認知の歪み クリミア併合編
プーチンをめぐる認知の歪みは、深刻である。
リベラルのリーダーになるべき方々の意見も、大半が、プーチンに対しては、頭から批判的である。
ロシア情勢など全く分からないので、田中宇の国際ニュースや、マスコミに載らない海外記事、櫻井ジャーナル等、ソースのしっかりしたブログに頼るほかないのが、実情である。
事実を知るためには、多分、「プーチンはアジアをめざす」(下斗米伸夫著・NHK出版新書)が最適と思う。
『ウクライナ危機の実相と日露関係』もお勧めであるが、鳩山由紀夫氏主宰ということだけで、色眼鏡で見られるのが、極めて残念である。
(鳩山氏は、辺野古基地の県外移設を主張し、沖縄の人たちの立場に立とうとした唯一の総理であるにも拘わらず、不当にバッシングされているのは、この国の未来に悲劇をもたらすだけだろう。)
その点、前者は、みなさまのNHK出版であるから、安心である。
ロシア情勢には全くの素人ではあるが、多分、2回だけ、ブログで触れている。
2014年3月 9日 (日) グローバリズムという名のむき出しの暴力
2014年3月20日 (木) プーチン大統領演説全文 関根和弘氏のツイートまとめから
前者は、ウクライナ憲法に基づいて、ヤヌコビッチ大統領の解任の違憲性を確認したもの。新政権の法的な正統性そのものに関わるものである。
後者は、クリミア併合に関して、プーチン大統領が演説した内容を、朝日新聞の記者がツイートした内容をまとめ直して原典を紹介したものである。
プーチンの演説は大変、長いものである。演説をまとめるのに相当な労力が必要だったと思われる。記者も、クリミア併合に関する、朝日新聞のスタンスとは異なるニュアンスを現地で感じていたから、あえて苦労して連続ツイートしたものと思われる。
認知の歪みがますます拡大しているので、改めて出発点を確認しておくのも無意味ではないだろう。
【政変について】 クーデターもしくは革命
ヤヌコビッチ大統領の解任は、ウクライナ憲法に何重にも違反した憲法違反の手続によるものである(14年3月9日付)。
第111条 ウクライナ大統領が国家反逆罪又はその他罪を犯した場合、ウクライナ大統領は弾劾により解任される。ウクライナ大統領の弾劾による 解任は、ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の過半数の議員の発案により審議される。調査を実行するためにウクライナ最高議会は特別弁護士及び特別調査 官を含む特別臨時調査委員会を設立する。特別臨時調査委員会の結論及び提案はウクライナ最高議会で審議される。ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の賛成によりウクライナ大統領に対する告訴を決議できる。ウクライナ大統領の弾劾による解任は、ウクライナ憲法裁判所の判決及び弾 劾に関する調査・考察を行った憲法弁護士の意見、ウクライナ大統領が告訴されている国家反逆罪又はその他犯罪に関するウクライナ最高裁判所の意見を考慮し た上で、ウクライナ最高議会が憲法に定めた定数の4分の3以上の賛成で採択できる。
これによれば、
①大統領が国家反逆罪又はその他罪を犯した場合、
②最高議会の定数の過半数の議院の発案により、
③最高議会に特別臨時調査委員会を設立し、
④特別調査委員会の結論及び提案を最高議会で審議し、
⑤最高議会の定数の3分の2以上の賛成によって告訴し、
⑥憲法裁判所の判決・意見などを考慮した上で
⑦最高議会の定数の4分の3以上の賛成で
解任できるとされている。
ヤヌコビッチ大統領の解任について、国家反逆罪との報道はなかった。職務不履行を理由に解任を議決したとの報道があった。
職務不履行がウクライナ法で犯罪とされていれば、①は「その他の罪を犯した」場合として、かろうじて満たされる可能性があったのかもしれない。
しかし、現実には、ヤヌコビッチ大統領は、前日に、EUの仲介で野党勢力と事態収拾について合意したばかりなのだから、職務放棄は口実にもならない類いの話である。
②から⑥の手続要件は全く無視され、⑦の票数も満たしていなかった。
つまり、ウクライナ政権は、完全な非合法政権である。
政権を否定する立場からは、クーデター政権であるし、肯定する立場からは革命政権である。
否定するにしろ、肯定するにしろ、自覚的に決断しなければならないはずの問題である。
ところが、日本では、この基本点・出発点が確認されていない。
無視されているといってよい。
「プーチンはアジアをめざす」を読むと、ウクライナ政権自体が、この政変を「マイダン革命」と呼んでいることがわかる。
つまりは、憲法に違反する権力交代が行われたことは万人にとって明白な、紛れもない事実なのである。
【クリミア併合について】 その法的妥当性
クリミア併合に関しては、確かにウクライナ憲法には、領土不可分の規定が存在する。
第2条 ウクライナの主権はウクライナの領土全てに及ぶ。ウクライナは中央集権国家である。現在の国境を含むウクライナの領土は不可分にして不可侵である。
しかし、憲法を蹂躙して政権を握った者が、自ら蹂躙した憲法の違反をいうのは、ナンセンスである。
ところが、クリミア併合については、メディアでは、ウクライナ憲法に違反するとする報道がなされた。
現在に続く、ウクライナ紛争について、メディアは初めから完全にダブルスタンダードだったのである。
もう一つ、法的に確認できることが、プーチン演説の中にある。
分離独立宣言の国際法適合性の問題である。
さらに言いましょう。クリミア最高議会は独立を宣言し住民投票を発表するにあたり、民族自決権を謳った国連憲章を根拠としました。思い出していただきたい のですが、当のウクライナもソビエト連邦脱退を宣言するにあたり、同じこと、ほぼ文字通りに同じことをしたのです。ウクライナではこの権利を行使したの に、クリミアには拒否しています。なぜでしょうか?
国際司法裁判所は、コソボ独立宣言(2008年2月17日、自治州であるコソボ議会がセルビアからの独立を一方的に宣言)に関して、国連総会の求めに応じて勧告的意見を示している。
プーチン演説は、コソボの独立宣言に関する、この国際司法裁判所の見解に触れている。
国際司法裁判所は国連憲章第1条第2項に基づきこれに同意し、2010年7月22日付の決定に次のように記しました。「安全保障理事会の慣例からは一方的 独立宣言に対するいかなる一般的禁止も推論されない。」そして、さらに「一般国際法は独立宣言について適用可能な禁止事項を含まない。」すべてきわめて明 瞭です。
私は引用が好きではありませんが、しかし仕方ありません。もう一つ公式文書の抜粋を挙げましょう。今度は、2009年4月17日付のアメリカ合衆国の覚書 で、コソボ審理に関連して当の国際司法裁判所に提出されたものです。再び引用します。「独立宣言は、往々にしてそうであるように、国内法に違反することが ある。しかし、それは国際法違反が起こっていることを意味するものではない。」引用おわり。自らこのように書き、世界中に吹聴し、皆に「同意させて」おきながら、今度は憤慨しています。何に腹を立てているのでしょう。クリミア住民の行動はこの 「マニュアル」とでも言うべきものにぴったり一致しています。なぜコソボのアルバニア人に許されたことが(私たちはアルバニア人には敬意を抱いていま す)、クリミアのロシア人やウクライナ人やクリミア・タタール人には禁止されるのでしょうか?再び同じ疑問です。なぜでしょうか?
クリミアのロシア編入は、民意に基づいて、流血の事態もなく行われた。
この点について、プーチン演説は次のように述べる。
当のアメリカやヨーロッパはまたしてもコソボは特殊なケースなのだというようなことを言っています。私たちの同僚はいったい何が特殊だと考えているので しょうか?それが、コソボ紛争で多くの人的被害が出たことが特殊だというのです。これが法的な論拠だとでもいうのでしょうか?国際司法裁判所の決定にはそ んなことは何も書かれていません。これはもうダブルスタンダードでさえありません。驚くほどに稚拙で無遠慮な皮肉か何かです。このように乱暴に何もかもを 自分の利益に合うように整え、同じひとつのものを今日は白と呼び、明日は黒と呼ぶようなことはあってなりません。つまるところ、すべての紛争は人的被害が 出るところまで持って行かなくてはならないということでしょうか?
ロシア軍を派遣して圧力を加えていたとする批判に対してもプーチンの回答は明確である。
確かに、ロシア連邦大統領は軍をウクライナで使用する権利を議会上 院から取り付けました。しかし、厳正に言えば、その権利はまだ行使されてもいないのです。ロシア軍はクリミアに進軍してはいません。彼らは国際条約に基づ き、元々そこにいたのです。確かに、私たちは兵力を強化しました。しかし、―ここは強調したいところで、皆さんに良く聞いてもらいたいのですが―、私たち はクリミア駐留軍の兵力定数を超えて増強したりはしていません。定数は2万5000人ですが、今までそこまでの必要がなかっただけのことです。
(中略)
率直に言いましょう。もしもクリミア自衛軍が時宜を得て状況をコントロールしていなければ、犠牲者が出てもおかしくはありませんでした。幸いなことに、そ うはなりませんでした!クリミアでは武力衝突は一度も起こらず、人的被害もありませんでした。なぜだと思いますか?答えは簡単です。なぜなら、国民とその 意思に反して戦うことは難しく、むしろ事実上不可能だからです。これについては、私はウクライナ兵に感謝したいと思っています。兵員数はかなりの数で、完 全武装兵が2万2000人です。流血の惨事を避け、自らを血で汚さなかったウクライナ兵に感謝したいと思います。
これについては、当然、別の考えも浮かびます。ロシアのクリミア介入だとか、侵略だとか言われていますが、これを聞くと奇妙な感じがします。歴史を見ても、ただの一発も発砲せず、一人の犠牲者も出さずに行われた軍事介入など、私は思い出すことができません。
武力による威嚇によって、併合がなされたのであれば、国際法秩序の根幹に対する挑戦であり、国連憲章第2条4項に違反する。
しかし、住民の意思に基づく(クリミアの場合、圧倒的な民意であったことは確実である)任意の編入を禁じる国際法(不文法・国家慣行)はおそらく存在しない。
プーチンの主張は理論的であり、国際法的な説明も説得的である。
国際司法裁判所の見解は、一方的な『独立宣言』の国際法適合性に関するものであって、実体的に、独立宣言をなした国家が国際法上の主体であり得るかについて述べたものではない。
しかし、独立宣言をなした国家の正統性は、独立宣言の問題以上に、すぐれて国際政治の問題となり、国際法が律するものではないこととなろう。
任意の編入も同様に考えてよいように思われる。
クリミアに関しては、国連総会は、2014年3月27日、3月16日に行われたクリミアの住民投票を無効とみなす決議を賛成多数で採択した。
国連総会決議には法的拘束力はないが、国際社会の政治的意思は示されていることになる。
ただし、踏み込んで言えば、この決議は、住民投票の無効を確認したもので、直接、クリミア併合の効力を問題にしたものではない。
賛成100、反対11、棄権58、欠席24。
賛否の差は大きいが、反対、棄権、欠席を合わせると93に及び、住民投票の有効性についても、国際社会の評価はまだ定着したものではないともいえる。
下斗米氏は、この決議にイスラエルが欠席したことについて、ウクライナ政権にネオナチ勢力が影響力を有していることを嫌った可能性に言及している。
(なお、参議院の対IS非難決議で、ただ一人、退席した山本太郎氏の扱いは「欠席」であって、「棄権」ではない。国連総会における「欠席」も意思表示の一つと考えてよいだろう)
【マイダン革命】 暴力性とネオコンの関与
政変時点では、日本のメディアでも、新政権に暴力的なネオナチ勢力が加わっていることが、断片的に伝えられていた。
今では、このこともほとんど問題にされていないようにみえる。
しかし、世界的には、政変におけるネオナチ勢力の暴力的な役割や、米国ネオコンの関与は、今や動かしがたい事実として認識されるようになっている。
以下、櫻井ジャーナル(3月17日付)から政変時の状況を引用しておこう。
全て裏付けのある話である。
2013年11月に始まった反政府運動は年が開けると暴力的になり、2月に入るとアメリカ/NATOを後ろ盾にするネオ・ナチのグループがクーデターを成功させ、ビクトル・ヤヌコビッチを大統領の座から引きずり下ろした。勿論、これは憲法違反だが、日頃、護憲、護憲と繰り返している日本の「リベラル派」や「革新勢力」も、このクーデターを支持していた。
2013年12月にはアメリカからネオコン/シオニストがキエフへ乗り込んで体制転覆を扇動している。例えばジョン・マケインとジョー・リーバーマン両米上院議員。ビクトリア・ヌランド国務次官補はジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使は反政府運動の拠点になっていたユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)でクッキーを配るというパフォーマンス。1960年代の後半から70年代の前半にかけ、戦争に反対するアメリカの若者が行った「フラワー・パワー」の猿まね、中身のない猿芝居にも見えた。
2月4日、そのヌランド次官補とパイアット大使が電話で「次期政権」の閣僚人事について話し合う内容が盗聴され、音声がYouTubeにアップロードされてしまった。その中でヌランドが高く評価していたのが銀行出身のアルセニー・ヤツェニュクだ。現在、首相として活動している。
その当時、EUは話し合いで争乱を解決しようとしていたのだが、ヌランドはそれが気に入らない。そこで、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という表現が出てきたわけである。下品な表現を使ったことが問題なのではない。彼女は暴力的にヤヌコビッチ政権を倒し、ヤツェニュクを含む傀儡政権を樹立させようとしていたのだ。明らかな内政干渉。日本のマスコミはこうしたことに興味がないらしい。
ヌランドの意向通り、2月18日頃からネオ・ナチは暴力をエスカレートさせた。棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を警官隊に投げつけ、ピストルやライフルを持ち出して街を火と血の海にしたのである。
21日にヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派が平和協定に調印するのだが、翌22日には屋上からの狙撃で多くの死者が出始め、協定は実現しなかった。この日、議会は憲法の規定を無視してトゥルチノフを大統領代行に任命した。
こうした状況の中、エストニアのウルマス・パエト外相が2月25日にキエフ入りして調査、その内容を26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者/イギリス人)へ電話で報告している:
「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(後の暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」
この狙撃を指揮していたのはネオ・ナチを率いるひとり、アンドレイ・パルビーで、少なからぬ狙撃手がグルジアから来ていた可能性が高い。国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長を務めた後、議会の第1副議長に就任している。少なくとも、狙撃していたのは親米勢力だということをEUも2月26日に時点で認識していたわけだ。
私は、クリミア併合時のプーチン演説は名演説だったと思う。
少なくとも、読んでおくべき内容だと思うので、ロシア大使館の和訳を以下に貼り付けておく。
03.25.2014
ロシア議会上下院、地方首長、市民団体の代表に向けたV.V.プーチン大統領の演説(クリミアの復帰に関して、全文)
2014年3月18日、クレムリンこんにちは、尊敬する上院議員、尊敬する下院議員!尊敬するクリミア共和国とセバストポリ市の代表者たち!ロシア国民!彼らは、クリミアとセバストポリ市の住民は、ここに、私たちの間にいます!
尊敬する友人たち、今日私たちは、私たち全員にとって極めて重要な意味を持ち、歴史的意味を持つ問題でここに集まりました。3月16日、クリミアで住民投票が行われました。住民投票は民主的手続きと国際法の規定に完全に合致したものでした。
有権者の82%以上が投票に行きました。96%以上がロシアへの復帰に賛成票を投じました。この数字は極めて説得力のあるものです。
どうしてこのような選択がなされたのかは、クリミアの歴史を知れば、またクリミアにとってロシアがどのような意味を持ち、ロシアにとってクリミアがどのような意味を持つのか知れば理解できます。
クリミアでは文字通りすべてに私たちの共通の歴史、共通の誇りが息づいています。ここには聖ウラジーミル公が洗礼を受けた古代のケルソネス市があり ます。彼の宗教的偉業―正教の受け入れ―はロシア、ウクライナ、ベラルーシをひとつに結びつける共通の文化、価値観、文明の基盤となりました。クリミアに はロシア兵士の墓地があります。1783年、その兵士の勇敢な戦いにより、クリミアはロシア帝国の傘下に入りました。クリミアといえばセバストポリ市で す。伝説の都市、偉大なる運命の都市、要塞都市であり、ロシア黒海艦隊の故郷です。クリミアといえばバラクラヴァ市とケルチ市であり、マラコフ・クルガン の高地とサプン・ゴラの高地です。このひとつひとつの場所が私たちにとっては神聖であり、ロシアの軍事的栄誉の象徴であり、大いなる武勲の象徴です。
クリミアは様々な民族の文化と伝統のユニークなるつぼでもあります。その意味でクリミアはロシア本土とよく似ています。ロシア本土もまた、数世紀の 間、ひとつとして民族が消失したり溶解したりしたことはありません。ロシア人もウクライナ人も、クリミア・タタール人もその他の民族も、皆が自分たちの慣 習や伝統、言語や宗教を守りながらクリミアの地で仲良く暮らし、働いてきました。
ちなみに、現在220万人いるクリミアの人口のうち、ほぼ150万人がロシア人であり、35万人が主にロシア語を母語だと考えるウクライナ人です。29万から30万人がクリミア・タタール人であり、その大部分が、住民投票から分かる通り、ロシアを志向しています。
確かに、クリミア・タタール人が、ソビエト連邦のある他の民族と同様に、残酷な不平にさらされた時期もありました。ひとつ言っておきます。当時、 様々な民族の数百万人が弾圧を受けましたが、その筆頭は当然ロシア人でした。クリミア・タタール人は故郷の地に戻ったのです。クリミア・タタール民族の更 生プロセスを完遂させるのに必要なすべての政治的・法的決定がなされるべきであり、彼らの権利と名誉を完全に回復させる決定がなされるべきだと思います。
私たちはクリミアに住むすべての民族に敬意を抱いています。クリミアは彼らの共通の家であり、故郷です。ですから、これはクリミアの住民も支持していますが、クリミアにロシア語、ウクライナ語、クリミア・タタール語の3言語が国語として同等に存在することが正しいのです。
尊敬する同僚たち!人々の心の中、意識の中では、クリミアは常にロシアの不可分の一部でした。真実と正義に基づいたこの確信はゆるぎないものであ り、世代から世代へと受け継がれてきたものです。この確信の前には時間も情勢も無力であり、私たちが体験してきた、20世紀を通して私たちの国が体験して きた劇的な変革でさえもすべてが無力です。
革命後、ボリシェビキはさまざまな理由から、歴史的にロシア南部であった領土の大部分をソビエト連邦ウクライナ共和国に編入しました。ボリシェビキは神の 裁きを受けることでしょう。この決定は住民の民族構成を考慮せずになされたものであり、それが現在のウクライナ南東部です。そして1954年、さらにクリ ミア州もウクライナ共和国に引き渡すという決定がなされました。同時に、当時は連邦直轄都市だったはずのセバストポリ市も引き渡されました。これを発意し たのはソビエト連邦共産党のトップであったフルシチョフ本人です。何が彼を突き動かしたのか―ウクライナ特権階級の支持を得たかったのか、はたまた30年 代のウクライナでの大弾圧の罪を償いたかったのか―それは歴史学者が調べることでしょう。
私たちにとって重要なのは別の視点です。この決定は当時の憲法の規定にさえ明らかに違反していました。非公式に内輪で勝手に決めたことなのです。全 体主義国家では、クリミアやセバストポリ市の住民が意見を尋ねられることは当然ありませんでした。ただ事実を突き付けられたのです。当時でも、人々は当然 ながら、どうして突然クリミアがウクライナに編入されたのかと疑問を持ちました。しかし正直なところ、―皆知っていることですから、率直に言いましょう ―、正直なところ、この決定は単なる形式的なものだと捉えられていました。なにしろ、領土はひとつの大きな国の枠内で引き渡されたのです。当時は、ウクラ イナとロシアが一緒でなくなり、別々の国家になることなど想像することもできませんでした。しかし、そうなったのです。
信じられないと思われたことが、残念ながら現実のものとなりました。ソビエト連邦は崩壊したのです。事態の進展はあまりにも急激で、当時起こってい た出来事やそれがもたらす結果の重大性を完全に把握している国民はほとんどいませんでした。ロシアでもウクライナでも、さらに他の共和国でも、人々の多く はそのときにできあがった独立国家共同体(CIS)が新たな国家の枠組みになるものと期待していました。何しろ共通の通貨を持ち、ひとつの経済圏を形作 り、共通の軍隊を持つと約束されていたのです。しかし、それは単なる約束に終わり、大国は消失しました。そして、クリミアが突然として外国のものになって しまったとき、その時になってロシアはただ盗みにあったのではなく、強奪されたのだと実感したのです。
しかし、ロシア自身も「主権のオンパレード」を始動させたことでソ連崩壊を促進しましたし、ソ連崩壊の手続きではクリミアのこと、黒海艦隊の主要基 地であるセバストポリ市のことを忘れてしまっていた事実は率直に認めなくてはなりません。何百万人ものロシア人がひとつの国で眠りにつき、目を覚ますと外 国にいたのです。彼らは一瞬にして旧ソ連共和国で民族的少数派になってしまったのです。ロシア人は世界最大のひとつ、世界最大と言ってもいいくらいの分断 された民族となったのです。
現在、それから長い年月が過ぎ、つい最近になってクリミアの人々が、1991年のあのとき、自分たちは袋に入ったジャガイモのようにあちらからこち らへと引き渡されたのだと話しているのを聞きました。これには同意せざるを得ません。あのとき、ロシアはいったいどうしたのでしょう?ロシアは?うなだれ て、受け入れ、この屈辱をぐっと堪えたのです。私たちの国はひどい苦境にあり、自国の利益を守ることさえできない状態でした。しかし、人々はこのひどい歴 史的不正を受け入れることはできませんでした。この間、国民も多くの社会活動家も何度となくこの問題を提起し、クリミアはロシア固有の土地であり、セバス トポリ市はロシアの都市だと言ってきました。それはよく分かっていましたし、心で感じていることでした。しかし現実に立脚して、新たな基盤のもとに独立ウ クライナとの善隣関係を築かなければなりませんでした。ウクライナとの関係、兄弟であるウクライナ国民との関係は、一切の誇張を抜きにして、これまでも、 そしてこれからも私たちにとって最も大切で重要なものです。
今日となっては率直に話すことができます。皆さんと2000年代初頭に行われた交渉の詳細を共有したいと思います。当時、ウクライナのクチマ大統領 からロシア・ウクライナ国境画定のプロセスを加速させるよう私に要請がありました。当時までこのプロセスはほとんど進んでいませんでした。ロシアはクリミ アをウクライナの一部と認めたようであり、それでいて国境画定交渉は行われていませんでした。このプロセスが困難であることは分かっていましたが、私はす ぐにロシア側の省庁に作業を活発化するよう指示しました。国境画定に合意することで、私たちが実質的にも法的にもクリミアをウクライナ領として認めようと し、それによりこの問題に終止符を打とうとしていることが誰にでも分かるようにするための国境画定作業です。
私たちはクリミアの問題だけではなく、アゾフ海海域とケルチ海峡の国境線画定といった極めて難しい問題でもウクライナに譲歩しました。どうしてで しょうか?ウクライナとの良好な関係が私たちにとっては最も重要なものであり、それが行き詰った領土問題の人質になっていてはいけないという思いからで す。しかしこのとき、ウクライナが今後も当然私たちのよき友人であり続けると考えていましたし、特にウクライナ南東部とクリミアに住むロシア人やロシア語 を話すウクライナ国民が友好的で民主的な文明国家に暮らし、彼らの法的利益が国際法の規定に従って保障されるものと考えていました。
しかし、状況は別の方向に進み始めました。ロシア人から歴史的記憶を奪おうとする試みが次々と行われ、時には母語を奪おうとすることも試みもありま した。ロシア人に同化を強制しようとしたこともありました。また当然のことながら、ロシア人は、ほかのウクライナ国民と同様に、20年以上にわたってウク ライナを揺るがし続けている恒常的な政治的・国家的危機に苦しめられてきました。
どうしてウクライナの人々が変革を望んだのか、よく理解できます。「独立」し、自立してからのこの年月、いわば人々は政権に「うんざり」したのであ り、あきあきしたのです。大統領、首相、議会の議員は変わっても、彼らの自国と自国民に対する考え方は変わりませんでした。彼らは権限や資産、資金の流れ を巡ってお互いに争いながら、ウクライナを「搾り取って」いったのです。政権等は一般市民が何をもってどんな暮らしをしているのか、どうして数百万人のウ クライナ国民が自国では自分の将来に展望を見いだせず、日雇い労働のために外国へ出て行かなくてはならないのかにはほとんど興味がありませんでした。指摘 しておきますが、シリコンバレーへの就職ではなく、日雇いの出稼ぎです。昨年のロシアだけでも、そういった人々が300万人も働いていました。2013年 に彼らがロシアで稼いだ金額は200億ドル以上であるという試算もあり、これはウクライナのGDPの12%にあたります。
繰り返しますが、汚職や非効率な国家運営や貧困に反対し、平和的なスローガンを掲げてマイダン広場に集まった人たちのことは良く理解できます。平和 的なデモ活動の権利、民主的手続き、選挙は人々が納得いかない政権を変えるためにこそ存在しています。しかし、ウクライナでの最近の出来事を裏で操ってい た人々は別の目的を追求していました。彼らは何に対しても決してひるむことなく、また新たなクーデターを準備し、政権奪取を企てていました。テロも殺人も 略奪も活用されました。クーデターの主要な実行者となったのはナショナリスト、ネオナチ、ロシア恐怖症の人々と反ユダヤ主義者たちです。まさにその彼らが 今日に至るもまだ、様々な意味でウクライナでの生活を決定づけているのです。
いわゆる新「政権」が最初に行ったことは、言語政策の見直しに関する恥ずべき法案の提出であり、この法案は民族的少数派の権利を真っ向から侵害する ものでした。ただし、今日「政治家」となった人々の海外スポンサーであり、「政権」の後見人である人々はすぐにこの企ての発案者をたしなめました。彼らは 賢い人間であり、そこは評価しなくてはなりません。民族的に純粋なウクライナ国家を建設しようとする試みが何をもたらすのかを彼らはよく理解しています。 法案は延期され、脇へ退かされましたが、明らかに万一の時に備えて残してあるのです。法案が存在する事実を今は押し黙っていますが、おそらく人間の記憶が 短いことをあてにしているのでしょう。しかし、第二次世界大戦時のヒトラーの協力者であるバンデーラの思想継承者たちがウクライナで今後いったい何をしよ うとしているのかは、今や誰が見ても明白です。
また、ウクライナには正統な政権がいまだになく、話をする相手がいないこともまた明白です。国家機関の多くは身元詐称者が占拠しており、彼らは国を 全くコントロールしておらず、むしろ彼ら自身が、―これは強調しておきたいのですが―、彼ら自身が往々にして過激派の支配下に置かれているのです。現政権 の大臣の中には、マイダン広場の武装勢力の許可を得なければ面会さえできない大臣もいるのです。冗談ではなく、これが今日の現実なのです。
クーデターに抵抗した者にはすぐに弾圧と懲罰をちらつかせた脅しが始まりました。その先頭にいたのは当然クリミアです。ロシア語圏のクリミアです。 そのため、クリミアとセバストポリ市の住民はロシアに対し権利と生命の保護を求めました。またキエフで、そしてドネツク市やハリコフ市やその他のウクライ ナの町で起こっていることを波及させないよう求めたのです。
当然、私たちはこの要請を拒否することはできませんでした。クリミアとその住民を見捨てることはできませんでした。そんなことをすれば、ただの裏切りです。
まず最初に、平和で自由な意思表示ができる環境を整備し、クリミアの住民が史上初めて自らの運命を自分で決定できるよう支援する必要がありました。 しかし、今日、私たちは西欧や北米の同僚からいったい何と言われているでしょう?私たちは国際法の規定に違反していると言われているのです。第一に、彼ら が国際法の存在を思い出しただけまだましです。思い出さないよりは遅くなってしまってもいいのですから、それだけでも御の字です。
第二に、これが最も重要ですが、私たちがいったい何に違反しているというのでしょうか?確かに、ロシア連邦大統領は軍をウクライナで使用する権利を 議会上院から取り付けました。しかし、厳正に言えば、その権利はまだ行使されてもいないのです。ロシア軍はクリミアに進軍してはいません。彼らは国際条約 に基づき、元々そこにいたのです。確かに、私たちは兵力を強化しました。しかし、―ここは強調したいところで、皆さんに良く聞いてもらいたいのですが―、 私たちはクリミア駐留軍の兵力定数を超えて増強したりはしていません。定数は2万5000人ですが、今までそこまでの必要がなかっただけのことです。
さらに言いましょう。クリミア最高議会は独立を宣言し住民投票を発表するにあたり、民族自決権を謳った国連憲章を根拠としました。思い出していただ きたいのですが、当のウクライナもソビエト連邦脱退を宣言するにあたり、同じこと、ほぼ文字通りに同じことをしたのです。ウクライナではこの権利を行使し たのに、クリミアには拒否しています。なぜでしょうか?
また、クリミア政府は有名なコソボの先例にも立脚しました。その先例は西側のパートナーたちが自ら、いわば自らの手で作り出したものであり、クリミ アと全く同じ状況で、セルビアからのコソボ分離を合法と認め、一方的な独立宣言には中央政府の許可は一切必要ないことを皆に知らしめたのです。国際司法裁 判所は国連憲章第1条第2項に基づきこれに同意し、2010年7月22日付の決定に次のように記しました。「安全保障理事会の慣例からは一方的独立宣言に 対するいかなる一般的禁止も推論されない。」そして、さらに「一般国際法は独立宣言について適用可能な禁止事項を含まない。」すべてきわめて明瞭です。
私は引用が好きではありませんが、しかし仕方ありません。もう一つ公式文書の抜粋を挙げましょう。今度は、2009年4月17日付のアメリカ合衆国 の覚書で、コソボ審理に関連して当の国際司法裁判所に提出されたものです。再び引用します。「独立宣言は、往々にしてそうであるように、国内法に違反する ことがある。しかし、それは国際法違反が起こっていることを意味するものではない。」引用おわり。自らこのように書き、世界中に吹聴し、皆に「同意させ て」おきながら、今度は憤慨しています。何に腹を立てているのでしょう。クリミア住民の行動はこの「マニュアル」とでも言うべきものにぴったり一致してい ます。なぜコソボのアルバニア人に許されたことが(私たちはアルバニア人には敬意を抱いています)、クリミアのロシア人やウクライナ人やクリミア・タター ル人には禁止されるのでしょうか?再び同じ疑問です。なぜでしょうか?
当のアメリカやヨーロッパはまたしてもコソボは特殊なケースなのだというようなことを言っています。私たちの同僚はいったい何が特殊だと考えている のでしょうか?それが、コソボ紛争で多くの人的被害が出たことが特殊だというのです。これが法的な論拠だとでもいうのでしょうか?国際司法裁判所の決定に はそんなことは何も書かれていません。これはもうダブルスタンダードでさえありません。驚くほどに稚拙で無遠慮な皮肉か何かです。このように乱暴に何もか もを自分の利益に合うように整え、同じひとつのものを今日は白と呼び、明日は黒と呼ぶようなことはあってなりません。つまるところ、すべての紛争は人的被 害が出るところまで持って行かなくてはならないということでしょうか?
率直に言いましょう。もしもクリミア自衛軍が時宜を得て状況をコントロールしていなければ、犠牲者が出てもおかしくはありませんでした。幸いなこと に、そうはなりませんでした!クリミアでは武力衝突は一度も起こらず、人的被害もありませんでした。なぜだと思いますか?答えは簡単です。なぜなら、国民 とその意思に反して戦うことは難しく、むしろ事実上不可能だからです。これについては、私はウクライナ兵に感謝したいと思っています。兵員数はかなりの数 で、完全武装兵が2万2000人です。流血の惨事を避け、自らを血で汚さなかったウクライナ兵に感謝したいと思います。
これについては、当然、別の考えも浮かびます。ロシアのクリミア介入だとか、侵略だとか言われていますが、これを聞くと奇妙な感じがします。歴史を見ても、ただの一発も発砲せず、一人の犠牲者も出さずに行われた軍事介入など、私は思い出すことができません。
尊敬する同僚たち!ウクライナを巡る情勢には、現在世界で起こっていること、さらにはこの数十年にわたって世界で起こってきたことが鏡のように映し 出されています。二極体制の消失後、世界から安定が消えました。主要な国際機関は強化されるどころか、残念ながら往々にして退化しています。アメリカ合衆 国を筆頭とする西側のパートナーたちは政治の実践において国際法ではなく、力による支配に従うことを好んでいます。彼らは自分が選ばれし特別な存在である と信じ切っており、世界の運命を決めるのは自分であり、常に自分だけが正しいのだと信じ切っています。彼らは思いつくままに行動しています。あちこちで主 権国家に対して武力を行使し、「ついてこない者は敵である」の原則に従って同盟を築いているのです。侵略を合法的に見せるため、国際機関から必要な決議を 「引き出し」、何らかの理由でそれがうまくいかない場合は、国連安全保障理事会も国連そのものをも全く無視するのです。
ユーゴスラビアの時がそうでした。私たちは1999年のそのときのことをよく覚えています。信じがたいことでした。自分の目が信じられませんでし た。20世紀末、ヨーロッパの首都のひとつ、ベオグラードの町が数週間にわたってミサイル攻撃にさらされ、その後、本格的な軍事介入が行われたのです。は たしてそのような行動を許可する国連安保理決議があったでしょうか?そんなものはありませんでした。その後、アフガニスタンがあり、イラクがあり、リビア に関する国連安保理決議のあからさまな違反がありました。飛行禁止区域を守るのではなく、またしても空爆が始まったのです。
また、操作された一連の「カラー」革命もありました。この出来事が発生した国々では、人々が圧政や貧困、展望の見えない状態に疲れ切っていたことは よく分かります。しかし、その感情は皮肉にも利用されたのです。これら国々は民族の生活様式にも伝統にも文化にも全く合わない基準を押しつけられました。 その結果、民主主義と自由のかわりに生まれたのは混沌、暴力の爆発、度重なるクーデターです。「アラブの春」は「アラブの冬」に取って代わられたのです。
同じようなシナリオがウクライナでも展開されました。2004年、大統領選挙で自分たちに必要な候補者を通すために、法律に規定されていない第3回 決選投票なるものが行われました。これは全くばかげたことであり、憲法を愚弄したものです。そして今回は、事前に訓練され、周到に装備した武装勢力の軍隊 を投入してきたのです。
私たちは何が起こっているのか、よく分かっています。この行動がウクライナに矛先を向け、ロシアにも向けていること、ユーラシア圏の統合に向けてい るものであることは分かっています。そして、これはロシアが誠実に西側の同僚たちとの対話を目指していたのに起こったのです。主要な問題において、私たち は常に協力を提案しています。信頼関係のレベルを向上させたいのです。私たちの関係が対等で、オープンで、誠実なものであってほしいのです。しかし、相手 側からの歩み寄りはありませんでした。
それどころか、私たちを次々と騙し、私たちのいないところで決定を下し、私たちには既成事実を突きつけたのです。NATOの東方拡大のとき、ロシア の国境付近に軍事インフラを配備したときもそうでした。私たちに対してはいつも同じことを繰り返していました。「あなた方には関係しませんよ」と。関係し ないなんて、簡単に言ってくれたものです!
ミサイル防衛システム展開の時もそうでした。私たちの懸念を無視して、機械は進み、動いています。査証交渉の終わりの見えない長期化もそうですし、公平な競争とグローバル市場への自由なアクセスについての約束もそうです。
今、私たちは制裁に脅かされていますが、そうでなくとも私たちは多くの制約の下に暮らしています。私たちにとって、ロシア経済にとって、私たちの国 にとってはきわめて重大な制約です。たとえば、「冷戦」期にアメリカが、それに続いて他の国々も、いわゆるココムリストを作成し、多くの技術や設備につい て、ソ連への販売を禁止しました。現在、このリストは形式的には廃止されていますが、それはあくまで形式的なものであり、実際には多くの禁止事項がいまだ に機能し続けています。
一言で言えば、18世紀、19世紀、20世紀を通してロシアに対して実施された悪名高き抑止政策は今日もまだ続いていると考えるのが妥当です。私た ちが独立した立場をとり、その立場を守ろうとし、偽善者ぶらずに物事を言うので、私たちを常にどこかの片隅に追いやろうとしているのです。しかし何事にも 限度があります。ウクライナの場合、西側のパートナーたちは一線を越え、乱暴で、無責任で、そしてプロ意識にかける振る舞いをしました。
ウクライナにもクリミアにも数百万人のロシア人が住んでいることを彼らはよく知っていました。いったいどれほどの政治的感覚と節度を失えば、自分の 行動の結果が見えなくなるのでしょう!ロシアはもう後に引くことのできない限界に立たされたのです。バネを限界まで押さえつければ、いずれは跳ね返りま す。それを肝に銘じておく必要があります。
今日必要なことは、ヒステリーを止め、「冷戦」期の修辞から離れ、明白な事実を認めることです。ロシアは国際社会における独立した積極的な参加者なのであり、ロシアにも他の国と同様に国益があり、それは考慮され、尊重されなければなりません。
私たちはクリミアでの私たちの行動に理解を示してくれたすべての人に感謝しています。中国の国民に感謝しています。中国指導部はウクライナとクリミアの情勢をその歴史的、政治的全体像を考慮しています。インドの自制した、客観的態度を高く評価しています。
今日、私はアメリカ合衆国の国民に言いたいと思います。彼らは建国以来、独立宣言を採択して以来、自由至上主義を誇りとしてきました。自分の運命を自由に選択したいというクリミア住民の欲求は同様な価値のあるものではないのですか?私たちを理解してください。
ヨーロッパ人、とりわけドイツ人も私を理解してくれると信じています。東西ドイツ統一に関する政治協議が、控えめに言って専門家レベルで、しかし極 めて高いレベルで行われていた時、ドイツの同盟国である国、そして当時同盟国であった国のうち、統一という考えそのものを支持した国は多くはありませんで した。しかし私たちの国はそれとは逆に、ドイツ人の誠実で押さえることのできない民族統一の欲求をはっきりと支持したのです。そのことをあなたたちは忘れ ていないと確信しています。そしてドイツ国民もまた、ロシア世界の、歴史的ロシアの統一を復活させたいという欲求を支持してくれると期待しています。
ウクライナ国民に言います。あなたたちが私たちを理解してくれることを心から望んでいます。私たちはあなたたちに害を及ぼそうとか、国民感情を侮辱 しようなどとは決して思っていません。私たちは常に大国ウクライナの領土の一体性を尊重してきました。自分たちの政治的野心のためにウクライナの一体性を 犠牲にした人々とは違います。彼らは偉大なるウクライナを謳ったスローガンを掲げて着飾っていますが、国を分断するためにすべてを行ったのは彼らなので す。今日の内紛はすべて彼らの責任です。親愛なる友人たち、あなたたちに私の話を聞いてほしいのです。ロシアを使ってあなたたちを脅し、クリミアの次はほ かの地域だと叫ぶ人々を信じないでください。私たちはウクライナの分裂を望んではいません。そんなものは私たちには必要ないのです。クリミアについては、 これまでもそしてこれからもロシアのものであり、ウクライナのものであり、クリミア・タタールのものです。
繰り返しますが、これまで何世紀にもわたってそうであったように、クリミアはこれからもそこに暮らすすべての民族にとっての故郷です。決してバンデーラ主義者のものにはなりません!
クリミアは私たちの共通の財産であり、地域安定の重要なファクターです。このような戦略的領土は強く安定した主権の下にあるべきで、それは実際、今 日においてはロシアの主権下でしかあり得ません。親愛なる友人たち(ウクライナとロシアに言っているのです)、そうでなければ、私たち―ロシア人とウクラ イナ人―は、歴史的に見て近い将来、クリミアを完全に失うことになるかもしれません。この言葉をどうかよく考えてみてください。
キエフではすでにウクライナが近くNATOに加盟するという声明が出ています。この展望がクリミアとセバストポリ市にとって何を意味するでしょう か?ロシア軍の栄光の町にNATOの艦隊が現れるようなことになれば、ロシア南部全域にとっての脅威となるでしょう。この脅威は幻でも何でもなく、きわめ て身に迫る脅威です。実際に起こったかもしれないことはすべて、クリミア住民の選択がなければ本当にすべて実際に起こったかもしれません。クリミア住民に 感謝しています。
ちなみに言えば、私たちはNATOとの協力に反対しているわけではありません。全く反対ではありません。私たちが反対しているのは、軍事同盟が、様々な内 部プロセスはあってもNATOは軍事組織ですから、その軍事組織がうちの柵の近くで、我が家の近所で、私たちの歴史的領土の中で我がもの顔をしていること に反対しているのです。たとえば、私たちがセバストポリに行ってNATOの海軍兵士に客人として迎えられるなど、私には想像もできません。彼らの多くはす ばらしい青年たちです。しかし、セバストポリでは私たちが彼らを客人として迎える方がよいのです。
率直に言いましょう。私たちは今ウクライナで起こっているすべてのことに、人々が苦しんでいることに、彼らが今日をどのように生き、明日はどうなる のか分からないでいることに心を痛めています。私たちが心配するのもよく分かります。何しろ私たちは単なる隣人ではなく、私が何度も言っているとおり、事 実上、ひとつの民族なのです。キエフはロシアの町にとっては母なる都市です。古代ルーシは私たちの共通の起源であり、私たちはいずれにせよお互いがいなけ ればやっていけないのです。
もうひとつ言いましょう。ウクライナには今も、そしてこれからも数百万人のロシア人、ロシア語話者である国民が暮らしていきます。そして、ロシアは 常に政治的、外交的、法的手段を使って彼らの利益を保護していきます。しかし、まずは当のウクライナがこういった人々の権利と利益が保証されるよう関心を 払わなければなりません。それがウクライナの国家としての安定と領土の一体性の基礎となるのです。
私たちはウクライナとの友好を望んでいます。ウクライナが強く、主権を持った、自立した国家になることを願っています。私たちにとってウクライナは 主要なパートナーのひとつなのです。私たちには多くの共同プロジェクトがあり、何があったとしても、これらのプロジェクトの成功を私は信じています。そし て何よりも、私たちはウクライナの地に平和と融和が訪れることを願っています。そのためには他国とともに最大限の協力と支援をする用意があります。しかし もう一度繰り返します。自分の家に秩序をもたらすことができるのは他でもないウクライナ国民だけなのです。
尊敬するクリミアとセバストポリ市の住民の皆さん!ロシア全土があなたたちの大胆さと威厳と勇気に感動しました。あなたたちがクリミアの運命を決め たのです。この数日間、私たちはこれまでにないほど身近になり、お互いを支え合いました。あれは真の連帯の気持ちでした。あのような決定的な歴史的瞬間に こそ、民族の成熟度と精神力が試されるのです。ロシア国民はすばらしい成熟度とすばらしい力を発揮し、団結して同胞を支えました。
ロシアの外交における強気は数百万人の人々の意思、民族全体の団結、主要な政治・社会勢力からの支持に立脚していました。皆さんのその愛国心に感謝 します。例外なくすべての人に感謝します。しかし、ロシアの前に立ちはだかる課題を解決するため、今後もこの団結力を維持することが私たちには重要です。
私たちは明らかに外国の反発に遭遇することになります。しかし、私たちは自分のために決めなくてはなりません。首尾一貫して国益を守り続ける用意が あるのか、それとも、永遠に国益を諦め続け、どこまでも後ろに下がり続けるのか。西側の政治家の中には、制裁だけではなく、国内問題の先鋭化の可能性を 語って私たちを怖がらせている人もいます。彼らが何のことを言っているのか知りたいものです。第5列員なるもの―様々な国家反逆者―の活動のことでしょう か、あるいはロシアの社会経済情勢を悪化させることで人々の不満を誘発することができると考えているのでしょうか。このような発言は無責任で明らかに攻撃 的なものであると見なし、しかるべき方法で対処していきます。しかし、私たち自身は東側でも西側でも、決してパートナーとの対立を目指すことはせず、現代 世界の決まり通り、先進的な善隣関係を築くために全力を尽くしていきます。
尊敬する同僚たち!
住民投票で、クリミアはウクライナに残るのか、ロシアに入るのかという、きわめて率直ではっきりした質問を設定したクリミア住民の気持ちがよく分かりま す。そして、確信を持って言うことができます。クリミアとセバストポリの指導部や立法機関の議員は住民投票の質問を作るにあたって、派閥や政治的利益を超 越し、人々の根源的利益だけを指針として、それだけを最重要視したのです。これ以外の住民投票であったなら、それが一見したところいかに魅力的に映ったと しても、この領土の歴史的、人口構成的、政治的、経済的特性のために中庸で一時的で揺らぎやすいものになっていたでしょうし、間違いなくクリミア情勢のさ らなる悪化へつながったでしょうし、最悪の形で人々の生活に反映していたことでしょう。クリミア住民は厳しく、妥協のない、一切の中途半端さのない質問を 設定しました。住民投票はオープンに誠実に行われ、クリミアの人々ははっきりと説得力を持って自分の意思を表明しました。彼らはロシアに入ることを望んで いるのです。
ロシアもまた、国内外のファクター全体を考慮して、困難な決定をしなければなりません。今のロシアの人々の意見はどうなのでしょう。ここでは、他の あらゆる民主主義社会と同じように、様々な視点があるでしょう。しかし、絶対的な、―強調しておきますが―、絶対的多数の国民の考え方は、こちらも一目瞭 然です。
つい先日ロシアで実施された最新の世論調査をご存じでしょう。95%もの国民が、ロシアはクリミアに住むロシア人とその他の民族の利益を保護すべき であると考えています。95%です!83%以上が、たとえそのような態度が他国との関係を複雑化させるとしても、ロシアはこれを実施すべきだと考えていま す。国民の86%がクリミアは今に至るまでもロシアの領土であり、ロシアの土地であると確信しています。そして、とても重要な数字で、クリミアの住民投票 のものと完全に相関しているのですが、ほぼ92%がクリミアのロシア編入に賛成しています。
このように、クリミア住民の大多数も、ロシア国民の絶対的多数も、クリミア共和国とセバストポリ市のロシア連邦への復帰を支持しています。
残すはロシアの政治的決定です。これは国民の意思に基づくことしかできません。なぜなら、いかなる政権であってもその源となるのは国民だけだからです。
尊敬する上院議員!尊敬する下院議員!ロシア国民とクリミアとセバストポリ市の住民たち!クリミアで行われた住民投票の結果に基づき、国民の意思に 立脚して、本日、ロシア連邦議会に、ロシアに2つの新たな連邦構成主体、クリミア共和国とセバストポリ市を受け入れる合憲的な法案を提出し、審議を要請す ると共に、クリミア共和国とセバストポリ市のロシア連邦への編入に関する署名の準備が整えた条約の批准を要請します。皆さんの支持を迷わず確信していま す!
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クリミアのロシア編入が完了したそうであるが、
未だにクリミアの住民投票はウクライナの法律に、違反しているという意見を言う人が多数あるようである。
それについて芳ちゃんのブログ「クリミアでの国民投票は本当に非合法なのか」で詳しく書いておられるので、その記事を引用させて頂く。
これはロシアのシンクタンクのひとつのジョン・ラフランドがRTに語った言葉だそうである。
(一部引用 ...... [続きを読む]
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