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カテゴリー「映画・テレビ」の8件の記事

2015年11月22日 (日)

『エール!』 フランスの人たちに祈る  


フランスで750万人動員の大ヒットとなったという『エール!』



一週間前に見て「定番だけど、泣いてすっきりするのにいい映画」だと思った。
テロでささくれ立った心を鎮めるために、また、観てきた。


やっぱり、涙を流して、気分がすっきりした。
どってことはない定番で、でも、とても愛らしい映画だ。


フランスの人たちが望む生活も、僕らと変わらない笑いと愛に満ちた世界なんだと、当たり前のことを確認する。


ごく当たり前の生活を望む人たちを翻弄し、願いを断ち切ろうとする者を絶対に許してはならない。
この敵は、現象として現れているISではない。
ISによって、世界を操り、自らの欲望を満たす醜悪な軍産複合体だ。


フランス政府肝いりで発刊された、1月テロのときのシャルリエブド誌が700万部、「エール!」の観客が750万人。


「エール!」には、涙だけでなく、ユーモアもふんだんに盛り込まれている。
フランス人のセックス好きをおちょくったネタに見えた。
シャルリの見下す嗤いではなく、自国の国民性をからかう自虐ネタだ。


どちらの笑いがすぐれているか、フランスの人たちもちゃんとわかっている。
日本でも見下す笑いが広がっている。
しかし、本当は自虐ネタの方が愉快なことは日本人も知っている(と思いたい)。


愛知県では、11月27日が最終日になるので、今日、紹介した次第。
栄では明日までですよ~。


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なお、本当にフランス人はセックス好きなのか、例によって社会実情データ図録を借りると、こんな感じ(2318)。

Sex2318

引用元によれば、フランス人のセックス相手は圧倒的多数がパートナーだが、浮気にも寛容なところが、セックス好きなフランス人のイメージを生んでいるのではないかと推測している。
グラフでむしろ、目を引くのは、日本人のセックス頻度が群を抜いて低いことだろう。

夫婦間の性生活が貧困であることは、弁護士の目から見ても、その通りで、その割に独占欲だけは強いから、不貞相手に対する慰藉料請求事件は多い。
今や不貞慰藉料請求事件は、交通事故と並ぶ2大裁判類型と言われるほどだ。

また、同図録の別のデータでは、日本男児の買春率がスペインとともに群を抜いて高いという、世の男性が決して白状しない事実も暴露している(^^ゞ
(なお僕はバツイチ独身であるので、念のため)

2015年4月23日 (木)

【息抜き】 再掲:『純と愛』 モノローグ全文書き起こし

朝ドラ史上、記録的な低視聴率を記録し、不評の嵐に見舞われた、「純と愛」であるが、僕は、朝ドラ史上、最も、惹かれるドラマだった。
以下は、多分、最終回だったかの、純のモノローグである。
放映された2013年3月から、2年経った今、このモノローグは、僕には、よりいっそう切実に見える。

安倍暴走独裁政権下で、苦闘している仲間たちは、どう思われるだろうか。
ちょっとした、息抜きタイムで引用してみる。

なお、2013年4月頃、TPP関連、ISD関連で書いたブログ記事は、正確に丹念に書き込まれたものであるので、自分で言うのも何だが、今でも十分に参照に値する記事が多い。
ここの当たりが押さえられていれば、最新版ISD条項に対するパブリックシティズンの評価も半分くらいは理解できるのではないかと思う。
知識の整理に有益であるので、お勧めしたい。

 

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--------2013年4月2日のブログより-------

どんなに風が吹いても、どんなに雨が降っても、
たとえ嵐や洪水になっても、どんなに不幸に襲われても、
苦しさに耐えて血反吐を吐き、はいつくばってでも生きていく。
どんなに寂しくても、不安でも、
どんなに人にバカにされても、自分を見失わず、
明日は晴れると信じ、勇気と情熱と希望を持ち続ける。


このホテルと、大切な仲間だけは、何があっても守ってみせる。
絶対に失ったりしない。
そのためにも、もっともっと賢くなりたい。
我慢強くなりたい。
母のように優しくなりたい、父のように純粋になりたい、
兄のように広い心を持ちたい、弟のように自由でいたい。
姉のようにたくましくなりたい。
おじいのように愛する人のために一生を捧げられるような人間になりたい。
強い者には決して屈せず、弱い者には、いつでも味方できる人間になりたい。


もう下を向かない。
自分のできることを一日一日やり続ける。
自分の家を守る。家族を守る。
自分の信じたことを伝える。
この世界から笑顔をがなくならないように命を捧げる。


この空や海に比べれば、あたしたち人間は本当にちっぽけな存在かもしれないけど、
でも、私たちは未来を変えることができる。
よりよい世界を作ることができる。

もう神様がいても頼らない。
奇跡を起こすのは、神様じゃなく、あたしたち、人間なんだから。 
たとえ、いとし君が、…この世で一番大切な人が、
一生目覚めなくても、あたしは死ぬまで町田純であり続ける。

と、決めた。

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2013年4月 2日 (火)

“純と愛” 純の独白全文書き起こし

他のサイトの要約では、不満だったので、改めて純のモノローグ全文を書き起こしてみた。
社会的なメッセージが込められていることがわかる。
マネーで人間を押し流すTPPという魔物を相手にしている僕の心情と重なる。
締結を止めるのも、批准を止めるのも、一度批准した条約を脱退するのもなおさらに困難だ。
だけど、これに抗する人々の連なりは確実に広がり、結びつきを深めている。
次の時代が2020年に来るのか、2030年に来るのか、それはわからない。
しかし、私たちは、そのときの時代の精神に『人間の復権』を求めざるを得ない。
そうした精神を信念と勇気を持って表明する人々の結びつきは、今、確実に形成され始めていることを感じる。


諦めなければ、希望はある。
希望を絶やすことは後代に対する裏切りである。

--------------------------------------------


どんなに風が吹いても、どんなに雨が降っても、
たとえ嵐や洪水になっても、どんなに不幸に襲われても、
苦しさに耐えて血反吐を吐き、はいつくばってでも生きていく。
どんなに寂しくても、不安でも、
どんなに人にバカにされても、自分を見失わず、
明日は晴れると信じ、勇気と情熱と希望を持ち続ける。


このホテルと、大切な仲間だけは、何があっても守ってみせる。
絶対に失ったりしない。
そのためにも、もっともっと賢くなりたい。
我慢強くなりたい。
母のように優しくなりたい、父のように純粋になりたい、
兄のように広い心を持ちたい、弟のように自由でいたい。
姉のようにたくましくなりたい。
おじいのように愛する人のために一生を捧げられるような人間になりたい。
強い者には決して屈せず、弱い者には、いつでも味方できる人間になりたい。


もう下を向かない。
自分のできることを一日一日やり続ける。
自分の家を守る。家族を守る。
自分の信じたことを伝える。
この世界から笑顔をがなくならないように命を捧げる。


この空や海に比べれば、あたしたち人間は本当にちっぽけな存在かもしれないけど、
でも、私たちは未来を変えることができる。
よりよい世界を作ることができる。

もう神様がいても頼らない。
奇跡を起こすのは、神様じゃなく、あたしたち、人間なんだから。 
たとえ、いとし君が、…この世で一番大切な人が、
一生目覚めなくても、あたしは死ぬまで町田純であり続ける。

と、決めた。

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2013年3月31日 (日)

“純と愛”は朝ドラ史上に残る傑作だった

後半から注目していた“純と愛”、ついに3月30日に最終回を迎えた。


脳腫瘍の手術をした、いとし君が目覚めないまま、純が再度、魔法の国を作る目標に向かって進むことを決意するシーンで終わる。


本来なら、いとし君が意識を取り戻したところで終わるところだし、台風で破壊されたホテルが新装オープンしてハッピーエンドで終わるのが、朝ドラに似つかわしい。


しかし、遊川氏の脚本は一筋縄ではない。この試練の中でドラマを終わらせてしまう。
現代という時代と正面から対峙しようとし、それでも人々に励ましを与えようとするならば、こうした終わり方しかないのだと僕は理解する。


多くの人が、時代の試練に苦しんでいる。
努力して、その試練を乗り越えることができました的な、過去完了形の単純なハッピーエンドは、現実感がないと僕は思う。


あまのじゃくな僕は、普通なら、最終回の純の延々とした独白は説教臭いと言いたいところだが、ドラマの真意を伝えるには、こうするしかなかったのだろう。
素直に胸に落ちた。


現代という、マネーが人間を押し流そうとする、不条理と苦難に満ちた時代に、生きる希望と励ましを与える、素晴らしいドラマだったと、僕は確信している。
朝ドラファンには散々な“純と愛”であるが、紛れもなく朝ドラ史上に残る傑作である。


以下、純の独白の一部を他サイトから借用しました。


「もう下を向かない。胸をはって前に進んでいく。
自分にできることを1日1日やり続ける。自分の家を守る。家族を守る。
愛する人を守る。自分の信じたことを伝える。もう、神様がいても、たよらない。
奇跡を起こすのは、神様じゃなく、あたしたち人間なんだから。
この世で一番大切な愛くんが、一生目覚めなくても、あたしは死ぬまで、街田純であり続ける    ・・・・・・   決めた ! 」


確か、世の中や未来を変えるのは自分(人間?)なんだというセリフもあったように思う。
私たちは、諦めれば、全て終わりというほど、際どい時代を生かされていると僕は、思う。
諦めない限り、希望はいつでも在り続けるのだ、と信じることに決めたマチベンである。

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2013年2月23日 (土)

傑作! 純と愛

今日、2月23日の純と愛は必見。
このドラマは最初から現代日本の歪んだ社会に向き合っていたし、家族の葛藤という普遍的な問題にも真正面から向き合ってきた。出足こそ、ご都合主義や、外資に買収されてリストラされてもホテルの従業員が団結するなんてバカかと思われる展開もあったが、後半、主人公は、まさに等身大で現代日本の矛盾に対峙してきた。

登場人物は社会的不条理を初めとして、それぞれ辛い体験を抱えながら、純の真っ直ぐな思いに自分を取り戻していく。

何もかも失った人々の溜まるドヤにしか見えない『里や』で願いであった「魔法の国」を三度目にしてようやく実現するかに見えた純。しかし、作者は、またもや『里や』の全焼というあまりにも過酷な試練を純に与えた。

純によって救われ、純を支え続ける愛(いとし)を風間俊介が好演。今日は絶望の淵に置かれた純に、愛が自分をさらけ出して、ぶつかっていく。間違いなくこの物語のクライマックスの一つ。
そして認知症の純の母が示す愛情。暴君から解放された認知症の母は、無条件の愛を体現している。

何もかも失った人を受け入れるのが沖縄の心という暗喩もいい。作者は間違いなく現代日本を知っている。


今日は朝から泣かされた。
気になる方は、昼の再放送、来週の週間再放送をどうぞ。

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2012年5月22日 (火)

絶好調 今日の中日新聞 (中日・東京新聞を読もう)

今日もツイッター的ご紹介ブログ。

例によって中日新聞から記事のご紹介。

今日は、まず、「特報」の記事が秀逸だった(クリックした上で拡大していただけば、読むことができます)

「米国文化へ薄れる憧れ
日本人『ハリウッド』離れ

Photo

僕も、常、アメリカ映画が面白くなくなったと思っていた。


映画にはとんと疎い僕の言うことだから、当てにならないが、「マトリックス」以来、感心した映画にお目にかかったことがない。最近は、観るとしたら、もっぱら邦画だった。


韓流ドラマの方がよほど面白いと思っていた実感がそのまま反映された結果である。


「ハリウッド映画は品質を落としている」とか、「日本人は物質的豊かさとは異なる新たな価値を模索する過程にいる」あるいは、「米国流の競争社会、拝金主義への疑い、嫌気が出てきている。穏やかな方向を日本人が求めるようになっている」という指摘は、いちいち腑に落ちる気がした。



続いて、

「『震災と原発』の書 何を読む?」
「記者お勧め7冊を紹介」

として、行き届いた原発書の紹介記事がある。

Photo_2

僕は、どれも読んでいないことを白状するが、小規模出版社まで行き届いた紹介記事は読んでいるだけで楽しいし、中日のスタンスがはっきり現れているようで、好ましい。




ま、それにしても、司法改革に関しては、中日も最高裁から、しっかり広告料をいただいているからダメだわなと思いながら、3面を開いて驚いた。


「裁判員法施行3年」と題する記事は、何と、裁判員制度自体に反対する意見を裁判員制度推進の意見と対等に扱っている。

Photo_3

僕が知る限り、大手新聞社が裁判員制度反対の識者の見解を投稿記事ではなく、取材記事で真正面から掲載したことはこれが初めてではないかと思う(毎日新聞当たりには、あったかもしれないけれど)。


「司法とは自由を守る作業。そもそも多数決の原理はなじまない。牛を盗んで村民からつるし上げられ、袋だたきになる世界とは違う。」

とのご意見に、快哉を上げ、笑い泣きである。

愛知県弁護士会会長纐纈和義氏の見識躍如である。


というわけで、今日の中日新聞は、益々快調である。



兼ねて、中日の論調は好きだが、読み応えは朝日の方が勝るかな、なんて思っていたが、この新聞は成長しつつあるようにすら見える。



弁護士大増員について、かつて中日新聞は、「弁護士を掃いて捨てて何が悪い」という趣旨の社説を掲載して、司法記者クラブの記者にすら顰蹙をかったことがあるが、そんな過去も許してあげたくなった。



なお、今、僕は、訳あって3日1回くらいしか新聞を読む時間がない。


したがって、このブログで中日新聞を読めるとは、思わぬように。


見落としているもっとすぐれた記事があるに違いないので、是非、中日新聞・東京新聞の購読をお勧めする。

といって、マチベンは、中日新聞とは縁もゆかりもないので、念のため。

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中日新聞様 著作権上、問題がありましたら、ご連絡ください。いつでも写真をカットいたします。

2012年2月 2日 (木)

『ヒミズ』を観た ★5つ 愛すること、愛されること

小説の世界では
何やらやたらと「悪意」を
描くものが増えている。

僕は、そうした小説は好きではない。
読んでも、閉口するばかりで
得心がいった試しがない。

2月1日、たまたま映画の日に
時間があって、『ヒミズ』を観た。

『ヒミズ』も
「悪意」を描いた映画だ。

映画の基調は暗い。
そして暴発する「悪意」が
描かれる。

にも拘わらず、
僕はこの映画は★5つだ。

住田が「悪意」を醸成させ、
暴発させる狂気にとりつかれる
過程にリアリティを感じられた。

それだけでも
無意味に暴走する「悪意」を
描く小説よりよほどマシだった。

住田も、
住田を恋い慕う茶沢も
すさまじい虐待を
親から受けている。

住田は父親から
「あのとき死んでくれていれば
良かったのに」と
執拗に繰り返され。

茶沢は、母親に情夫がおり、
邪魔な茶沢を自殺させるための
自殺台を作られる。

住田が「悪意」に
とりつかれるのに
茶沢は「悪意」に
支配されない。

茶沢に対する虐待が
見えてくるにつれ、
茶沢の住田に寄せる思いのひたむきさが
胸を打つ。

同じように
親から存在を否定される
虐待を受けながら、
なぜ茶沢が「悪意」に
支配されなかったのか。

「愛することができたからだ」と
僕は思ってしまう。

愛されることによって
人は支えられる。

しかし、
愛することによって
よりいっそう
人は支えられるのではないだろうか。

終盤は
バッドエンドだったら
たまらないなと

ハラハラしながら、
観ていた。

愛を受け入れることで
再生に向けて
歩もうとする
住田に
すがすがしい
希望をもらった。

主演の2人の熱演も
助演の役者の演技も
素晴らしかった。

無理に震災に
結びつけていたことだけが、
残念だった。

荒廃した近未来の日本という
設定だったなら、
瓦礫の山も素直に
受け入れられた。

観る人の想像に
任せてほしかった部分だ。

しかし、
この映画は
ロングランに
なってほしいと思う。

愛することの意味と
愛することの実りを
リアルに描いた
まれに見る
作品だと思うから。

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2011年6月 9日 (木)

「マイバックページ」を観た。 ★☆☆☆☆

なぜか弁護士会のボックスに、マイバックページのパンフレットが入れられていて、さして興味もなかったのに、もののはずみで観てきた。

わたくし的には、これほど途中で席を立とうかと何度も思った映画は初めてだった。

何しろ登場人物の誰にも感情移入できない。
時代は1969年から1972年。
学生運動崩壊過程で起きた自衛官殺害事件を題材にしている。

潮が引くように去っていく学生たちから孤立した活動家梅山は、存在自体が怪しい組織を騙って、暴力革命路線を追及する。

そこには何の理念もありはしない。
あるのは、ただ、世間を騒がすようなことをしでかして見返してやりたいという情念だけだ。

一方、彼の取材を続ける記者沢田は、彼の理念なき大言壮語を易々と信じて肩入れしていく。

僕にとっては、どこにも共感できる要素がないのだ。


僕が大学に入ったのは74年。
初めてセクトというものと出会ったのも同じ時期である。

当時は、中核派と革マル派の内ゲバ事件が最盛期だった。

東大駒場寮から引っ越し作業中の活動家が敵対セクトから襲撃されて殺された事件があった。僕も駒場寮に住んでいたが、それを聞いても、特段の感慨すら抱かなかった、そんな時代だった。

結局、崩壊した学生運動は、どれだけ派手な成果を挙げるかだけを競い、三菱重工爆破事件や、北海道庁爆破事件を次々と起こし、自壊していった。

映画は、そうした学生運動の崩壊過程の初期を描いていることになろう。



実は収穫が一つだけあった。

常々、学生運動の経験者が実権を握った現代日本がなぜ、これほどまでに保守化していくのか、疑問に思っていた。
朝日新聞などのメディアには、相当数の学生運動経験者が、今やデスクを握っているに違いないのに、とめどなく保守化していくのはなぜなのか。

映画は、そんな疑問に明快な回答を与えてくれた。

熱病が醒めれば、潮が引くように一部の活動家を孤立化させて、抵抗なく社会に適応をする学生が大半だった。
熱病には、確固たる信念もなかった。
共通する心情は、何かしら、目立つことがしたい、いい言葉で言えば「自己実現したい」ということだけだった。

政界にしろ、メディアにしろ、組織を左右する地位を手に入れる人たちは、人並み以上の権力欲を持っている人たちだろう。
そして梅山がそうであったように、権力欲とバランスするような理念を持っている訳ではない。

政治やメディアで権力を掌握した学生運動経験者たちは、過激派と違う方向で、「自己実現」を図っているに過ぎないのだろう。



誤解なきようにいえば、学生運動経験者の全てを批判している訳ではない。

若き時代の初志を貫いている人たちがいることも僕は知っている。
但し、そうした人たちは、基本的に、名前も権力も求めず、ひたすら地道に現代という時代が抱える問題に真摯に向き合う活動を続けている人たちだ。



それにしても、と僕は思う。
少し時間を遡り、学生運動の最盛期に戻れば、大人が手を付けられないほどの若者のエネルギーがあった。

若者のエネルギーは、今こそ発揮されて欲しい。

既得権にしがみつく、私も含む大人たちが、若者の行く手を阻む構造になっていることは見やすい道理だ。

日本の社会保障費は国際的に見て、年金が占める割合が大きいといわれている中、厚生年金で、現役世代以上の収入を得て、頻繁に海外旅行を楽しむ高齢者。

40代で1000万円の年収を約束されている大企業の会社員たち。
彼らが、日本の将来を考え、若者に道を譲ることを考えない限り、若者には未来が開けないと僕は思う。
しかし、彼らは、決して既得権を手放そうとはしない。

その結果、若者の30%以上が非正規雇用に甘んじている。

かつて学生運動が華やかだった頃、若者に対して不公正な社会構造があった訳ではない。

今の社会構造は明らかに若者に対して不公正なのだ。

若者はもっと怒っていい。
僕はつくづくそう思うのだが、「希望は戦争」といわざるを得ないほど、この国は閉塞してしまっているのだろう。

この閉塞感を生み出す、至る所に張り巡らされたコングロマリットを解きほぐす手がかりはないのか、ただ無為に煩悶しながら僕の日々は過ぎていく。


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