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2013年10月30日 (水)

民族と被害 完?

昨日のブログで述べた事件について、事案の概要を簡単に紹介しておきたい。


昭和19年6月、韓国から小学校(国民学校)卒業まもない少女たちが、「日本へ行けば、女学校に行ける」、「働いてお金ももらえる」等と、担任教師らに騙されて、日本に連れて来られて、軍用機生産工場で働かされた。
日本で祖国の解放を迎えた彼女たちは、結局、女学校はむろん、賃金も支払われずに帰国させられた。


彼女たちは、朝鮮女子勤労挺身隊と呼ばれた。


当時、日本と同じく韓国総督府は、女性の勤労動員を「挺身隊」と呼称していた。
他方、貞操観念の極めて強い(当時は日本でも強かったが、韓国はテッパンであった)韓国では、挺身隊は「処女供出」(当時は、慰安婦という言葉はポピュラーではなかった)と恐れられた。
自分の娘を挺身隊=「処女供出」に取られるのを恐れた親は、娘の結婚を急ぎ、この時期、早婚化が進行する事態も生まれた(挺身隊は独身女性が対象であった)。


戦後、彼女たちを待っていたのは、思いもかけない誤解だった。
韓国社会では、「挺身隊」は「汚れた女」の代名詞になっていた。
当時、女性の人生のあり方は限られていた。女性は、家庭に入り、子どもを産み育てるという模範に強く縛られ、それ以外の生き方はないといってもよかった。
儒教思想の強い韓国では、貞操を失った女性が家庭に入ることは絶対に許されなかった。
(日本でも婚姻するまで性的関係を持つべきではないとする考え方が、支配的であった。なお、日本人は、基本的には性におおらかな国民であると思われる。厳格な性観念や貞操観念が通用した時代は、戦前戦後の一時期に止まるだろう)
こうして彼女たちは強制労働被害者であったにも拘わらず、その過去に固く封印しなければ結婚することも、家庭生活を送ることもかなわなかった。


彼女たちは過去を隠して結婚したが、その後、多くは、夫に過去が発覚し、家庭生活は崩壊した。
騙されたとの思いから行き所のない憤りを夫たちは、彼女たちにぶつける。
彼女たちは、暴行・暴言を受け家庭生活はすさむ。
夫が幼い子どもたちを残して家を出てしまった者、夫が他の女性との間に産まれた子を連れて来て育児を押しつけられた者、我が子の戸籍の母親欄に他の女性の名前が記された者等々、夫に過去が発覚して円満な家庭生活を送った者は1人としていない。


日本でも、おそらく1970年近くまで、貞操観念は強固なものであった。
マスターベーション(現在のオナニー)は体に悪いなどという根拠のない風説が知識人から振りまかれ、そう信じられていた。
「愛と死をみつめて」の主人公は、亡くなる直前、病室で彼と一夜を過ごすが、純潔であったことを誇りにしていた。
ましてや儒教思想の強い韓国では、原告らの人生は、全て奪われたといってよい。
幼い頃、騙されて日本に連れて行かれたという、ただ、そのことだけで、だ。


被害者でありながら、過去を隠し続け、過去が発覚することに怯え続けたのが彼女たちの半生であった。
奪われた人生は戻りはしない。
真っ直ぐに生きるのであれば、せめて、謝罪と賠償を求めることに自らの人生のけじめを求めざるを得ないだろう。


韓国の法廷における彼女たちの証言を傍聴した感想を以下に掲載しておきたい。

(もう少し詳細な説明は、2007年に僕が書いた文章がリンク先に掲示されていることに気づきました)

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          民族に帰る    弁護士 岩月浩二

僕は、元勤労挺身隊員であった原告らの被害で最も特殊であったのは、被害者でありながら、被害者であることを「民族」の前で隠し続けなければならなかった六十余年であると思う。

その意味で、原告らが自らの言葉で、自らの国である韓国の法廷で自らの被害を証言する原告本人尋問は格別な意義があった。


この裁判中に小出さんがパスポート入りの鞄を紛失する事件が発生した。原告らの尋問中に気づいた小出さんは、顔色を失い、30年近くにわたって寄り添ってきた原告らが初めて韓国の法廷で証言するという極めつけに重要な機会であるにも拘わらず、気もそぞろで過ごさなければならなかった。そう、自らのアイデンティティを明らかにすることができないというのは、たとえば、異国でパスポートを失ったような事態を想像すればよいのではないだろうか。


原告らは、日本の法廷で、数え切れないほど何度も何度も裁判官に訴え続けた。そして、判決を受けては、「恨」に満ちた憤激の涙を流し続けてきた。
10年(弁護団結成は98年8月、最高裁決定は08年11月)にわたるその長い期間、韓国国内で原告らを支えた人は、太平洋犠牲者遺族会の会長である李金珠さんを除けば、ほぼ皆無だったと言ってもよい。原告らは、自らの過去を「民族の恥」として封印し続けなければならなかった。
弁護団は訴訟の準備や打ち合わせのため数十回と光州を訪れた。形式的なセレモニーが開かれたことはあったが、原告らに寄り添おうとする人々は現れなかった。
「民族の過剰」が彼女たちから「民族」=アイデンティティを奪っていた。日本での裁判闘争は原告らにとって、孤立した孤独な闘いだった。原告らが日本の裁判所で流した涙は、日本だけに向けられたものではなかった。自らが強制労働被害者の証をもって、韓国に帰りたい、その願いが叶わない「恨」の涙でもあった。

だからこそ、韓国の法廷で、通訳を介さず、自国民の前で、原告らが被害を証言する原告尋問の機会は、それほどまでに貴重だったのだ。堂々とした原告らの証言姿勢に、被告代理人もたじろいでいた。

この法廷は原告らが民族(韓国)に帰ったことを公に証明するものだった。

もう一つ、民族の回復を象徴するできごとがあった。

日本裁判で「匿名原告」に終始し、マスクと眼鏡で顔を覆い続け、写真に写ることを拒み続けた李東連さんが、堂々と本名を出して尋問に答え、テレビカメラも避けることなく素顔をさらしていたことだった。
この春から夏の出来事だったらしい。長男の妻が、テレビで李東連さんを見つけた。李東連さんは、口実をつけてごまかそうとしたが、長男の妻は許さなかった。被害者であれば、堂々と姿を示しなさい、と。血縁ではなく、長男の妻に押されるようにして、李東連さんは民族の前に現れるようになったのだ。

女子勤労挺身隊については、光州を初めとして、全羅南道、京畿道、ソウル市と相次いで、勤労挺身隊支援条例が制定され、今や彼女たちは強制労働被害者のシンボルとなっている。

民族に受け入れられなかった原告らを民族の元に帰す。

私たちが成し遂げたことの意義は計り知れないほど大きいのだ。

追記 民族は極めてデリケートな問題だ。個人にとって民族の不足はアイデンティティの根底を揺さぶる。一方、民族が過剰にあふれる社会は、民族からの排除をもたらし、人権を侵害する。今、日韓は、過剰な民族言説のため、問題の最終的解決のための糸口を見失ってしまっているかのように見える。私たちは、被害者の人権というテーマを見失ってはならないだろう。個人の人権が保障される社会を目指すという。一点において、日韓市民の連帯は、これまで以上に私たちにとって切実な課題となっている。

 
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