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2018年9月23日 (日)

太田愛著 『天上の葦』(KADOKAWA)  ネタバレ注意

 

えん罪を扱ったミステリーということで興味を持った「幻夏」(KADOKAWA)を読むまで著者の名前も著書も知らなかった。

Tennjounoasi

 

著者太田愛は、もともとはテレビ番組の脚本家で、テレビドラマ「相棒」の脚本家の一人である。「相棒Season8」から参加し、「相棒 劇場版Ⅳ」を担当、正月スペシャル版も4年手がけている「相棒」シリーズの中でも、実力派人気作家の一人である。
いうまでもないが、「相棒」は、平日昼間の再放送がドラマ部門の週間視聴率ベスト10に入るようなお化け番組である。

 

 

「天上の葦」が扱うのは、マスコミと権力の関係である。

出版社によるタイトルの紹介の範囲で言うと、もう、ここですでに、ネタバレになってしまう。

 

「天上の葦(上)」

生放送に映った不審死と公安警察官失踪の真相とは?感動のサスペンス巨編!

 

白昼、老人が渋谷のスクランブル交差点で何もない空を指さして絶命した。正光秀雄96歳。死の間際、正光はあの空に何を見ていたのか。それを突き止めれば一千万円の報酬を支払う。興信所を営む鑓水と修司のもとに不可解な依頼が舞い込む。そして老人が死んだ同じ日、ひとりの公安警察官が忽然と姿を消した。その捜索を極秘裏に命じられる停職中の刑事・相馬。廃屋に残された夥しい血痕、老人のポケットから見つかった大手テレビ局社長の名刺、遠い過去から届いた一枚の葉書、そして闇の中の孔雀……。二つの事件がひとつに結ばれた先には、社会を一変させる犯罪が仕組まれていた!? 鑓水、修司、相馬の三人が最大の謎に挑む。感動のクライムサスペンス巨編!

 

「天上の葦(下)」

日常を静かに破壊する犯罪。 気づいたのは たった二人だけだった。

 

失踪した公安警察官を追って、鑓水、修司、相馬の三人が辿り着いたのは瀬戸内海の離島だった。山頂に高射砲台跡の残る因習の島。そこでは、渋谷で老人が絶命した瞬間から、誰もが思いもよらないかたちで大きな歯車が回り始めていた。誰が敵で誰が味方なのか。あの日、この島で何が起こったのか。穏やかな島の営みの裏に隠された巧妙なトリックを暴いた時、あまりに痛ましい真実の扉が開かれる。

―君は君で、僕は僕で、最善を尽くさなければならない。

すべての思いを引き受け、鑓水たちは力を尽くして巨大な敵に立ち向かう。「犯罪者」「幻夏」(日本推理作家協会賞候補作)に続く待望の1800枚巨編!

 

 

 

登場人物は、いずれも組織から外れるような、一癖ある人物で、テーマの深刻性や、スリリングな展開とは別に、ユーモアもふんだんに盛り込まれている。

「相棒」好きであれば、多分、面白く読める極上エンターテイメントになっている。

ブックレビューの満足度も高い。

 

 

さて、本題である。

「相棒」の脚本がメインの仕事であったように、著者は、マスコミ業界に極めて近い人である。

その著者が、権力とマスコミの関係を世に問うのは、著者にとって、得なことは何もない。

当然、著者の頭にも、「干される」可能性があったと思う。

現に作中で示されるマスコミに対する著者の認識は、極めてリアルで、マスコミの計算高さも冷たさも十分に知り尽くしている。

そう、この作品は、勇気を持って、書かれたものなのだ。

 

 

本作執筆の動機を著者は次のように述べている(ダビンチニュース2017年2月23日)

 

 

実社会で起きている異変。今書かないと手遅れになる

 

構想の発端について太田さんはこう語る。

 

「このところ急に世の中の空気が変わってきましたよね。特にメディアの世界では、政権政党から公平中立報道の要望書が出されたり、選挙前の政党に関する街頭インタビューがなくなったり。総務大臣がテレビ局に対して、電波停止を命じる可能性があると言及したこともありました。こういう状況は戦後ずっとなかったことで、確実に何か異変が起きている。これは今書かないと手遅れになるかもしれないと思いました」

 

 

そして、作品の舞台となる瀬戸内の島へ取材に訪れたときのことを次のように語っている。

 

 

「みなさん昔のことを事細かに覚えていらっしゃいました。100歳になる方もいたのですが、『世の中の空気が変わったと感じたのはいつ頃だったか覚えてらっしゃいますか?』とたずねたら、ほとんど迷わずに『満州事変』とおっしゃっていたのが印象的で。私の父も満州事変の頃に生まれて、14歳の頃に経験した高松空襲の話を何度も聞いた覚えがあります。そして最近の社会の変化を感じるなかで、これはいつか来た道なのではないか?と思ったのです」

 

 

そう、この作品は、世に出さなければならないという、駆り立てられる思いから、生まれた作品なのだ。著者自身が「干される」ことも覚悟してもなお「書かなければならない」との思いから世に問われたのである。

 

 

そして、著者のインタビューから窺われるとおり、著者は、今の状況を1930年代と重ね合わせている。

 

 

作中には瀬戸内の島の老人から聞いた話を伝える次のような部分がある。

 

 

「曳舟島の老人たちから聞きました。まるで空気が薄くなるように自由がなくなっていったあの時代のことを。着たいものを着る自由、食べたいものを食べる自由、読みたいものを読む自由。気づいた時には誰も何も言えなくなっていた。思ったことを口にしただけで犯罪者とみなされる時代が来るとは、誰も思っていなかった。」

 

 

世の中の空気が変わり始めてから、結末に至るまでこれを止めることができる時間は、さほど長くない。

 

 

「しかし、いいですか、常に小さな火から始まるのです。そして闘えるのは、火が小さなうちだけなのです。やがて点として置かれた火が繫がり、風が起こり、風がさらに火を煽り、大火となればもはやなす術はない。もう誰にも、どうすることもできないのです」

 

 

今は、まだ火は小さい、しかし、一刻の猶予もならないという切迫した思いが著者を本作に向かわさせたのだ。

 

 

 

 

マスコミの直近で仕事をしているだけに、権力がマスコミに対して持つ強大な力に対する認識も冷静だ。

この作品は、公安(背後の政治家)と、民放テレビ局が立ち上げを予定している、看板報道番組との確執を物語の軸に据えているが(完全にネタバレしている)、番組一つをつぶすくらい権力にとって造作もないことが前提とされている。
番組をつぶすのではなく、今後、そのような番組が出てこないようにするために画策する公安と、これと対決する主人公たちの姿を活写したものだ。
(構造としては、、前川喜平に関係した者をつぶすのではなく、今後2度と前川喜平のような官僚を出さないことを目的とする今回の粛清事件と極めて類似している)

 

 

マスコミに対する冷めた目と同時に、作品には、マスコミの人々に対する尊敬も示されている。

 

 

「日本にも良心的なプロデューサーやディレクター、ジャーナリストは大勢いるんだけどね」 

 

 

そう、マスコミで仕事をしておられる方々、あなた方に向けて、この愛に満ちた物語は紡がれたのである。

 

 

マスコミで仕事をされている方々、是非、手にとってくださいな。

そして、著者の勇気を受け取って、今、あなたにできることを是非、実行してくださいな。

 

 

火が小さな内に、大火となって、もうどうしようもなくなってしまう、その前に。

 

 

なお著者のこの作品に込めた思いは、「太田愛 公式サイト」にリンクが貼られている、「久米宏 ラジオなんですけど」(2018年4月21日)でも聞ける。
『国が危ない方向に舵を切る兆しは「報道」と「教育」に顕れる / 脚本家・太田愛さん』

 

 

 

「天上の葦」が大ベストセラーに化けてくれますように!!

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これは粛清だ

 

9月20日、安倍晋三が自民党総裁選に圧勝で三選を果たした。

翌21日、文科省の調査報告書が発表され、事務次官と初等中等局長が辞任した。

この2018年9月21日は、朝日新聞の2014年9月11日の屈服が歴史に残る日となるのと同様、歴史に残る日となるだろう。

 

 

朝日新聞の9.11吉田調書・吉田証言連続屈服事件は、その後の原発批判の封じ込め・原子力ムラのバージョンアップした復活と、歴史修正主義の蔓延を招く画期となった(後者のダメを押した池上彰をリベラル陣営が未だにもてはやしているのはその神経が知れぬ)。

 

 

2018年9月21日は、官僚組織全体が安倍政権に対して、全面的に敗北し、屈服した日として残る。元々が、自己保身・対米隷属・ネオリベが席巻する官僚組織はろくなものではなかった。だから、その影響を見通すのは、容易なことではないが、しかし、多少なりとも官僚が果たしてきた良い役割があるとしたら、この日を境に、官邸の意向に反する芽は、ことごとく摘み取られることとなるだろう。官僚組織と政治家との緊張関係が失われたのである。

 

 

もともとが、ろくな組織でなかったために、官僚組織の自律性崩壊の未来予測は不可能だ

 

(とりわけ文科省はろくなものではなかった。

ロースクールに巨費をつぎ込んで、弁護士を激増させて、日本の弁護士の質を劣悪化させ貧窮化を促進して、弁護士をマネー支配原理の手先に変質させた。

大学の運営交付金を削減して、研究者に短期的な成果を強いて、競争資金獲得書類技術の習得に注力させ、むだな書類の作成に忙殺されるように仕向け、日本の研究水準を劣悪化させた。何が悲しくてノーベル医学賞受賞者がマラソンで研究資金をチャリティしなければならないのか)。

 

一つ言えることがあるとすれば、当面の見せしめになったのが、文科省であることから、文科省がもっと悪くなるとすれば、子どもに対する「エセ愛国」洗脳教育が徹底する国になるだろうということだ。

 

 

 

見てみればいい。この金額を。

二代連続事務次官の辞任という前代未聞の歴史的不祥事とされる事件の、この金額のしょぼさを。

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中日新聞2018年9月22日

6万円、2万円、11万円、10万円。4人合わせても30万、辞任した二人の合計額は8万円。

日本の歴代不祥事の中で、その金額においてダントツの最下位だと断言して憚らない。子どもの小遣いが多すぎるという話ではない。旦那が小遣いをごまかしたという話でもない。

一国の省庁のトップの歴史的不祥事の金額なのだ。

 

 

どこの省庁にだって叩けば出てくるに違いない、このしょぼ過ぎる不正を引っ張り出されたのが文科省だったということに意味があることは誰の目にも明らかだろう。

なのに、どうしてだろう。

なぜ大多数の人達が、「なぜ文科省なのか?」を問わないのは。

これを報復(あるいはより適切に粛清)だという声が上がらないのは。

 

 

 

遡れば、6月、報道ステーションは、報復におびえる文科省の様子を報道していた。

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4月の朝日新聞のスクープに端を発し、再び勢いを増した加計疑惑追及が一向に収まる気配を見せないのは、文科省からの情報提供のせいだと官邸が激怒し、文科省が報復を恐れているという内容だったらしい。

 

愛媛県知事と加計学園のやりとりが続く中、加計孝太郎は、大阪北部地震の翌6月19日、わずか2時間前に告知した記者会見を、岡山県で開き2015年2月の安倍晋三との面会について「記憶にも記録にもない」と述べ、最初で最後の会見をわずか25分で打ち切った。

 

 

それからまもなく、7月4日、東京医科大学の私立プランディング事業助成金について、息子の同大学合格を見返りに便宜を図ったとして、文科省の佐野太科学技術・学術政策局長が逮捕された。

合理的に考えて、加計孝太郎が記者会見を行った当時、すでにこの捜査の目処が立つ段階に入っていたと見てよい。

手際よく、直ちに録音テープがマスコミにリークされ、メディアの恰好の餌食となり、加計学園問題の幕引きがなされた(今のところ、そのように見える)。

一部に佐野太は、前川喜平と省内派閥が異なるとか、安倍晋三と近い関係にあるとかの情報が流れ、この事件を官邸の報復として取り上げる者は多くはなかった。

 

 

7月から、報道ステーションのプロデューサーが交代し、一挙に安倍批判を控えるようになる。

 

 

そして、今回の前代未聞のしょぼすぎる不祥事による歴史的な二代連続の事務次官辞任である。

 

 

辞任した事務次官と初等中等局長は、加計疑惑追及に力を貸したかもしれないし、貸していないかもしれない。いや逆に抑えにかかっていたかもしれない。

しかし、そんなことは関係ないのだ。

報復は周到に用意され、総裁3選直後という、これ以上ないタイミングを見計らって、官邸の圧倒的な力を見せつける形で、実行されたのだ。

 

 

 

報復は、加計疑惑の追及に力を貸したか否か無関係に行う方が、より効果的である。

官邸に逆らえば、省内にいる誰もが報復を受け得る。同僚や後輩に迷惑をかけることになる。省内に影響を及ぼさないように極力官邸の不正には目を背けるようになる。上司は、部下に官邸に対する不心得者がいないか常時監視の目を光らせる。それが監督者の第一の仕事になる。不心得者は、直ちに官邸に報告されるだろう。通告されるのではないかと疑心暗鬼になり、省内でも本音は話せなくなる。

 

 

見せしめというものは、見当外れな方が効果が大きいのだ。

 

 

これは、すでに粛清と呼ぶのがふさわしいレベルに達している。

また一歩、独裁国家に近づいた。

 

 

私たちは、止められるのか。

メディアに働く人たちに是非、読んでもらいたい本がある。

太田愛「天上の葦」(KADOKAWA)である。

この時代に生きる全てのメディア人に読んでもらいたい。

この本を読んで、是非、勇気を出してもらいたい。

そして、一歩を踏み出してもらいたい。

この国を救うために切実に、そう願わずにはいられない。

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2018年9月20日 (木)

沖縄知事選情勢  赤旗報道から

昨日の赤旗。

情勢については、期日前投票の激増を指摘して、「デニー候補への有権者の支持は急速に広がっていますが、確実な投票には結びついておらず、組織戦では佐喜真陣営が先行」と指摘している。

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要点を挙げると、佐喜真陣営の主張の破綻は次のようになる。

 

  • 辺野古新基地建設推進があらわに  候補者討論会で「基地問題は国が決めること。われわれには限界がある」「(辺野古新基地の出発点になった)SACO合意が原点」と述べるなど、「新基地推進派」の地金がむき出しになっています。

 

 

  • 普天間基地返還 2年前の市長選で公約していた普天間基地の「2019年2月までの運用停止」について、県知事選で一度も言及しておらず、有権者の強い怒りを買っています。

 

  • 普天間基地返還  佐喜真氏は普天間基地を抱える宜野湾市長だったことから、「普天間飛行場返還ができるのは私だけ」などと豪語していました。しかし、そう豪語すればするほど、「どこに移設するのか」と問われるため、最近は「普天間」への言及も極度に減っています。

 

 

  • 県民所得向上  佐喜真氏は「県民所得が全国最下位の215万円」であり、「300万円に引き上げる」などと豪語しています。しかし、翁長県政の下で県民所得が仲井真・自公県政時代の197万円(12年)から、翁長県政期に235万円(17年)まで引き上がることは意図的に隠しています。

 

 

  • 子育て支援  佐喜真氏は、「子育て世代のために宜野湾市でも行った、保育料、給食費、そして医療費の無償化を目指す」(16日の街頭演説)などと繰り返しています。しかし、実際は12年、市長に初当選した時の公約だった給食費無料化はついに実現できませんでした。半額助成は実施したものの、その後に値上げすら行いました。

 

 

この記事だと、「保育料」の無償化を宜野湾市で実現したように見えるので、宜野湾市のサイトを見たが、保育料無償化などしていない。佐喜真淳氏の公式サイトを見ても、いわゆる「実績」が並べられているが、「保育料無償化」など痕跡もない。

 

 

ちなみに、佐喜真淳氏の公式サイトによれば、保育園や老人ホームの民営化、市役所窓口の民間委託などが実績として挙げられており、民営化推進論者である。

 

 

かくて、本日の赤旗が報道するところは次のとおりである。

佐喜真陣営は、政策論争ではなく、組織戦に総力を挙げるということだ。

 

 

論戦投げ捨て期日前

 

佐喜真陣営 “一点に絞って”と

 沖縄県知事選(30日投票)で期日前投票が前回から倍増しています。安倍自公政権丸抱えの佐喜真淳陣営が期日前投票に異常なまでの執念をみせています。

 

 「一人でも多く期日前を。それしか選挙に勝てる道はない」「各会社、地域、家庭においても期日前投票を徹底して推進を」。18日、那覇市で開かれた佐喜真陣営の決起集会でこうした檄(げき)が飛び交いました。

 

 同日、浦添市で行われた集会でも県建設業協会の代表者が「われわれがやれることはもう一点。期日前投票の一点に絞ってこれからの選挙戦、期日前投票を全力で積み上げていく」と呼びかけました。

 

 県農業政治連盟は各支部に対し文書を発出し、期日前投票の実施結果を「随時報告(毎日)」するよう求め、「農政連盟会員一人当たり10名以上」とのノルマまで課しています。

 

 自民・公明が論戦を投げ捨てて期日前投票一本で選挙戦を乗り切ろうとするのは、自公が推した候補が勝利した2月の名護市長選の成功体験にあります。辺野古新基地の是非という争点を隠し、組織ぐるみで期日前投票に動員する「名護方式」と称されるたたかい方です。名護市長選では有権者の44%、投票総数の57・7%が期日前投票でした。

 

 論戦を深めず、期日前でリードして逃げ切る戦略。公明党の金城勉県議は「県知事選挙においても佐喜真淳必勝のためには、この方程式を一緒になって取り組むことが勝利につながる唯一の道だ」とまで言い切っています。

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2018年9月17日 (月)

プーチンの提案を歓迎する

第4回東方経済フォーラム(2018年9月12日)でのプーチンの提案をマスコミが報じている。

 

「いま思いついた。平和条約を前提条件なしで結ぼう。今ここでとはいわない。今年末までに結ぼうではないか」

「その後、友人として全ての問題を解決していく」

「私は冗談を言っているのではない。平和条約の中で問題の解決を目指すと書けばいい」

Obamagenbaku

Putinjuuji
 

 

平和条約締結に当たって、領土問題を棚上げにするというプーチンの提案をマスコミは批判的に報じる。

しかし、プーチンにしてみれば、安倍総理の演説に対する意見を求められれば、そう答えざるを得ない事情があったことをマスコミは報じない。

 

 

 安倍総理は平和条約の締結を自分たちの手で実現することを会議の席上で約束するよう強くプーチンに迫ったのだ。

 

 

 日露関係は無限の可能性を秘めています。日露の間には、戦後70年以上の長きにわたり、平和条約が締結されていません。これは異常な状態であるとする思いにおいて私とプーチン大統領は一致しています。2016年12月、プーチン大統領を私の故郷(ふるさと)、長門(ながと)にお迎えし、2人で日露関係の将来についてじっくりと話し合い、北方四島において共同経済活動を行うための特別な制度に関する協議の開始、元島民の方々による自由な墓参の実現について約束しました。そして、長門の地で平和条約問題の解決に向けた真摯な決意を共有しました

 

プーチン大統領、もう一度ここで、たくさんの聴衆を証人として、私たちの意思を確かめ合おうではありませんか。今やらないで、いつやるのか、我々がやらないで、他の誰がやるのか、と問いながら、歩んでいきましょう。

 

プーチン大統領と私は、今度で会うのが22回目となりました。これからも機会をとらえて、幾度となく会談を続けていきます。

            首相官邸HPから

 

 

北方領土問題の解決を不可能にしているのは、返還された北方領土に米軍の基地が置かれる可能性を否定してはならないというのが日本政府の公式の立場だからだ。このことをマスコミはほとんど伝えない。

 

 

日米地位協定

第2条

1(a)合衆国は、相互協力及び安全保障条約第六条の規定に基づき、日本国内の施設及び区域の使用を許される。個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。「施設及び区域」には、当該施設及び区域の運営に必要な現存の設備、備品及び定着物を含む。

(b)合衆国が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定の終了の時に使用している施設及び区域は、両政府が(a)の規定に従つて合意した施設及び区域とみなす

 

2 日本国政府は、いずれか一方の要請があるときは、前記の取極を再検討しなければならずまた、前記の施設及び区域を日本国に返還すべきこと又は新たに施設及び区域を提供することを合意することができる

 

3 合衆国軍隊が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなつたときは、いつでも、日本国に返還しなければならない。合衆国は、施設及び区域の必要性を前記の返還を目的としてたえず検討することに同意する

 

 

基地の新たな提供は日米合同委員会で取り決めることになっている。

日米合同委員会の合意事項自体が明らかにされることはない。

開示を求めても、「日米双方の同意がなければ公にしない」との合意があるとして、開示を拒まれる。

 

 

しかし、日米合同委員会の合意事項を踏まえた外務省の機密文書「秘・無期限 日米地位協定の考え方(増補版)」(琉球新報社・高文研)によれば、

 

「第二条一項は(中略)次の二つのことを意味している。第一に、米側は、我が国の施政下にある領域内であればどこにでも施設・区域の提供を求める権利が認められていることである。第二に、施設・区域の提供は、一件ごとに我が国の同意によることとされており、したがって、我が国は施設・区域の提供に関する米側の個々の要求のすべてに応ずる義務を有してはいないことである。」

「地位協定が個々の施設・区域の提供を我が国の個別の同意によらしめていることは、安保条約第六条の施設・区域の提供目的に合致した米側の提供要求を我が国が合理的な理由なしに拒否し得ることを意味するものではない。特定の施設・区域の要否は、本来は、安保条約の目的、その時の国際情勢及び当該施設・区域の機能を綜合して判断されるべきものであろうが、かかる判断を個々の施設・区域について行うことは実際問題として困難である。むしろ、安保条約は、かかる判断については、日米間に基本的な意見の一致があることを前提として成り立っていると理解すべきである。」

「このような考え方からすれば、例えば北方領土には施設・区域を設けないとの法的義務をあらかじめ一般的に日本側がおうようなことをソ連側と約することは、安保条約・地位協定上問題があるということになる。

 

伊勢崎賢治;布施祐仁.主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿(集英社).

 

 

2016年の来日の際、プーチンは、「日本が(米国との)同盟で負う義務の枠内で露日の合意がどのくらい実現できるのか、我々は見極めなければならない。日本はどの程度、独自に物事を決められるのか。我々は何を期待できるのか。最終的にどのような結果にたどり着けるのか。それはとても難しい問題だ」(「読売新聞」2016年12月14日)と日米安保条約の構造こそが問題だと指摘していた。

 

 

そのプーチンに対して、公衆の面前で自分たちの手で平和条約を締結する意思を改めて確認するように迫ったのは、安倍総理の方である。

2時間を超える遅刻を繰り返し、邪険に扱っても、それでも何度でも会談したいとまで言われれば、プーチンとしても考えざるを得ない。

もちろん、北方領土に米軍基地が置かれることは断じて容認できない。

その場で意思表明を求める安倍総理の呼びかけに答えるのは、前提を付けない平和条約という提案しかあり得なかった。

 

 

日本は、中国とも韓国とも領土問題を棚上げにして、平和条約(韓国とは基本条約)を締結してきた。

それならば、プーチンの提案にのって、平和条約を演出しても、別に悪くはないだろう。

国交回復と同時に結ばれた中韓とは異なり、通常、平和条約に盛り込まれる内容はすでに日ソ共同宣言で合意されていると孫崎享さんは指摘しているので、平和条約は見た目だけの殻のような内容になるようだが、それでもロシアとの平和条約という象徴的意味は大きいだろう。

米国覇権の後退の中で、アジアを目指すロシアと平和条約を締結して、東アジアの国として周辺諸国との間で立場を確立していくのは悪い話とは思えないのだ。

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安倍総理批判に熱心なあまり、4島一括返還の外交政策を台無しにしたとする批判が左翼の側からもなされている。
しかし、こうした批判は、二つの意味で対米従属を内面化させてしまう。
一つは、「北方領土が返還された場合には米軍基地を置く可能性を否定するな」との在日米軍の方針にしたがったままでは、永久に北方領土返還は実現しないという矛盾から目を背けているし、
二つは、もともと、米国に強いられた外交政策であった4島一括返還の方針を強固に内面化してしまうことになるからである。

2018年8月 7日 (火)

五輪ショックドクトリン  サマータイム災害

Summertime

 

マラソンの開始時間を2時間早めればよいだけなのに、スタート時間は早めずに、時計の針を2時間、進めるという。

いくらなんでも、さすがにそれはないだろうと思っていたら、するすると国策になる勢いだ。

豪雨災害の最中も総裁3選しか頭になかった安倍が、総裁選のドン森喜郞の進言(ぶら下げるエサ)に飛びつく(食いつく)のは必至だったという仕組みだ。

念の入ったことには、複数のマスコミが、政府が検討に入る前に世論調査を実施してしまうという手回しの良さだ。

 

見事に揃って過半数が賛成という結果に驚く。

ネットでは賛成する意見など皆無に近かった。

 

 

 

 

 

 

健康への影響を指摘する井上伸氏@雑誌KOKOはツイートは貴重だ。

連続ツイートの一部を貼り付けておこう。

 

 

 

 

日本睡眠学会が、2011年のサマータイム導入の議論に際して、強く反対するパンフレットを出している。

 

「サマータイム 健康に与える影響」2012.3

 

 

引用しておこう。

 

 

日本では1948年から1951年に実施されましたが、残業量増加など労働条件の悪化により1952年以降は廃止されました。また、北海道では2004年から2006年に道内の企業・行政機関・団体が参加したサマータイムが行われましたが、実際には規模の大きな繰り上げ出勤です。

ロシアでは、切り替えの時期に救急車の出動や心筋梗塞による死亡者が増加し、生体リズムに反している、省エネ効果がほとんどなかったとの理由から、20113月末の夏時間への移行を最後に時間の移行を廃止しています。

フランスでは、1996年の欧州連合(EU)上院代議員団レポートで「年2回の時刻変更に伴う省エネ等の利益は、国民が感じている不利益には大きくおよばない。この人工的な制度を廃止し、より自然な時間の流れに戻すべき」と結論しています。しかしEU全体との協調の必要性から、単独での廃止が難しいのが現状のようです。

 

 


まず生体リズムへの影響ですが、これはすでに30年以上前から指摘されています。

 

英国では、夏時間の開始時期(春)と終了時期(秋)に1週間にわたって起床時刻とともに気分や計算能力についても調べる、という研究が行われました。まず春の変更後ですが、一度新しい時刻に適応してもまた元に戻る揺れ戻しがあり、1週間経っても新しい時刻には合いませんでした。さらに朝には眠気、ぼんやり感、集中困難などの気分変調が伴っていたのです。これは、わずか1時間でも生活リズムを早めると、心身に悪影響をおよぼすことを示した結果、と解釈されています。一方、秋の時刻変更時では、新しい起床時刻に合うまでに約1週間かかるものの、朝の気分はよく、しかも安定しており、朝の計算能力も時刻変更前よりも高まっていました。

 

 

次に眠りの質についてですが、2006年のフィンランドの研究が夏時間への移行に際して睡眠効率(眠ろうと横になっている時間に対して、実際に眠っている時間の割合)が10%低下することを初めて報告しています。これは寝つきが悪くなり、かつ夜間の目覚めが増したことを示しており、眠りの質の低下の結果と解釈されています。同じグループはその後、秋の時刻変更時にも眠りの質が低下することを報告しています。

 

眠りの量については先のフィンランドの研究ですでに夏時間への移行時には睡眠時間が約1時間減ることが報告されています。

また、2007年に報告されたドイツでの55,000名を対象にした大規模な調査でもサマータイムに起因する健康被害が報告されており、次の3つの結果が示されています。

1. 新たな時刻に身体が慣れるまでに、時計を早める変更後(春)には4週間経っても完全な慣れには至らず、時計を遅くする変更後(秋)には平均3週間かかった。

2. 生体リズムが新たな時刻に慣れるまでの経過には朝型人間と夜型人間で差があり、夜型人間では春の時刻変更後4週間経っても生体リズムと新たな時刻とのズレは消失していなかった。

3. 春の時刻変更後、睡眠時間が短縮した。


 

 


ロシアが時刻変更を中止した理由は健康被害です。夏時間への移行時に救急車の出動回数が増え、検証の結果、心筋梗塞患者が増加していたのです。

 

 

スウェーデンからは医学論文として「夏時間開始時期と終了時期における心筋梗塞の発症頻度に関する研究」が2008年に発表されています。結論は「夏時間が始まる春には心筋梗塞が増え、夏時間が終わる秋には心筋梗塞は減る」でした。

 

1987年から2006年のスウェーデンでのデータに基づいた検討で、夏時間が始まった直後(春)の初めの3日間(月、火、水)に心筋梗塞発症の危険率が有意に増加したというのです。1週間の平均で見ると、危険率は5%高まるとのことです。逆に夏時間が終わった直後(秋)の月曜には心筋梗塞発症の危険率が有意に減少し、1週間の平均で見ると危険率は1.5%低下したとのことです。

 

その原因としては、夏時間が始まると睡眠時間が1時間減り、夏時間が終わると睡眠時間が1時間増えることの影響が指摘されています。さらに著者は「生活リズムの急激な変化で体調を乱すヒトがいる」「夏時間開始時に1時間早く起きる必要から睡眠時間を減らされることで心血管系に悪影響を受けるヒトがいる」と述べています。

 

同じ研究グループは、スウェーデンにおける急性心筋梗塞患者のほとんどを登録した国レベルの追跡研究をもとに、サマータイムが急性心筋梗塞の発症に与える影響を検討し、春の時刻移行時の最初の週には発生の危険が3.9%高まることを2012年に報告しています。

「たった1時間」ではあるのですが、ヒトの身体はかなり敏感にこの急激な変化をストレスと感じるのかもしれません。


 

 

弱者の被害の指摘も重要だ。

 

 


リズム調整能力が低下している高齢者への影響

高齢者もサマータイムの影響を大きく受けると考えられます。人は歳を重ねると社会的活動への意欲や興味が弱まり、社会的活動が少なくなる傾向があります。このことによって、起床・就寝などの生活リズムが体内時計の影響をより強く受けるようになるとともに、自然の昼夜変化や季節変動に一致してきます。サマータイムのような人工的で急激な時刻変更は、生活リズムが昼夜変化や季節変動など自然のリズムに近づいている高齢者にとって、負担が大きいでしょう。

 

なお、高齢者ではありませんが、実験的に生活リズムの変化に対する適応力と年齢との関連を見ようとした実験を紹介しましょう。1825歳の6名(若年群)と、3752歳の8名(中年群)で、生活時間帯を6時間早めることの影響を見た実験です。その結果、中年群は若年群に比べ、睡眠中に途中で目覚めることが増え、かつ目覚めも早くなってしまう結果となったのです。また中年群ではぼんやりとし、体調が悪く眠気におそわれ、日常活動にも努力が必要と感じる割合が増えていたのです。年齢を重ねるにつれ、生活リズムの変化への適応が難しくなることが示唆される実験結果といえるでしょう。

 

 

病者への影響

病者への影響に関しては、とくに、精神疾患の患者さんへの影響が指摘されています。

眠りに問題を抱える児童の親に対するアンケート調査で、60%以上の親が夏時間への移行時に子供の眠りに中等度以上の何らかの問題が生じると指摘しています。眠りに問題を抱えている人々では、夏時間に適応できずに症状が悪化する可能性が危惧されます。

 

なお、夏時間では睡眠時間が減ることはすでに指摘しましたが、睡眠時間の減少がうつ病の発症のきっかけになることが指摘されており、夏時間への移行時の影響が危惧されます。さらにオーストラリアの男性では、夏時間への移行時に自殺が増える傾向にあることも指摘されています。


 

 

注意が散漫になって、サマータイム導入時の事故も増えるという。

 

 


英国で、サマータイム導入前の1970年と1971年を対照年、導入後の1972年と1973年を実験年とし、春の時刻変更前後1週間における傷害を伴う交通事故件数の比較が行われました。その結果、導入後の実験年では交通事故が10.8%増加しています。米国・カリフォルニア州やドイツでも同様の結果が報告されています。

 

 

ただし、スウェーデンやフィンランドからは、春秋の時刻変更後いずれも交通事故件数は変化していないとの報告もあり、また、米国・ミネソタ州からは交通事故が減少したという報告があります。


 

北海道での出勤時間繰り上げ実験の結果は、次のとおり。

 


2005年北海道サマータイム月間」アンケート調査結果における「心身に対する影響」も参考になります。2004年で従業員の40% が「体調が悪くなった」と答え、2005年にも43%が「体調が悪くなった」「不都合が生じた」と答えています。現場での健康被害が実証されたといえるでしょう。

そこで繰り上げ出勤やサマータイムの導入に際しては、声を大にして早寝を勧める必要が出てきます。

 

 

ところが日本の夏は夜の早い時刻ではまだ気温が高く、早寝が難しいという現実があります。高温多湿は特に西日本で深刻な問題となりますし、最近の隙間のない住宅構造によって、日中に高くなっている室温は下がりにくくなっています。このような環境下の日本で、いかに早寝を可能にするかは大きな課題です。

 

 

 

ただでさえ睡眠時間が短い人々が、睡眠時間が短くなる夏にサマータイムが導入されることで、さらに睡眠時間が減らされてしまう可能性があるのです。そして、日本は世界に冠たる短時間睡眠国家なのです。このような国でサマータイムを導入した際の健康障害の広がりが大いに懸念されます。

 

中略

 

高齢者には脱水や熱中症に対する注意が必要です。サマータイムによる室内環境、とくに高温多湿の日本における寝室環境悪化の影響が心配されます。


 

 

このパンフレットは、あくまでも1時間の繰り上げを前提にして作られたものだ。

2時間の繰り上げがここで紹介されている事例よりさらに大きな負担をかけることになるのは目に見えている。

入院中の患者や、高齢者施設、障害者施設、ようやく生活リズムを確立した幼児など、弱者ほど、負担が大きいだろうに、マラソンを実質5時スタート(競歩は実質4時スタートになる)にするためだけに、これほど大きな負担を社会に強いるのだろうか。

 

 

昼の時間の有効活用というのが元々の趣旨だった筈だが、この酷暑の中、昼の時間の屋外活動が危険になっているのは言うまでもない。
サマータイムの午後5時は昼間の3時で最も暑い時刻である。
サラリーマンには、「無用な外出は控えましょう」という時刻に退勤するか、それとも残業するかの選択しかない。

 

 

あるいは、ツイッターの多くが指摘しているように、長時間労働を強制するためのサマータイムなのだろうか。いよいよ本気モードの働かせ改革である。

 

とにかく、サマータイム挙国一致は何を目的にしているのか全く不明なのである。

 

総裁3選しか頭にない総理と、老害五輪のドンのあうんの呼吸は、日本の壊されぶりを物語ってあまりある。

 

 

 

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案の定、五輪スポンサーのマスコミからは、地方紙を除き、反対の声は出ない。

毎日新聞で検索される「ありがた迷惑 猛暑五輪には焼け石に水」の記事も『サンデー毎日』のもの。

 

 

猛暑が続き、クーラーを点けることが奨励されている日本では、帰宅すれば直ちにクーラーを付け、職場は残業者がいる限りクーラーが付いているのだから、省エネにはならないことは、明らかだろう。

 

 

2013年には、サマータイム導入に強く反対した、日本睡眠学会が、今回、反対の声を上げられるか注目のポイント。
研究費が削減されるのを恐れて、何も言わないとすれば、5年を超える長期政権が日本を丸ごと劣化させた証である。

2018年7月26日 (木)

残業代ゼロ法が描く『過労死ゼロ』社会

先の国会で成立した最悪の法律は、カジノ法でも参議院定数増法でもなく、間違いなく働かせ放題一括法である。

今さえ、日本の労働分配率(付加価値に占める人件費の割合。つまり労働者に還元される率)は国際社会で抜きんでて低下しているのに、この法律は、さらにこれを加速するだろう。

Roudoubunpairitusuiirieti
主要国の労働分配率の推移・RIETIより

残業代ゼロ制度(高度プロフェッショナル制度)については、公立学校の教員の時間外勤務問題が参考になると思い、古い思い出話をさせていただく。

 

 

公立学校の教員に対しては、原則として時間外勤務命令は禁止されており、学校行事や非常災害、職員会議、緊急な生徒指導など限定された4項目以外には時間外勤務を命じてはならないことになっており、時間外勤務手当は支給されない。

時間外勤務命令が許される限定4項目を見込んで教職調整給(月給の4%)が加算されて支給される仕組みになっている(以上、「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」・略称「給特法」)

 

 

今から30年も前になるが、公立中学校の先生の長時間勤務が、教師の教育活動を阻害し、教育の自由を侵害しているという理由で国家賠償請求(相手方は自治体)訴訟を起こしたことがある。

 

平成元年、愛知県では高校入試の選抜制度が抜本的に変えられ。極めて複雑な入試選抜制度が導入された。このため、これまでの進学指導の実績が全く役に立たなくなり、進学指導の現場は混乱を極めた。中3の学年主任をしていた原告は、生徒に適切な進学指導をするために、新たな選抜制度の下で各高校の難易度がどう変動するかを見極め学年教諭の共通認識とするために同僚とともに膨大で雑多な事務作業に追われることになった。

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30年前でも教員は十分に多忙だった。その上に新たな入試制度に対応するために実に膨大な事務作業が降りかかり、原告の職務は繁忙を極めた。

今で言う過労死基準には満たなかったものの、学内における残業時間は、1月から3月の3ヶ月間で平均70時間に達した(過労死基準残業時間平均80時間が設けられるのはこのずっと後のことである)。これは学内における残業時間であり、当然、授業準備やテスト採点などの持ち帰り残業も存在した。

 

原告は定年に間近い年齢で、長時間の時間外勤務の心身の負担は大きかったに違いない。しかし、提訴したのはそうした理由からではない。教職調整給とおよそ見合わない残業を強いられたからでもない。
原告が提訴に至ったのは、雑務の多さが生徒と向き合う時間を奪い、経験豊富な教員なら見過ごすことのない、重大な非行事件(いじめを超える犯罪)のサインを見過ごしたことの後悔である。雑務による多忙さがなければ、適切な指導ができ、その場から被害者生徒を救うことができたという悔恨である。

 

 

3ヶ月間の毎日の勤務内容を主張し、それが強制されたものであって、校長もこれを認識していたことを証明するのに膨大な作業と立証を要した。はしょって結論を言えば、提訴から10年近くを経て下された判決は、完全敗訴であった。

判決は、原告が強いられた時間外勤務は命令されたものではなく、全て自発的に行ったものだと結論づけたのである。

 

 

法律は時間外勤務命令を禁じているのだから、時間外勤務命令はないはずである、したがって、原告の勤務は自発的なものであるという、倒錯した論理を暗黙の前提としたものであった。

 

 

 

現在では教員の長時間勤務が問題視されるようになったが、当時の社会環境は全く違った。提訴に当たって僕が教員の長時間勤務の問題を持ち込もうとした新聞記者も労働組合も、まさにせせら笑うか、門前払いの対応だった。社会には問題意識を共有する基盤がなかった。有力で誠実な教育法学者の協力はかろうじて得られたが、社会意識の広がりを欠くところでは目的を果たすことはできなかった(たいていの場合、僕の抱く問題意識は10年程度は時代を早まっている)。

 

 

公立学校の教員が多忙化するのは必然だった。いくら膨大な仕事を押しつけても、時間外勤務手当を支払うための予算措置を講じる必要もなければ、時間外勤務を強制されたとして裁判所に訴えても、法律で禁じられている時間外勤務命令は存在しないことになってしまうからだ。

 

 

先の国会で見送られた裁量労働制についても同じことがいえる。ましてや高度プロフェッショナル制については、いくら膨大な仕事をさせても残業代を払わなくてもよい。企業には全く費用が発生しないのだから、次々と仕事を押しつけることが目に見えている(まさに公立の教員と同じ立場である)。

そして高度プロフェッショナル制度の適用対象は、経団連が求める水準によれば、年収400万円以上にまで拡大されていく。実態としての労働時間単価が最低賃金を割り込んでも、高度プロフェッショナル制度のもとでは、残業代は発生しない。

 

 

そして、たとえ過労死しようが、労働時間を把握することは不可能であり、企業は時間外勤務を命じたわけではない。本人の自己管理が悪かったということにされてしまうようになるだろう。

 

電通の高橋まつりさんのような過労死事件は起きなくなるのだ。

 

 

そう思っていたら、厚労省は労災担当官を大幅に削減するという報道があった。

今後3年で666名削減するという

 

 

働き方改革で労基署の労災担当職員を大幅削減へ

東京新聞2018723

 

 過労死ゼロや長時間労働の削減を目指す政府の看板政策「働き方改革」。全国の企業への監督・指導徹底のため、労働基準監督署の監督官を増やす半面、労災担当者を3年間で666人も削減する計画が明らかになった。企業への監督・指導は重要だが、労働者が負ったけがや病気が仕事によるものかどうか判断する労災認定が滞れば、労働者やその家族に大きな影響が出る。労基署の担当者の中からは「これでは成り立たない」と悲鳴が上がっている。 (片山夏子)

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・・・・・・・・・・・・・

今回の厚生労働省の計画で、3年間で労災担当官は3分の2の1300人まで減る。しかし、2016年度の労災補償の受給者は、新規だけでも約62万6000人。申請数はさらに多い。

・・・・・・・・・・・・・

中堅の労災担当官は「監督官を増やせと号令がかかっていることは知っている。現場の実情を無視した対応を迫られ、みんな不安だ。今でも手一杯なのに労災担当をこれ以上減らされたら成り立たない」

 

 

現実に発生している労災を認定するのに必要な人員をはるかに下回る人員で労災認定に当たれば、必然的に認定される労災は減るだろう。証拠が不十分であれば、それ以上の調査をすることなく不認定にすればよい、あるいは書類に難癖を付けて労災申請を受理しないという水際作戦も行われるだろう。まして複雑な精神疾患が絡む事件になれば、すべて不認定にして裁判所へ丸投げすることになろう。

 

 

過労死ゼロを掲げる「働き方改革」のもとでは、過労死はあってはならないのである。あってはならない以上、認定も厳しくなる。そこへ労災担当職員を削減すれば、過労死認定はどんどん減っていくだろう。かくして政府が掲げる過労死ゼロが達成される仕組みである。

これは時間外勤務命令が禁止されている以上、時間外勤務命令は存在しないという裁判所の論法と同じである。

 

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出典 社会実情データ図録5193a
日本は、公務員の人口比率もGDPに占める公務員給与もOECD最低水準にある

監督官を増やすから、今でも不足している労災担当職員を減らすというのは、全体として公務員削減計画があるためである。

公務員を減らすべきだという大前提がある限り、行政が注力する新たな分野があれば、必要な他の部門が激減させられるということは必ず起こる。

公務員を削減するという方針は、まさに民営化や規制緩和と直結するネオリベラリズムの考え方だ。

参議院定数増をめぐる議論でも、野党(共産党を除く)の反対には定数増自体が悪いことだという暗黙の前提があったように思う。

まさに野党も含めて、小さな政府論に支配された状態であり、グローバルなネオリベラリズムにとって恰好の草刈り場になるだろう。

 

世界一ビジネスのしやすい我が国は、世界一労働者を搾取しやすい国となろう。

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それにしても、労災担当官の削減を取り上げているのが中日(東京)新聞だけで後追いの記事も出ないという事実は、メディアが『過労死認定ゼロ』に加担しているようで、いやなものである。

2018年7月25日 (水)

酷暑五輪をめぐるメディア状況

「屋外での運動を控えてください」と、放送される危険な暑さの中、「この暑さでやれるという確信を得ないといけない。」という森喜朗の妄言(日刊スポーツ7月24日「森喜朗会長が語る、この猛暑が東京五輪のカギに」)に続き、アスリートである増田明美がNHK特番で「アフリカ勢は下見をしない、日影を熟知してコース取りできる日本勢のチャンスだ」とのたまっている。オリンピックの意義について真っ先に国威発揚を挙げた国営放送に迎合したのか、高橋尚子まで同様に日本勢のチャンスだとのたまうのには、心底がっかりさせられる。

 

 

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当の東京都の小池百合子に至っては、「打ち水でおもてなしを」とはしゃぐ有様で、話にならない。

 

 

この人たちは、このまま東京五輪が開催されれば、辞退者続出、選手の事故や、観客の熱中症続出で、史上最悪のオリンピックとして名を残すことになるのを十分に知っているはずだ。

 

 

国内のメディアはほぼ全てが、オリンピック公式スポンサーだから、ラジオ以外で開催時期をずらせとか、ましてや「オリンピックなんかやめたら」という声は上がりようもない。
万全の暑さ対策で臨むという報道一色である。

 

 

失敗すると分かっていて挙国一致で酷暑オリンピックに突き進むさまは、「竹やりで本土決戦を」と呼号した先の大戦のときの支配層と何も変わっていない。

竹やりなんかで立ち向かえる訳がないと、相当数の庶民は思いながら、粛々とついていったんだろうか。

 

 

酷暑のオリンピックの無謀さについて、NHKの唯一のまっとうな報道は、宗主国のメディアの報道を紹介するものであった。


 

海外メディア猛暑で東京五輪を不安視の報道相次ぐ

NHK2018725 443

 

日本で連日、猛烈な暑さが続く中、海外のメディアからは、2年後の東京オリンピックの開催時期を不安視する報道が相次いでいます。

 

このうち24日付けのアメリカの有力紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、日本で続く猛暑について特集記事を組み、危険な暑さで死亡する人が相次いでいるなどと伝えています。

 

この中で、開幕まで2年となった東京オリンピックについても触れ、「猛烈な暑さで選手と観客の体調への不安が高まっている。夏の開催についての疑問が再燃した」と報じています。

 

そのうえで、前回、1964年の東京オリンピックは厳しい暑さを避けるために10月に開催されたことや、2022年にカタールで開催されるサッカーワールドカップは冬の時期にずらしたことを紹介し、東京オリンピックの開催時期も再検討すべきではないかとの見方を示しています。

 

またイギリスの有力紙「ガーディアン」の電子版は、「日本で熱波。2020年のオリンピックに懸念」という見出しをつけて、選手や観客が熱中症などの危険な状態になる可能性があると指摘し、開催時期を不安視しています。

 

朝6時台のニュースでは放送されたが、視聴率の高い7時台のニュースでは放送されなかった。
当たり前のことすら、海外報道の紹介でこっそり放送するのが精一杯というマスコミの状況なのだ。

できれば、海外で「命に関わる危険な暑さ」であることが周知され、海外選手や観客が犠牲とならないよう祈るばかりである。

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2018年7月19日 (木)

なぜ名古屋は多治見に負けるか  名古屋市39.2℃7月最高を記録

まさにうだるような暑さである。

昨日7月18日の名古屋の最高気温は39.2度。

これは名古屋の歴代記録で5位の高温。

7月としては観測史上最高の暑さである。

Nagoyakionrankingu

ところが、ニュースは全国1位となった多治見の40.7度ばかりを伝え、7月最高の暑さを記録した名古屋の暑さを伝えてくれない。

名古屋人として少し悔しいのである。

 

そこで、ニュースがさっぱり触れない多治見観測所の写真を以下に貼り付ける。

Tajimikansokusyo

出典である「【気温】館林と多治見はどっちがずるい?観測所の測定環境を比べてハッキリさせてみた!」<嫁に聞いた話>ブログ2016/06/18によれば、次の理由で気温が高目に出る仕組みになっている。

 

車の排気熱の影響を受ける

地面が芝生ではなく除草シート

建物から近く空気がよどみ易い

 

付け加えると、多治見の観測所は、中央高速道路多治見インター近く国道248号線沿いの消防署内の駐車場脇に立地している。

 

 

対して、わが名古屋の観測所の写真は次の通りである。

Nagoyakisyoudaiamedasu

 

引用元ブログ「園主の作文/名松園」20091219日「ふり返りの一年・・・2 名古屋地方気象台と京都へ」

 

 

広々とした芝生の上、気温観測の模範例のように近くには建物も車もない。

 

名古屋地方気象台は、名古屋市東部の住宅街、戸建て住宅が建ち並ぶ小高い丘の頂上近くに位置する。

 


多治見40.7℃ VS 名古屋39.2℃。

その差1.5℃は実に微妙ではあるが、観測条件の違いを踏まえれば、少なくとも互角だろう。

 

最初に引用した<妻に聞いた話>ブログ氏は、館林市のアメダスの写真も撮影されているので、貼り付ける。基本、多治見と同様だ。
どうも、気象台に設置されたアメダス以外は、あまり設置環境には配慮されていないようのである。

Tajimikansokusyo_2

 

多治見が暑い、館林が暑いと言っても意味ないのであるが、名古屋人としては何とかして「名古屋の方が暑い!」と主張したいのである。

 

 

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付録

西日本豪雨にしろ、この酷暑にしろ、マスコミでは地球温暖化が枕詞のように使われる。『温暖化(人為的気候変動)』洗脳状態である。


右も左も挙国一致(世界一致か)で主張される説ほど怪しいものはない。

都市化の影響が最も少ないと思われる、南極の夏季に当たる12月、1月、2月の平気気温の推移を貼り付けておこう(気象庁・南極昭和基地のデータ)。

少なくとも『温暖化』を読み取ることは極めて困難だ。


12月

Nankyoku12tukiheikintinoruinenti

1月

Nankyoku1gatutukiheikikinnnoruinent

2月

Nankyokutu2kiheikinkionnoruinenti

 

ここまで世界一致でCO2による地球温暖化(人為的な気候変動)防止が叫ばれている以上、巨大な利権があるに違いないと思う。

原発利権?
日本があれほど原発輸出をしまくって、核拡散の脅威をまき散らしても世界のどこからも異議がでないのは、温暖化対策という名目があるからだろうか。

市場利権(CO2排出権取引市場の確立)?
CO2排出権が市場化されれば、膨大な金融商品が生み出されるだろう。
行き場を失いつつある過剰マネーにとって「地球温暖化」というスローガンによって生まれる新たな巨大市場ほど好ましいものはないのではあるまいか。

 

なんぞと考えても、暑いものは暑いのである。

 

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2018年7月 6日 (金)

「滅びるね」

漱石が登場人物に「(日本は)滅びるね」と語らせたことは、どこかで聞いた覚えがある。

読んだことはない。

 

日露戦争後の会話だったということもどこかで聞いていたかもしれない。

忘れてしまったのだとしたら、実感がなかったからだろう。
数年前までこれほど“日本はスゴい”空気が蔓延するとは思いもよらなかった。

Asahara

 

ワールドカップ日本代表の健闘を讃える報道一色に違和感を覚える中、ふと「滅びるね」という言葉が浮かんだ。

 

 

冒頭、三四郎がたまたま乗り合わせた中年男(広田先生)の言葉だ。

 

 

「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。

「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、

 

「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。

 

「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ

 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。

 

 

日露戦争勝利に浮かれていた当時の日本の空気があっての「滅びるね」だった。

自国のことを悪くいうことが、タブーになった空気に向かって、投げられた言葉が「滅びるね」というのだ。

 

 

日露戦争を戦った当事者は、その勝利がいかに危うくつぎはぎされたもろいものか、十分に知っていた。

しかし、国民はロシアに勝利した日本を一流国として浮かれ、その批判はタブーになったのだ。

 

 

自国の批判を許さず、自国を客観視できない国は『滅びるね』

 

 

ワールドカップを戦った選手は、ベルギーと10回対戦しても勝てないほどの力の差を痛感しているだろう。

しかし、世論は大健闘を讃え、おそらく批判は許されない。
コロンビア戦は開始早々11対10のハンディをもらった後、1対1なんだから、実質、ロシア大会は、1分け3敗じゃないかなどと悪態は御法度である。

 

 

ワールドカップロシア大会は、現在日本を覆っている批判を許さず、日本を讃える空気が、日露戦争後の日本の空気とつながっていることを思い知らせる。



オウム真理教死刑囚の大量死刑執行、生中継の日に。

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2018年4月27日 (金)

おすすめ映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』

韓国で1200万人の観客を動員した昨年最大のヒットとなった『タクシー運転手 約束は海を越えて』が先週から日本でも上映されている。
光州事件の実話に基づいた映画だ。

Takusiuntensyu

映画comの注目作品で上位20位に入っていて、名画座系ではない、大手が配給しているにも拘わらず、全国で14館しか上映していない。
経験上、韓国映画で日本で上映された作品は優れたものが多い。
韓国で大人の4人の1人という1200万人もの観客動員を達成し、アカデミー賞の韓国作品の代表として出品される映画が、日本中でたった14館しか上映していない、それも上映回数が減り、まもなく終演しそうだというのはあまりにも不自然で、何らかの圧力や忖度を感じさせる。


映画comの紹介文は次のとおり。

1980年5月に韓国でおこり、多数の死傷者を出した光州事件を世界に伝えたドイツ人記者と、彼を事件の現場まで送り届けたタクシー運転手の実話をベースに描き、韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したヒューマンドラマ。「義兄弟」「高地戦」のチャン・フン監督がメガホンをとり、主人公となるタクシー運転手マンソプ役を名優ソン・ガンホ、ドイツ人記者ピーター役を「戦場のピアニスト」のトーマス・クレッチマンが演じた。1980年5月、民主化を求める大規模な学生・民衆デモが起こり、光州では市民を暴徒とみなした軍が厳戒態勢を敷いていた。「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」というドイツ人記者ピーターを乗せ、光州を目指すことになったソウルのタクシー運転手マンソプは、約束のタクシー代を受け取りたい一心で機転を利かせて検問を切り抜け、時間ギリギリにピーターを光州まで送り届けることに成功する。留守番をさせている11歳の娘が気になるため、危険な光州から早く立ち去りたいマンソプだったが、ピーターはデモに参加している大学生のジェシクや、現地のタクシー運転手ファンらの助けを借り、取材を続けていく。

高評価のレビューの一つは次のようになっている。


今年ベストムービーに、
名を連ねる一本になるでしょう。

序盤、軽快に、物語が進むが
中盤、終盤と進むにつれ、
重く、深い人間ドラマとなっていく。

この見事なグラデーションに、
感服しました。

そして、
終盤涙が幾度も流れました。

お隣、韓国の映画の質。
とんでもないものになっていく...
            ふるやるふさん


韓国が厳しい軍事独裁政権が支配する国だったことを肌感覚で知る日本国民は、今では半数を切るかもしれない。
1980年5月の光州事件は、軍事独裁政権が最も激しく自国民に対して牙をむいた韓国現代史上最大の悲劇とされる事件だ。
自国の軍隊が政府批判の声を上げる自国民を殺害していく。
戒厳令下、広州市の交通・情報を遮断して行われた苛烈な軍事弾圧によって光州市民の声は圧殺されていく。
1人のドイツ公共放送の記者がこの包囲の中で取材した結果が、全世界に発信されて、光州事件が世界に知られるようになった。
このドイツ記者は、東京駐在の記者だった。


その8年後、ソウルオリンピックをきっかけとして、韓国はやがて90年代に民主化への道を進めていくことになる。


韓国国民は、自らの力で軍事独裁政権を倒した記憶がある。
その記憶の最も暗い闇を象徴するのが光州事件だ。
そこから民主化を成し遂げたという記憶が、朴槿恵政権を倒した国民的うねりを巻き起こしたのだろう。
文在寅自身がこうかたっている。
「文在寅政府は光州民主化運動の延長線上に立っています。」


これも経験上だが、映画comのレビューで評価が4を満たす映画は興味がある分野では、外れがない。今のところ、評価は4を上回っている。
まだ観ていないが、日本での上映が終わりそうな気配を感じるので、急ぎご紹介する次第だ。


いや、それにしても、大手が配給する映画で、それなりの評価が定着している外国映画が、全国14館でしか上映されていないというのは、それ自体が一つの事件として取り上げるに値するだろう。

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