旅券返納命令事件のもう一つの解釈 「公益」による人権制限 内外説明の二重基準
昨日に続いて、旅券返納命令事件について補足したい。
旅券の返納を命じるためには、原則として行政手続法による聴聞の手続を経なければならない。
聴聞手続きは、聴聞を行う日まで相当の期間をおいて期日を告知し、法令の根拠を示す等しなければならないことになっている(行政手続法15条1項)。
したがって、今回「緊急」に行われた旅券返納命令が、本来は必要なはずの聴聞手続を経ていないことは、確実である。
外務省は、本人の生命、身体、財産の保護のために、緊急に旅券の返納を命じたとしている。
そこで、どのように法律を適用すれば、そのようなことが可能になるのか、昨日のブログで考えてみた。
しかし、この議論は、考えてみれば、とんでもなく奇妙である。
第十九条 外務大臣又は領事官は、次に掲げる場合において、旅券を返納させる必要があると認めるときは、旅券の名義人に対して、期限を付けて、旅券の返納を命ずることができる。一 一般旅券の名義人が第十三条第一項各号のいずれかに該当する者であることが、当該一般旅券の交付の後に判明した場合二 一般旅券の名義人が、当該一般旅券の交付の後に、第十三条第一項各号のいずれかに該当するに至つた場合三 錯誤に基づき、又は過失により旅券の発給、渡航先の追加又は査証欄の増補をした場合四 旅券の名義人の生命、身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合五 一般旅券の名義人の渡航先における滞在が当該渡航先における日本国民の一般的な信用又は利益を著しく害しているためその渡航を中止させて帰国させる必要があると認められる場合2 第十三条第二項の規定は、一般旅券の名義人が前項第一号又は第二号の場合において、第十三条第一項第七号に該当するかどうかを認定しようとするときについて準用する。
4号を理由とする旅券返納命令であるのに、1号または2号に該当することを理由に行政手続法第3章による手続(聴聞を含む)を行わなかったとということになっている。
確かに、法律を適用する際、同時に複数の根拠条項に該当することがありえない訳ではない。
しかし、一方で当該本人を『保護すべき者』としながら、他方で当該本人が著しくかつ直接に日本国に『害を及ぼす者』とするのは、少なくとも、普通に考えれば大きく矛盾している。
本人の保護のために緊急に旅券返納を命じたとの外務省の説明について、もう一つ考えられる法律適用がないわけではない。
聴聞手続について規定する行政手続法13条自体が聴聞手続を採らなくてもよい場合について定めている。
2 次の各号のいずれかに該当するときは、前項の規定は、適用しない。
一 公益上、緊急に不利益処分をする必要があるため、前項に規定する意見陳述のための手続を執ることができないとき。
つまり、いったん行政手続法第3章の適用を認めておきながら、行政手続法自体の規定によって聴聞手続を適用しないという法律適用だ。
注意すべきは、この場合でも、聴聞手続を行わない理由は、あくまでも公益上のもので、本人の法益の保護ではないことだ。
仮にこうした複雑な法律適用を行った結果であったとしても、外務省の説明は、少なくとも極めてミスリーディングである。
本人の生命等の保護のために、緊急の必要があったとする外務省の説明は、基本的に個人の法益の保護のために緊急に採られた緊急措置としか理解しようがない。
しかし、外務省の説明を鵜呑みにしても、法律の適用関係は、本人の保護を目的としたが、緊急にこれを行ったのは、あくまでも公益(日本国の利益ないし治安)に理由があるとすることになる。
この事件について、踏み込んだ議論を展開しようとするいくつかのマスコミには、まだ救いがある。
しかし、個人の生命等の保護か、渡航・報道・表現の自由かと問題を立て、人権と人権の調整に問題があるかのような議論の立て方には問題がある。
少なくとも今回の旅券返納命令は、国家や公安という公益により、渡航・報道・表現の自由を、あらかじめ包括的に制限したことに本質がある。
個別の人権で説明できない、「公益」を理由とする人権制限は許されないとするのが、少なくとも憲法学説の多数である。
まして、その制限が特定の個人に対して、包括的に及ぶものであれば、人権侵害の程度としても重大である。
もともと、旅券法19条1項1、2号、同条3項の規定は、旅券法13条1項7号により、本来旅券を発給できないはずの「外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に旅券が保持されている場合に、行政手続法の手続を経ずに、その返納を命じるという規定であり、本件の場合でも、ストレートに、旅券法19条1項1号又は2号に該当する、つまり「著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する」ことを理由として旅券返納を命じたと説明する方がはるかにわかりやすいはずである。
しかし、外務省はそう説明しない。
まだ、そのようなあからさまな説明は反発を招くと考えたから、あえて、こうした回りくどい法律適用を行っていると考えるしかないだろう(旅券法19条の根拠条項の複数に該当するにしろ、行政手続法を適用した上で、行政手続法の聴聞実施の例外事由に当たるとするにしろ、いずれにしても回りくどい)。
国内的な説明は、そのような回りくどいものである。
他方で、海外にはどう説明するのか。
推測に過ぎない。
しかし、推測するには相当の根拠がある。
多分、ストレートな説明の方が通りがよいはずだ。
2014年9月24日安保理決議2178は、それ自体として理解しにくい項目が27にも及ぶ複雑な決議であるが、今回のような旅券返納命令を合理化する文言を含んでいる。
2.全ての国家が、効果的な国境管理および身元証明書および渡航書類の発行に基づく管理により、また身元証明書および渡航書類の贋造、偽造または詐欺的使用を防止するための措置を通して、テロリストまたはテロリスト集団の移動を予防するものとすることを再確認し、これに関連して、自国の関連する国際的義務に従って、外国人テロ戦闘員により与えられた脅威に対処することの重要性を強調し、そして加盟国に対し、国際法により禁止されている差別の理由を根拠とする固定観念に基づくプロファイリングに訴えることなしに、証拠に基づく旅行者危険評価および旅行情報の収集と分析を含む審査手続を用いることを奨励する。
海外には、テロリストと疑われる者の渡航を阻止するために、旅券の返納を求めたと説明する方が、はるかに理解をえやすい環境にあるのだ。
「国民の生命、身体、財産の保護」という名目は、国内向けだけに使われる便宜的な説明である可能性が極めて高い。
「公益」による人権制限は自民党改憲草案の眼目の一つである。
今回の旅券返納命令が意味する「公益」は、政府にとって都合の悪い情報を排除する、あるいは政府にとって都合の悪い事態が発生することを取り除くことにあると見てよいだろう。
政権批判をタブーにするような、攻撃や、萎縮や、自粛が広がる中、今回の旅券返納命令は、これを法律上の「公益」にまで高めようとしている。
安保理決議には、政権の「私益」に過ぎないものを、人権制限の理由とし兼ねない、巧妙なからくりがあることに自覚的でありたい。
国際社会の劣化と、日本の劣化が同時に進行する中の落とし穴である。
追記 2月5日付のブログでは、国連の枠内での「国際社会」を想定するものとして、国会決議を評価した。有志連合の兵站活動である『人道支援』を認めるよりは、国連の枠内の方がよいと感じたからだ。
しかし、安保理決議自体は、人権制限の口実に使われかねないものである危ういものであることが、早くも露呈してしまった。
事態の進行はあまりにも早く周到にみえる。
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