コロナショックはきっかけに過ぎない 資本主義の終焉への長い道のり
株価の暴落がコロナ不安に拍車をかけている。
株価が上がったところで、庶民によいことは何もなかったのに、暴落すると庶民の生活を直撃する。
経済の話を庶民目線をうしなわずに一般市民にもわかりやすく解説してくれる経済評論家は森永卓郎さんをおいて他にない。
あまたの経済評論家は目先しか見えず、しかも企業利益優先に庶民を間違った方向に導いていく。
「マガジン9」に掲載された森永卓郎さんの
「新型コロナウイルス感染拡大は引き金にすぎない」
をご紹介しておきたい。
年収300万円時代の到来をいちはやく見抜いた森永卓郎さんの慧眼は今回も的確に事態をとらえていると思う。
バブル崩壊に警鐘を鳴らしながら、2020年2月12日の週に、バブルのリミットとみて、生涯初めて自身の株を全て手放したという目先も利いた、森永さんの話は一読に値すると思う。
新型コロナウイルス感染拡大は引き金にすぎない
本質はバブルの崩壊だ
(略)
もちろん直接の原因は、新型コロナウイルスの感染拡大だ。ただ、私は、新型コロナウイルスの感染拡大は、株価下落のきっかけに過ぎず、いま起きていることの本質はバブルの崩壊だと考えている。
昨年の世界経済の成長率は、2%台後半だったとみられる。リーマン・ショックの翌年から、世界は5年間の景気低迷を経験したが、そのときの平均成長率は3.3%だった。つまり昨年の世界経済はリーマン・ショックの後よりも悪かったのだ。にもかかわらず、今年2月にNYダウは、史上最高値を更新し、日経平均株価もバブル崩壊後の戻り高値を更新した。つまり、経済実態を反映しない株価がついていたのだ。これをバブルと呼ぶのだ。(略)
待ち受けているのは資本主義の終焉
今後バブルの崩壊が進んでいけば、経済の失速は、いまのようなレベルでは済まないだろう。100年に1度の経済危機と呼ばれた2008年9月のリーマン・ショックの翌年、日経平均株価は7021円まで下がっている。いまの3分の1だ。今回も、それと同じようなことが起きるのではないだろうか。しかも、その後の不況は長引いていく。リーマン・ショックの場合は、バブル崩壊後の経済を中国が救世主となって引き上げた。天文学的な投資を重ねて、世界経済を活性化していったのだ。しかし、今回は中国にそんな体力がないし、投資をするためのネタもない。救世主がいない世界経済は、破たんへの道を歩んでいくしかないだろう。
そこで何が待ち受けているのか。資本主義の終焉だと私は思う。ベルリンの壁が崩壊してからの30年間の世界は、社会主義・共産主義の衰退と資本主義の隆盛の時代だった。しかし、資本主義の暴走は、人権を否定するほどの格差拡大と地球環境の破壊をもたらした(略)
「近くの人を助ける」という原理
実は、私はいま新しい著書を書いている。これからの日本と世界が向かうべき道は、「ガンディーの経済学」だという内容だ。
インド建国の父であるマハトマ・ガンディーは、貧困や格差をなくすためにどうしたらよいのかを考え抜いた結果、たどりついたのが「近くの人を助ける」という隣人の原理だった。近隣の人が作った農産物を食べ、近隣の人が作った服を着て、近隣の人が建てた家に住む。そうすれば、その地域に雇用が生まれ、経済が回りだす。そうした地域内経済を広げていけば、世界から貧困をなくせるとガンディーは考えたのだ。
いまの日本では地方への移住を希望する若者が急増している。大都市での非人間的な低賃金単純労働に疲弊し、人間らしい人生を取り戻したいと考えているからだ。しかし、実際に移住しようとしても、そこには大きな壁が立ちはだかる。地方には、十分な雇用の場がないからだ。
だから、私は社会構造の転換をするためにも、いま一番必要な政策は、ベーシックインカムの採用だと思う。前回の本稿で指摘したように、通貨発行益を活用すれば、日本の財政は年間60兆円の財政出動を継続できる余力がある。60兆円あれば、国民1人あたり月額7万円程度のベーシックインカムを支給できる。4人家族で28万円だ。それだけあれば、地方、特に農山漁村での生活も可能になる。そうすれば、いま日本中で荒廃が進んでいる農地や山の再生も可能になってくる。
これからの時代は、自分が食べるものは基本的に自分で作り、それで足りないものを近隣の人たちが作る製品やサービスで補っていくという暮らしを主流にしていくしかないのではないか。それが24年連続で東京一極集中をもたらしたグローバル資本主義に対抗する唯一の手段だと私は考えている。(略)