ISDに関する教科書的な理解のために
ウィキリークスが、TPPの投資章をリークし、これについて、パブリックシティズンが分析をしている。
分析部分に関する和訳が、すでに4月9日付で、「STOP! TPP」のサイトにアップされていた。
全体の分量からすると、抄訳である可能性はあるが(何しろ英語を見ようとすると時間がかかるので対照確認はしていない)、貴重な日本語文献であるので、リンクさせていただきます。
米国「パブリック・シチズン」がTPP投資関連リーク文書を分析─ISDSで増加する米国の負担
九州大学の磯田宏氏の抄訳もそうであるが、いずれにしろ、この分析部分は、かなり専門的な印象が強い。
そこで、以下に、そもそもISD手続とはどういう手続で、どういうルールが定められていて、どういう問題があるのかに関する基礎的な知識をまとめてみたので、紹介させていただきます。
ISDに批判的な人でも、その手続について、どうしても裁判所のイメージで理解している向きがある。
“公平な裁判所での裁判”などとTPP推進派が宣伝するので、やむを得ない面もあるが、ISDによる仲裁は、どこまで行っても、その場限りの3人による無責任で公正さの担保されないプライベートな手続である。
ISDを「インチキ裁判で大損害」とされた色平哲郎氏の意訳は大正解なのである。
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1 投資と貿易の関係等
投資は、それ自体として貿易の対象になる、モノでもサービスでもありません。
しかし、モノの貿易やサービスの貿易には、必ず投資を伴います。
また、投資は、投機や企業買収のように、貿易を伴わないものも存在します。
投資章が取り扱う分野は、他の章以上にさらに広汎に及ぶことになります。
2 ISD条項
(1)ISDとは
投資章において、最も論争的なテーマになってきたのは、ISD条項(ISDSということもあります)と呼ばれる条項です。この条項は、外国投資家が投資章の規定に違反する(と考える)相手国政府や地方政府の措置によって損害を被った場合に、投資先国の中央政府を強制的に海外の仲裁手続に訴えることを認める制度です。正式には投資家対国家紛争解決制度(Investor-State Dispute Settllement)と呼ばれます。
(2)仲裁手続のお粗末さ
あ 仲裁手続の制度設計
外国投資家の訴えに対して判断を下すのは、原則として3人の仲裁人による合議体ですが、この合議体は、その事件ごとに選ばれ、その事件について判断を下すと解散します(申立人となる外国投資家が一人、訴えられた政府が一人、両者の合意で第3の仲裁人を選任します)。非公開手続で、上訴の制度はなく、一審限りの制度です。仲裁人には特別な資格制度はありません。仲裁人は、仲裁判断に関して、説明責任も含め、誰に対するいかなる責任も負いません。
この制度がどれほどずさんであるかは、たとえば、国際司法裁判所と比べると明らかです。国際司法裁判所は基本的に15人の裁判官で構成される常設の裁判所です。裁判官は、国連総会と安全保障理事会で、それぞれ絶対多数の賛成を得られた者がなります(絶対多数の賛成が得られるまで、投票を繰り返します)。したがって、国際的な意味での民主的な手続が徹底されており、国家間の紛争に対して強制的な判断を下す正当性が保障されているといえます。
こうした制度設計と比べると、ISDの仲裁人団はいかにもプライベートなものといわざるを得ません。
い 仲裁手続の主な種類
ISDについて、よくある誤解は、どこかに常設の裁判所があって、そこに提訴するというイメージですが、先に見たとおりISDの仲裁人団は、その事件限りで構成され、どこで手続が進められているかも分からないケースすらあります。
おおざっぱに言って、世界銀行傘下の投資紛争解決国際センター(ICSID)に提訴する方法と、国連国際商取引法委員会(UNCITRAL)が定めるモデル仲裁規則に基づいて提訴する方法と二通りがありますが、後者はあくまでも手続ルールのモデルが国際商取引法委員会によって示されているというだけで、国連が関与するものではありません。しかも、このモデル規定は、主として民間企業同士の争い事を念頭に置かれて作られたもので、国家制度を裁くことを主眼として作成された手続モデルではありません。また、前者もいわば事務局機能を投資紛争解決国際センターが提供するだけで、判断は、あくまでも私的に選任された仲裁人団が行い、どこで仲裁手続を行うかも含めて、当事者の合意が優先する仕組みです。
う 仲裁手続の不公正さ
仲裁人は多くの場合、民間の弁護士がなっていると言われます。彼らは、ある場合は、仲裁人として判断をするかと思えば、ある場合は、企業側の代理人として仲裁を申し立て企業の利益を図ることを繰り返しています。同じ論点であるのに、事件によって異なる判断をする仲裁人も存在します。利益相反を禁止するような規則も定められていません。
え 国家制度とISD
民事訴訟法の代表的な教科書には、仲裁は、国家の公権的判断を回避するところに本質があると書かれています。仲裁というのは、「喧嘩の仲裁」という言葉でイメージされるように、本質的に私的な紛争の解決方法なのです。
国家制度など、民主国家であれば本来国民の利益のために行使されるべき国家主権のあり方を、公正さが担保されたとはとうていいえない、プライベートな手続で裁くという点に、ISD条項の重要な特徴があり、論争の的となる一つの原因になっています。
(3)ISDの実体規定
あ 国際法優先
ISDの問題は、それだけに止まりません。
ISD手続は、国家間の紛争と同じように、外国投資家と国家の間の紛争を国際紛争と同様の性格のものととらえます。したがって、国際法である投資章の規定に基づいて判断されることになります。憲法を含めた国内法は、投資章の規定を適用するに当たっての事情として考慮されるに過ぎないのです。
ISDで裁かれる紛争は基本的に国内で起きた紛争ですが、憲法を頂点とする国内法の体系は、排除されてしまうのです。
い 規定の曖昧さ
ISDの判断基準とされる規定(こうした規定は実体規定と呼ばれます)は、内国民待遇や、最恵国待遇といった国際法で一般的に認められている原則の他に、パフォーマンス条項とかアンブレラ条項と呼ばれる条項です。これらは、内容の当否は別としても、まだしも内容自体は比較的明確です。
問題は、これらの他に、①「間接収用」や②「公正衡平待遇義務」といった、意味内容が極めて理解しにくい条項が違法性を決定する判断基準に含まれていることです。
たとえば、後者は、規定の言葉そのものが「公正かつ公平な待遇並びに十分な保護及び保障を与える」とされており、これだけでは規定の意味内容を把握することはおよそできません。
う 間接収用
日本国憲法における「収用」は、公共の目的のために私人の所有権を国や自治体・公共団体が取得することを想定されており、その場合に「正当な補償」を与えることを国等に義務づけています。所有権の名義が私人から公共団体に移転することが「正当な補償」を与える収用か否かの基準とされており、使用制限などは「収用」に含まれません。収用について定める、代表的な法律としては、土地収用法などがあります。
しかし、TPPで想定される「間接収用」は、こうした所有名義の移転がなくても、「裁量的な許認可の剥奪や生産上限の規定など、投資財産の利用やそこから得られる収益を阻害するような措置も収用に含まれる」(「投資協定の概要と日本の取り組み」2012年11月経済産業省通商政策局経済連携課)ものとされており、利用や収益の阻害も収用と同様に補償を要するものとされています(投資章でいう補償は、公正な市場価格を意味し、将来的な逸失利益や商業的に妥当な利子も広く含む概念で、この点も日本国憲法と異なります)。
では、どのような利用や収益の阻害が「間接収用」に当たるかですが、①政府措置の経済的影響の程度、②政府措置が明白で合理的な投資期待利益を侵害した程度、③政府措置の性格等を考慮して決めるものと規定されています。
しかし、このような考慮事情を示されても、概念が曖昧なことに変わりはありません。
日本と同様に、所有名義の移転を伴うものを「収用」としてきた韓国は、米韓自由貿易協定(以下、「米韓FTA」といいます)の交渉中の2006年7月、法務省が中心となって、間接収用の概念について検討しましたが、「『間接収用』の概念は国際的定義が確立してない概念で租税、安保、公共秩序、保険等すべての政府(地方自治体および政府投資機関、司法府等を含む)の措置に対して提訴可能」と結論せざるを得ませんでした。
このとき韓国法務省は、この時点までのISDの事例で、「間接収用」が論点となった事例を分析していますが、提訴対象とされる「政府措置」は「政府の法規定、制度、慣行、不作為、公務員の事実的行為等を含む広範囲な概念である」とし、「間接収用」規定に対応するため、政府の部署、裁判所、地方自治体、政府投資機関等に関連した省庁横断的な作業が必要であるとしています。
え 公正・衡平待遇義務
ア 抽象性と慣習国際法について
参照すべき「収用」という概念が存在する「間接収用」ですら、このような大きなインパクトがあります。
まして「公正かつ公平な待遇並びに十分な保護及び保障を与える」とする義務などと言われても、明確にこれだといえる人が、どれほどいるでしょうか。一応、この義務は、他の自由貿易協定を見ると、「慣習国際法上国家が外国人に保障しなければならない最低基準を意味する」などとされています。
しかし、世界には、経済の発展段階も、社会の形態も、宗教的・文化的背景も異なる様々な国家が存在します。そうした条件の中で、果たして外国投資家の待遇に関する慣習国際法が成立しうるのか自体に重大な疑問があります。仮に世界の多様性を認めるのであれば、多分、慣習国際法が成立しているとはいえないと考えるのが正当でしょう。現に、日本の国民に、外国投資家に与えるべき最低限の待遇とは何かを問うても、答えられる人は極めて限られた特殊な人に限られるでしょう。
しかし、米国では、「公正衡平待遇義務」は明確だとされているようです。
米韓FTA締結の根拠とされた米国の国内法(2002年「大統領貿易促進権限法」)には、「米国の法理および慣行に一致した公正かつ衡平な取扱に対する基準の設定を求める」とあり(2012条(b)(3)(E))、米国国内法を慣習国際法とみなしていることが窺われます。米国がこのように考えるのには、理由があります。米国は州の独立性が強いため、州の間のモノやサービスの行き来も通商(貿易)とされており、州際通商に関しては、連邦議会による法律や連邦裁判所による判例等、長年にわたる州際通商ルールの積み重ねがあるからです。
しかし、米国内で一種の国際法と観念されているとしても、それを世界の慣習国際法とするのには無理があります。TPPがアメリカのルールの押しつけであるとする批判には十分な理由があります。
イ 「公正衡平待遇義務」の内容
極めて問題があることを前提に、一般に国際経済法の分野において、この慣習国際法上の義務とされている内容を紹介すると、以下のようなものがあげられます。
「外国投資家の投資財産保護に関する慎重な注意(due dilligence)」、「適正手続(due process)」、「裁判拒否の禁止(denial of jusitice)」、「恣意的な(arbitary)措置の禁止」、「投資家の正当な期待(legitimate expectation)の保護」などです。
適正手続の保障や、裁判拒否の禁止などが国際的な水準で保障されるべき事柄であることは理解できなくもありませんが、「投資財産保護に関する慎重な注意」、「投資家の正当な期待の保護」等は、結局、極めて抽象的です。
先に述べたとおり、韓国法務省は、2006年7月、米国とのISD条項を含む自由貿易協定を締結することに危機感を持って、その影響を検討したのですが、このとき中心となった検討対象は「間接収用」でした。
実は、「公正衡平待遇義務」の内容が、具体的なものだと主張されるのが一般化するのは、2000年代の後半になってからです。したがって、一般的に確立されるまで極めて長い期間を要する慣習国際法が存在するとする主張自体にやはり無理があるものと考えざるを得ません。
ウ 膨大な萎縮効果
以上のように、公正衡平待遇義務が、ISD手続で判断基準として有効だとされるようになったのは、極めて最近のことで、しかも年々、その内容は進化している状態です。
つまり、何が公正衡平待遇義務違反とされるかは、具体的に提訴されてみないとわからないのが実情ともいえます。
このような規定が、ISD手続に入れられ、日本が強制的に海外での仲裁を強いられて、損害賠償を求められることになれば、日本の政治・行政に及ぼす萎縮効果は計り知れないものがあります。
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