ISDS条項の罠7 司法主権の侵害
今回の検討に当たっては、個別のISDSケースについて、論者によって、当否の判断が分かれていることは、前提にしている。
傾向的にいえば、グローバルな自由貿易の拡大こそ国民の利益となるとする立場の論者は、全般的に国際仲裁を評価する方向に振れるし、資本主義に関する反グローバリズムの立場に立つ論者は、全般的に否定的な評価に傾く。
しかし、驚くべきことに、これらの議論を国内法体系の観点から論じた専門家の議論は、ほとんど見当たらない。
ここでは、個別のISDS仲裁判断の当否については、論者によって評価が分かれることを素直に認めた上で、国内法体系の整合性の問題を考える。
しばしば言及されるケースにMetalclad vs Mexicoケースがある。
この事件は、小寺彰東京大学大学院教授の「投資協定仲裁の新たな展開とその意義 国際仲裁『法制度化』のインパクト」によれば、以下のように事件の概要がまとめられている(同8p~9p)。
Metalclad 社は、メキシコの国内企業であるCOTERIN 社に出資して、メキシコ国内で廃棄物処理事業を行うとしていた。COTERIN 社は、メキシコ内のグワダルカザール(Guadalcazar)市内で廃棄物処理施設を建設するための許可を、連邦政府および州から得ていた。しかし、グワダルカザール市住民が水質汚濁への懸念から建設反対運動を始めると、市当局は、建設許可を市から得ていないとして建設中止命令を出した。他方、Metalclad社は、連邦政府より、市当局の建設許可の拒否は国内法上根拠がないとの説明を受けて、市当局に建設許可申請を提出すると同時に、建設工事を再開し施設を完成した。しかし、地元住民の妨害行為のために操業はできなかった。1995年11月にMetalclad 社は、連邦政府との間に施設の運営に関する協定を締結したが、同年12月にグワダルカザール市は、施設の建設不許可の決定を下した。さらに1997年12月に州政府は、施設建設地を含む地域を自然保護地域に指定する環境条例を発布して施設の操業を禁止した。
Metalclad 社は、メキシコを相手取って、上記の諸措置についてNAFTA11章に基づく仲裁申立を行った。そのなかで、Metalclad 社は、市の建設不許可決定および州の操業禁止命令がNAFTA1100条1項の「収用」に当たると主張した。仲裁判断は、「収用」について、「NAFTAのもとでの収用は、公然に、意図的でかつ承認された、財産の収用のみならず、全体的であれ、またかなりの部分であれ、合理的に期待される財産の経済的利益の使用を奪う効果をもつ、内密または付随的な財産の使用についての干渉を含む」(para. 103)という一般的な見解を示した。そのうえで、上記諸措置は、「Metalclad 社が信頼していたメキシコ政府による説明、および州当局に建設不許可に関するタイムリーで整理された、または実質的な根拠の欠如とひとまとめになって、間接収用と同等である」(para. 107)というのである。
本件では、メキシコ政府、具体的には政府、州、市の脈絡のない行為がMetalclad 社を操業停止に追い込むという経済的不利益を与えたことについて、「合理的に期待される財産の経済的利益の使用を奪う効果」をもつと判断し、伝.統的な意味での「収用」には該当しないが、間接収用と「同等」であると結論した。
小寺氏は、このケースを「他方、本件は、単純に国の規制が変わって外国投資家が不利益を蒙った事例ではなく、国の説明を信じて投資を行った外国企業が、いわば『裏切られて』不利益を蒙った事例と言える。本件の射程を評価する際にはこの点に注意する必要がある。」とし、仲裁判断を補足した上で、結論的には、「間接収用」に当たるとした仲裁判断を支持する立場をとっている。
本質的な問題は、結論の当否ではない。
より根本的なところにある。
当該の法的紛争について、判断する権限は誰にあるのかという問題である。
この紛争は、メキシコのCOTERIN社と市・州・政府の間の紛争である。
普通に考えれば、COTERIN社は、メキシコ国内の行政府の行った処分の適法性を争うためには、メキシコ国内の裁判所に提訴しなければならないだろう。
このことは、同社が純粋に国内企業であれば、誰も、疑わないはずだ。
確かに国家権力の行った行為の適法性を、国家権力たる司法が判断することに、公平性の観点から疑問を持たれることはあるかもしれない。
しかし、権力分立原理とは、仮にそうであってもなお公正さは保たれるとする基本原理である。権力分立原理とはそのようなものなのである。
ISD条項は、外資の国内紛争に関して、外資に対して、包括的に国内裁判所の関与を排除する権利を認めるものである。
国内の法的紛争について、国際裁判に訴えることを包括的に認めるISDS制度は、司法主権を侵害するという他ない。
韓国大法院も、この制度が司法主権を侵害するものであるとして、米韓FTAの交渉過程で控えめではあるが、警鐘を鳴らしていた。
「投資家国家提訴制」の導入で、国際仲裁機構が投資受入国政府の各種政策や規制措置に干渉し、このような紛争に関して国内の司法府が関与する余地がなくなり、国家の主権または司法権が侵害される素地があるという指摘がある。
-これに対しては、このような制約は条約の批准(承認)等の手続を経て、国家が自発的に同意することに従うもので、国家はそのような選択をする主権を行使するものだと言えるという見解もある
後半部分は、国家は、自ら主権の一部を制限することも法的に可能であるという意味である。たとえば、国連憲章は、国家主権に属する武力の行使と威嚇を原則として禁止した。国連に加盟する(条約を締結する)ことによって、加盟国は主権の一部を自ら制限したとみなすことができる。
大法院としては、妥当性はともかくとして、純粋に法理論的に考える限りでは、主権を自ら制限することも主権の行使であるとしているだけである。大法院は、外資紛争に関して、包括的に司法権が排除されるISD条項が司法主権を侵害することは前提とした上で議論を進めているのである。
もともと近代国家は、国王の下に独占されていた統治権を奪うことによって成立した。近代国家は国民国家として成立するに当たって、国王に独占されていた統治権を立法、行政、司法に分類し、三権が牽制し合うことによって、国家権力を制限する仕組みとして成立した。国内の紛争は、国内において解決するシステムがあってこそ、国家は、国家として完結する。国家の不可分の統治権であった司法権を外部に奪われれば、国家の完結性は損なわれる。外資によって包括的に司法権が侵害されれば、その国家は、本来的に独立国家たり得ない。
さて、憲法論である。
憲法76条1項は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」と規定する。
この規定と、外資紛争に関して、外資に対して包括的に日本の裁判所の関与を排除する権利を認めるISD条項は、真っ向から対立する。
憲法76条1項違反は明らかである。
確かに、憲法の逐条解説等を参照しても、ISD条項のような国際裁判に関する例外の是非に関する記述を見いだすことはできない。
したがって、既存文献による限り、違憲論の根拠を見いだすのは困難であるかのようである(尤も、逆に言えば、合憲であるとする議論も皆無である)。
しかし、司法権に対する国際的な制限ないし掣肘に関する政府見解は存在している。
政府は、国連事務総長に対して提出した「市民的及び政治的権利に関する国際規約第40条1(b)に基づく第5回政府報告」(2006年12月)において国連の「市民的及び政治的権利に関する国際規約の選択議定書」(自由権規約第一選択議定書)を批准していない理由を次のように述べている。
本規約の選択議定書が定める個人通報制度については、本規約の実施の効果的な担保を図るとの趣旨から注目すべき制度であると考えるが、本制度については、我が国憲法の保障する司法権の独立を含め、司法制度との関連で問題が生じるおそれがあり、慎重に検討すべきであるとの指摘もあることから、本制度の運用状況等を見つつ、その締結の是非につき真剣かつ慎重に検討しているところである。(下線筆者)
国連自由権規約第一選択議定書は、自由権規約に定められた人権を侵害された個人に対して、国連人権委員会に対して通報し救済を求めることを認める制度である。
第一選択議定書に基づく個人通報は、①国内の救済手続を尽くした上で認められる。すなわち、最高裁まで争った上、なお敗訴が確定した場合に初めて人権委員会に対する通報が認められるものである。
しかも、人権委員会の決定は、②政府に対して改善意見を通知するものであって、直接、裁判所に宛てたものではなく、③かつ強制力もない。
政府が第一選択議定書を批准しない理由としてあげている「司法の独立」は憲法76条3項に規定されている。
政府は、国連加盟国の司法権に十分に配慮された個人通報制度すら、憲法の定める司法権に対する侵害の可能性を理由に批准を拒んできているのである。
より根源的に国内司法の排除を認めるISD条項が憲法に違反することは明らかではないか。人権原理による司法権の制限は憲法に反するが、外国投資家の利益を守るための司法権の放棄は、憲法に反しないなどという論理がどこから出てくるのか。
基本的人権の尊重という憲法の大原則に沿い、国連で確立された国際的手続に関しては、憲法違反の疑いがあるとして拒みながら、外国投資家の紛争については、司法権の根本的排除を認める論理は破綻している。
ISD条項は、司法主権を侵害するものとして、憲法76条1項に違反する。
我が国は、憲法を国の最高規範とする(憲法98条1項)。憲法が条約に優位する法的効力があるとするのは確立された判例・通説であり、憲法に反する条約は効力を有さないのである(憲法98条1項)。
そして、内閣総理大臣、国会議員を含む公務員は、憲法を尊重し擁護する義務を負っている(憲法99条)。
ISD条項を含むTPP条約は憲法に反して、無効になる。
憲法違反のTPP条約の交渉に参加しようという安倍政権は、自らがよって立つ日本国憲法の尊重擁護義務を蹂躙するものと言わざるを得ない。
自民党は、司法主権を侵害するISD条項は認めないとする、党議決定の原点に立ち返るべきである。
ISD条項を前提とする限り、TPP交渉参加という選択肢は断じてあり得ないのである。
追記(2月8日)
今頃になって、国連事務総長宛の「第6回政府報告書 2012年6月」の仮訳が公開された。第一選択議定書の批准をしない理由から、「憲法の保障する司法権の独立」との文言が抜け落ちている。同報告書(13頁参照)。
3.第一選択議定書
43.本規約第一選択議定書が定める個人通報制度については、本規約の実施
の効果的な担保を図るとの趣旨から注目すべき制度と認識している。同制度の
受入に当たって、我が国の司法制度や立法政策との関連での問題の有無、及び個人通報制度を受け入れる場合の実施体制等の検討課題につき、政府部内で検討を行っており、2010年4月には、外務省内に人権条約履行室を立ち上げた。引き続き、各方面から寄せられる意見も踏まえつつ、同制度の受入れの是非につき真剣に検討を進めていく。
政府も、個人通報制を認めない理由と、TPPを推進するためにISD条項を丸呑みする対応との間に、論理的に矛盾があることを認めたということだ。
一貫して採ってきた憲法76条に関する憲法解釈を枉げてでも、TPPを推進しようと政府の姿勢を反映している。個人通報制度の批准についてもこれまでの、「真剣かつ慎重に検討を進めていく」との言葉が「真剣に検討を進めていく」に変化している。これは明らかにTPPの推進を意識して、これまでの個人通報制度への姿勢を改めたことを示している。
政府は、TPPのためなら、自分が主張していた憲法解釈を節操もなく、変えるのだ。
憲法を捨ててTPPを取る。そのような政府に、この国の舵取りを任せていることを、心底、恐ろしく思う。
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