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2014年1月の16件の記事

2014年1月29日 (水)

TPP関連日米交渉に対する懸念  日本は関税合意だけを食い逃げされる

この記載は全く無根拠の思い込みに過ぎませんでした。
単純な誤解・ガセネタをそのまま書いてしまったことをお詫び申し上げます。


日米両国の閣僚会合で、TPPの早期妥結に向けて協力が合意されたことが、報じられている。
どこのニュースも同じようなものなので、手近なリンクを貼り付けておく。


TPP日米閣僚会合 早期妥結に向け協力で合意(テレ朝1月26日)

 TPP=環太平洋経済連携協定について日米が閣僚会合を開き、早期妥結に向けた協力を続けることで合意しました。
 
 林農林水産大臣とフロマン通商代表の会談は、コメや牛肉など農産品重要5項目にも言及し、双方の立場について改めて意見交換しました。
 フロマン米通商代表:「良い会談だった。今後も協力を続けることで合意した」
 また、自動車貿易などで双方に対立が残るなか、茂木経済産業大臣が「柔軟な姿勢」を求めたのに対し、フロマン代表は「双方が柔軟性を示すことが重要だ」 と応じたということです。茂木大臣は会談後、前回の閣僚会合で議論が「煮詰まってきた」と話す一方、「まだ双方の意見が完全に一致しているわけではない」 とも語り、次の閣僚会合に向け、引き続き調整が必要という認識を示しました。


オバマ政権には貿易協定に関する交渉権限がなく、議会による交渉権限の授権が得られるかは、全く不透明である。
2002年の貿易授権法も僅か1票差で辛くも成立したものだ。
仮に、議会が授権法(2014年超党派議会貿易重点法案)を可決するとすれば、授権法は、米議会のご機嫌取りに終始した内容になる。
保護主義と自由主義の都合のよいところどりの身勝手な代物になるに違いない。
他国にとっては、到底、飲める代物ではなく、したがって、TPP12ヶ国合意は、もはや見込めないだろう。
TPPは頓挫するか、米国にどこまでも従属する国家だけの協定になる。
おそらく、日本を除けば、全て英米法の国家だけの経済協定になるのだろう。


そうした情勢にあるにも拘わらず、日本政府は、早期妥結に向けて米国に協力をすると言い、マスコミはこれを無批判に伝える。
焦点が、農産品5項目の関税だと伝えられる。


早期妥結に協力すると表明する以上、何らかの譲歩をするという決断が遅からず、なされる可能性が高いと見るのが相当ではないかと思われる。


オバマ政権に貿易協定に関する権限がなければ、最終的には、関税譲歩も白紙になるかというと、これは、残念ながら、そうではない。
オバマ政権に対する授権が問題になっているのは、「非関税」部門に関する交渉権限であって、「関税」部門については、オバマ政権に交渉権限がある。
したがって、TPPが暗礁に乗り上げても、関税合意だけを、アメリカが食い逃げすることは可能だ。


誠に遅まきながら、ようやく、アメリカの通商協定の授権関係の仕組みが見えてきた。大統領に対する授権法は、スーパー301条による経済制裁でかつて日本でよく報じられたアメリカの通商法の一部に組み込まれる構造になっている。
改正されたり、失効したりを繰り返す授権法は、非関税分野に関する大統領に対する授権であり、関税に関する大統領の授権部分は、効力を失っっていない(多分、時限立法ではないのだろう)。


したがって、TPPを口実に関税分野の交渉をアメリカと詰めるなどというのは、愚の骨頂であると言ってよい。
関税分野だけの合意は、オバマはいますぐにでも可能だから、農産品5項目に関わる関税撤廃だけを食い逃げされる可能性が極めて大きい。


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またぞろ新型インフルエンザ騒動

テレビのインフルエンザ報道が、だんだんかまびすしくなってきている。

社会実情データ図録のサイトで紹介されている年別のインフルエンザ死亡者の推移は、次の通りである。

Influenzasibousyasuii

問題となった2009年のインフルエンザ死亡者は625名、例年と比べて、とても多いとは言えない数字だ。
そして、新型による死亡者はテレビ報道によれば、203名、その他は季節性インフルエンザということだろう。

日本はこの年、危機管理対策と称して1000億円を費やして、使われもしない約3300万人分のインフルエンザワクチンを輸入した。

当然、弱毒性のインフルエンザであることがわかっていて、「パンデミック」宣言をしたWHOの措置が問われるはずだ。

マスコミにも政界にもそんな問題意識は皆無だ。

さすがにヨーロッパでは、これが議論になった。
田中宇氏のブログが、2010年当時に欧州議会で問題となっていることを伝えてくれているので、リンクしておこう。

    

インフルエンザ騒動の誇張疑惑(2010年1月12日)

  昨年末12月31日、欧州議会(EUの議会)の保健衛生委員会(Health Committee)は、昨年夏から豚インフルエンザが流行した際、欧米の製薬会社が、ワクチンや関連医薬品の売り上げを伸ばすため、国連のWHO(世界 保健機構)や国際医学界などに影響力を行使し、インフルエンザに対する危機感を世界的に扇動した疑いがあるとして、調査を開始することを全会一致で決議し た。 (EU To Investigate WHO 'False Pandemic' Scandal

 特に同委員会は、WHOが昨年6月に豚インフルエンザに対する警戒度を最高まで高めて「2つ以上の地域の国々で大規模な感染」を意味する 「パンデミック(世界的感染症)」(6段階の危険度の最高位の「6」)を宣言したことが、不必要に高い警戒度だったと考えており、製薬会社がワクチンや医 薬品を売るために影響力を行使した結果ではないかと疑っている。同委員会の委員長(Wolfgang Wodarg。ドイツ議員)は医師だが、この問題について「医薬業界における今世紀最大のスキャンダルの一つだ」と述べている。 (European Parliament to Investigate WHO and "Pandemic" Scandal) (WHO declares first 21st century Swine flu pandemic

 スウェーデンの新聞が昨年末に報じたところによると、WHOの顧問団をしている専門家組織(SAGE)は、グラクソ (GlaxoSmithKline)、ロシュ、ノバルティスといった、欧米の製薬会社から資金を供給されている専門家たちで構成されている。欧米の製薬業 界は、豚インフルエンザ騒動で40億ドル儲けたとされている。 (Experter samarbetar med industrin

   ……

この結末については、すぐ拾える資料がない。
うやむやになった可能性もあるのだろうと、想像する。
世界を行き交うマネーと主権国家ないしその連合体の争いは、残念ながら、今のところ、主権国家に分がない状態が続いているように見受けられる。

それでも、おそらく欧州は、同じ失敗をまた繰り返すほど、お人好しではあるまい。
素直にみんなで手洗い、うがい、マスクを心がけてくれる、日本国民は、製薬会社には特上顧客で恰好のターゲットである。


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2014年1月28日 (火)

ダボスの首相演説  経済関係

ダボスの世界経済フォーラムで、日中の武力衝突の可能性を聞かれた際に安倍総理が第一次大戦前の英独関係を引き合いに出したことが、世界的に衝撃を与えている。

他方、演説内容自体に対する異論はほとんど聞こえてこない。
僕の目から見れば、外国投資家本位に国を作り替えると、言いたい放題に言われているように見える。
首相官邸のサイトから一部を引用しておこう。

経済のために人間があるような、あるいは人間が投資家の奴隷のように扱われるという内容は、知るだけで、気分が悪くなる。

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平成26年1月22日
世界経済フォーラム年次会議冒頭演説~新しい日本から、新しいビジョン~


昨年終盤、大改革を、いくつか決定しました。できるはずがない――。そういう固定観念を、打ち破りました。

電力市場を、完全に自由化します。2020年、東京でオリンピック選手たちが競い合う頃には、
日本の電力市場は、発送電を分離し、発電、小売りとも、完全に競争的な市場になっています。

日本では、久しく「不可能だ!」と言われてきたことです。

医療を、産業として育てます。
日本が最先端を行く再生医療では、細胞を、民間の工場で生み出すことが可能になります。
日本では、久しく「不可能だ!」と言われてきたことです。

40年以上続いてきた、コメの減反を廃止します。
民間企業が障壁なく農業に参入し、作りたい作物を、需給の人為的コントロール抜きに作れる時代がやってきます。
日本では、久しく「不可能だ!」と言われてきたことです。
これらはみな、昨年の秋、現に、決定したことです。

加えて、昨日の朝私は、
日本にも、Mayo Clinicのような、ホールディング・カンパニー型の大規模医療法人ができてしかるべきだから、制度を改めるようにと、追加の指示をしました。

既得権益の岩盤を打ち破る、ドリルの刃になるのだと、私は言ってきました。
春先には、国家戦略特区が動き出します。

向こう2年間、そこでは、いかなる既得権益といえども、私の「ドリル」から、無傷ではいられません。

世界のトップクラス入りを望む都市では、
容積率規制がなくなります。文字通り、青空だけが限界です。質の高い住宅とビジネスのコンプレックス、ゼロエミッション・タウンが、次々と登場するでしょう。
TPPは、私の経済政策を支える主柱です。欧州とのEPAも進めます。日本はこれから、グローバルな知の流れ、貿易のフロー、投資の流れに、もっとはるかに、深く組み込まれた経済になります。
外国の企業・人が、最も仕事をしやすい国に、日本は変わっていきます。

日本の資産運用も、大きく変わるでしょう。
1兆2000億ドルの運用資産をもつGPIF(年金積立管理運用独立行政法人)については、そのポートフォリオの見直しを始め、フォーワード・ルッキングな改革を行います。成長への投資に、貢献することとなるでしょう。
法人にかかる税金の体系も、国際相場に照らして競争的なものにしなければなりません。
法人税率を、今年の4月から、2.4%引き下げます。
企業がためたキャッシュを設備投資、研究開発、賃金引上げへ振り向かせるため、異次元の税制措置を断行します。
本年、さらなる法人税改革に着手いたします。


古い産業に労働者を縛り付けている、雇用市場を改革します。新たな産業には、イノベイティブで、クリエイティブな人材が必要です。古い産業に「社内失業」を温存させていた補助金を、良い人材を求める新たな産業への労働移動の支援へと、転換します。
少子高齢化が進む日本のどこに、イノベイティブで、クリエイティブな人材がいるのか。そう仰る向きがあるかもしれません。
アリアナ・ハッフィントンさんは、「リーマン・ブラザーズが、もしリーマン・ブラザーズ&シスターズだったなら、生き残れただろう」と仰いました。
日本の企業文化は、いまだにピンストライプ、ボタンダウンです。
いまだに活用されていない資源の最たるもの。それが女性の力ですから、日本は女性に、輝く機会を与える場でなくてはなりません。2020年までに、指導的地位にいる人の3割を、女性にします。

多くの女性が市場の主人公となるためには、多様な労働環境と、家事の補助、あるいはお年寄りの介護などの分野に外国人のサポートが必要です。
女性の労働参加率が、男性並みになったら、日本のGDPは16%伸びるという話です。ヒラリー・クリントンさんのお話です。私は大いに勇気づけられました。
企業のボードメンバーたちに対する、大いなる刺激も必要でしょう。
24日からの国会に、
会社法改正を提案します。これで、社外取締役が増えます。来月中には、機関投資家に、コーポレート・ガバナンスへのより深い参画を容易にするため、スチュワードシップ・コードを策定します。
それらを実現させれば、2020年までに、対内直接投資を倍増させることが可能になります。
そのとき社会はあたかもリセット・ボタンを押したようになって、日本の景色は一変するでしょう。

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追記
発送電分離については、これが議論され始めた頃から、環境派と市場派が一致して進めようとする、この手の話は地球温暖化対策を名目に空気を市場化しようとするのと同じで、脱原発とは別の問題で、膨大な投資市場を生み出すのが目的と思っていた。
今や発送電分離は、投資市場の創設自体が自己目的として臆面もなく語られている。その間、わずか2年である(2011年12月24日付ブログ)。

2014年1月27日 (月)

マチベンの寒中見舞い

事務所の寒中見舞いの発送がようやく終わった。
依頼者との関係では、迷惑に感じる方もおられるかもしれないと思いながらも、自らの立場を曖昧にしてはすまされない時代になったと思い定め始めている。(PDF

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社会的裁判を通して裁判所を考える
ある超長期事件
 弁護団の結成準備が始まったのが1998年3月だからすでに16年にわたって弁護団事務局長として関わっている事件がある。僕にとっては、最長事件である。しかも、まだ終わりそうにない。
 1999年3月に提訴、2005年2月に地方裁判所で負け、2007年5月には高等裁判所で負け、最高裁によって上告が棄却されたのが2008年11月だ。
 そんな敗訴連続事件に昨年11月、韓国の光州地方裁判所が初めて勝訴判決を出した。
 
裁判所の政治性
 法律的に、あるいは人権的な観点から正当でも、裁判所は、その及ぼす政治的影響から、敢えて正面から判断するのを避けることがある。
 広く報道される訴訟では、投票価値の平等を求める裁判も、極めて例外を除けば、決して選挙の無効にまで踏み込むことはない(僕自身は、今のように地方が見捨てられていこうとしている時代に投票価値の平等を突き詰め、結果として地方の声が国政に反映されにくくすることにはある意図を見ているので、消極的に見ているが、そのことはとりあえず脇に置こう)。
 他にも沖縄の米軍基地用地の強制収用問題や、日本各地の米軍基地の爆音被害についても同様だ。後者では、裁判所は、基本的に賠償請求を認めても、夜間訓練の禁止に踏み込もうとは絶対にしない。賠償を認めるということは、夜間訓練が違法だということを認めているにもかかわらずだ。裁判所が最終的には国家の権力機関である以上、超えることのない一線があるのは、ある意味、醒めた目で見れば、当然のことだろう。
 
原発訴訟と政治
 あまり広く知られていないが、たとえば福島の原子力発電所に関しても、かつて福島第2原子力発電所の差止を求める訴訟が行われた。裁判所は、高度に科学的で専門的な事項については、国の判断が不合理であることが明白でない以上、裁判所は立ち入らないとして、これを斥けている。原告らが提起した問題は、第1原発と第2原発の違いはあれ、その後、まさにそのとおりの現実になった。
 裁判所が国家の権力機関である以上、原発の危険性も国家と一体となって覆い隠してきたのだ。
 しかし、ときどき、そんな裁判所も人間としての裁判官と、権力機関としての裁判所との裂け目を示すことがある。
 
イラク派兵差止訴訟
 僕が立ち上げに深く関わった事件では、たとえば、自衛隊のイラク派遣の違憲性を訴えた5000人規模の市民を原告とする裁判があった。名古屋高等裁判所は2008年4月、原告らの請求を棄却しながらも、航空自衛隊が、バグダッド(まさに戦闘が行われている戦闘地域である)へ武装したアメリカ兵や武器弾薬を輸送した行為は、戦闘行為と一体をなすもので、憲法9条1項が禁じる「武力行使」に該当するとして明確に憲法違反と断罪した。
 現在では、イラク戦争の理由とされた「大量破壊兵器の存在」は事実ではなく、その後の経過からもイラクを混乱に陥れ、イラク国民を苦しめるだけであったことが明白になっている。
 しかし、裁判が起こされた2004年には、そのような認識が定説であったわけではない。イラクへの戦争行為が、多くの子どもたちを含む無辜の市民に取り返しの付かない大きな犠牲を強いるであることに、心を痛めた市民たちがやむにやまれぬ思いから立ち上がったものだった。
 
 
光州市民の信念と覚悟に寄せて
市民運動と裁判
 普通、どんな運動でも裁判まで提起するには、それなりのハードルがある。運動でそれを実現するのには、現実の壁があまりにも高く、厚いから最後の手段として法的解決を求めて、裁判を選択する。裁判所が権力機関であることは十分に承知しながら、なお、人間としての裁判官の良心に問いかける。だから、裁判をすること自体が、相当な覚悟と信念を要する。そして、地裁から最高裁まで3度も負け続ければ、大抵、そこで運動は終息する。
 日本での裁判から5年を経て、海を越えて勝ち取られた今回の光州地方裁判所の判決は、人権の回復を願う、ひたむきな人たちが切り開いた地平である。現実の壁がどれほど高くそびえているように見えても、「諦めないこと」が、どれほど大切かを示す事件でもある。
 
人権と民主主義の聖地光州
 光州と言ってもなじみがないかもしれない。ちょうど、都市の規模で言うと、日本でいえば、東京から数えて名古屋に当たるような、そんな都市だ。
 今では想像しにくいかも知れないが、韓国は戦後も長く、極端な軍事独裁政権が支配する軍事警察国家だった。国民は常に軍によって監視され、ほとんど何の理由もなく、ある日、突然、連行され、裁判とも言えぬ裁判で何年とも知れず、投獄された。戦前の日本がそうであったように、不正義の支配に対して抵抗する信念や心情を持つ人々は息をひそめていなければならない息苦しい軍事独裁が支配した国家だった。そんな韓国で民主化が成し遂げられるのは1990年代も半ば近くになってからだ。
 そうした韓国の民主化の象徴的な地が光州だ。
 1980年、光州では軍事独裁政権による大規模な弾圧が行われた。民主化を求める市民の運動は、韓国軍による無差別な攻撃にさらされ、多数の市民が犠牲となった。光州市を軍が包囲し、外部との通信を遮断して地域を孤立させた上、市街地に戦車が入った。文字通り戦車が民主主義を踏み敷いたのだ。その後10数年もの長い時代を光州の人たちは、屈従に耐えながら、人権と民主種主義に対する信念を「諦めなかった」。
 人権と民主主義にとって、韓国では特別な意味合いを持って語られてきた、そんな地域が光州である。
 
名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟 その被害
 さて、僕が16年にわたって関わった事件は、韓国の少女に対する強制労働事件だ。
 とくに戦争末期、日本は植民地朝鮮から多数の朝鮮人を軍需工場や炭鉱、地下施設建設に動員して強制労働を強いた。
 彼女たちが特殊だったのは、まだ幼いともいえる12歳から14歳の時代に、小学校の担任教師から「日本に行けば女学校に行ける」と騙されて連れて来られたこと、そして成人男性にも厳しかった軍用機生産のラインで働かされたことだ。植民地朝鮮では、小学校を卒業した朝鮮人の少女が進学する途は極めて限られていた。そんな中でも女学校に進みたいと願う、向学心のある少女たちが選ばれた(日本での労働に従事するためには日本語の成績がよいことが必須だったことは容易に理解できるだろう)。信頼する小学校の担任や校長の「女学校に行ける」との言葉を疑うことは少女たちには到底不可能だった。
 もう一つ、この少女たちの被害が特殊だったのは、少女たちが帰国してからの生活にある。彼女たちは、帰国した後、「日本で体を売った汚い女」のレッテルを貼られ、差別に耐え続けなければならなかった。性道徳は戦後の日本でも極めて厳しかった。同性愛者であることを知られた美輪明宏が芸能界を追われた時代だ。まして韓国は日本以上に儒教的な家父長制が支配する社会だった。『良き妻であること』だけが、女性に与えられた人生だった。裁判の原告になった女性は、ほぼ全てが、「体を売った汚れた女」という差別のために家庭崩壊を強いられている。彼女たちが日本に連れて行かれた過去を知った夫は怒り狂い、ある原告は離婚を強いられた。別の原告の夫は外でつくった「汚れていない女性」との間でできた子どもを家に連れてきて、夫の「正式な子ども」として、その育児を彼女たちに押しつけ、別の原告の夫は家を出て何十年も音信不通となった。「汚れた女性」を母親として戸籍に記載することは夫にとって屈辱医的な恥とされたため、実の子であるのに、戸籍の母の欄には違う女性が記載された例もある。
 裁判は、そんな彼女たちが、失われた人生の尊厳を回復するための闘いでもあった。
 
 
マスコミ(新聞)の取材能力の劣化と『誤報』そして刷り込み
韓国の強制労働事件をめぐる
マスコミの論調について
 先に述べたように、彼女たちは日本の裁判所で三度にわたって敗訴する。支援してきた日本の市民も自分のことのように胸を痛めた。そして、彼らは「諦めなかった」。経過は省くが、同じように彼女らに心を寄せる、光州の市民との連帯が、昨年11月の光州地裁の勝訴判決をもたらした。そこにあるのは、決して民族主義ではない。人権と平和に対する日韓の自覚的な市民の深い響き合いだ。
 歴史は皮肉なものだ。光州の市民が彼女たちの支援に立ち上がるのは、日本の最高裁の判決の後だ。そして、今、東アジアで孤立を深める日本の姿が露骨になる、その時期に韓国での勝訴判決がもたらされた。
 このために、韓国における強制労働裁判は、日韓の溝を深めると批判や非難にさらされている。仮に日本で裁判が行われる早い段階で、光州の市民との結びつきを深めることができたならば、事態は全く違ったものになっただろうと思う。日本で裁判が行われていた当時、大方の予想通り敗訴であるにも拘わらず、全ての全国紙が、大きく報道した。そこには原告らに寄せる共感があった。
 したがって、一貫してこの事件に関わっている僕には、韓国の判決が、日韓の民族問題の脈絡の中で語られることは極めて心外である。
 大方のマスコミを見る限り、当事者から見れば、敢えて『物語を作っている』と思わざるを得ない明らかな間違いがある。どんなに善意に理解しようとしても、渦中の者からは初歩的な誤解、あるいは刷り込みがあると言わざるを得ない。3つほど指摘しておきたい。
 
日韓請求権協定の5億ドルは
「韓国政府が流用した」の間違い
 一つ目は、1965年の日韓国交回復に当たり、日本は当時の金額で5億ドル(当時の1ドルは360円)もの資金を提供したが、韓国政府は、これを被害者のために使わず、インフラ整備など経済成長に流用してしまったとするものだ。
 これは明らかに、ためにする言い方だ(と、渦中の者は言いたくなる)。日韓の国交正常化に当たって締結された日韓請求権協定の条文を読めば、「韓国政府が流用した」のではなく、日韓双方の政府が『被害者を口実にして、これを経済協力にすり替えた』ことが明記されているからだ。そこでは、5億ドルは「日本の生産物及び日本人の役務」によって提供されることが書かれ、「韓国の経済成長に役立つものでなければならない」ことが義務付けられている。具体的な事業については日韓政府で共同して行うとまで明記されている。密約でも何でもない。インターネットで「日韓請求権協定」を検索して、条文を読めば、普通の法律よりもわかりやすい言葉で誰にでもわかるように明白に書かれている。あたかも5億ドルの現金が供与されたのに、韓国政府が勝手に流用したかのようなマスコミの伝え方は、初歩的な間違いを犯している。日本政府と韓国政府は自分たちの政治的意図によって、被害賠償を経済協力にすり替えるという『談合』を行ったのだ。
 そうして、たとえば、韓国の経済成長を象徴する韓国最大の製鉄所は、日本政府が費用を負担し、戦時中は強制労働加害企業であった現在の新日鐵が受注して、巨額の利益を挙げた。日本政府、韓国政府、日本の加害企業、そして経済協力資金で潤う韓国財界はその利益のために、両国の合意の上で、被害者を置き去りにしたのだ。
 
「(被害者の)請求権は消滅した」?
 2つ目は、日韓請求権協定によって「完全かつ最終的に解決済みとされた」との新聞記事の後に必ず付けられる、この協定によって「請求権は消滅した」という決まり文句だ。
 国家が国家間の合意で、個人の他国や他国企業に対する人道的な被害に対する賠償請求権まで消滅させることができるのかを敢えて問わない。日本の裁判所が「請求権は消滅した」としているのか、あるいは日本政府が「請求権は消滅した」と言っているのかという問題に絞ろう。実は、日本政府が公式見解で「請求権は消滅した」と主張したことは過去、一度もない。ただ「完全かつ最終的に解決済み」だとするだけだ。わかりにくい理屈を言っているというかもしれないが、わかりにくくしているのは、日本政府と日本の裁判所である。
 裁判提訴から2年も経った頃、被告である日本政府(担当したのは、外務省だろう)は「仮に請求権があったとしても、日本政府には『応じる法的義務はない』」などという意味不明の主張を始めた。弁護団は、逐一、これに反論し尽くしたが、裁判所は、この意味不明の主張に法的装いを与えた。
 被告国や被告企業は、中国人強制労働事件でも『権利はあっても、応じる義務はない』と主張し続けた。そうした中国人強制労働事件に関して、2007年4月に最高裁が「日中共同声明によっても個人請求権は消滅しないが、裁判所に訴える権利を失った」とする判決を出した。これに続き、同年5月に出された名古屋高裁の判決もこの論理を採用したのだ。
 これは、法律家にとってすら理解に苦しむ法律的装いで、詭弁である。
 名古屋高裁は、一方では、明確に国や被告企業に不法行為責任があることを認めている。ところが、「被告が日韓請求権協定によって解決済みと主張する以上、裁判所が賠償を命じることはできない」と述べる。
 被告に不法行為責任が認められ、請求権が消滅していないとすれば、賠償が命じられる。あまりにも当然のことだ。日韓の裁判所の判断の違いがもたらされた根本的な理由は、「法律的な理解」の違いではない。
 日本の裁判所が、法律的には原告らの請求の正当性を認めながら、『政治的な配慮』から、裁判所が明確な断を下すことを避けたのだ。中国人強制労働に関する最高裁の判決は、「裁判所に訴える権利を失った」とする判断に加えて、「被告企業と関係者(注:日本政府以外には考えられない)が解決に向けて努力することが期待される」とまで、付言しているのだ。
 同じく名古屋高裁も、原告らの被害には深く心を寄せている。
「被告の行為は、正義と公平の観念に著しく反し、人道に悖る行為と言わざるを得ない」とまで断罪しているのだ。
 ここにも、人間としての裁判官と国家の権力機関としての裁判所の裂け目を見ることができるだろう。
 「請求権が消滅していない以上、賠償義務がある」。光州地方裁判所が賠償を命じた理由は、しごく当然のことなのだ。むしろ日本の裁判所が、政府や加害企業に対する政治的配慮から事態をわかりにくくさせた。
 国民個人の被害を経済協力にすり替える。そのことに、当時の世界情勢の中で、国家としての判断に一定の合理性はあったとしよう。しかし、そうした談合によって、被害者の権利は二重に蹂躙されたのも事実だ。
 だから、僕は断言しよう。ここにあるのは、民族や国家の対立ではなく、国家に犠牲にされた個人と国家の問題であり、問われるべきは、二重に蹂躙された被害者の尊厳の回復なのだと。
 
捏造される「韓国当事者の反発」
 3つ目の問題は、強制労働問題をめぐって、日韓の当事者の間に反発や対立があるかのような記事の取扱いだ。
 たとえば、昨年、光州地方裁判所の判決が出された直後に日本の経済3団体が、日韓両国政府と韓国の財界に対して、問題の解決に努力することを求める声明が出された。この声明が求めているのは、日韓両国政府と両国の財界が協力して問題の解決に当たることだ。
 実は、このことは、日韓の弁護団や当事者が一貫して求めてきたこととほとんど同じだといってもよい。ところが、これを採り上げる記事は、必ず「韓国側は反発している」、「原告(実名を出している。僕が直接に関わっている原告だ)は怒りをぶちまけた」と書くことに決めているらしい。僕は、原告とはごく近しい関係にあるし、韓国の弁護団や支援者とは、人権あるいは生命と平和という根源的な価値観を共有している。だから、韓国側(原告、弁護団、支援する市民の会)に、反発など存在しないことは、直接に知っている。日韓両国政府と日韓財界が、協力して基金などの方策によって問題を解決すべきことは、強制労働問題について言えば、むしろ韓国側から提起された解決の枠組みである。
(韓国政府がそうかは必ずしも明確ではない。政府と国民は分けて考える必要がある。TPPなどをめぐっても同じである。アメリカ政府とアメリカ議会、アメリカのグローバル企業、そしてアメリカ国民は分けて考えるべきだろう)
 
平和と人権や生命を「諦めない」
 マスコミの取材力の劣化が言われて久しい。日韓請求権協定にしろ「請求権は消滅した」かについてにしろ、条文や判決に当たるという、ほんの少しの努力すれば、間違いにはすぐ気づくはずだ。まして、「韓国側の反発」などという決まり文句を付けるのは、僕から見れば、捏造以外の何ものでもない。
 マスコミは日韓の反発を煽っているのだ。
 原発事故は、この国の、大企業や政府、これと癒着した大多数の学者やマスコミの、国民を愚民扱いして侮辱した腐りきった姿を白日の下に晒した。まだ、あれから3年も経っていない。今、この歪んだ共同体の腐敗は、いっそう深刻化している。
 原発事故で目の当たりにさせられた、この国の構造的な腐敗のありよう、その教訓を生かさなければ、私たちは、またぞろ同じ悲劇を繰り返すだろう。
 光州事件と呼ばれる軍事弾圧事件の惨禍を経験した、光州の市民がそうであったように、私たちは平和を、そして人権や生命への信念を「諦める」ことがあってはならない。

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2014年1月26日 (日)

新型インフルエンザというショック・ドクトリン 母里啓子著『インフルエンザワクチンはいらない』(双葉新書)より

政府は、1月21日、新型インフルエンザ(H7N9)が発生したとの想定で、新型インフルエンザ対策等訓練を行った
マスコミは中国で鳥インフルエンザで死亡者が出たとの報道を始めている。
またぞろ、新型インフルエンザ騒動を目論んでいるように見える。


新型インフルエンザをグローバリズムやTPPの文脈で採り上げるのは些か奇異に思う向きもあると思う。
金儲けのためには命すら食い物にする(「金儲けのために命を食い物にする」とするのがより正確だが。)という、グローバリズムの本質と、そのためのルールにおいて、つながっているという意味である。


2009年新型インフルエンザ騒動で、輸入されたワクチンは成人2回投与を一人分として、約5000万人分、流行のピークを過ぎたため、厚労省はそのうち約1700万人分を解約したが、約3300万人分は輸入した。
厚労省から医療機関に出荷されたのは1250人分(「万人」ではない「人」分だ)。
実際に使われた本数は不明。
要するにあの輸入ワクチンは全て無駄になったのだ。
ワクチン輸入は海外メーカーに莫大な利益をもたらした。
使われもしないワクチンの輸入のために、1000億円を超える税金がつぎ込まれたのだ。
新型インフルエンザ騒動が、誰のために仕組まれたのか、自明であろう。


マスコミの報道振りを見ると、2009年の新型インフルエンザ騒動の再来を狙っているように見える。
2009年新型インフルエンザ騒動は、1000億円以上を投じて使われもしない海外メーカーのワクチンを輸入するという空騒ぎだった。
なぜ、そうした騒動になってしまったのか、追跡報道や総括をしておくべきだが、そうした報道を見たことがない。
多分、そんな報道はないと思う。
またぞろ同じ騒ぎが起きるかと思うと、正直、気持ちが萎える。
ここは当時の騒動についてのきちんとした情報が提供されているべきだ。


2009年新型インフルエンザ問題を専門家の立場から正確で丁寧な説明をしてくれる文献は異常に少ない。
何しろ、権威あるWHOが『パンデミック』宣言をして、世界中に警戒を呼びかけた。
ワクチン輸入の空騒ぎは世界中で起きたのだ。
WHOに逆らうような根性のある専門家は、少なくとも日本には、ほとんどいないようだ。


僕は、母里啓子氏の『インフルエンザワクチンはいらない』(双葉新書2010年12月)は、そうした中で極めて重要な文献だと考えている。
同書を参考にして、2009年新型インフルエンザ騒動の実情を紹介しておきたい。


「2009年4月27日、WHOは、新型インフルエンザ発生と発表しました。メキシコで豚インフルエンザ(H1N1)が発生、ヒトからヒトへ感染し、死者を出している。この発表はあまりに衝撃的でした。」


母里氏は、続いて政府が『新型インフルエンザ対策行動計画』を策定し、防御服とマスクに身を包んだ検疫官が空港に派遣され、ものものしい水際作戦が展開されたことを振り返っている。
サーモグラフィーで発熱が判明し、感染が疑われる人は、ホテルに足止めされるなどの措置が採られた。
インフルエンザに感染しても発症しない人が約2割いることは医学的常識だ。
したがって、水際で食い止めるという目的自体が最初から達成不可能な目的である。
ある程度、インフルエンザに関する知識があれば、水際作戦が不可能であることはわかっていた筈で、厚労省の担当者も承知していた。
SF映画のような厳戒態勢のシーンが国民の不安を煽るのにはもってこいであった。


そうした中、神戸市で海外渡航歴のない高校生が国内における新型インフルエンザ発生の第一号として報道された。
ある全国紙が高校の実名入りで報じたため、その高校の生徒は感染源になるとして忌避された。
制服で市バスに乗ることもできなくなり、生徒の外出を禁止しなかった校長が急遽、深夜に謝罪会見を開くという事態になった。


母里氏は、公衆衛生を専門とする立場から、こうした事態を人権もプライバシーもない明治時代の感染症対策に戻ってしまったと批判する。
すでに戦後まもなくには、赤痢やコレラの患者のいる家庭を保護のために訪問する場合も保健所とはわからないように訪問するようになっていた。
にも拘わらず、神戸の高校に新型インフルエンザ患者が出たときには防御服を着て学校に乗り込んだのは、歴史を一気に明治時代に引き戻すものだ。
いたずらにインフルエンザの恐ろしさを強調し、感染源を囲い込んで感染を防ぐことができる疾病とすり替える論理に恐ろしさを感じたという。
(その後、感染症予防法の措置にも反するこうしたやり方を、厚労省は、こっそり改める。)


この頃は、人が集まるあらゆる催し物が中止され、日本全体がパニックになっていた。
兵庫県弁護士会に倣って、愛知県弁護士会が、弁護士会職員と弁護士会館に出入りする法律事務所事務員にマスクを着用させるようにとのお達しを出したので、何かにつけて過剰反応が気になっていた僕が、弁護士会に苦情の電話をしたのが、6月頃だった。
むろん取り合ってもらえるような状況ではなかった。


当時は、およそ、あらゆる非科学的な試みがなされた。
経験的に見て、弱毒性であるということがわかってきても、騒動は鎮まらなかった。
煽っていたのは厚労省である。
ここからは母里氏の著作をそのまま引用しよう。


「新型インフルエンザが発生した時点で、舛添要一厚労相は、最初、本年のワクチンは季節性から新型にワクチンを切り換えよう、と言いました。ところが、メーカーはしぶるわけです。


これまで季節性インフルエンザワクチンをさんざん宣伝し、その結果広がった、2000万本もの市場を手放すことをメーカーはしたくなかった。
政府はメーカーに季節性ワクチンはやめて新型のワクチンにしなさいと指導することもできなかったのです。
だから、季節性ワクチンに加えてさらにその上、新型ワクチンも作ることになった。
でもそれでは間に合いません。
だから新型インフルエンザワクチンは輸入するしかない、ということになってしまったのです。


「騒ぎにあきれ果てていた私も、とうとう黙って見ていられなくなりました。

国が輸入しようと思っているワクチンには、日本のワクチンには添加されていないアジュバントという免疫製剤が入っています。
副作用が心配です。
でも、それより、この騒ぎにまぎれて外国のワクチンを大量に買ってしまったら、もう歯止めがきかなくなり、次々に外国のワクチンが日本に入ってくるに違いないのです。

やめるなら今だぞと訴えようと、数十年来の仲間と共に、新型インフルエンザ市民対策会議という団体を立ち上げ、2009年9月9日、10月29日、2回にわたって、厚労省に出向き、ワクチン輸入の中止や、ほとんど流行していない季節性インフルエンザのワクチン推奨はしないでほしい、などの申し入れをしました。


厚労省に行くと、まだ若い広報担当官が現れました。


資料を見せられて驚愕しました。
国のワクチンの買い上げ費用の試算は、なんと1126億円です。いったいどこからこんなお金が出てくるのか。
『危機管理対策として輸入するので、財源は別』と言うのです。
広報担当官は、今回の新型インフルエンザ対策は、感染症対策ではない、
『危機管理対策』である
、と。


この状態のいったいどこが『危機』なのでしょうか。
感覚で言っているのではありません。
すでに南半球の(日本より半年早くインフルエンザが流行する)オーストラリアで、この新型インフルエンザの流行は大したことはなかったという報告が出ています。
『オーストラリアの流行状況はご存じでしょう、この新型インフルエンザは《危機》とは言えないのではないですか』と言うと、
広報担当官は『脅威に対して国民が不安になっていますから、これは危機の時のための掛け捨ての保険です』と言ったわけです。
『掛け捨ての保険なら、輸入ワクチンは買っても使わないという選択肢もありますね。今は『危機』ではないですからね』と言うと、
『いや、強毒化するおそれもありますから』と答えるのです。
『強毒化するほどウィルスが変異したら、ワクチンは完全に効かないじゃないですか』と私たちは思わず言ってしまいました。
それに、脅威に対して国民が不安になっているからと言いますが、いったいありもしない脅威を作って国民を不安にさせたのは誰なのでしょうか。
高齢者が死ぬ、幼児が脳症になる、強毒化する、パンデミックが来ると国がさんざんマスコミと一緒にあおっておいて、その結果これほどの大金を、効かないインフルエンザワクチンのために払うとは、税金を捨てているようなものです。」


この書は、原発事故発生前に書かれている。
原子力ムラと呼ばれるこの国の企業・政治・官僚・学者・メディアが癒着した醜悪な支配構造が露呈した今であれば、政府・官僚に脅威を煽る意図があったとすると見るのは合理的であろう。
注目すべきなのは、ここでは、国内企業の利益ではなく、それまで国内産に限られていたインフルエンザワクチンの輸入に道を開く、つまり海外企業の利益を図るために、厚労省が動いたと見られることだ。


輸入ワクチンをめぐる異例な事態はまだ続く。


輸入するワクチンが副作用を発生させた場合に備えて、『新型インフルエンザ予防接種による健康被害の救済等に関する特別措置法』が成立する。
輸入ワクチンは、正式の薬品承認手続を採っていては間に合わないということで、特例承認という方法で承認された。
特別措置法は、こうして輸入されたワクチンによって副作用被害が生じたときに、海外メーカーを免責し、国が賠償責任を負うとするものだ(その後の改正で削除された同法3章・11条)。
こうして、このとき、日本は、海外メーカー(グローバル企業)に対する最初の免責特権を与えた(グローバル企業に対する特権という点でTPPのISD条項に類似し、無責任特権という点で秘密保護法による適合事業者に与えられた特権と類似している)。
むろん、海外製薬会社保護のための原資は、我々の税金である。


国内企業保護か外国企業の優遇かの政策対立もあったようである。
続く記述も興味深い。


「一方、国産の新型インフルエンザワクチンをどうするかも、もめごとが続いていました。
桝添厚労相が国産ワクチンは1800万人分くらいあると言っていたものが、長妻厚労相になった途端、2700万人分あるという話になったりと、ドタバタが続きました。
なんと10ミリリットルの大瓶入りのワクチンを作れば、増産できるからという話でした。
インフルエンザワクチンは0.5ミリリットルずつ皮下注射するもの。
通常は1ミリリットル入りの瓶(バイアル)で供給されていた物を、20人分のワクチンが入った大瓶にすることで生産効率を上げようとしたのです。


それを知った現場の医師たちが大反発をしました。
何かミスが起こらないとも限らないし、開けてしまったら24時間以内に20人分打たなければムダになる。

東京の中央区のような子どもの少ない地域では、一人の医師が20人も集めるのが大変だからということで、会場を作ってワクチン接種をしたところもありました。…
大瓶のワクチンは、集団摂取に戻したいという意図でもあったのでしょうか。…


昔、学童に集団摂取をやっていた時は、すべてこの大瓶でした。10ミリリットルで、小児なので30人分以上は入っていたワクチンを一人分ずつ吸い上げて打っていたのでした。」


それまで副作用に配慮して、インフルエンザワクチン接種に当たって取られてきた、安全を確保するためのやり方も、新型インフルエンザ騒動にまぎれて、次々と覆される。


「さらに優先順位でもめました。
これまでインフルエンザワクチンは妊婦に打ってはいけないとされていました。ところがなぜか今回は妊婦が最優先。
…妊婦へのワクチンが安全であるかどうかの検証もしないまま、いきなり妊婦を最優先にするとは信じがたいことです。
なんと摂取が始まる前日の10月18日に、厚労省はホームページの『妊婦へは原則摂取しない』の添付文を削除しています。
さらに、妊婦どころか乳幼児も打ってよい、新型と季節性、両方のワクチンを同時に両腕に打ってもかまわないとするなど、もうなんでもありです。
どさくさにまぎれて、今までやってはいけないとされていたことを平気で次々とひっくり返してしまいました。」


それまでのやり方が根底から覆された最も大きな例は、服用後の異常行動が問題となり、投与が控えられてきた、10代の子どもに対するタミフルの投与だ。


「新型インフルエンザが広がり始めていた2009年9月7日。
ワクチンをどうするかで政府と厚労省が大論争を起こしている最中のこと、タミフルの発売元である製薬会社は新型インフルエンザに有効に備え、タミフルの供給量を去年の3倍に引き上げると発表していました。CDC(アメリカ疾病予防管理センター)を初め、国際的に、インフルエンザは勿論、新型インフルエンザにも抗インフルエンザ薬は必要ないと言っている状況があるにもかかわらずです。
9月13日、日本小児科学会は、記者会見で、1歳から5歳児にタミフルなどのインフルエンザ治療薬の投与を推奨すると言ったのです。
しかも、1歳未満にまで、医師の判断で使用可と言っています。
タミフルはスイスのメーカー本社も、一歳未満には使わないようにと警告を出していたはずなのに、どうしたことでしょうか。
10代には使わないようになっていたはずですし、タミフルと異常行動についての検証は、まだすんでいないはずです。
そのすぐ後の9月15日には、日本感染症学界までが、持病のない成人への投与はいらないとWHOは言っているが、その見解は危険である、と言い出しました。…


タミフル服用後の異常行動が問題なって以来、10代のタミフル投与は原則禁止されていました。
ところが、新型インフルエンザが発生してから、『新型インフルエンザは重症化のリスクが高いから』と、なし崩し的にタミフルなどの抗インフルエンザ薬が投与可能になり、秋になってからは、当然のように10代へも処方されるようになってしまっていたのです。

この時期、現場の医師たちには、タミフルをどんどん使いましょう、という医師会や各種学界からのお知らせが届いていたというわけです。
同じ時期に各都道府県にも、タミフルの備蓄のない場合には国の備蓄分のタミフルを出すのでこの申し込みの書類を出すように、というような通知が出されていました。
タミフルの予防投与については、耐性ウイルスの問題もありますから、WHOでも推奨していません。世界的に予防投与はしないことになっているのです。
しかも、関係者の誰もが忘れてしまったようにしていますが、タミフルなど抗インフルエンザ薬による異常行動は報道されないだけで、その後もなくなっていません。タミフル服用後の脳症もなくなっていません。
この年、世界のタミフルの使用量の7割を日本が占めた。
スイスのメーカーが大量生産したタミフルは海外では有り余っていた。


マスコミを総動員して煽った新型インフルエンザの恐怖を利用して、企業利益の下に官庁、医師会、学界、メディアが蝟集している態は、あまりに醜悪である。


新型インフルエンザワクチンの接種開始後、最初の接種後死亡者が11月12日に発生し、その後10日間の間に21名の接種後死亡者が発生する。
当然、副作用が疑われるところだ。


「厚労省は2009年11月21日『第1回新型インフルエンザ予防接種後の副反応検討会』を開催しました。この会議が開催された時点で、摂取後の死亡者は21人にまで増加していました。
いくらなんでもこの死亡者の報告数は多すぎます。
因果関係のあるなしにかかわらず、摂取は即刻中止し、ワクチンを検査すべき数字です。


しかし、この会議で厚労省は『現時点では重大な懸念は示されていない』と結論づけました。
死亡とワクチン接種との直接の明確な関連が認められた症例は現時点ではない』とのことでした。『慎重に摂取するように』と、ワクチン接種は続行されることが確認されて会議は終わりました。


実際の会議では、今回の新型インフルエンザは高齢者にほとんど感染者が出ていないことや、寝たきりの高齢者に往診してまでワクチン接種をしていることへの疑問の声なども出ていました。ところがそうした声は無視されました。
検討会とは名ばかり。
会議の結論は初めから決まっていて、死亡との因果関係を否定し、ワクチン接種は変わらず継続するということを確認して終わりというものでした。
しかしその後も、ワクチン接種後に亡くなった人は増え続けます。
中には10歳未満のお子さんもいらっしゃいますが、多くは60歳以上の基礎疾患のある高齢者です。
最終的に、ワクチン接種後に亡くなった人は133名にのぼりました。
そして、そのほとんどの方が、亡くなったのは原疾患の悪化が原因だとして、評価不能とされました。
原疾患の悪化というけれど、原疾患を悪化させた原因は、何なのでしょうか。」


結局、新型インフルエンザは弱毒性で死亡者は例年に比べて多くはなかった。


「2009年から2010年にかけて日本中を揺るがした新型インフルエンザ、この流行による死者数は198人に止まりました。

この198人の中で、60歳以上の方は、70名、約35パーセントです。ところが、ワクチン接種後に死亡した60歳以上の方は、121名にも上るのです。



「もともと、今回の新型インフルエンザは大したことなさそうだ、ということは、予測できていました。
インフルエンザの流行は、常に、インフルエンザシーズンが日本より半年早く訪れるオーストラリアの流行状況を見て予測されているのですが、オーストラリアで7000人死ぬと言われていたにもかかわらず、実際には170人の死者だったというデータがちゃんと最初からあったのです。

今回の新型インフルエンザは弱毒性である。
軽くすむインフルエンザだと分かっていたのです。
なのに、日本では何万人死ぬとかいう情報を国やマスコミがさんざん流して脅かしました。

それで、結局これだけだった。例年に比べても大したことのないインフルエンザでした、ということなど、国もマスコミもほとんど触れようとしないのです。」


ことの顛末は次の通りだ。


「国内のワクチンメーカーが生産した新型インフルエンザワクチンは5389万回分。
そのうち、出荷されたのは約3900万回分です。
そのうちの1600万回分を2月ごろ、第2波に備えるとして回収。
そして2010年の秋になり、全国の医療機関から引き上げたワクチンは239万回分。
6割以上、余ってしまったのです。


さらに厚労省が輸入契約した新型インフルエンザワクチンは、成人で1回の摂取と換算した場合計9900万人分もありました。


厚労省はスイスの製薬会社と契約した2500万人分のうち、2010年3月末、3割を解約しました。解約金はなんと92億円です。購入したのは1662万人分。(2010年)10月には、同社から購入した1660万人分のワクチンを有効期限切れで廃棄したと政府の発表がありました。


イギリスの製薬会社と契約したワクチンは7400万人分。厚労省は解約金なしで3割を解約することができたと言っていますが、同社のワクチンはドイツも3割、フランスは5割を解約しています。日本では5032万人分の在庫を抱えることになりました。最後の使用期限を迎える2020年6月までに、このすべてが廃棄されます。


輸入ワクチンのうちで医療機関に出荷されたのは、たったの2500人分でした。このワクチンも使われたのかどうかはわかりません。」


弱毒性であるにも拘わらず、「パンデミック」を宣言して、ワクチン流通を煽ったのは、WHOである。
だから、カラ騒ぎで、無用なワクチンを大量に購入した国は、全世界に広がっている。
ここで出てくるスイスの製薬会社はノバルティス・ファーマ、英国の会社はグラクソ・スミスクライン(子宮頸ガンワクチン「サーバリックス」のメーカーでもある)である。後者の米国法人はTPPの有力な推進勢力である。


しかし、全ての国がパニックから大量のワクチンを購入した訳ではない。


ポーランドは、この新型インフルエンザ騒ぎの中、新型インフルエンザワクチンを輸入しませんでした。
ワクチンを断固拒否したのは、医師でもある女性の保健相エヴァ・コパチ氏です。

保健相にはワクチンを買えとあちこちから圧力がかかっていたようです。しかし、コパチ氏は屈しませんでした。
…新型インフルエンザより、例年の季節性インフルエンザのほうが危険なのに、と。
そして、コパチ氏はこうも言っています。『ポーランド国民はとても賢いのです。嘘を見抜くことができます』と。
日本では大手マスコミがあれだけ脅し、国民総摂取の流れをつくり、世論を動かし、全国民分のワクチンを用意したのです。
戦争に突入する時もこういう経過を採るに違いないと空恐ろしさを感じるような流れでした。
けれど、それでも結局、新型インフルエンザワクチンを打ったのは2000万人程度。
実際に打った人数としてはいつもの季節性インフルエンザワクチンと同じくらいです。国民全員がワクチンに走ったわけではない。
私はここには、救いがあると思うのです。」


ここで浮き彫りになっているのは、日本の政府、官僚、研究者が挙げて、ワクチン・ビジネスで利益を貪ろうと蝟集する構造である。
その美味しい市場を海外メーカーまで広げてやろうという勢力が、国会や官庁や学界の中枢にいるということだ。
そして、そのための原資は副作用対策も含めて、われわれの税金で賄われる。


インフルエンザワクチンは要らないというのが、母里氏の趣旨である。
1980年代までには、大規模な疫学調査によってインフルエンザワクチンは効かないという研究結果が出ていた。
そうした歴史的成果をなし崩しにするように今、大規模なルールの書換がなされている。
経済活動に対する規制は必要最低限でなければならないというルールの下では、薬品の副作用には、厳密な科学的立証が求められる一方、薬品の効用については、一応の有効性が認められれば、厳密な科学的証明までは求められない。


予防接種の撤廃も、企業の公害防止技術も、被害者が運動を起こし、訴訟を通じて勝ち取られた成果だ。
立ち上がった国民には、弁護士と疫学や公衆衛生、その他の分野の多くの専門家がともに寄り添った。
30年とも40年ともなんなんとした歴史を経て勝ち取られた成果が、グローバル企業にとって都合のよいルールを求めるグローバリズムというイデオロギーによって、崩されている。
まずは、その現状を確認することから始めるしかないだろう。


しかし、それにしても、母里氏以外に、研究者として新型インフルエンザワクチンにも子宮頸ガンワクチンにも声を上げる学者がほとんど見いだせないのには、改めて絶望に近い思いを抱かせる事態ではある。

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2014年1月24日 (金)

子宮頸ガンワクチン問題と新型インフルエンザ 企業活動の自由の前の命のあまりの軽さ

TPP(グローバリズム)に関連し、目のくらむような現実を続けざまに知り、少し落ち込み気味である。


1月20日頃から仕切りに新型インフルエンザの脅威を煽り始めている。
そのことと、
1月20日、予防接種・ワクチン副反応検討部会が、子宮頸がんワクチンの副作用を、注射による疼痛の刺激や不安に対する心身の反応であると結論づけた。
したがって、今は暫定的に差し控えている定期接種の積極勧奨を近々、再開する運びになると見込まれることである。


この二つの出来事は、グローバリズムによる企業の一極支配の構造が、企業活動の下位に人間の命を位置づけていることを如実に示している。


とくに後者は実は、SPS(衛生植物検疫措置)に関するルールの問題の深刻性を浮き彫りにしている。


SPSルールは今や、「経済活動に対する制限は、十分な科学的証拠に基づいて必要性が示された場合に限られる」、
「科学的証拠が十分でない場合の制限は、重大な損害が想定される場合に、追加的科学的証拠を収集するに必要な時間だけに限られる」
として、経済活動全般に対する原則になっている。
米国流のSPS解釈はそのようなもので、日本は、それに巻き込まれていることを示している。
米国議会の2014年貿易重点法によれば、「確固とした強制可能なSPS」を求めるとしている。


生命が経済活動の下位に位置づけられる、そんな世界にしてしまってよいのか。


時間がないので、走り書きである。


被害者の親のブログを紹介します。


みかりんのささやき~子宮頸ガンワクチン被害のブログ~」


このブログで、全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会の緊急声明が紹介されているので、末尾にペーストする。
かつての公害や薬害の歴史を知っている人であれば、今回の、厚労省の問題の進め方が、甚大な被害を払って到達した、疫学的な予防原則的な考え方と、全く違ったものになってしまっていることに気づいていただけるのではないかと考えている。


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                     緊 急 声 明
2014年1月21日
全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会

平成26年1月20日開催の予防接種・ワクチン副反応検討部会は、HPV(子宮頸がんワクチン)の副反応を、注射による疼痛の刺激や不安に対する心身の反応であるとました。

そ して、接種後一ヶ月以上経過してから発症している症例については接種との因果関係は乏しいとし、3ヶ月以上続く症状に関しては、接種以外の要因が関与して いるとしました。しかし、これらの結論は、多様な症状に苦しむ被害者の病態と被害実態を正しく把握し検討したものとは到底受け止められません。

部会の結論によって、接種から1ヶ月を経て症状を発症した被害者は切り捨てられました。また、長期に苦しんでいる被害者は、接種よりも被害者自身の問題が大きいのだと突き放されたようなものです。部会の結論は被害者の苦しみにむち打つものです。
集学的診療体制の整備によって64パーセントが改善されたとする研究報告などが根拠とされていますが、これは被害者の実態と大きくかけ離れています。

複 数の医療機関に通っても、症状の改善がなく、苦しみ続けている被害者が全国に多数いるのです。この状況は、指定病院ができてからも基本的に変わりません。 そもそも全国に17しかない指定病院に通える被害者は限られています。また、すがる思いで指定病院を受診して失望し、通うことをやめた被害者も多数いるの です。実態を知らなすぎます。
安心して接種が受けられるようにするとのことですが、誰に被害がでるのか分からず、被害にあっても治療方法が確立していないのに、これほど多くの被害者が救済されないままであるのに、どうして新しく接種を受ける少女たちに安心など提供できるのでしょうか。

部会の結論に強く抗議します。
検討をやり直してください。
定期接種の積極推奨再開はしないでください。
速やかに国を挙げて全接種者の追跡調査を実施すること、真の原因究明、治療体制の確立、被害者の救済を強く求めます。

2014年1月20日 (月)

白井聡著 『永続敗戦論』を読んで

少し前に白井聡氏の『永続敗戦論』を読んだ。
知的挑発に満ちた書で、大いに刺激を受けた。
『永続敗戦論』は、昨年3月の発行なので、まだ橋下『慰安婦』『風俗』発言も、麻生『ナチスを見習ったら』発言も、まして参議院で圧勝した安倍政権による秘密保護法問題も、総理の靖国参拝問題も、辺野古埋立承認問題も起きていなかった。
さらに言えば、中国の防空識別圏問題も、日韓間の今ほど激しい民族感情の対立も顕在化していなかった。
この著作の大半は、2012年12月の衆議院選挙すら実施される前に執筆されているものと思われる。
にも拘わらず、白井氏の議論は、今、何が起きているのかを正確に言い当てている。
氏の結論は、明快である。
日本は、敗北に終わった筈のあの戦争を戦い直すだろう。


繰り返すが、この本の大半は、2012年12月衆議院選挙で自民党が圧勝する前に執筆されたと思われる。
世論の過半が、場合によっては大半が、A級戦犯が合祀された靖国神社に対する総理の参拝を支持するという目のくらむような現実を目の当たりにした、今、そのリアリティは否定すべくもないほどになっている。


法律的には、ほとんど自明のことだから、繰り返す必要もないことではあるが、総理の靖国参拝こそ、国際社会に対して、戦後レジームからの脱却を凝縮的に象徴する行為である。
この行為によって、日本は、国際社会に対して、敗戦国であることを法律的に否定することができるのだから。
日本が占領統治から独立できたのは、東京裁判の結果の全面的受諾が大前提となっている(第11条)。
①東京裁判の受諾、そして②日本の米軍後方兵站基地化、③沖縄の切り捨てと引き換えにして、日本は戦争賠償のほとんど免除される(サンフランシスコ講和条約14条)という異例ともいえる寛大な講和を得ることができたのである。


第十一条
 
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が 課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定 及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過 半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。


  第十四条
 (a) 日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、
存立可能な経済を維持すべきも のとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承 認される

 

 よつて、

 

  1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作 業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみ やかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合に は、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。 

 


14条の寛大な講和は、日米安全保障条約体制の確立と引き換えになるが、11条は、これなくして講和条約はあり得ないほどに、決定的前提となる条項である。
勝者の裁きに敗者である日本は従う、これが米国を主体とした西側連合国が日本に突きつけた条件なのだ。


したがって、A級戦犯が合祀された靖国神社に対する総理の参拝は、サンフランシスコ講和条約の直接の当事者にならなかった、中国や韓国以上に、直接の戦勝国であるアメリカに対する、冒涜と背信の意思表明に他ならない。
そして、知ってか知らずか、多くの国民は、そうした安倍氏の靖国参拝を支持する。


一方で、屈辱のTPP・日米FTA、大多数の国民の意見を無視した原発の再稼働(原子力技術の保持)、秘密保護法強行、辺野古移設の推進の着手、そして「集団的自衛権」容認への憲法解釈変更へと、極端な対米屈従の政策を強行し、日本の『敗戦』を具現する同じ人物が、
同時に他方では、公然と、戦後レジームであるサンフランシスコ講和条約を否定する。
靖国参拝だけではなく、『侵略』否定への志向や、河野談話・村山談話見直し志向と合わせれば、安倍氏が明らかに日本の『敗戦』を否定する言動に出ていることは明らかであろう。


これは普通に見る限りは、完全にねじれていて理解不可能な状態である。


このねじれ状態について、白井氏の「永続敗戦論」は、一貫した視点を与えてくれる。


氏の議論を僕流に翻案すれば、こういうことになる。
顕教と密教という、書の終わり近くで出てくる喩えを使うのが、僕には最もわかりやすい。


顕教では、日本は「終戦(敗戦を否認する)」によって戦争を終え、「平和と繁栄」の日本を築いたという戦後の物語が語られる。
密教では、日本の「敗戦」を前提とした、徹底した「対米従属」の状態が続けられてきた。


米国の力が圧倒的であり、地政学的な位置から、日本が対米従属によって利益を得られる限り、顕教の世界と、密教の世界の間に表立った矛盾は生じない。
今、懐かしまれる戦後とは、そうした幸運な時代であった。


しかし、米国の衰退が顕著になり、日本を寛大に扱っているだけの余裕がなくなる。
一方で中国を初めとする諸国が台頭するという多極化の世界が始まりつつある。
こうした時代状況では、密教の『敗戦・対米従属』の世界が露わになってくる。
衰退した米国にとっては、今や、日本は、第一次的に収奪の対象である。
また、米国は台頭する中国との間で無用な軍事的な対立は望まない。


このような状況は、「敗戦」を否認して、『戦争を終え、平和を拓いた』とする顕教の教えを危うくする。
米国による極端な収奪的構造は、『敗戦国』に対して、なすかのようだ。
少なくとも対等な「終戦国」に対してなすべき振る舞いとは思われない。
中国や韓国の台頭と生意気な物言いは、「ともに和を開いた」に過ぎない相手国としては、度が過ぎる。


今、日本が直面しているのは、『物品・役務賠償』(いうまでもなく、これはODAと等価であり、海外における公共事業の展開である)というサンフランシスコ講和条約体制によって曖昧にし、免れてきた戦争責任に改めて向き合わなければならないという事態である。
それは、否応なく、『敗戦』という事実の承認を迫る。
しかし、「終戦」という中立的な立場から語られてきた顕教は、この事実は到底、承認できない。


ここで、『敗戦』の現実を回避し、『終戦によって開かれた平和と繁栄』という顕教の物語を守ろうとすれば、否応なく、終わっていたはずの戦争を再開して、勝利するか、少なくとも五分五分に持ち込むことによって『終戦』を実現する以外に途はない。


安倍首相の靖国参拝は、この文脈の中では、極めて論理的な位置を獲得できる。
サンフランシスコ講和条約の大前提となる東京裁判の否認は、何よりも『敗戦』という身も蓋もない現実に対する強烈なアンチテーゼである。
そして、その枠組み(まさに“戦後レジーム”である)を否定することは、法的には、連合国(国連)による占領統治へ戻ることを意味する。
むろん安倍首相はそのようなことを望んではいないはずだ。
実に『終戦(負けてはいない)』は安倍首相の本音でもあるからだ。
東京裁判の大前提となるポツダム宣言の受諾も撤回することによって、『敗戦』を否認する立場は完結することになる。
それはすなわち、戦争状態の復活である。
敵国は、米国であり、中国であり、植民地である韓国である。


白井氏は、戦争を再び戦うという不吉な論理的帰結を、マルクスの箴言「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」を引用して指し示す。
さらに論理的帰結の不可避性をヘーゲルの箴言を引用して重ねて確認することまで行っている。
「偉大な出来事は二度繰り返されることによってはじめて、その意味が理解される」

そして、氏は、専門以外の分野にわたる、この著作をなした動機を、あのガンジーの言葉を引用して説明する。
「あなたがすることのほとんどは無意味である。それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、あなたが世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」


知的挑発に満ちた絶望的な傑作である。
白井氏の絶望を僕も共有させていただきたい。

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追記(1月26日)
白井氏の著書は、日本は戦争を戦い直すだろうとしながら、日本の指導者にはその度胸はないとも述べている。
まして、対米戦争をするなどとは白井氏は述べていないことを付け加えておかないと、不正確に過ぎるかもしれない。
対米戦争になるというのは、あくまで僕の、法律論理的な帰結を述べたものだ。
しかし、今の安倍首相の勇ましい言動は、本当に、欧米も敵とする戦争に向かいかねない勢いだ。
安倍首相は1月23日、今度は、ダボスで現在の日中関係に関する質問に対して、第一次世界大戦における英独の関係を引き合いに出したことが、ヨーロッパで衝撃的に受け止められている。
首相のいさましい言説は、世界中を相手にし始めているということを早く気がつかないととんでもないことになりそうだと、臆病な僕は怯えている。

 

2014年超党派議会貿易重点法の解説と米議会審議の模様 解説サイトのご紹介

『方谷先生に学ぶ』のブログ主さんがアメリカ国内法と、今回の貿易重点法の関係について適切な解説をされた上、その後の議会動向についても、実に適切な紹介をされていますので、ご案内させていただきます。

2014年TPA法案提出される(1月18日)

2014年TPA法案と議会動向(1月19日)

2014年TPA法案 上院公聴会の模様(1月19日)


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2014年1月18日 (土)

マチベンの間違い 米議会に提出されたのは貿易促進権限法ではない

前衆議院議員の首藤信彦氏が、1月9日に米議会に提出された大統領に貿易権限を授権する法律について書いておられる。


2014年貿易重点法(TPA)とは何か?


何と、今回の法律の名称は「貿易促進権限法」ではなく、「貿易重点法」なのだという。


詳細は、首藤信彦氏の論考をご覧いただきたいが、英語で同じようにTPAとの頭文字になるので、提出された法案が、予想されていたものとは異なることが見過ごされる可能性があることを指摘している。
そして、今回の法案が、これまでの大統領授権法とどこが異なるのかについて、検討されておられる。


意図して、同じ頭文字になる法案を提出して、ごまかすべき意図がアメリカ側のどこかにあるということなのだろう。


大統領は授権されない限り、貿易に関する協定の締結権限がないのであるから、この法律が大統領の交渉権限を拘束し締結すべき通商協定の内容を予め決定しているという点は従前の法律と同様である。
そして、首藤氏の分析によれば、今回の似て非なる「TPA」による米国の要求水準は、2002年版貿易促進権限法より、
さらに、
いっそう、
はるかに、
おそろしく、
厳しく、
高い水準のものとなっていることが確認できる。
交渉相手のことなんてのは、
少しも、
いささかも、
これっぽっちも、
全く、
全然、
考えていないのである。


1月16日付ブログでは、頭文字と新聞報道に完全に惑わされて、「貿易促進権限法案2014年版が上程された」などとわかった風なことを書いて、完全に間違ったマチベンである。
朝日新聞のことを嗤うことはできぬ。
“馴れない横文字、怪我のもと” である。 


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これほどの内容では、12ヶ国のTPP合意は不可能だろうとする首藤氏の見通しに賛成である。
他方で、日本政府は、最後まで付き従うのだろうと考える。
結局、米韓FTAの水準すらはるかにしのぐ、恐ろしく極端に従属的な日米FTAによって、日本の国民は、多国籍企業の餌食にされるのに違いない。
アメリカ側から主張される、【確固とした強制可能なSPS】などというのはまっぴらごめんである。悪夢以外の何物でもない。

これが問題の法案らしい。
直訳すると「2014年超党派議会貿易重点法」になるようだ。

2014年1月17日 (金)

『SHALL』と『SHOULD』 朝日新聞TPP記事の間違い

1月16日付朝日新聞「けいざい深話 TPP最終攻防2」の記事はTPP交渉の舞台裏を取材したという触れ込みの記事のようである。
そこに下記の件(くだり)がある。


フロマンが「今日はこのテキストをまとめよう」と切り出すと、ある箇所を「SHOULD(~すべきだ)」にするか「SHALL(~の方がいい)」にするかで紛糾。時間はむなしく過ぎていった。


これは、ごく最近になって英語の法律文を読むようになったマチベンから見ても、明らかに間違いだと思われる。


法律用語としては
「should」は「~するように努める」であり、
「shall」は「~しなければならない」であるから
「shall」は強い拘束力があるが、「should」はそうではない。
朝日の記事では、この関係が逆になっている。


しかも、「should」にするのか「shall」にするのかでは、法的な意味が決定的に違う。
前者の違反は違法ではないが、後者の違反は直ちに違法になる。
努力義務規定と法的義務規定と理解してよいのではないかと思われる。
したがって、「時間はむなしく過ぎていった」も間違いで、この問題は交渉の正念場になる。


ところで、朝日新聞はいち早く昨年9月4日のTPP関連記事から『ISD』との呼称を『ISDS』に改めている。
理由については、政府の呼称に統一したと述べている。
しかしながら、政府は、2011年以来(それ以前からかも知れないが)、一貫してISDSの呼称を用いている。
したがって、この時期(2013年9月4日)になって、政府の呼称に合わせて『ISDS』に改めるべき理由は見当たらない。
普通に考える限り、当時、政府に取材した記者が、政府から『ISD』ではなく、『ISDS』にしろと言われて、それにしたがったのではないかと想像される。
「投資家私設法廷制度」の横文字呼称など、別にどちらが正しいという問題ではないことは、昨日述べ通りだ。


朝日新聞の今回の交渉内幕記事も、当然、政府に取材して書かれていると思われるのだが、政府は、どうでもいいような呼称の統一については拘るが、基本的な法律用語の間違いについては、どうでもよいと考えて説明してあげなかったようである。
今朝の朝日新聞を見ても、訂正記事がないので、政府は、記事が間違っていたよと、朝日新聞記者に教えてあげるという親切心も持ち合わせていないようである。


天下の朝日新聞が、法律的な間違いを犯すのは、読者にとって問題がある。
他に教えてくれる人もいないようなので、仕方がないから、離婚だとか不倫だとか相続だとか市井の事件しか扱っていないマチベンが親切にも教えてあげる。
訂正してね。
(ついでに、TPPに関わる法律問題について取材するときにはマチベンにも取材してね(^^)V)


それにしても、TPPについては、政府も学者も、どうでもいいことに拘って見せて、肝心なことは教えない。
ISDについても、15日のNHKニュース9では、カナダのISD反対の学者に取材していたから、海外では活発な論争が学者の間でも続いているはずなのに、そうした紹介すらされない状況だ。


よらしむべし知らしむべからず。
これが政府と推進派の本音である。

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2014年1月16日 (木)

『ISD』と『ISDS』  国際経済法学者のおごりと卑屈

超党派貿易促進権限法2014年版が、米国議会に上程されたこともあるのか、新聞紙面やテレビでもTPPが採りあげられる機会も増えたようだ。
2007年7月1日に失効した2002年版超党派貿易促進権限法は、わずか1票差で可決されたものだ。
メディアが可決の可能性が高いような報道を続けているのは、その危うさを覆い隠している。
与党の民主党が反対だというのだから、「年内妥結を急ぐのは、オバマ大統領が2014年の中間選挙で有利な材料を得るためだ」という、これまでマスコミの触れ込みとの関係も明らかにしてもらいたいものだ。
何よりも、過去数年にわたって、オバマ大統領には何の交渉権限もなかったことをマスコミは伝えてこなかった。
合衆国憲法上、交渉権限は、貿易促進権限法による議会の授権があって、初めて生じるという一番わかりやすい説明をまずすべきだろう。


さて、マスコミはこれまで「ISD」と呼んでいた投資家対国家紛争解決(Investor-State Dispute Settlement) 制度を、最近、いっせいに「ISDS」と呼び変えているように見受けられる。


英語の頭文字を全て並べれば、ISDSであることは最初からわかっていたことであるので、この呼称の転換は、何らかのきっかけがあるのだろう。
国際経済法学会では、最近、「投資家対国家紛争解決制度の呼称は『ISDS』でなければならない」という主張がなされているようだ。
専門家である国際経済法学者の指摘を受けて、一斉に呼称変更を行ったようである。


最近、国際経済法学者との会話で、弁護士が『ISD』と略称したところ、「ISDでは通じない。ISDSでなければならない」と本筋でないところで、諭されたという話も聞くので、国際経済法学者の中では、ずいぶんとこの主張が広がっているようなので、この点を考察しておきたい。
どうも国際経済法学者は、真剣に『ISDS』でなければならないと思いこんでいるようである。


これは、考えてみれば、ずいぶんと奇妙なことである。
『テレビ』が英語では『テレビジョン』であることは、誰もが知っている。
しかし、『テレビジョン』と呼ぶべきだなどとは誰も言わない。
大げさにさかのぼれば、明治の先人は、ソサイアティやフィロソフィ等、日本の概念にないものを敢えて『社会』とか『哲学』という日本語を作り上げ、日本社会に広く流通する概念にするように工夫した。
『ラブ』でさえ、日本語には該当する言葉がなかったから『愛』という言葉を当てることにしたと聞く。


学習会などで講師をすれば、すぐわかることだが、一般市民は、アルファベットを極端に嫌う。
とくに年輩の方に話をするときは、極力、避けなければ、たださえわかりにくい話が、頭から毛嫌いされたりする。
横文字アレルギーである。
TPPを身近な問題として考えてもらうためには、TPAだとか、UNCITRALだとか、ICSIDだとか、あんまり使わない方がよろしい。
だから、僕は、横文字はできる限り最低限にするように努めている。
「ISDS」ではなく、すでに「ISD」で普及しているのだから、今さら、何もわざわざ「ISDS」に変更する必要など毫もありはしない。


参考までに言えば、英語圏での略称も統一されているわけではない。
たとえば、反グローバリズム運動に取り組むアメリカの代表的な市民団体であるパブリックシティズンは、『ISD』と略称している。
また、国際経済研究の分野では世界有数の研究機関とされることのあるピーターソン国際経済研究所の文献でも、略称として『ISD』が用いられている。


であるから、今さら、『ISDS』と呼び変えて、覚える苦労を増すのはいかがなものかと、思うのである。


国民にとって大問題であるから、やはりここはわかりやすい日本語を考えるべきで、僕は今のところ「投資家仲裁」(ただし、「仲裁」自体がわかりにくいのが難点で、「喧嘩の仲裁」と同じように、あくまでもプライベートな解決方法です」と付け加える)、「投資家私設法廷」とでも呼ぶのが一番、穏当かと考えている。


いや、それにしても、漏れ伝わる国際経済法学者の姿勢は、想像以上に偏狭である。
別に「テレビ」を「テレビジョン」と呼べなどと強制しなくてもいいではないか。
呼称を強制するのであれば、「パブリックシティズン」や「ピーターソン国際経済研究所」にも、「『ISDS』でなければならない」と教えてあげるのが筋だろう。
それができず、国内でだけ、『ISDS』でなければならないと言い張るのであれば、それはおごりであり、卑屈であるというべきだろう。



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2014年1月 9日 (木)

辺野古埋立承認 世界の良識と日本の常識

 

 マチベンでも名前知っている著名人(^^)V


琉球新報 2014年1月8日

「辺野古移設中止を」 海外識者29人が声明2014年1月8日

   ノーム・チョムスキー氏
   オリバー・ストーン氏
 ジョン・ダワー氏(マサチューセッツ工科大HPより)

  米国やカナダ、オーストラリアほかヨーロッパの世界的に著名な有識者や文化人のグループが8日午前(米国時間7日)、「沖縄への新たな基地建設に反対し、 平和と尊厳、人権、環境保護のために闘う県民を支持する」との声明を発表する。声明には名護市辺野古への普天間飛行場の移設中止と、同飛行場の即時返還の 主張を明記する。

呼び掛け人には言語学者のノーム・チョムスキー氏や、アカデミー賞受賞の映画監督オリバー・ストーン氏、北アイルランド紛争の解 決に尽力したノーベル平和賞受賞のマイレッド・マグワイア氏ら29人が名を連ねた。普天間問題について、世界的な識者らが連名で声明を発表するのは異例 だ。

 呼び掛け人はほかに終戦直後の日本の民主化に焦点を当てた「敗北を抱きしめて」でピュリツァー賞を受賞した歴史学者ジョン・ダワー氏、アカデミー賞受賞 映画監督のマイケル・ムーア氏、国連のパレスチナ問題特別報告者でプリンストン大名誉教授のリチャード・フォーク氏、琉球新報社の池宮城秀意記念賞を受賞 したガバン・マコーマック氏、ジャーナリストで「ショック・ドクトリン」著者のナオミ・クライン氏らが名を連ねる。

 声明文は、安倍晋三首相の求めに応じ、仲井真弘多知事が普天間飛行場の辺野古移設に向けた埋め立てを承認したことに対し「人間と環境を犠牲にして沖縄の軍事植民地状態を深化し拡大させるための取り決めに反対する」と表明する。

 辺野古移設について、近年の県民世論調査で7~9割が反対していることに触れ、県外移設を公約に掲げた知事が埋め立てを承認したことを「県民の民意を反 映したものではない」と指摘、「県民に対する裏切り」と批判する。普天間飛行場について「終戦後返還されるべきだった」と述べ、普天間の返還について「条 件がつくことは本来的に許されない」と主張する。

 米平和団体アメリカンフレンズ奉仕委員会のジョセフ・ガーソン氏は声明の目的について、「沖縄の約70年にもおよぶ軍事植民地化を終わらせ、自らの尊厳と人権を守り、平和と環境保護を確保するための非暴力運動への国際的支援を集める」と述べている。

<声明全文>(PDFファイル158KB)

英文へ→International scholars and peace advocates support Okinawan struggle to oppose the Henoko landfill


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2014年1月 3日 (金)

日本の国力について

年末の再放送番組の中で、美輪明宏さんが、高校生か大学生を相手にコンサートする番組があった。
質問の時間になり、これからの日本の展望に関連して、自分たちは何を重視すればよいのかという、若い人の問いかけに、美輪さんは、即座に「文化です」と答えていた。
他にも、美輪さんの受け答えは素晴らしかったが、この応答も、素晴らしかった。
日本文化は、誇りをもっていい。
政治家を初めとする一部の人たちが、これを、明治期以降の、欲望にまみれてしまった、日本全体の精神史からみれば、逸脱としか言いようのない一時期に結びつけるから話がややこしくなるが。


戦後日本の著しい文化に「平和」があった。
少なくとも、国際社会で日本は、平和国家として受け止められてきた。
だから、毎年行われているBBCの好ましい影響を与える国に関する世界各国の意識調査で、日本は、いつも最上位近くにランクされてきた。
とくに人口1億を超えるような国では、常にダントツの好感度を誇ってきた。


好戦的で野蛮な国家だとみなされた極東の島国が、欺瞞に満ちているにしろ、平和国家のブランドを勝ち得るまでには、営々とした積み重ねがあった。
冷戦崩壊後、長らく、僕は、非武装防衛論は現実的な選択肢になったと考えてきた。
その裏付けが、平和国家ブランドだった。


現代国際法によれば、侵略は違法であり、集団的安全保障による強制措置の対象である。
したがって、侵略国は国際社会で孤立し、制裁を受け、結局撤退せざるを得ない。
それが、国連憲章を中心とする国際法の帰結だ。


理想通りには行かないのは、その通りだろう。
裏付けとなる国力や防衛力が必要なこともそのとおりだろう。
しかし、何より、平和国家ブランドは、国際社会の同情を誘い、侵略国を孤立させるための、最大の国力であり、文化であった。
だから、日本国民は、不服従であればよい。
そう僕は考えてきた。


さて、2013年、日本国民が戦後、営々として築いてきた平和国家ブランドはどうなっただろう。


世界中を駆けめぐった日本の指導者の言動の数々。


4月、ニューヨークで行われた猪瀬都知事の中東侮辱発言。
6月、橋下大阪府知事の『慰安婦』合理化『風俗』発言。
7月、麻生副総理の『憲法改正は、ナチスを見習ったら』発言。


そして、何より、12月の秘密保護法強行採決から首相の靖国参拝に至る動向は、世界中に、日本の国家主義の台頭を鮮明に印象づけただろう。
『同盟国』(宗主国)のアメリカ国民ですら、日本国家の印象を変えざるを得ない事態であったろう。


今年のBBCの好感度調査は、5月に発表される。
そのとき、私たちが失ったものが、どれくらい大きいのか、私たちは確認することができるだろう。
中国や韓国、あるいはアメリカと並ぶ程度の好感度(悪感度)に失墜していれば、危機に入っていることが明確になる。

築き上げるのに60余年、壊すのにはたった1年で十分なのかもしれない。

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2014年1月 2日 (木)

靖国参拝と辺野古埋立承認

年末のどさくさに紛れて、よくやってくれたものだと思う。
12月26日 安倍首相靖国神社参拝
12月27日 仲井真沖縄県知事辺野古埋立承認


この二つの出来事は、少なくとも二つの意味で、同じことの裏表である。


最も見やすいのは、先の戦争を正当化し、A級戦犯を合祀する靖国神社への参拝は、先の戦争は正しかったとする意思の表明であり、したがって、沖縄を捨て石にした本土の戦略は正しかったということの表明である。
ゆえに、再び本土のために沖縄を踏みつけにして、何が悪いということである。
辺野古基地は、普天間基地の基地機能をはるかに強化した最新鋭基地である。
完成まで9年、その後の供用期間を考えれば、今後50年間は本土の民は、沖縄を踏みつけにするということだ。
平成の沖縄処分である。


二つめは、アメリカ覇権の後退だ。
議会の反対のためにシリア攻撃に踏み切れず、また、TPPも議会から授権される目処が立たないアメリカ政府は、軍事・経済の両面で衰退が明白になってきた。
アメリカ覇権の後退は、世界情勢を不安定化させるだろうと指摘されてきた。
中東やアフリカ情勢の不安定化はまさにそれだろう。
しかし、日本で起きていることも、まさにアメリカ覇権の後退を象徴するできごとであり、この点でも年末の二つの出来事は裏表の関係だ。
まず、靖国参拝。
アメリカが日本の首相の行動に明示的に反対の意思表示を行うことは、おそらくかつてなかったことだ。
重要な同盟国のトップに対して、そのような意思表示をしなければならないということは、アメリカが同盟国のトップをコントロールできないという事態を意味している。
帝国としては恥ずかしい限りであろう。
アメリカ覇権の後退は、遠い国の出来事ではない。
今、日本で起きていることが、まさにそれだろう。

他方で、辺野古基地移設。
ここではアメリカ覇権がなお健在であるかのように見えるかもしれない。
しかし、中国の台頭を踏まえ、アジアへのリバランスを掲げるアメリカの軍事戦略としては、できれば中国の中距離ミサイルの射程圏に基地を置くという愚は避けたい筈である。
したがって、日本に駐留させている兵員は引き揚げたい筈である。
ところが、機動的に動けない。
財政事情のためである。
アメリカ本国に置くよりコストがかからない日本に駐留させ続けざるを得ないということになる。
基地更新の費用を日本に肩代わりさせざるを得ない、したがって、不本意ながら、沖縄に新基地を持たざるを得ない。
辺野古基地もアメリカ覇権の後退の表れに見える。


今、世界は、パックスアメリカーナと呼ばれた構造の崩壊過程を迎えている。世界秩序は当分、不安定期に入る。
そして、安倍首相という、すぐれて特異な個性を選んだ日本国民は、不安定化する世界情勢の最先端に置かれるであろうという、新年早々、甚だめでたくない見通しを持たざるを得ない次第である。


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2014年1月 1日 (水)

生命倫理とグローバリズム

このニュースは、おそらくTPPを初めとするグローバリズムの問題の核心に関わっている。


朝日2013年12月30日04時54分
遺伝子異常、卵子で一括診断

 【大岩ゆり】受精前の卵子を壊さずに、筋ジストロフィーなど数千種類の病気を起こす染色体や遺伝子の異常を一度に見つける方法を、米ハーバード大と北京大の研究チームが開発した。9割以上の精度で異常を見つけることができた。チームはこの手法で「より健康な卵子」を選んで体外受精で出産する臨床研究を始めるという。専門家は生命の選択につながると懸念している。

 新手法は、妊娠後に行う出生前診断と違い、診断結果で中絶せずに済む。受精卵の一部を取り出して調べる着床前診断とも違い、受精卵を傷つけずに済む。しかし、新手法は体外受精が不可欠だ。また、親が好む容姿や才能をもたらしそうな遺伝子の卵子を選んで赤ちゃんを作る「デザイナーベビー」を現実化する技術だとの懸念の声もある。

 検査には卵子のもとになる「卵母細胞」を使う。成熟して卵子になる途中で細胞の外に排出される染色体のDNAをすべて分析し、卵子に残る染色体や遺伝子の異常を予測。染色体や遺伝子異常で起きる数千種類の病気を一度に調べる。


青色で記したが、『「より健康な卵子」を選んで体外受精で出産する臨床研究を始める』としており、それが『親が好む容姿や才能をもたらしそうな遺伝子の卵子を選んで赤ちゃんを作る「デザイナーベビー」を現実化する技術』につながっているという点は重要だ。


記事では、日本産婦人科学会の出生前診断検討委員会委員長の久具宏司東邦大学教授の談話も引用されている。

新手法は、軽い病気の有無や身体の特徴も網羅的に予測できる。その情報を基に卵子を選べば、デザイナーベビーに大きく近づき、命の選択につながる。実用化には慎重な検討が必要だ。


久具氏が「実用化には慎重な検討が必要だ」とするとおり、この問題は、生命観や人間観に関わる、すぐれて倫理的な課題だ。
劣等な生命を間引くことができるという差別思想との線引きをどうつけるのか、極めて困難な課題だろう。
現実に、過去には、『命の選択』(優生学)は、欧米各国では、いわれのない民族差別に行き着いた。
その破滅的な例が、ナチスの民族浄化であったし、日本人の隔離・強制収容に至ったアメリカ移民法であった。
公平のために付け加えれば、日本の優生保護法も障害者やハンセン病患者差別の温床となった。


日本では、少なくとも出生前診断ですら、臨床試験の形態で慎重に検討しようとする文化がある。(拙ブログ12月18日付


さて、この記事を書いた記者自身が、おそらくTPPあるいはグローバリズムとの関係を意識していないと思われるのが、最大の問題だ。


象徴的に、アメリカと中国の代表的な大学の共同研究だという事実を挙げておこう。
この研究は、営利目的の研究だと断定してよい。
この成果は、直ちに特許申請されるだろう。
「より健康な卵子を選んで」体外受精で出産する臨床研究が終われば、巨大な市場利益が約束されている。


将来、Sランクとか、Aランクとか区分けされたサービスが開発されるだろう。
『代金にしたがい、お望みの子どもを授かることができます。』
お金持ちが、それを望むことが、なぜいけないのでしょうか。
そして、企業が、顧客のニーズに基づいて、高度なサービスを提供するのがなぜいけないのでしょうか。


TPP、グローバリズムの論理では、サービス産業に対する規制は、『客観的かつ合理的』なものでなければならないとされる。
ここで『客観的かつ合理的』が何を意味するのか。
グローバリズムの論理は、企業活動に対する制限は、必要かつ最低限のものでなければならないことを基本原則とする。
『客観的かつ合理的』とは、そうした基本原則に立ってもなお容認すべき制限なのかという尺度だ。
したがって、少なくとも、誰かの利益が損なわれるくらいのことがなければ、「客観的」とも「合理的」とも評価されないと考えてよい。


この技術に対する規制を検討してみよう。
親が望む子どもを作ることは、一見して誰の利益も害することではないだろう。
『命の選択』につながるという指摘は、非科学的で情緒的なもので『主観的』(非『客観的』)なものでしかないだろう。


社会が倫理的観点から抑制的に検討するため、技術の導入に猶予を求めようとしても、グローバリズムはそれを許さない。
社会的な議論の末に国家がこれを規制しようとしても、グローバリズムはそれを許さない。
TPPを締結するということ、あるいは日米FTAを締結するということは、進んでそれを選択するということを意味する。


このニュースを伝えたのは、ざっと見た範囲では朝日新聞だけのようだ。せっかく、この微妙な問題を伝えながら、グローバリズムとの関連性の自覚が、残念ながら、メディアのどこにも存在しないことが返す返すも悔しい。


TPPを選ぶということは、一国では、生命倫理の問題にすら、決して結論が出せない国になるということだ。
金儲けのために、子どもの遺伝子を左右することができる社会を、望むということだ。
とうてい、そのレベルの認識に、この国のメディアはどこも達しようとしない。


それにしても、遺伝子組み換え作物といい、卵子による遺伝子一括診断による生命選別といい、この人知に対する万能感と、所有欲には強い違和感を覚える。
遺伝子組み換え作物に関して宣伝されるあれこれが、自然に復讐された幾つもの実例から破綻していることは明らかになりつつある。
おそらく卵子の遺伝子検査によって、子どもを思うように左右できると考えたことは、科学的な誤りであった、という結論がやがては待っているはずだ。
還元主義で理解できるほど、生命は単純ではない。



12月20日には、山中伸弥教授を初めとする京都大学のチームが、iPS細胞作製法に関する最も包括的な特許の取得に成功したことが報じられた。
それは、iPS細胞が、金儲けの道具とされることを防ぐためだ。
山中教授は、極めて早い段階から、特許取得を急いでいた。
山中教授は、グローバリズムに自覚的だった。
分かち合うために特許の取得を急いだのだ。
そうした人こそiPS細胞作製法の発見者にはふさわしい。


強欲競争では、日本はアメリカにも中国にも敗北必至だ。
でも、結構いいんじゃないの、日本は。
分かち合うことを独占することより優先するんだから。
日本文化とはそういうものだと、小さな声で呟いてみる。


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付け加えれば、世界大学ランキングなどというものは信用しない方がよい。
企業にとって都合のよい大学が上位にランクされる仕組みになっていると理解するのが真っ当だろう。
したがって、日本の大学が下位に低迷するのは喜ばしいことだ。

お勧め『月刊日本』1月号  グローバリズムによって空洞化される国家

新年に当たり、月刊日本1月号をお薦めする。
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秘密保護法について、左派が反対し、右派が推進か若しくは容認という構造の中、正真正銘の右翼誌『月刊日本』は、秘密保護法反対10人インタビューという大特集を組む熱の入れようである。
この雑誌には、立場は違えど、言論人の根性を見る気がする。


月刊誌では『世界』も大特集を組んでいるが、インタビュー形式を採用しているためかどうか、『月刊日本』の方が、はるかに読みやすいのでお勧めである。
自民党議員の反応など、結構生々しい話も出てくるし、公安などの官僚利権の話もわかりやすかったりする。


なぜだか、マチベンもインタビューを受けることになり、『秘密保護法はグローバル企業特権法だ』論をぶってきた。
この雑誌がすぐれているのは、肩書を問わず、何を主張しているのかを重視する編集方針を貫いている点だろう。
だから、マチベンも2回目のご登場である。


Gekkannippon2601


月刊日本のサイトでも内容が紹介されていますが、全部ではないので、以下に全文PDFを掲載しておきます。


「グローバル企業が国家を解体する」(PDF)


突飛なことを言っていると思われているのか、途惑われているようで、今のところ、単独説の趣が強いが、法文を読む限り、確実なことを主張している。


秘密保護法に反対している左派は、経済に苦手意識があるせいか(マチベンは経済は最高に苦手である。だから弁護士所得はほぼいつも最底辺をさまよっている)、経済に人権が絡め取られる現代国際法の趨勢に疎いし、TPPに反対している右派は、グローバリズムはあらゆるチャンネルを通じて、国家の空洞化を狙う狡猾な運動である(狡猾さこそが彼らの最大の武器である)という点の認識が甘いと思う。
どちらも偏見を取り除くことが何より必要である。


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新年だからといって、何もめでたくはない。
青木薫氏の初の書き下ろし「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論」を読みながら、生命と宇宙エネルギーの神秘について妄想を膨らましている。

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