す、至る所に張り巡らされたコングロマリットを解きほぐす手がかりはないのか、ただ無為に煩悶しながら僕の日々は過ぎていく。


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2011年6月 8日 (水)

気分は原告 準備書面の間違い

また、準備書面の間違いをしでかした。

前回、指摘を受けたときは、会議室での弁論準備手続だったが、

今回は、公開の法廷で裁判長からご指摘を受けた。

間違い箇所は合計5カ所。
相手方を「原告」と書くべきところを「被告」と書き違えたのが1カ所。
当方は、「被告」だから自分が提出した証拠書類は「乙号証」と引用しなければならないところ、原告が出すべき証拠である「甲号証」と引用したのが3カ所。
実質的な間違いは1カ所だけである。

要するに、僕の方は、訴えられた側なので、被告であるにも拘わらず、どうしても反論している内に、原告になった気分で書面を書いてしまうのである。

実質的に問題はないミスが大半で、僕は謝り慣れているので、裁判長の続く指摘に「まだ、ありましたか。すみません」と言っている内に、裁判長の方が恐縮そうにしたのが、少しおかしかった。

法廷は基本的に、相互を尊重する、礼儀正しい場なのである。
(ときにルールなき戦場に化すこともあるけどもね)。

昨日、国交省の市街地建築課だったかに電話して、建築基準法の細かな運用について尋ねたときの、担当職員の態度がいかにも見下したような失礼な態度で不愉快な思いをしたばかりだったので、裁判長の礼儀正しさが身に沁みて有り難かった次第である。

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2011年6月 3日 (金)

画期的! 妊娠中絶、男性に賠償命令

判例時報2108号57p  合意で性交渉をし、合意で妊娠中絶手術を行った男女間において、男性が女性の身体的、精神的苦痛や経済的負担の不利益を軽減し、解消するための行為をしないことが不法行為に該当するとされた事例】

事件番号 東京高等裁判所平成21年(ネ)第3440号

自由意思で性交渉した結果、妊娠したが、産む条件がないために中絶した。

これまで、ほぼ全ての弁護士は、こうしたケースは不法行為にはならないと考えていたはずだ。
弁護士に相談しても、
全てあなたの自由な意思による結果だから、相手の責任を法的に追及するのはむつかしい。
ただ道義的な意味での責任はあるから、手術費用程度を要求することは当然のことだと思う、などとお茶を濁すケースがほとんどだったはずだ。

僕自身、そんなつれない対応をしてきたことを白状する。
全てが被害者本人の意思決定の結果であるから、その結果に対する賠償を求めること、違法な権利侵害を認めることが法律的には極めてむかしいことだったからだ。

ただ、男は無責任ですまされ、女性だけに不当に過酷な負担を負わせる結果になることには、どうにも釈然としない強い違和感は感じていた。
しかし、裁判にしても勝ち目はない(と思っていた)。


東京高裁平成21年10月15日判決は、妊娠中絶させたこと自体を不法行為ととらえるのではなく、妊娠中絶に至った女性の精神的・肉体的苦痛や経済的負担を軽減する義務が男性にあるという法的構成をとり、男性がその義務に違反したとして損害賠償を認めた。

共同の性行為に由来するものであるから、男女は等しくその不利益を分担すべきであり、その不利益を分担しない男性の行為は、法律上保護された女性の利益を違法に侵害するとしたものである。


裁判所の論理も、直接、妊娠中絶に至らしめた行為を不法行為とするのではなく、事後的な対応をとらえて不法行為としている。

法的に言うと、一種の先行行為に基づく作為義務という特殊な構成を取っているように見える。

その意味で、かなり複雑な法的構成になっていることは否めない。

極めて常識的な結論を導くのに法律はかくも厄介な理屈をこねないといけないのである。



また、この判決は不利益を分担すべき義務を導き出すために「条理」を用いている。
「条理」は明確な法律上の根拠が見いだしがたいときに持ち出されるもので、これを根拠とする判決例もまた極めて珍しい。

条理 「民事裁判ニ於イテハ成文アルモノハ成文ニ依リ成文ナキトキハ慣習ニ依リ成文慣習共ニ存セサルトキハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ」

これは、明治8年太政官布告第103号裁判事務心得第3条である。現在も、裁判規範として効力を有している。



願わくは、この判決が、世の無責任な男どもに対する警鐘になることを強く望む。


女性側の代理人弁護士名を見たら、知っている女性弁護士だった。
弁護士100人に相談しても、多分、100人とも勝訴は無理だとして断るような類型の裁判だ。
なるほど、彼女なら、この難題に挑んで勝訴をもぎ取るのだなと感銘を受けた次第である。

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追記 6月7日

判決の認容額は114万2302円

女性の精神的苦痛 200万円
(いわゆる慰謝料部分)

治療費等        68万4604円

合計268万4604円を双方平等に負担 134万2302円

134万2302円に弁護士費用10万円を加算して144万2302円。

男性が中絶費用として30万円を渡しているので、これを控除して、114万2302円の賠償を命じた。      

2011年6月 2日 (木)

記者魂(体験的マスコミ論5)

東海テレビの件、あれから、また少し考えた。

東海テレビがビデオ映像を証拠採用しないように求める上申書を出したのは裁判干渉であり、非難されるべきである。

ただ、映像を撮った記者は今、どう思っているだろうと想像したら、自分にも、映像を裁判所に提出するか否かで迷ったことがあったことを思い出した。

その件では、結果的に、裁判所への提出を断念した。




今回弁護団が提出した映像は、『毒とひまわり』というドキュメント映像ではないかと想像される(その中の事件当時のニュース映像だけけを抜粋したのか、全体を出したのか不明だ)。

このドキュメントは、事件の本質に深く切り込んだドキュメントとして高い評価を受け、賞も受賞している。

そういえば、ヒステリックなバッシングに一方的に、さらされていた光市母子殺害事件の弁護団の実態に迫るドキュメントを作成し、賞を受賞したのもやはり東海テレビだ。

残念ながら、こうした硬派で、社会に問題を投げかけるようなドキュメントを放映するのには現場では大変な苦労がある。

企画を発案した記者は、プロデューサーを納得させるために何回もの打ち合わせを持って、プロデュサーを説得しただろう。

さらに、プロデューサーが局の上層部を説得するのも容易ではなかっただろう。

こうして局上層部の了解が得られて、初めて硬派のドキュメントは、ようやく日の目を見ることができる。

それでも、割り当てられるのは、深夜の時間帯だ。

番組がすぐれているかどうかは、無関係なのである。

なぜか、テレビ局は、世間の雰囲気と合わない硬派の番組には、それほどまでも気をつかう。



僕が思い出すのも、こうした硬派なドキュメントだった。

なかなか理解が得られない半生にわたる被害を、たんたんと描いたドキュメントは、その裁判の原告の被害を訴えるのに、極めて適切な証拠であった。



裁判所への提出に強く反対したのが当該の記者だった。

裁判所で使われたりすれば、自分は二度と自分が作りたいと思うドキュメントを作ることができなくなる。

何度かやりとりしたが、彼女の意見は変わらず、結局、僕は、このドキュメントの証拠提出を諦めた。


マスコミには間違いなく、良心的な記者がいる。

日の当たらない問題に日を当てようとする記者を僕は心から尊敬する。

そうした記者を、煙たがり、硬派の番組を嫌い、何かことがあれば、良心的な記者を追いやろうとするテレビ局を許すことはできない。

鋭い問題意識や感性を持つ有能な彼ら彼女らがのびのびと仕事ができるようなテレビ局に変わってくれることを願ってやまない。

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2011年6月 1日 (水)

裁判干渉するな、テレビ局-名張毒ぶどう酒再審事件-

5月27日付ブログ「思い上がるな、テレビ局!」の続報である。

名張毒ぶどう酒事件の弁護団が裁判所に提出したニュース映像を証拠採用しないように求める上申書を、東海テレビが裁判所に提出していたことが判明した。

毎日新聞jp.5月31日付 など

著作権法上、裁判上の必要があれば、映像は自由に使用できる。

だから東海テレビも著作権を侵害しているとは言わない。

東海テレビは「知る権利の侵害につながる」というが、これも理屈が飛躍していて意味が不明である。

(このままにしておくと東海テレビが、捜査権力の取材差別を受け、このため事件報道に後れをとり、結果として国民の知る権利を害することになるということだろうか。

しかし、捜査権力の取材差別を受けるなどとは口が裂けても書けないはずだ。

著作権侵害を言えないから「知る権利」を持ち出して駄々をこねている印象だ。

知る権利の侵害があるなら、弁護団を相手に訴訟を起こすのが筋だろう。

裁判所に直接、証拠採用をしないように求めるなどは、論外である。

事件に関係しない第三者が、外野から、裁判所に意見書を出して、裁判の進行に意見を言う等ということは裁判干渉以外の何物でもなく、裁判の独立の精神に反する。

しかも選りに選って、死刑囚再審の裁判に対する干渉である。

東海テレビは死刑囚再審裁判における真実発見の重さをどう考えているのか。



繰り返しになるが、自らの権利が侵害されているというのであれば、別に訴訟を起こせばいいのだ。

多分、自らに理がなく、勝ち目がないことがわかっているから、こんなことをするのだろう。

悪質な裁判妨害というほかない。

心配なのは、面倒に巻き込まれるのを嫌がる裁判所が、「まぁ、この証拠までは要らないでしょう」と弁護団にやんわり取下を促すことだ。

そんなことのないよう、裁判所は、テレビ局の圧力には毅然として対処してほしい。

名張毒ぶどう酒事件は、日弁連で取り組んでいる最重要の再審事件の一つだ。

日弁連にはテレビ局と悶着を起こしたくないという思惑もありそうだ。

しかし、ここは毅然たる抗議声明を出して日弁連ここにありと存在感を示してほしいと切に願う。

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