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2014年1月16日 (木)

『ISD』と『ISDS』  国際経済法学者のおごりと卑屈

超党派貿易促進権限法2014年版が、米国議会に上程されたこともあるのか、新聞紙面やテレビでもTPPが採りあげられる機会も増えたようだ。
2007年7月1日に失効した2002年版超党派貿易促進権限法は、わずか1票差で可決されたものだ。
メディアが可決の可能性が高いような報道を続けているのは、その危うさを覆い隠している。
与党の民主党が反対だというのだから、「年内妥結を急ぐのは、オバマ大統領が2014年の中間選挙で有利な材料を得るためだ」という、これまでマスコミの触れ込みとの関係も明らかにしてもらいたいものだ。
何よりも、過去数年にわたって、オバマ大統領には何の交渉権限もなかったことをマスコミは伝えてこなかった。
合衆国憲法上、交渉権限は、貿易促進権限法による議会の授権があって、初めて生じるという一番わかりやすい説明をまずすべきだろう。


さて、マスコミはこれまで「ISD」と呼んでいた投資家対国家紛争解決(Investor-State Dispute Settlement) 制度を、最近、いっせいに「ISDS」と呼び変えているように見受けられる。


英語の頭文字を全て並べれば、ISDSであることは最初からわかっていたことであるので、この呼称の転換は、何らかのきっかけがあるのだろう。
国際経済法学会では、最近、「投資家対国家紛争解決制度の呼称は『ISDS』でなければならない」という主張がなされているようだ。
専門家である国際経済法学者の指摘を受けて、一斉に呼称変更を行ったようである。


最近、国際経済法学者との会話で、弁護士が『ISD』と略称したところ、「ISDでは通じない。ISDSでなければならない」と本筋でないところで、諭されたという話も聞くので、国際経済法学者の中では、ずいぶんとこの主張が広がっているようなので、この点を考察しておきたい。
どうも国際経済法学者は、真剣に『ISDS』でなければならないと思いこんでいるようである。


これは、考えてみれば、ずいぶんと奇妙なことである。
『テレビ』が英語では『テレビジョン』であることは、誰もが知っている。
しかし、『テレビジョン』と呼ぶべきだなどとは誰も言わない。
大げさにさかのぼれば、明治の先人は、ソサイアティやフィロソフィ等、日本の概念にないものを敢えて『社会』とか『哲学』という日本語を作り上げ、日本社会に広く流通する概念にするように工夫した。
『ラブ』でさえ、日本語には該当する言葉がなかったから『愛』という言葉を当てることにしたと聞く。


学習会などで講師をすれば、すぐわかることだが、一般市民は、アルファベットを極端に嫌う。
とくに年輩の方に話をするときは、極力、避けなければ、たださえわかりにくい話が、頭から毛嫌いされたりする。
横文字アレルギーである。
TPPを身近な問題として考えてもらうためには、TPAだとか、UNCITRALだとか、ICSIDだとか、あんまり使わない方がよろしい。
だから、僕は、横文字はできる限り最低限にするように努めている。
「ISDS」ではなく、すでに「ISD」で普及しているのだから、今さら、何もわざわざ「ISDS」に変更する必要など毫もありはしない。


参考までに言えば、英語圏での略称も統一されているわけではない。
たとえば、反グローバリズム運動に取り組むアメリカの代表的な市民団体であるパブリックシティズンは、『ISD』と略称している。
また、国際経済研究の分野では世界有数の研究機関とされることのあるピーターソン国際経済研究所の文献でも、略称として『ISD』が用いられている。


であるから、今さら、『ISDS』と呼び変えて、覚える苦労を増すのはいかがなものかと、思うのである。


国民にとって大問題であるから、やはりここはわかりやすい日本語を考えるべきで、僕は今のところ「投資家仲裁」(ただし、「仲裁」自体がわかりにくいのが難点で、「喧嘩の仲裁」と同じように、あくまでもプライベートな解決方法です」と付け加える)、「投資家私設法廷」とでも呼ぶのが一番、穏当かと考えている。


いや、それにしても、漏れ伝わる国際経済法学者の姿勢は、想像以上に偏狭である。
別に「テレビ」を「テレビジョン」と呼べなどと強制しなくてもいいではないか。
呼称を強制するのであれば、「パブリックシティズン」や「ピーターソン国際経済研究所」にも、「『ISDS』でなければならない」と教えてあげるのが筋だろう。
それができず、国内でだけ、『ISDS』でなければならないと言い張るのであれば、それはおごりであり、卑屈であるというべきだろう。



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