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2013年1月28日 (月)

橋下劇場 体罰自殺激怒編 マチベンの補論

体罰に関係するかどうか、よくわからないけれど、うつらうつら考えていたら、マチベンの事務所の2007年の残暑見舞いに書いた文章を思い出したので、最後に貼り付けておく。


この文章にある「根性」と「体罰」が何か関連性があるように思えるからだ。


橋下市長が教育に求めているのは、効率を上げるための成果主義・競争主義とと見受けられる。
成果と競争に有益である限り、橋下市長は体罰は必要だと考え、体罰を一律禁止している法規あるいは、解釈は改めるべきだとするのが彼の持論だ。
今回の騒動でも、この点について、彼自身にはぶれはない。
彼は、スポーツにおいては体罰は非効率で、非合理だとする限度で、部活の体罰禁止を主張している。


僕が思うに、教育は、過程であって結果ではない。
教育を受ける側にとっては、教育によって、人生をよりよく豊かに生きるための資源を得ることができるかどうかが決定的に重要だろう。
子どもの発達をスケールで測ることはできない。
発達の一つ一つの過程に喜びを感じることができることが、教育としての成功ではないかと僕は思う。


ところが、成果主義や競争主義は、単一の(少なくとも、少数の)スケールで、競うことを求める。
僕にとっては、それは教育の対極にあるものとしか思えない。
数字に表すことのできる、効率と称するものほど教育の本質と相反するものはないと僕は思う。


成果主義と競争主義が、体罰容認に代表される復古主義的な主張と相まって、この国を、いっそうおかしな方向に向けてしまわないか、憂う。


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「伊達公子」賛歌
「伊達公子」から見る戦後日本人の戦争精神
              2007年8月記 守山法律事務所 岩月浩二

 イチローや、浅田真央、高橋尚子や野口みずき、今でこそ、メジャーなスポーツで、日本人選手が世界の舞台で楽しげに活躍するのが当たり前になっている。
 大雑把な言い方を許してもらえれば、その先駆者は「伊達公子」だったと、僕は思う。
 現役時代の伊達は、やたらと周囲と摩擦を起こした。記者会見の中止でメディアから「何様だと思っているんだ」とばかりに一斉にバッシングを受け、メディアに追いかけ回されるのに辟易とし、嫌々開かされた記者会見では、「私が勝とうが、負けようがあなたたちの知ったことじゃない」とばかりの物言いをした り、不合理を強いる日本テニス協会に昂然と反旗を翻したり、何かと角の立つ選手だった。僕は、そんな伊達が痛快だった。
 そんな伊達は選手としての頂点の1996年(この年、伊達は世界ランク4位入りを果たしていた)、26歳で引退する。伊達らしい潔さだった。


 

根性、忍耐、管理、強制
 その頃、僕は、テレビのスポーツニュースで伊達の嫌いな言葉は「根性、忍耐、管理、強制」だと聞いた。僕が無性に言いたくても、言葉にできなかったこと を、言葉にしてもらった気がして、僕は本当に伊達が好きになった(ちなみに「生涯マチベン」の僕が新車で買った唯一の車は伊達公子がCMをしたプリウス、 インターネットが普及し始めた頃の僕のパソコンの壁紙は伊達公子の写真と決まっていた)。
 それから11年、今時、偉業を達成した選手が「大事なのは『根性』です」などとのたまう姿は、想像もできない。マラソンの高橋尚子が象徴的だが、嬉しさを素直に表現し、「支えてくださった皆さんのおかげです」と周囲やファンに感謝するのが当たり前の姿になった。
 ナチュラルである。自分の楽しさを追求して競技をし、そのためには努力を惜しまず、目標を達成したときは、それが自分一人の努力でなされたものではない ことに自覚的で、感謝を忘れない。僕は、そんなスポーツの才能たちの姿を見るのが、とても楽しい。そんな姿の原型が伊達にある。


 佐藤次郎と伊達公

 テニスというメジャーなスポーツで、世界レベルで名を知られた選手が、他にもいたことを、僕は伊達引退の年である96年に知る。朝日新聞の「天声人語」 子が、戦前、ウィンブルドン大会でベスト4に進出した佐藤次郎選手に触れていた。「天声人語」子は、佐藤が、1934年、ヨーロッパ遠征の帰途、マラッカ 海峡で投身自殺したこと、彼が「テニスは忍耐、服従、犠牲だ」と語っていたことを紹介していた。
 60年の時を経て、伊達の嫌いな言葉と、佐藤選手のテニス観が、見事なほどに響き合い、対照をなしている。伊達の嫌いな「忍耐」は佐藤選手のテニスの精 神であり、伊達の嫌いな「管理、強制」を受け入れることが「服従」に他ならない。「犠牲」などという言葉が伊達の念頭にあったとはとても思われない。彼女 にとっては、テニスは自分の人生の一部に過ぎず、自己実現の場の一部であった。彼女はプロデビューまもない10代から「25歳で結婚して引退」との人生設 計を描き、自らの才能や周囲の期待の「犠牲」になることもなく、傍から見れば易々と引退し、あらかじめ描いた人生設計に近い人生を楽しんでいるように見え る。

 96年の夏、僕は、伊達公子と佐藤次郎という二人の偉大な才能の間に横たわった60年という時の隔たりの深さをまざまざと感じた。
 なぜ、伊達にとっては、自己実現と楽しさでしかなかったテニスが、佐藤選手にとっては、「忍耐、服従、犠牲」であったのか。答えは明らかだろう。佐藤選 手が活躍した1930年代、スポーツは国威発揚と国民意識高揚の道具であった。日清・日露の戦争に勝利し、台湾や朝鮮の植民地化に成功した日本は1931 年、満州事変により、傀儡国家を満州に樹立し、アジアに君臨する帝国になろうとしていた。日中全面戦争の勃発は佐藤選手が自殺した3年後である。
 国民は等しく万世一系の天皇の赤子とされ、天皇陛下に忠誠を尽くし、自らを犠牲にすることこそが、国民の最大の道徳であった。国家は一人一人の国民の幸 福のためにあるのではなく、国家のために個人が存在した時代である。個人が重要なのではなく、個人を束ねる全体にこそ価値があった。だからこそ、頂点を極 めるかに見えた1934年に、健康に異変を生じ、自らの選手生命の限界を悟った佐藤選手は、個人を束ねる全体である国家の期待に応え、奉仕することのでき ない自らの26歳の命をマラッカ海峡に投げ捨てたのだ。

 それから60年後、同じ26歳の伊達は、周囲の未練がましい期待にお構いなしに、自分のための人生を、周囲の期待のために犠牲にすることを拒み、あまりに潔く引退を表明する。
「自分勝手なわたしを、いつまでも応援してくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。せっかく応援してくださったのに、はやばやと(わたしに とってはちっとも早くないのだけれど……)引退するわがままを許してください。ごめんなさい、これがわたしの生き方なのです。」(伊達公子「ラストゲー ム」1996年213p日本文化出版)
 やっぱり私は伊達公子が好きである。


  

円谷幸吉の自殺
 伊達と佐藤の隔たりは、日本人の戦争が、本当は、いつ終わったのかという疑問へと僕を導く。トップ選手の自殺では、円谷幸吉選手があまりにも有名であ る。東京オリンピック(1964年)で銅メダルを獲得した円谷は、メキシコオリンピック(1968年)の金メダルを期待され、所属する自衛隊体育学校か ら、競技に専心することを求められ、婚約も許可されず、破談に追い込まれる。オーバートレーニングのため、もともと抱えていた腰痛の悪化から椎間板ヘルニ アを発症して走ることができなくなった円谷は68年1月8日、「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました」で始まる有名な遺書を残して27歳で 命を絶つ。円谷の根性のなさを批判する声が高い中、三島由紀夫は円谷の自殺を「崇高な死」と称えた(周知のとおり三島由紀夫は、円谷自殺の2年後の 1970年、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して割腹自殺を遂げる)。
 日本人の戦争精神は、確実に70年代まで続いていたのだ。


  

伊達と「根性」
 「伊達公子は『根性』が嫌いなんだよ」と、就職氷河期に大学を卒業した私の事務所の若い事務員たちに話してみる。彼女たちは一様に伊達に「根性」がなかった筈がないと主張する。
 22歳の誕生日の前後、世界ランク15位の壁にぶち当たった伊達は、こんなことを言っている。
 体格で劣る自分は、体格のいい外国人選手が8分の力で打ち下ろすサーブを返すのにもフルスイングで返さなければならない。フルセットの戦いを終えたと き、日本人の自分はへとへとになっている。トーナメントを勝ち抜いてもけろっとしている外国人選手とは体力が決定的に違う。しかも、外国人選手は、「あき らめるという精神構造がないのではないか」と思うほど精神力が強い。1回戦、2回戦のうちはまだいい、でも、3回戦、4回戦と体力や精神力を維持するのは 自分にはとても大変だ。転戦を重ねながら、それが3週間も、4週間も続く。自分のベストのテニスをすることで、ここまでは来られた。だけど、この上を目指 すには、さらに技術を向上させ、テニスを研究しなければならない。「今の自分の持っている技術や体力を維持することも、けっこうたいへんなのですが、それ 以上のことをやっていかないと、もっと上にはいけないのです」。そして伊達は、トレーニングで身長を伸ばすことはできない以上、「何かほかの武器を見つけ て勝負しなければなりません」と言い、それとともに集中力を維持することの重要さを強調する(「晴れのちテニス」1993年182p、190p日本文化出 版)。
 96年のフェドカップ、有明コロシアムで世界ランク1位のグラフを破ったとき、伊達は歩くだけで激痛が走る左膝の故障に耐えていた。
 こういう精神を普通は「根性」と呼ぶ。
 そうだよね、伊達は「根性」あるよね。しかも、ハンパじゃぁない。


 

「根性」と自己犠牲
   大松博文監督

 しかし、そんな伊達の本には確かに「根性」という言葉は、驚くほど出てこない(伊達の本は、ゴーストライターによるものではない。担当の編集者は、伊達 はほとんど締め切りに間に合ったことがない、テニスに集中する伊達には締め切りが頭の中にないのではないかと嘆いている。「ラストゲーム」156p)。
 伊達が嫌った「根性」は、戦前、佐藤が「テニスは犠牲だ」と呼んだ「犠牲」に似ている。
 僕(52歳)の記憶の中でも長く社会を支配していたのは自己犠牲を伴う「根性」だった。
 「巨人の星」や「あしたのジョー」など、最後は死んでしまうか、廃人になるまで打ち込む「スポ根物」が一世を風靡した。
 運動中に水を飲むのは、バテる原因だからとタブーにされていたし、足腰を鍛えるためにと、きついウサギ跳びが奨励された。
 そう、「根性」は戦後長らく非合理な自己犠牲の精神と不可分に結びついていた。


 実は、戦前、「根性」という言葉には、何事にもくじけない精神力といったニュアンスは含まれていなかった。
 この言葉を「精神力」と言った意味で広めたのは「東洋の魔女」を東京オリンピックで優勝させた大松博文監督だ。
 体格で決定的に劣る日本人が優勝するのは並大抵ではなかった。深夜・明け方に及び、骨折程度では休むことを許さぬ過酷な練習、選手の大半が脚気等の病気 にかかる中でつかみ取る優勝…。大松は自覚的に自分に犠牲と禁欲を強いるとともに、選手にも犠牲を強いて、「東洋の魔女」を育てた。彼は自分の「根性」 が、南方戦線の悲惨な戦場、その中での飢餓等の絶望的で極限的な体験によって鍛えられたことを繰り返し話して、選手たちを育てた。資質に劣る日本人は、青 春や家庭や健康を犠牲にしてでも「根性」で頑張るしかない、そして「勝つこと」によって全ての犠牲は報われる。それが大松の人生観だった(大松博文・講談 社「おれについてこい!」昭和36年)。
 ここに伊達が嫌った「根性」の原型がある(面白いことに、22歳の伊達は、負けることはつらいが、勝ち続けることはもっとつらいに違いないとも言っている「晴れのちテニス」210p)。
 そして、それは、敗戦によって世界の最貧国に突き落とされた日本を、経済大国となるまでに押し上げた戦後日本人の精神構造の中に、無意識に続いていた戦争精神だったのだ。

 

脱自己犠牲の「根性
 おおかたの歴史家や経済史家は、戦後日本の国作りの完成を1980年代半ばに見いだしている。
 ちょうどその頃、「根性」を極端には打ち出さず、青春の一幕として描くスポーツ漫画が主流を占めるようになり、スポーツ中の水分摂取の重要性が説かれるようになってスポーツ飲料が普及し、ウサギ跳びは膝を痛めるとして廃れていく。
 そして、伊達は93年に自己犠牲を強いる「『根性』が嫌いだ」と言い放つ。


 伊達より、さらに若い世代、就職氷河期を味わったロストジェネレーションと呼ばれる世代は、一流選手に「根性」があるのは当たり前だと思っている。そこには、「根性」の持っていた否定的な「自己犠牲」のニュアンスは、消えている。
 だから、僕は思う。日本人が精神的な意味で戦争から抜け出したのは、きっと80年代だ。そして豊かで平和な日本に育った次の新しい時代の精神が明確な形 をとって現れたのは伊達が天才プレーヤーとして活躍を始めた90年代初頭だ。その後、痛々しさを感じさせない自然な姿で、日本人がマラソンやフィギュアス ケート、大リーグといったメジャーなスポーツで次々と才能を開花させていく。
 才能を開花させている彼らは、ロストジェネレーションか、さらに下の世代だ。きっとそんな若い日本人たちがスポーツの世界だけでなく、学問や芸術、文化や経済といった分野にも一杯いるに違いない。
 そして僕は思う。彼らの中にこそ、日本国憲法が基本的人権の基礎に置いた、一人一人の人生や幸福を何よりも大切にし、一人一人の個性を尊重する個人主義が開花しているのだと。


 

伊達公子のひとりごと
 「晴れのちテニス」の冒頭に掲げられている「伊達公子のひとりごと」を最後に引用しよう。彼女の22歳のときの文章だ。
 彼女のごく自然な感性が表れていて、僕のとても好きな一文だ(一流選手だけあって、自己認識は弱冠22歳とは思えないほど正確だ)。こんな風に生きられるようになった日本を僕は大切に思っている。
 そして伊達たちの世代が、日本の指導的な立場に立つ15年後を楽しみにしている。私たちが、この日本の良さを壊すようなことさえしなければ、きっと、そのときの日本は、今より、よほど生きやすい世の中になっているに違いない。
      =========================
わたしが好きなのは、
お寿司!梅干し、ケーキ、和菓子。
寝ること、部屋でぼーっとしてること。
買い物、旅行、子どもと遊ぶこと、テニス。
でもね、テニスで好きなのは、試合だけ。


わたしの大切なものは、
自動車!腕時計、ジュエリー。
お気に入りの靴、洋服、かばん。
思い出、友達、自分の体。


わたしが嫌いなのは、
牛乳!レバー。
記者会見で意地悪な質問をする、記者。
根性、忍耐、管理、強制。
それから、練習とランニング!!


(「晴れのちテニス」日本文化出版1p)

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