フォト

日本ブログ村

ブログランキング

  • マスコミに載らない海外記事
    本ブログとセットで読むと、世界のニュースと法律解説がセットでわかります。(;^_^A アセアセ…

  • * ランキングに参加しています *
    応援クリックしてもらえるととっても励みになります
    人気ブログランキングへ

« 【東海地方拡散希望】1.17大集会パレードにご参加を!  | トップページ | 「私はシャルリーではない」という、孤立感 »

2015年1月10日 (土)

ヘイトスピーチ規制は有効なのか パリ週刊誌本社襲撃事件

安倍晋三も主要マスコミも仏新聞社襲撃事件は言論・表現の自由に対する挑戦だと主張している。
襲われた新聞社はイスラム風刺が売りだったようだ。


フランスは72年にはヘイトスピーチ規制を導入したヘイトスピーチ規制の先進国である。
しかし、初期はともかく、少なくとも最近のフランスは反ユダヤ表現には厳しく対処する一方、イスラム風刺(侮辱)には寛容だ。というか、無神経でさえある。
ユダヤ風刺は摘発対象になるから、これを売りにするような新聞社はありうるはずもない。
しかし、イスラム風刺は売りになるのである。


容疑者はアルジェリア出身のイスラムだという。
ヘイトスピーチ規制は旧植民地出身者に対する差別表現には寛大で、旧植民地出身者に対する侮辱表現を、表現の自由として保護すべき言説に分類する。
旧植民地出身者の保護には何ら役立っていない。
安倍晋三がフランスの旧植民地出身者に対する侮辱表現を「言論・表現の自由」と擁護していることが、ヘイトスピーチ規制の無効さを如実に暴露している。


ヘイトスピーチとされる表現の境界決めは極めて恣意的、いい加減なのだ。
ヘイトスピーチ規制の不公平な運用は、却って厳しい被害感情を生むことさえあると言える。


イスラム風刺の放置とテロの悪循環は米国軍産複合体の思惑通りのなりゆきのようにも見える。
米国軍産複合体が主導した『テロとの戦争』は、決して終わることない武器償却システムなのだから。
無秩序な暴力(それは日本でも起こりうるし、集団的自衛権容認はその可能性を著しく高める)の拡散を、彼らは千載一遇のチャンスと見ているに違いない。


グローバリズムを主導して、日本を経済植民地化して売り渡そうとする輩は、やたら横文字を使う。
しかし、人権を守ろうとする人たちまで直輸入の横文字を使うのはやめてもらいたい。


在特会のデモを目の当たりにしてスピーチに焦点を当てたかった気持ちは理解できないではない。
しかし、日本社会固有の歴史的背景(何よりそれは「脱亜入欧」>の「富国強兵」であった)を持つ人種差別問題への対処方法を考えれば自ずと直輸入横文字を用いるのには慎重になったはずである。


国民を家畜化して不労所得で儲けようとする輩たちの原理は単細胞系なので万国共通だ。したがって彼らはやたらと横文字を使う。
日本を私物化しようとする輩には、国民には理解不可能な横文字を連発する方が好都合である。
しかし、人権は理念として共通であっても、それぞれの国の社会的・歴史的・文化的風土に照らして、保護の有り様は各国で多様とならざるを得ないし、なるべきである。


フランスの事態は、ヘイトスピーチ規制先進国で、植民地出身者に対する差別表現がまかり通り、差別表現が表現の自由によって守られているという事態を暴いた。
国連が主導する「ヘイトスピーチの法的規制」は、ナイーブな人権派が理解するような人権保護装置とは似て非なるものである可能性がある。
人権保護のためとして国際的に拡散される言説が、対テロ戦争継続の巧妙な道具に転用されている可能性に留意すべきである。
人権派は、現下の国際情勢に照らして、改めて規制の有り様を、わが国社会の歴史に即して、慎重に考え、それに適した言葉の選択を、慎重に案出する姿勢を身につけてもらいたい。
たかが言葉というな。
言葉には自ずから精神が宿る。


* ランキングに参加しています *
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ

追記
襲撃されたシャルリー・エブド社が、反人種差別法で訴追を受けていたが、報道を続けていたとの報もある。
風刺していたのはイスラムだけではないとの報道もあり、その範囲では、上記を訂正する。
なお、同社の報道内容については、ハフィントン・ポスト(「パリで襲撃された新聞社はどんなことを報じていたのか」投稿日:

            2015年01月08日 12時58分 JST       

                更新:


しかし、フランスにおけるユダヤ差別表現に関するヘイトスピーチ規制は、日本では想像できないほど厳しい。
以下のような事例と比べれば、シャルリー・エブド社が、繰り返していたとされる表現を、表現の自由に属するとして擁護するのはあまりにもバランスを欠いている。
ヘイトスピーチ規制が、社会条件や政治のありようによっては、逆に人種差別を帰結するという皮肉な事態が生じているように見受けられる。


以下の記述は、「フランスにおける人権差別的表現の法規制(2)」(光信一宏・愛媛法学会雑誌. vol.40, no.3/4, p.53-75)による。


たとえば、
インタヴュー記事において、春に実施される大統領選挙への立候補を表明していたユーモリスト(humoriste)のデュードネが反ユダヤ主義的発言を行ったとされる事件では、「マグレブ系移民第2世代(Beurs)の若者の間で反ユダヤ主義が台頭していることをどう思うか?」という問いに対する下記の答えの下線の部分が人種的憎悪煽動罪、人種的侮辱罪等に当たるとして刑事訴追された。


「人種差別を創造したのはアブラハムだ。『選ばれし民』,それは人種差別の始まりである。ムスリムは今日、反論の余地のない答えを返している。私にとって,ユダヤ人もムスリムも存在しない。だから反ユダヤ主義者は存在しない、なぜならユダヤ人が存在しないからだ。2つの観念とも馬鹿げている。誰もユダヤ人ではない、でなければ全員がユダヤ人ではない。私にはその歴史がまったく理解できない。私にとってユダヤ人たち(les juifs)、それはセクト(secte)であり、詐欺(scroquerie)だ。それは最初のものなので、最も重大なものの1つだ。ムスリムの中に、『聖戦』等のような概念を復活させることで同じ道を進んでいる者たちがいる。」


1審、2審とも無罪。
2審は無罪の理由について次のように述べている。
「ユダヤ人に向けられたセクトや詐欺という言葉が、それ自体として激烈で不快なものであるとしても、1審が行ったように、その言葉を記事の文脈の中に戻すべきである。そうすると、デュードネがどれほどコミュノタリスムという観念を拒絶し、人間の普遍性を促しているかが判明する。他の宗教,とりわけカトリックやイスラム教を同じく激しい言葉で批判することで、また同じ考えのもとに、『私にとって,ユダヤ人もムスリムも存在しない』と述べユダヤ人およびムスリムという観念を拒絶することで、デュードネは宗教的事柄の前提それ自体への敵意を示しているにすぎない。」


破棄院(最高裁)は人種的憎悪煽動罪は無罪としたが、人種的侮辱罪について破棄して、2審に差戻し、2審は再び無罪としたが、破棄院(最高裁)は、人種差的侮辱罪について有罪とし、再び2審に差し戻している。その理由は次の通りである。


「(当該発言は)宗教的事柄に係る公益性を帯びた議論の性格を持つ自由な批判でなく、出生を理由とする人の集団に対する侮辱であり、その処罰は民主的社会における表現の自由に対する必要な制限であるにもかかわらず、控訴院は当該発言の意味および射程を誤解し、出版自由法29条2項(侮辱の定義)および同33条3項(人種的侮辱罪)の規定を尊重しなかった」



また、民事事件であるが、ユダヤ系の哲学者で社会学者のエドガール・モランが、2002年4月のイスラエル軍によるジェン二侵攻を受け、同年6月4日付の『ル・モンド』紙に、「イスラエル・パレスチナ問題という癌(Isra口l-Palestine : Le cancer)」と題するイスラエルを非難する長文の論説)を発表したところ、


①「ほとんど想像し難いのは、人類史上もっとも長期にわたって迫害され、最大の屈辱や侮辱を受けてきた民を祖先に持つ逃亡者の国が、2世代の間に,『威圧的で自惚れに満ちた民』に変貌できるだけでなく、称賛に値する少数の人間を除き、侮辱することに満足を覚える傲慢な民に変貌できるということである。」



②「ゲットーと呼ばれる隔離政策の犠牲者の子孫であるイスラエルのユダヤ人がパレスチナ人を孤立状態へと強いている。屈辱や侮辱を受け迫害されてきたユダヤ人が、パレスチナ人に屈辱や侮辱を与え迫害を行っている。非道な命令の被害者であったユダヤ人がパレスチナ人に非道な命令を強制している。残忍性の犠牲者であったユダヤ人が恐るべき残忍性を示している。あらゆる悪のスケープゴートとなったユダヤ人が、アラファトとパレスチナ自治政府とをスケープゴートに仕立て、テロを防止しなかったとして彼らをテロの責任者にしている。」


との部分が問題とされ、最終的には破棄院によって破棄されているとはいえ、2審判決は、


①最初の文章は、「イスラエルのユダヤ人全体が、自身の共通の歴史を尺度にしてパレスチナ人の行動を公然と非難することで彼らを侮辱し、そこから満足を得ている」という明確な事実を表示している、
②2つ目の文章は、「単にイスラエルのユダヤ人だけでなく、ユダヤ人全体―― ユダヤ人という言葉を呪文の口調で嘲るように繰り返していることから明らかである―― が、自分たちが受けてきたのと全く同じ形態の迫害をパレスチナ人に対し行っている」という事実、および、「ユダヤ人全体が……テロの責任を負わせるため、アラファトおよびパレスチナ自治政府のきわめて冷酷で恥ずべき
二枚舌の行動を非難している」という事実を表示している。



として、賠償とを命じた事件も紹介されている。(破棄院が破棄)。

言論の自由を考えれば、これらの例は、明らかに息苦しい社会をもたらす。
このような運用実態まで想定して(当然ながら、日本の現状では、類似の事態が容易に生じ得ることが想像される)、ヘイトスピーチ規制を直輸入しようとしているのか、改めて疑問を呈さざるを得ない。

« 【東海地方拡散希望】1.17大集会パレードにご参加を!  | トップページ | 「私はシャルリーではない」という、孤立感 »

ニュース」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/536116/60948536

この記事へのトラックバック一覧です: ヘイトスピーチ規制は有効なのか パリ週刊誌本社襲撃事件:

» シャルリー・エブドとツァルナーエフ裁判: Cui bono誰の利益になるのか? [マスコミに載らない海外記事]
2015年1月8日 ポール・クレイグ・ロバーツ フランスの風刺誌シャルリー・エブドへのテロ攻撃とされるものの見方には二つある。 一つは、英語世界では、あるいはその大半では、風刺は“ヘイト・スピーチ”と見なされ、風刺作家達は逮捕されていただろう。しかし、フランスでは、イスラム教徒は特権を持つ対象から除外されており、風刺に... [続きを読む]

« 【東海地方拡散希望】1.17大集会パレードにご参加を!  | トップページ | 「私はシャルリーではない」という、孤立感 »