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2013年2月 1日 (金)

ISD条項の罠2 外国投資家に国家を超える特権を与えるISD

昨日、韓国法務部(日本の法務省に当たる)がISD条項について検討した結果を公開した。Wordファイルは、改めて若干の校正を施したものをアップしておいた。


TPPのISD条項について、少し、真面目な話を続ける。


TPPにISD条項が付されるのは、必至である。
ISDは、外資が一方的かつ強制的に国家を裁判にかけることができる制度である。


ごく普通の法的な感覚からすれば、この制度はそれ自体、極めて奇妙な制度である。


領土問題を思い起こしてみれば、わかりやすいかもしれない。
日本が竹島の領有権を主張して、国際司法裁判所に提訴すると言っても、韓国は「領土問題は存在しない」として、裁判には応じない。
また、尖閣諸島について、仮に中国が国際司法裁判所に提訴すると主張しても、日本政府は応じないだろう。


国家は一方的に裁判にかけられるということはない。
国家主権の絶対性である。


したがって、国家間紛争は、結局、外交によって解決する以外に方策がない。
外交の延長としての武力行使は、国連憲章7章による場合や自衛以外の場合には禁じられている。したがって、国際法違反を主張する側はあくまでも外交によって粘り強く問題を可決する以外にない。(なお、WTOには、国家間の紛争処理手続は存在し、WTO加盟国は、委員会への提訴がなされたときは、応じなければならないが、最終判断に至るまでに数々の段階がある上、最終的判断もISDのような直接的な拘束力はない。決定に反しても、国際法違反の問題が生じるに止まる)
北朝鮮による拉致被害者について、「対話と圧力」と言われる所以である。


北朝鮮による拉致被害者問題の場合、拉致被害者の人権が侵害されている。
ところが、拉致被害者自身や拉致被害者の家族が、直接、国家と交渉することは国際法上、予定されていない。近代国際法の法主体は、国家と国際機関であることが大原則だからである。
日本国がこれに代わって、被害者の権利を保護するために釈放を求めて、北朝鮮と交渉をする。
これを外交保護権の行使と呼ぶ。
しかし、国家が関与しても、国際司法裁判所に訴えて、北朝鮮から拉致被害者を解放することもできない。


全く仮定の問題になるが、仮に、被害者家族個人ができることがあるとすれば、権利を侵害する相手国、この場合は、北朝鮮の国内裁判手続を利用する以外にないのである。


これが、通常の国際法の考え方である。
身体的な自由という基本的人権の根幹をなすような重要な権利の侵害に対してすら、国際法的な救済は認められない。


それには、それなりの歴史的理由がある。
大小、強弱を問わず、国家主権の平等を認めない限り、結局は、侵略や占領という事態を防ぐことはできない。
国際連合は、そうした主権平等を大前提にして成立している。


さて、ISDは、そうした主権の絶対性を誇る国家を、外国投資家が、一方的に裁判にかけることができるというのである。
通常であれば、外資は、母国政府に権利侵害を陳情し、母国政府が重要な課題だと考えれば、外交保護権の行使として、相手国と交渉する。あるいは、現在ではWTOのパネルにかける。
これが、当たり前の国際法の世界である。


ところが、ISDは、国家ですらなしえなかった、相手国を強制的に国際裁判の場へ引きずり出すという強烈な権限を、外国投資家に与える。
しかも、その判断には、強制力があり、国内判決と同様に強制執行できる効力があることが予め合意されている。


おかしくはないのか。


ISD条項は、外国投資家に国家を超越した強烈な国際法主体性を与える。
個人よりも、国家よりも、国際法上、外国投資家に優越した地位を与えるのがISD条項だ。
いかなる深刻な人権侵害を受けようと、個人は、決して国家と対等ではない。
かけがえのない基本的人権を侵害されてすら、個人は、相手国と直接交渉すらする権利がない。母国にすがるしか国際法上の手段はない。


外国投資家を、そこまでして、国際法上、優遇しなければならないのか、外国投資を国内に呼び込むために、国家は、そこまで屈辱的にならなければならないのか。


どうして、このような逆転したことが起きているのか。
問題は、そこから出発する。


答えは、一つである。
投資の自由の拡大こそが、全世界の国民に幸福をもたらすという強力なテーゼである。
資本移動の自由を高めてこそ、適正な国際的な分業が行われるようになり、富が均等に分配され、全世界の国民が豊かになるというのである。
したがって、投資家の前に国家は主権を譲り渡し、最大限の投資の自由の享受を認めなければならないのである。


真剣にそう考える人がいるのだろう。
そう考える人の力が強いから、ISDのような普通の国際法的発想では理解できないものが生まれたのであろう。


残念ながら、維新の党も、みんなの党も、安倍首相も、こうしたISDを当たり前と考えている。


僕には、当たり前にはとても見えないが、とりあえずISD条項は、こうした市場原理主義によって初めて正当化できるということを確認しておく。
国家主権を超えたグローバル投資家主権こそが、次の時代に全世界の国民の福利を最大化する構想だという訳である。




朴・チュソン議員の資料集には、他にも、法務部国際課の検討結果や、韓国最高裁の検討結果も掲載されている。現在、順次、翻訳作業中である。

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