日韓請求権協定から瓦礫処理、除染まで
韓国大法院(日本の最高裁判所に当たる)が、5月24日、新日本製鐵と三菱重工業に言い渡した判決が波紋を広げている。
これらの判決は、戦時中、上記両社で労働を強いられた徴用工が、未払賃金と損害賠償を求めた訴えに対するものだ。
両事件は、1、2審とも原告(労働者側)が敗訴していたが、大法院は、原判決を破棄して、原告側が請求権を有することを認めた上、認容額を決定する範囲で原審である高等法院に差し戻した。
この大法院判決に対して、日韓両国政府は、日韓請求権協定(1965年日韓の国交を回復する日韓基本条約とともに締結された)によって、個人の請求権の問題も含めて、最終的に解決されたとの従来の見解を改めて表明した。
ここで検討したいのは、強制労働被害者の請求権が、日韓請求権協定で解決した、すなわち請求権は消滅したと言いうる道理上の根拠があるかである。
日韓請求権協定によって解決済みと主張する日本政府や企業が最大の根拠とするのは、同協定によって5億ドルもの多額の支払を日本が韓国に対してなしたではないかというものだ。
だから、被害者を救済すべき責任は韓国政府にあるのが当然であるとするものだ。
この見解には、一理ある。したがって、韓国政府が相応の責任を取るべきである。
問題は、日本政府や加害企業が、被害者個人からの賠償請求について、免責されるのを当然と考えることが果たして妥当なのかである。
日韓請求権協定の条項を具体的に検討すると、日本の植民地支配の結果、韓国の個人に与えた戦時被害についてまで、この協定で解決した、したがって、不法行為を受けた韓国人個人の損害賠償請求権は消滅したとすることには、無理があることに気づく。
日韓請求権協定に基づく日本側の負担は、あくまでも「経済協力資金」であり、「日本の生産物及び日本人の役務」によって、支払われるものとされている。
確かに協定締結に至る過程では、韓国政府から徴用による被害者の未払賃金が持ち出されたことはあった。しかし、最終的に「生産物と役務」によってなされる「経済協力資金」が被害者の救済に使われることはあり得ない。
そのことは、日本政府も韓国政府も十分に承知の上で、「経済協力」が選択されたのだ。
私たちは、いつまでもやむことのない韓国国民の要求に苛立つことがある。あまりにも古い話がなぜ、繰り返し蒸し返されなくてはならいのかと。
しかし、戦後65年以上を経て、なお、被害者が加害企業を訴えなければならない真の理由の一つはここにある。解決の基本的な出発点から問題の本質は外され、被害者は切り捨てられたのだ。
協定締結の背景には、当時の朴正煕軍事独裁政権が政権基盤を固めたいとの韓国側の思惑があった。また、日本政府には、支出の形態を日本の生産物及び役務に限定することによって、日本企業を支援し海外展開を後押しする狙いがあった。
さらに、この時期(1965年)に協定が締結されるに至ったのは、ベトナム戦争への韓国軍の派遣を求めるアメリカが日本に対して韓国への支援を求めた要請があったことが指摘されている。
結局、この資金は、韓国国内で製鉄所などのインフラを整備するために使われた。注目すべきは、このインフラ整備に当たった企業の多くが戦時加害企業だった事実である。たとえば、韓国最大の製鉄所の建設に伴う業務を請け負ったのは、新日本製鐵(当時、富士製鉄や八幡製鉄)であり、無償で韓国人を強制労働させたとして、被害者から訴えられている当の企業だったということだ。
加害企業は、戦時加害によって儲け、さらに加害を原因とする経済協力によって、再び潤い、海外展開の拠点を得たのだ。
この構造は、日本が、戦後、国際社会に復帰したサンフランシスコ平和条約(1951年)以来、変わりがない。同条約では、基本的に日本に対する連合国各国の賠償請求権は放棄され、例外的に賠償が認められる場合でも、日本の「物品及び役務」の形態によるものに限られるとされたのである。
そして、東南アジア各国で、この戦後補償「特需」によって潤ったのは、戦争に寄生して儲けた財閥を初めとする大企業だった。
何を今さら、そんなことを言うかと思うだろうか。
実は、この構造が、今でも繰り返されていることを、知ったからだ。
東京都が受け入れた震災瓦礫の処理を受注したのは東電の子会社だという。福島の除染を受注するのは、原発関連の各社だという。(堤未果『政府は必ず嘘をつく』角川SSC新書)
加害企業が、加害行為の事後処理をするに当たって、再び、儲ける。
戦後補償特需で行われたのと同じことが繰り返されている。
瓦礫処理も、除染も費用は税金から支出される。つまりは、国民・住民が負担する。
他ならぬ加害企業が、加害を原因として、国民や住民の負担で、肥え太ることなど決してあってはならないと僕は思う。
しかし、東京新聞系列など、一部を除けば、メディアは沈黙を守っている。
加害企業は、国民や国家に被害を与えても、加害を原因とする事業で、再度国民や国家から搾り取って儲けることができる。一部の企業は、滑っても転んでも、損はしない仕組みがこの国には厳として存在している。
遡れば、それは、サンフランシスコ平和条約に源流がある。
冷戦が激化する中、日本がアメリカ合衆国を初めとする西側陣営に位置づけられ、その庇護下に入ったときから、この不道徳な構造は確立されたのだ。
この構造が、変わらない限り、この国は変わることができない。
強者であろうが、弱者であろうが、正は正とされ、非は非とされる当たり前のルールが通用する社会に戻す、そのことがこの国が再生するために必要とされる最低限の条件なのだと僕は思う。
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