白井聡著 『永続敗戦論』を読んで
少し前に白井聡氏の『永続敗戦論』を読んだ。
知的挑発に満ちた書で、大いに刺激を受けた。
『永続敗戦論』は、昨年3月の発行なので、まだ橋下『慰安婦』『風俗』発言も、麻生『ナチスを見習ったら』発言も、まして参議院で圧勝した安倍政権による秘密保護法問題も、総理の靖国参拝問題も、辺野古埋立承認問題も起きていなかった。
さらに言えば、中国の防空識別圏問題も、日韓間の今ほど激しい民族感情の対立も顕在化していなかった。
この著作の大半は、2012年12月の衆議院選挙すら実施される前に執筆されているものと思われる。
にも拘わらず、白井氏の議論は、今、何が起きているのかを正確に言い当てている。
氏の結論は、明快である。
日本は、敗北に終わった筈のあの戦争を戦い直すだろう。
繰り返すが、この本の大半は、2012年12月衆議院選挙で自民党が圧勝する前に執筆されたと思われる。
世論の過半が、場合によっては大半が、A級戦犯が合祀された靖国神社に対する総理の参拝を支持するという目のくらむような現実を目の当たりにした、今、そのリアリティは否定すべくもないほどになっている。
法律的には、ほとんど自明のことだから、繰り返す必要もないことではあるが、総理の靖国参拝こそ、国際社会に対して、戦後レジームからの脱却を凝縮的に象徴する行為である。
この行為によって、日本は、国際社会に対して、敗戦国であることを法律的に否定することができるのだから。
日本が占領統治から独立できたのは、東京裁判の結果の全面的受諾が大前提となっている(第11条)。
①東京裁判の受諾、そして②日本の米軍後方兵站基地化、③沖縄の切り捨てと引き換えにして、日本は戦争賠償のほとんど免除される(サンフランシスコ講和条約14条)という異例ともいえる寛大な講和を得ることができたのである。
第十一条
日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が 課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定 及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過 半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。
第十四条
(a) 日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきも のとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承 認される。
よつて、
1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作 業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみ やかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合に は、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。
14条の寛大な講和は、日米安全保障条約体制の確立と引き換えになるが、11条は、これなくして講和条約はあり得ないほどに、決定的前提となる条項である。
勝者の裁きに敗者である日本は従う、これが米国を主体とした西側連合国が日本に突きつけた条件なのだ。
したがって、A級戦犯が合祀された靖国神社に対する総理の参拝は、サンフランシスコ講和条約の直接の当事者にならなかった、中国や韓国以上に、直接の戦勝国であるアメリカに対する、冒涜と背信の意思表明に他ならない。
そして、知ってか知らずか、多くの国民は、そうした安倍氏の靖国参拝を支持する。
一方で、屈辱のTPP・日米FTA、大多数の国民の意見を無視した原発の再稼働(原子力技術の保持)、秘密保護法強行、辺野古移設の推進の着手、そして「集団的自衛権」容認への憲法解釈変更へと、極端な対米屈従の政策を強行し、日本の『敗戦』を具現する同じ人物が、
同時に他方では、公然と、戦後レジームであるサンフランシスコ講和条約を否定する。
靖国参拝だけではなく、『侵略』否定への志向や、河野談話・村山談話見直し志向と合わせれば、安倍氏が明らかに日本の『敗戦』を否定する言動に出ていることは明らかであろう。
これは普通に見る限りは、完全にねじれていて理解不可能な状態である。
このねじれ状態について、白井氏の「永続敗戦論」は、一貫した視点を与えてくれる。
氏の議論を僕流に翻案すれば、こういうことになる。
顕教と密教という、書の終わり近くで出てくる喩えを使うのが、僕には最もわかりやすい。
顕教では、日本は「終戦(敗戦を否認する)」によって戦争を終え、「平和と繁栄」の日本を築いたという戦後の物語が語られる。
密教では、日本の「敗戦」を前提とした、徹底した「対米従属」の状態が続けられてきた。
米国の力が圧倒的であり、地政学的な位置から、日本が対米従属によって利益を得られる限り、顕教の世界と、密教の世界の間に表立った矛盾は生じない。
今、懐かしまれる戦後とは、そうした幸運な時代であった。
しかし、米国の衰退が顕著になり、日本を寛大に扱っているだけの余裕がなくなる。
一方で中国を初めとする諸国が台頭するという多極化の世界が始まりつつある。
こうした時代状況では、密教の『敗戦・対米従属』の世界が露わになってくる。
衰退した米国にとっては、今や、日本は、第一次的に収奪の対象である。
また、米国は台頭する中国との間で無用な軍事的な対立は望まない。
このような状況は、「敗戦」を否認して、『戦争を終え、平和を拓いた』とする顕教の教えを危うくする。
米国による極端な収奪的構造は、『敗戦国』に対して、なすかのようだ。
少なくとも対等な「終戦国」に対してなすべき振る舞いとは思われない。
中国や韓国の台頭と生意気な物言いは、「ともに和を開いた」に過ぎない相手国としては、度が過ぎる。
今、日本が直面しているのは、『物品・役務賠償』(いうまでもなく、これはODAと等価であり、海外における公共事業の展開である)というサンフランシスコ講和条約体制によって曖昧にし、免れてきた戦争責任に改めて向き合わなければならないという事態である。
それは、否応なく、『敗戦』という事実の承認を迫る。
しかし、「終戦」という中立的な立場から語られてきた顕教は、この事実は到底、承認できない。
ここで、『敗戦』の現実を回避し、『終戦によって開かれた平和と繁栄』という顕教の物語を守ろうとすれば、否応なく、終わっていたはずの戦争を再開して、勝利するか、少なくとも五分五分に持ち込むことによって『終戦』を実現する以外に途はない。
安倍首相の靖国参拝は、この文脈の中では、極めて論理的な位置を獲得できる。
サンフランシスコ講和条約の大前提となる東京裁判の否認は、何よりも『敗戦』という身も蓋もない現実に対する強烈なアンチテーゼである。
そして、その枠組み(まさに“戦後レジーム”である)を否定することは、法的には、連合国(国連)による占領統治へ戻ることを意味する。
むろん安倍首相はそのようなことを望んではいないはずだ。
実に『終戦(負けてはいない)』は安倍首相の本音でもあるからだ。
東京裁判の大前提となるポツダム宣言の受諾も撤回することによって、『敗戦』を否認する立場は完結することになる。
それはすなわち、戦争状態の復活である。
敵国は、米国であり、中国であり、植民地である韓国である。
白井氏は、戦争を再び戦うという不吉な論理的帰結を、マルクスの箴言「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」を引用して指し示す。
さらに論理的帰結の不可避性をヘーゲルの箴言を引用して重ねて確認することまで行っている。
「偉大な出来事は二度繰り返されることによってはじめて、その意味が理解される」
そして、氏は、専門以外の分野にわたる、この著作をなした動機を、あのガンジーの言葉を引用して説明する。
「あなたがすることのほとんどは無意味である。それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、あなたが世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」
知的挑発に満ちた絶望的な傑作である。
白井氏の絶望を僕も共有させていただきたい。
追記(1月26日)
白井氏の著書は、日本は戦争を戦い直すだろうとしながら、日本の指導者にはその度胸はないとも述べている。
まして、対米戦争をするなどとは白井氏は述べていないことを付け加えておかないと、不正確に過ぎるかもしれない。
対米戦争になるというのは、あくまで僕の、法律論理的な帰結を述べたものだ。
しかし、今の安倍首相の勇ましい言動は、本当に、欧米も敵とする戦争に向かいかねない勢いだ。
安倍首相は1月23日、今度は、ダボスで現在の日中関係に関する質問に対して、第一次世界大戦における英独の関係を引き合いに出したことが、ヨーロッパで衝撃的に受け止められている。
首相のいさましい言説は、世界中を相手にし始めているということを早く気がつかないととんでもないことになりそうだと、臆病な僕は怯えている。
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