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2013年1月 8日 (火)

宮崎学の子分から新年の挨拶である。

宮崎学の子分である。無沙汰しておる。


今年は、年末からばたばたがあった上、現在、締め切り遅延の執筆活動sign01に追われておる。このため、新年の挨拶をしておらんことに今、気づいた。


ここで新年の挨拶をしておく。


ここ守山は、抵抗の言論人、桐生悠々が晩年を過ごした地である。


『関東防空大演習を嗤う』との論陣を張って信濃毎日を追われた桐生悠々は、北朝鮮ミサイルのカケラ騒動で、沖縄の子どもたちが屋内避難を強いられている様を、どう思って見ておるであろうな。
日本人が戦前以上に幼稚化したと嘆いておろうか、呆れておろうか。


歴史は繰り返す、1度目は悲劇として、2度目は喜劇として。


末尾に桐生悠々の個人誌『他山の石』の廃刊の辞を引用しておく。
飛ばし読みしかできん奴のために、下線を引いておいたので、心して読まれよ。
言っておくが、『戦後の一大軍粛』を桐生が予言したのは、日米開戦前の1941年8月だ。
並の人間に吐ける言葉ではないぞ。
そういう大人が、この田舎におったのだ。


ワシは、これから親分にあやかって文筆家としてデビューしようとするくらいであるから、まだ辞世を述べるわけにはいかぬが、新年に当たり、桐生悠々が廃刊の辞に込めた烈々たる怒りと信念の爪の垢くらいにはあやかりたいと心を新たにしておるぞ。


 桐生悠々は「大阪毎日」「大阪朝日」「信濃毎日」「新愛知」等を歴任したジャーナリストである。昭和8年(1933)8月11日「防空演習を嗤う」論説 が『信毎』に載ってから、軍部はあらゆる手段を講じて「信毎」に圧力を加え、その結果悠々は「信毎」を退社、12月に長野を去り、「新愛知」時代に住んで いた守山町廿軒家の地に居を構えることになった。
 名古屋には、ジャーナリストとしての彼が活動できる場はもはやなく、個人雑誌『他山の石』を月2回発行、300~400名の購読者の会費収入によって生計の道を立てることにした。
 このささやかな個人雑誌に対しても治安当局の目はきびしく、記事の削除、発禁は終刊にいたるまで27回におよび、悠々の行動は絶えず勝川警察署の公安の監視の下におかれていた。
 昭和16年8月5日号の『他山の石』を差押さえた県特高課は、悠々に『他山の石』廃刊の勧告をつきつけ、それに抗して発行された8月20日号(第8年第16号)が最終号となった。
 その最終号に載った「廃刊の辞」の一節である。


 「さて小生『他山の石』を発行して以来ここに八個年超民族的超国家的に全人類の康福を祈願して孤軍奮闘又悪戦苦闘を重ねつゝ今日に到候が(中略)時たまたま小生痼疾咽喉カタル非常に悪化し流動物すら嚥下能はざるやうに相成りやがてこの世を去らねばならぬ危機に到達致し居り候う故小生は寧ろ喜ん でこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓迎致し居り候うも唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去 ることは如何にも残念至極に御座候う」(原文に送り仮名などを挿入した)
 太平洋戦争の始まる3か月前、昭和16年(1941)9月10日、悠々は68歳の生涯をとじた。

         愛知県郷土資料刊行会 「守山区の歴史」より

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