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カテゴリー「趣味」の22件の記事

2016年7月12日 (火)

「帰ってきたヒトラー」観てきた  全国で観られます

何となくではあるが、選挙前には観ておきたいと思っていた「帰ってきたヒトラー」を投票日前日の土曜日に観てきた。

Hitora


傑作だ。
こんな映画を作ってしまい、ヒット作になるというドイツは捨てたものじゃないと思う。
少し前になるが、米国映画「マネーショート」も前宣伝と違って本質は非常にシリアスで(であるから前宣伝のような爽快感はない)、アメリカにはきっと復元力があるんだろうと思わされた。



このコメディ、マニアックなパロディ満載で、ごく一部の観客だけが仕切りに笑っていた場面があった。他の観客にはどこがおかしいのか、さっぱりわからない。
後でネット検索して、ようやく「ヒトラー最期の12日間」のパロディだとわかった。
「12日間」のこの場面は、予習しておいた方が断然、楽しめる。






映画の初めの方で、「おっぱいぷるんぷるん」という何とも品のよくないジョークが出るが、これも「12日間」のパロディだと知っておいた方が楽しめる。動画はこちら
日本語字幕作成者というのは、実は大変な努力をしていることがわかって楽しい。



この映画、前評判の高さに比べ、とにかく上映館が少ない。
名古屋でも名画上映で知られる中規模館ともう1館しか上映していない。
7月初めに探したときには、東海4県で名古屋の2館しか上映予定が掲載されておらず、東北に至っては1館も上映館が掲載されていなかった。
後で確認したら、今は、全国の各県の上映予定が掲載されている。
ご自分のお住まいの地域で上映予定がなくて、諦めた方は、今なら上映予定を確認できますので、もう一度、上映予定のご確認を。



それにしても、順次公開という手法は、フィルムを使っていた頃ならともかく、デジタル化した今では、どうしてそういう方法をとるのか、わからない。
現に定刻相当前に行かないと席がないのではないかと思われるほど混んでいたし、年齢・性別問わず、まんべんなく人気があると思わせる観客層だった。
一斉公開の方が、観客動員は増えるだろうし、何より映画のレベルからすれば、全国シネコンで上映しても十分に採算がとれるはずだ。
(このあたり、出版前から話題騒然だった「日本会議の研究」が、出版業界の常識に反する増刷遅れで大幅な売上減となったのと何かしら似ている)
この国では、ひょっとしたら「贅沢は素敵だ」という程度のささやかな抵抗すら危うくなるのかもしれない。



ヒトラーの掲げた「反ユダヤ」、「反共産主義」は、歴史的、経済的、社会的な文脈の中で生まれたもので、ヒトラーの特異な個性が生み出したものではない。「強いドイツ」は復古主義の表現だ。

時代の危うさは、相似形で世界規模に広がっていることをつくづく感じさせられる。

ドイツには危機をエンターテインメントにする力がある。
日本にも、エンターテインメントにする力があってほしいと、つくづく思う。


ちなみに、理解できなかったパロディを楽しむためにもう一度観に行くつもりである。
肝心の演説場面で、実は寝落ちして聞き逃した失態も取り返すつもりである。

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追記
なぜ「帰ってきたヒトラー」が良い映画か、きちんと書いているブログのトラックバックが付きましたので、念のため以下にリンクしておきます。
“カモメのエッセイ”7月13日(6月26日アメブロから転載)

2015年2月13日 (金)

学習会のお知らせとマチベンの寒中見舞い


【1】学習会のお知らせ
ネットでは情報がないようですので、間際になりましたが、僕がお話しする集会のお知らせ。
お近くの方はお出かけいただけますと幸いです。

日 時  2月15日(日)午後1時30分から午後4時30分
場 所  愛知大学車道校舎
参加費  500円(学生無料)
共 催  第9条の会なごや
      愛知大学9条の会

問い合わせ先 第9条の会なごや 052-684-5873

        

「アベノミクスと戦争」という、演題でチラシが作られています。
企画は当然、昨年には立てられています。
今年の初めの段階でも、まだ憲法改正の焦点が、ISIS(「イスラム国」)に結ばれるとは、誰も考えていなかったので、仕方がありません。


当日は、「歴史の岐路に立って考える」との副題をつけさせていただき、フランス週刊紙襲撃事件以来の対テロ戦争についてブログに書ききれなかったことも含めて、思うところを中心にお話ししたいと思います。


限られた情報からは、仮説しか立てられないわけですけど、参加者の方と仮説を出し合って複雑に入り乱れている現代の状況を考えることができるといいかなと思います。


【2】マチベンの寒中見舞い
年明け以来の急激な動きで、寒中見舞いを公開する機会を失しておりました。
本来、遅くとも1月中なのでしょうが、寒波が来ていますので、今年の寒中見舞いをアップします。
書き流した感じで、とりとめがないのですが、企業の行動が、社会的存在から株主至上に変わり、事業を展開する地域のことを無視するようになったことを、マチベンの実感から書きました。


中東に展開している日本企業の振る舞いも変わっているに違いありません。
そうなれば、地域の人たちが企業に対する抱く感情も変わるはずです。
歓迎されていたかもしれない日本企業が、その利益追求が地域の実情と調和することを無視するようになれば、敵視される機会も増えます。
中東に軍事プレゼンスを必要とする状況に変わるのは、企業の行動パターンの変化から生じてくるという考え方もあながちないわけではないように思われます。

「2015年寒中見舞い」pdf

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2013年1月28日 (月)

橋下劇場 体罰自殺激怒編 マチベンの補論

体罰に関係するかどうか、よくわからないけれど、うつらうつら考えていたら、マチベンの事務所の2007年の残暑見舞いに書いた文章を思い出したので、最後に貼り付けておく。


この文章にある「根性」と「体罰」が何か関連性があるように思えるからだ。


橋下市長が教育に求めているのは、効率を上げるための成果主義・競争主義とと見受けられる。
成果と競争に有益である限り、橋下市長は体罰は必要だと考え、体罰を一律禁止している法規あるいは、解釈は改めるべきだとするのが彼の持論だ。
今回の騒動でも、この点について、彼自身にはぶれはない。
彼は、スポーツにおいては体罰は非効率で、非合理だとする限度で、部活の体罰禁止を主張している。


僕が思うに、教育は、過程であって結果ではない。
教育を受ける側にとっては、教育によって、人生をよりよく豊かに生きるための資源を得ることができるかどうかが決定的に重要だろう。
子どもの発達をスケールで測ることはできない。
発達の一つ一つの過程に喜びを感じることができることが、教育としての成功ではないかと僕は思う。


ところが、成果主義や競争主義は、単一の(少なくとも、少数の)スケールで、競うことを求める。
僕にとっては、それは教育の対極にあるものとしか思えない。
数字に表すことのできる、効率と称するものほど教育の本質と相反するものはないと僕は思う。


成果主義と競争主義が、体罰容認に代表される復古主義的な主張と相まって、この国を、いっそうおかしな方向に向けてしまわないか、憂う。


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「伊達公子」賛歌
「伊達公子」から見る戦後日本人の戦争精神
              2007年8月記 守山法律事務所 岩月浩二

 イチローや、浅田真央、高橋尚子や野口みずき、今でこそ、メジャーなスポーツで、日本人選手が世界の舞台で楽しげに活躍するのが当たり前になっている。
 大雑把な言い方を許してもらえれば、その先駆者は「伊達公子」だったと、僕は思う。
 現役時代の伊達は、やたらと周囲と摩擦を起こした。記者会見の中止でメディアから「何様だと思っているんだ」とばかりに一斉にバッシングを受け、メディアに追いかけ回されるのに辟易とし、嫌々開かされた記者会見では、「私が勝とうが、負けようがあなたたちの知ったことじゃない」とばかりの物言いをした り、不合理を強いる日本テニス協会に昂然と反旗を翻したり、何かと角の立つ選手だった。僕は、そんな伊達が痛快だった。
 そんな伊達は選手としての頂点の1996年(この年、伊達は世界ランク4位入りを果たしていた)、26歳で引退する。伊達らしい潔さだった。


 

根性、忍耐、管理、強制
 その頃、僕は、テレビのスポーツニュースで伊達の嫌いな言葉は「根性、忍耐、管理、強制」だと聞いた。僕が無性に言いたくても、言葉にできなかったこと を、言葉にしてもらった気がして、僕は本当に伊達が好きになった(ちなみに「生涯マチベン」の僕が新車で買った唯一の車は伊達公子がCMをしたプリウス、 インターネットが普及し始めた頃の僕のパソコンの壁紙は伊達公子の写真と決まっていた)。
 それから11年、今時、偉業を達成した選手が「大事なのは『根性』です」などとのたまう姿は、想像もできない。マラソンの高橋尚子が象徴的だが、嬉しさを素直に表現し、「支えてくださった皆さんのおかげです」と周囲やファンに感謝するのが当たり前の姿になった。
 ナチュラルである。自分の楽しさを追求して競技をし、そのためには努力を惜しまず、目標を達成したときは、それが自分一人の努力でなされたものではない ことに自覚的で、感謝を忘れない。僕は、そんなスポーツの才能たちの姿を見るのが、とても楽しい。そんな姿の原型が伊達にある。


 佐藤次郎と伊達公

 テニスというメジャーなスポーツで、世界レベルで名を知られた選手が、他にもいたことを、僕は伊達引退の年である96年に知る。朝日新聞の「天声人語」 子が、戦前、ウィンブルドン大会でベスト4に進出した佐藤次郎選手に触れていた。「天声人語」子は、佐藤が、1934年、ヨーロッパ遠征の帰途、マラッカ 海峡で投身自殺したこと、彼が「テニスは忍耐、服従、犠牲だ」と語っていたことを紹介していた。
 60年の時を経て、伊達の嫌いな言葉と、佐藤選手のテニス観が、見事なほどに響き合い、対照をなしている。伊達の嫌いな「忍耐」は佐藤選手のテニスの精 神であり、伊達の嫌いな「管理、強制」を受け入れることが「服従」に他ならない。「犠牲」などという言葉が伊達の念頭にあったとはとても思われない。彼女 にとっては、テニスは自分の人生の一部に過ぎず、自己実現の場の一部であった。彼女はプロデビューまもない10代から「25歳で結婚して引退」との人生設 計を描き、自らの才能や周囲の期待の「犠牲」になることもなく、傍から見れば易々と引退し、あらかじめ描いた人生設計に近い人生を楽しんでいるように見え る。

 96年の夏、僕は、伊達公子と佐藤次郎という二人の偉大な才能の間に横たわった60年という時の隔たりの深さをまざまざと感じた。
 なぜ、伊達にとっては、自己実現と楽しさでしかなかったテニスが、佐藤選手にとっては、「忍耐、服従、犠牲」であったのか。答えは明らかだろう。佐藤選 手が活躍した1930年代、スポーツは国威発揚と国民意識高揚の道具であった。日清・日露の戦争に勝利し、台湾や朝鮮の植民地化に成功した日本は1931 年、満州事変により、傀儡国家を満州に樹立し、アジアに君臨する帝国になろうとしていた。日中全面戦争の勃発は佐藤選手が自殺した3年後である。
 国民は等しく万世一系の天皇の赤子とされ、天皇陛下に忠誠を尽くし、自らを犠牲にすることこそが、国民の最大の道徳であった。国家は一人一人の国民の幸 福のためにあるのではなく、国家のために個人が存在した時代である。個人が重要なのではなく、個人を束ねる全体にこそ価値があった。だからこそ、頂点を極 めるかに見えた1934年に、健康に異変を生じ、自らの選手生命の限界を悟った佐藤選手は、個人を束ねる全体である国家の期待に応え、奉仕することのでき ない自らの26歳の命をマラッカ海峡に投げ捨てたのだ。

 それから60年後、同じ26歳の伊達は、周囲の未練がましい期待にお構いなしに、自分のための人生を、周囲の期待のために犠牲にすることを拒み、あまりに潔く引退を表明する。
「自分勝手なわたしを、いつまでも応援してくださった皆さん、ほんとうにありがとうございました。せっかく応援してくださったのに、はやばやと(わたしに とってはちっとも早くないのだけれど……)引退するわがままを許してください。ごめんなさい、これがわたしの生き方なのです。」(伊達公子「ラストゲー ム」1996年213p日本文化出版)
 やっぱり私は伊達公子が好きである。


  

円谷幸吉の自殺
 伊達と佐藤の隔たりは、日本人の戦争が、本当は、いつ終わったのかという疑問へと僕を導く。トップ選手の自殺では、円谷幸吉選手があまりにも有名であ る。東京オリンピック(1964年)で銅メダルを獲得した円谷は、メキシコオリンピック(1968年)の金メダルを期待され、所属する自衛隊体育学校か ら、競技に専心することを求められ、婚約も許可されず、破談に追い込まれる。オーバートレーニングのため、もともと抱えていた腰痛の悪化から椎間板ヘルニ アを発症して走ることができなくなった円谷は68年1月8日、「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました」で始まる有名な遺書を残して27歳で 命を絶つ。円谷の根性のなさを批判する声が高い中、三島由紀夫は円谷の自殺を「崇高な死」と称えた(周知のとおり三島由紀夫は、円谷自殺の2年後の 1970年、自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入して割腹自殺を遂げる)。
 日本人の戦争精神は、確実に70年代まで続いていたのだ。


  

伊達と「根性」
 「伊達公子は『根性』が嫌いなんだよ」と、就職氷河期に大学を卒業した私の事務所の若い事務員たちに話してみる。彼女たちは一様に伊達に「根性」がなかった筈がないと主張する。
 22歳の誕生日の前後、世界ランク15位の壁にぶち当たった伊達は、こんなことを言っている。
 体格で劣る自分は、体格のいい外国人選手が8分の力で打ち下ろすサーブを返すのにもフルスイングで返さなければならない。フルセットの戦いを終えたと き、日本人の自分はへとへとになっている。トーナメントを勝ち抜いてもけろっとしている外国人選手とは体力が決定的に違う。しかも、外国人選手は、「あき らめるという精神構造がないのではないか」と思うほど精神力が強い。1回戦、2回戦のうちはまだいい、でも、3回戦、4回戦と体力や精神力を維持するのは 自分にはとても大変だ。転戦を重ねながら、それが3週間も、4週間も続く。自分のベストのテニスをすることで、ここまでは来られた。だけど、この上を目指 すには、さらに技術を向上させ、テニスを研究しなければならない。「今の自分の持っている技術や体力を維持することも、けっこうたいへんなのですが、それ 以上のことをやっていかないと、もっと上にはいけないのです」。そして伊達は、トレーニングで身長を伸ばすことはできない以上、「何かほかの武器を見つけ て勝負しなければなりません」と言い、それとともに集中力を維持することの重要さを強調する(「晴れのちテニス」1993年182p、190p日本文化出 版)。
 96年のフェドカップ、有明コロシアムで世界ランク1位のグラフを破ったとき、伊達は歩くだけで激痛が走る左膝の故障に耐えていた。
 こういう精神を普通は「根性」と呼ぶ。
 そうだよね、伊達は「根性」あるよね。しかも、ハンパじゃぁない。


 

「根性」と自己犠牲
   大松博文監督

 しかし、そんな伊達の本には確かに「根性」という言葉は、驚くほど出てこない(伊達の本は、ゴーストライターによるものではない。担当の編集者は、伊達 はほとんど締め切りに間に合ったことがない、テニスに集中する伊達には締め切りが頭の中にないのではないかと嘆いている。「ラストゲーム」156p)。
 伊達が嫌った「根性」は、戦前、佐藤が「テニスは犠牲だ」と呼んだ「犠牲」に似ている。
 僕(52歳)の記憶の中でも長く社会を支配していたのは自己犠牲を伴う「根性」だった。
 「巨人の星」や「あしたのジョー」など、最後は死んでしまうか、廃人になるまで打ち込む「スポ根物」が一世を風靡した。
 運動中に水を飲むのは、バテる原因だからとタブーにされていたし、足腰を鍛えるためにと、きついウサギ跳びが奨励された。
 そう、「根性」は戦後長らく非合理な自己犠牲の精神と不可分に結びついていた。


 実は、戦前、「根性」という言葉には、何事にもくじけない精神力といったニュアンスは含まれていなかった。
 この言葉を「精神力」と言った意味で広めたのは「東洋の魔女」を東京オリンピックで優勝させた大松博文監督だ。
 体格で決定的に劣る日本人が優勝するのは並大抵ではなかった。深夜・明け方に及び、骨折程度では休むことを許さぬ過酷な練習、選手の大半が脚気等の病気 にかかる中でつかみ取る優勝…。大松は自覚的に自分に犠牲と禁欲を強いるとともに、選手にも犠牲を強いて、「東洋の魔女」を育てた。彼は自分の「根性」 が、南方戦線の悲惨な戦場、その中での飢餓等の絶望的で極限的な体験によって鍛えられたことを繰り返し話して、選手たちを育てた。資質に劣る日本人は、青 春や家庭や健康を犠牲にしてでも「根性」で頑張るしかない、そして「勝つこと」によって全ての犠牲は報われる。それが大松の人生観だった(大松博文・講談 社「おれについてこい!」昭和36年)。
 ここに伊達が嫌った「根性」の原型がある(面白いことに、22歳の伊達は、負けることはつらいが、勝ち続けることはもっとつらいに違いないとも言っている「晴れのちテニス」210p)。
 そして、それは、敗戦によって世界の最貧国に突き落とされた日本を、経済大国となるまでに押し上げた戦後日本人の精神構造の中に、無意識に続いていた戦争精神だったのだ。

 

脱自己犠牲の「根性
 おおかたの歴史家や経済史家は、戦後日本の国作りの完成を1980年代半ばに見いだしている。
 ちょうどその頃、「根性」を極端には打ち出さず、青春の一幕として描くスポーツ漫画が主流を占めるようになり、スポーツ中の水分摂取の重要性が説かれるようになってスポーツ飲料が普及し、ウサギ跳びは膝を痛めるとして廃れていく。
 そして、伊達は93年に自己犠牲を強いる「『根性』が嫌いだ」と言い放つ。


 伊達より、さらに若い世代、就職氷河期を味わったロストジェネレーションと呼ばれる世代は、一流選手に「根性」があるのは当たり前だと思っている。そこには、「根性」の持っていた否定的な「自己犠牲」のニュアンスは、消えている。
 だから、僕は思う。日本人が精神的な意味で戦争から抜け出したのは、きっと80年代だ。そして豊かで平和な日本に育った次の新しい時代の精神が明確な形 をとって現れたのは伊達が天才プレーヤーとして活躍を始めた90年代初頭だ。その後、痛々しさを感じさせない自然な姿で、日本人がマラソンやフィギュアス ケート、大リーグといったメジャーなスポーツで次々と才能を開花させていく。
 才能を開花させている彼らは、ロストジェネレーションか、さらに下の世代だ。きっとそんな若い日本人たちがスポーツの世界だけでなく、学問や芸術、文化や経済といった分野にも一杯いるに違いない。
 そして僕は思う。彼らの中にこそ、日本国憲法が基本的人権の基礎に置いた、一人一人の人生や幸福を何よりも大切にし、一人一人の個性を尊重する個人主義が開花しているのだと。


 

伊達公子のひとりごと
 「晴れのちテニス」の冒頭に掲げられている「伊達公子のひとりごと」を最後に引用しよう。彼女の22歳のときの文章だ。
 彼女のごく自然な感性が表れていて、僕のとても好きな一文だ(一流選手だけあって、自己認識は弱冠22歳とは思えないほど正確だ)。こんな風に生きられるようになった日本を僕は大切に思っている。
 そして伊達たちの世代が、日本の指導的な立場に立つ15年後を楽しみにしている。私たちが、この日本の良さを壊すようなことさえしなければ、きっと、そのときの日本は、今より、よほど生きやすい世の中になっているに違いない。
      =========================
わたしが好きなのは、
お寿司!梅干し、ケーキ、和菓子。
寝ること、部屋でぼーっとしてること。
買い物、旅行、子どもと遊ぶこと、テニス。
でもね、テニスで好きなのは、試合だけ。


わたしの大切なものは、
自動車!腕時計、ジュエリー。
お気に入りの靴、洋服、かばん。
思い出、友達、自分の体。


わたしが嫌いなのは、
牛乳!レバー。
記者会見で意地悪な質問をする、記者。
根性、忍耐、管理、強制。
それから、練習とランニング!!


(「晴れのちテニス」日本文化出版1p)

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2012年8月 6日 (月)

マラソン不振 企業利益至上主義の果て

女子マラソンが惨敗した。
野口みずき以来、めぼしいランナーが出てこない一方、アフリカ勢が急速に台頭する中、メダルに届くはずがないことはわかっていた。しかし、入賞レベルからも遠い惨敗になるのは、マチベンも予想外だった。まるで30年前に戻ってしまったような惨憺たる有様だ。


何の根拠もなく直感と偏見だけでモノを言うマチベンに言わせれば、原因ははっきりしている。


彼女たちは走る広告塔にされている。
マラソンランナーであるとともに、頻繁に開かれる駅伝のランナーであることも求められる。


マラソンに向けての仕上げは、半年から1年もかけてじっくり行わないといけない。
しかも実力を上げるためには、年々の積み重ねが必要だ。


これが、駅伝によって寸断される。寸断されたマイナスを取り戻すためには、トップランナーほど、その何倍もの時間が必要なのはプロフェッションなら誰でも共通だろう。


企業にとっては、同じ給料を払うなら、4年に一度の五輪のメダルより(しかも確率は極めて悪い)、コンスタントに企業の広告をしてくれる駅伝で目立ってくれる方が明らかに効率的である。


かくして、かつて日本の得意種目だったマラソンは、男子も含めて凋落せざるを得ない。


日本のグローバル市場主義のホープとしてもてはやされたユニクロも売り上げの停滞に悩んでいるという。効率を優先する同社では、従業員は使い捨てに近く、3年で5割、5年で8割が離職するという。
市場至上主義は、日本には合わない。

牽強付会のマチベンの結論は、いつも同じ所に落ち着くように出来ているわけである。

(ユニクロの停滞を伝える記事は、内需で停滞しているが、アジア市場では順調に売上を伸ばしているとする。しかし、経済界が盛んに取り込もうと喧伝する 「アジアの活力」も日本のような巨大な市場を補うには遠いと言わざるを得まい。アジア市場が内需を補うに足りる規模になる頃には、激しい国際競争にさらされて、結局、 うまくはいくまい。

マチベンが望むのは、金転がし[柳井社長もその部類に見える。なぜ報酬が3億円で、資産がその千倍なんて規模になるのか、金融効果を考えなければ説明がつかない。と書いていたら、マチベン事務所に年利20%で回りますなんて、セールスの電話があった。柳井社長だから金融効果で儲かるのであって、マチベンが手を出せば、全部、金転がしに吸い取られる仕組みである]が一番儲かるような歪んだ配分の仕組みを是正した、内需重視で、庶民に適当に配分される社会、したがって マチベンも適当に儲かる社会である。

また、同社が示す離職率の高さは、効率重視で短期で成果を要求する仕組みが人間を育てるものではないことを示してあまりある)



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2012年7月28日 (土)

上高地探索

上高地を訪れた。
泊まりである。
泊まりで遊びに行くのは、8年ぶりである。

Kamikohchi


一人事務所は気楽だが、事務所を留守にしにくいという不便は常につきまとう。
今回はイソ弁君がいる。
一応、バッチを付けている以上、一人前に弁護士でなければならない。
だから、ボス弁は「俺は遊びに行くから、留守はちゃんとやっとけよ」と言っておけばいいのである。
お蔭さまで十分に別世界に浸ることができた。
イソ弁さまさまである。


上高地は若い頃に、何度も訪れている。
ただし、そこに滞在することはない。
ひたすら穂高連峰へ登りたいだけだ。
上高地に入ると、山に来たという実感は湧くが、ただの通過点でしかない。
登りにしろ下りにしろ、とにかく早足で通り過ぎた。
登りは、一刻も早く登山にかかりたい一心で、下りは痛む足を一刻も早く休めたくて、どちらにしろ駆けるような早足である。


今回は、河童橋畔の宿に泊まった。
さしたる目的もない。
大正池から明神池周辺にかけてゆったりと散策した。


ゆっくりだから、初めて知ることも多かった。


ここの野生動物は、驚くほど人間を気にしない。
実は、このことは知らなかった。


間近な木々の間を猿の群れが戯れているのが見える。
極めつきは林間の遊歩道脇の木で、平然と子猿を抱いた母猿である。
木の股がちょうど、座り込んで子猿を抱くのにぴったりでお気に入りなのだろう。
手の届く距離に愛くるしい母子猿を見つけて、喜びざわめく人間が次々とカメラを向けるのに、どこ吹く風で子猿を抱いて休んでいる。

Kamikouchisaru_2



天然のサファリパークという訳である。
僕は、三河湾の猿ヶ島で、人間の持っている食料を狙って次々と猿に襲われて以来、猿が大嫌いになったが、すっかり猿好きになった。


岳沢湿地では、梓川支流の川面で鴨の群れが餌をあさり、繰り返し水面に体ごと没する。
時間はたっぷりあるので、何するでもなく、ただ座って眺めている。
遊歩道を行き来する観光客のグループが立ち寄り、短時間で何回も入れ替わるが、こちらは目的があるわけではない。
ただ、座って眺めている。

Kamikouchikamo


見ている内に、桟橋間近まで餌をあさりにつがいが寄ってくる。

少しずつ移動しながら、下流から上流に向けて、桟橋回りで餌をあさっている。
手の届くような間近にいながら、ざわめく人間を気にする風はない。
鴨の羽色が手に取るように見える。
多彩な羽色がオス、地味な羽色がメスだろう。
一羽が移動するともう一羽も連れだって少しずつ移動しながら、餌をあさっている。
僕は、大方、桟橋周りを一巡するまで、ただ座って眺めていた。


なるほど、これを称して鴨のつがいを仲の良い夫婦に譬えるのね。
別に餌あさりをするのに一緒にいることにメリットはないのに、一緒に移動しているのはどうしてだろうね。


上高地に来ると、人間も動物を変に構ったりしなくなるみたいだ。
だから、野生動物なのに、人間を気にしない。
動物が人間を恐れたり、襲ったりするのは、人間が動物を迫害するから自然にそうならざるを得ないからだろう。
3年前、マチベンは、床下に居着いたアライグマに手を焼いたが、アライグマは凶暴ではないという仮説を立てて同居を選ぼうとした。上高地は、この仮説に根拠を与える。


ハチが人にまとわりつく。
嫌がって、逃げるとなぜか、ついて回る。
その様子がおかしくて、笑った。
その様子を繰り返し見ている内、僕は、ハチは別に人間を襲うつもりはないらしいことに気づいた。
野生動物と同じように人間を恐れていないだけではないのだろうか。
マチベンの立てた仮説は、ハチは凶暴な虫ではないというものだ(但し、アシナガバチは毒性が強いので除く)。


そこで、仮説の検証に取りかかった。
土産店前の、木製テーブルの上を動き回っているハチをしばらくそのまま眺めている。
何か舐めているようだが、よくわからない。
舐めることに専念しているだけで、僕のことを気にしているようには見えない。

それでは、さらに仮説を検証するために実験をしてみることにしよう。
缶コーヒーのキャップを外し、普通にハチにかぶせてみる。
都会のハチは、僕の腕が動くか動かない間に気配を感じて、すぐに逃げるだろう。
上高地のハチは見事にキャップに捕まってくれた。
別に捕まえるのが目的ではない。
すぐにキャップを外す。ハチはいったんテーブル板を離れるが、すぐにまた舐めるために戻ってくる。
複数のハチで試してみた。
結果は同じである。
納得である。


極めつけの結論が出た。
上高地では、ハチすら、人間を恐れもしなければ、人間を攻撃したりもしない。
少なくとも実験を経た一部のハチは凶暴ではないのである。



人間の社会でも無数に見てきた。
対立する当事者グループは似てしまうのだ。
暴力団対応の警察官は、一見、暴力団員と見分けがつかない。
荒っぽい使用者と対立する労組は、やり方が荒くなる。
そのくせ、使用者が時間厳守で規律立っていると、労組も時間厳守できちんとした規律を持ったりする。
暴力的な夫や妻は、しばしば親も暴力的だったりする。

マチベンの場合、好き勝手に生きてきた親に育てられた子どもは、好き勝手に生きていて、正業に就きそうな気配を見せている子は限られている。
困ったことではある。


上高地を初めて訪れたとき、それまで僕が抱いていた山のイメージを覆すような穂高連峰の威容に圧倒された覚えがある。
そう、学生時代だ。別れた妻と一緒だった。
今回の上高地は、またひときわ異なる味わいの二日間だった。



若い頃は、目的にとらわれる。
それなりの歳になった今は、目的もなく流れる時間に浸ることもできる。
流れる時間の豊かさを味わうことができるのは、それなりの歳になった者の特権かも知れない。


エーリッヒ・フロム「生きるということ」の原題は「to have or to be?」である。
資本主義社会の「持つ様式」が極端に支配するとき、人が不幸になることを知った、フロムは、生きることの意味を「持つ様式」にではなく「在る(ある)様式」に求めようとした。
ただ「在る」ことの豊かさを知るには、それなりの試練と修練が必要なのかも知れないと、最後は理屈っぽく締めくくりたくなるのがマチベンの弁護士たる所以である。

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2012年7月 4日 (水)

吉野屋さんゑ

あたしときどき思うの
吉野屋さんのこと、懐かしく思い出すの。
大学受験で初めて東京へ一人で出かけ
新橋駅前のお店で
吉野屋さんの牛丼を食べた
田舎から出てきた受験生は
東京には
こんなにおいしいものがあるんだと
びっくりしたの


あたしときどき思うの
吉野屋さんのこと、不思議に思うの。
今の吉野屋さんの牛丼
学生の頃ほどおいしくないと思うのは
あたしの舌が鈍くなったせい?
どうして安売りしなければならないの
カレーチェーンなんて
大しておいしくもないのに
ちょっとトッピングすると1000円くらいするの
どうして吉野屋さんは300円台にこだわるのかなぁ
500円、だけど昔のおいしさを味わってくださいと
どうしていえないのかしら。


あたしときどき思うの
安売り競争すればするほど
みんなの財布は細くなり
ますます安くしなければ売れなくなるのに
どうしてみんな安売りするのかなあ
みんなが貧乏になれば
贅沢品である弁護士は
庶民の手の届かない物になってしまい
マチベンは駆逐されるの
どうしたらいいのかなあって
あたしときどき思うの


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『狼になりたい』中島みゆき
   1979年アルバム「親愛なる者へ」収録

note夜明け間際の吉野屋では
化粧のはげかけたシティ・ガールと
ベイビー・フェイスの狼たち
肘をついて眠るnote

2011年5月25日 (水)

第1回高橋尚子杯ぎふ清流マラソン 僕の結果

5月15日の清流マラソン大会の結果、1週間ほど前からホームページで確認できるようになっていたようである。

僕の結果は、ハーフマラソン一般男子
完走者5785名中、5573番である。
ほぼブービーといっていい。
実質タイム(ネット)は、2時間44分34秒であるから、ほぼ1キロ8分に近い超ゆっくりペースである。

普通、こんなにゆっくり走ろうとしても、なかなか走れるものではない。

ゴール前では、長年の農作業で腰が曲がったと思われる、明らかに70代の女性ランナーが前を走っていた。
レース(こんなペースはレースと呼ばないと思うが)中に何度か見かけて、先に行ったり行かれたりしていたが、ゴール前では彼女の方が早かった。

僕としては、もう一刻も早く走るのをやめたい一心なので、ゴールが見えるとペースが上がる。

彼女はマイペースを変えてくれない。
ゴール前で彼女を抜くのはひんしゅくものなので、ここはじっと我慢。

それにしても、あれほど腰が曲がった状態で、よく21キロも走れるものだとつくづく感心しながら、彼女の後を走る。

コースの中に突然飛び出してきたのが黄色いユニフォームの女性。老婆をねぎらうようにハイタッチしていた。
すぐ遅れて僕もハイタッチしてもらった。

とにかく精魂尽き果てて早く走るのを止めたいばかりだった僕が、「あ、Qちゃんだったんだ」と思ったのは、実は、ゴールしてかなり経ってからのことだった。

残念である。

今度は、自覚してちゃんとハイタッチしたいものである。

ともかく今回は、完走できただけでもよしである。
翌日から普通に仕事ができたこともよしである。

内心期すものはあるが、今後の目標は、ヒミツである。

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それにしても、原発事故のニュースは、このところ、過去のことをいろいろほじくり返すニュースが続いている。

正式な検証機関が立ち上がっている訳でもない。

ここまでメディアが隠蔽の道具であることを思い知らされると、メディアが過去のことをニュースにしているということは、目くらましで、きっと、今、何か重大なことが進行しているに違いないと思うようになってしまった。

1号機と3号機ではないかと思うが、いつも白い煙のようなものが上がっている。

誰も解説してくれないみたいだ。水蒸気だとしても、いったいどこから漏れ出ているのだろう。誰も教えてくれないみたいだ。

追記 5月26日

今になって過去のことを次々暴露しているのは、来日中のIAEAとG8向けに「日本政府や電力会社はこーんなに透明な情報公開に努めております」とする急ごしらえのアピールのためですね。

と言うことは、実質的に原発に関する情報は、ほぼ皆無の状態になっているということで、危険ですね。

ちなみにIAEAは原子力の平和利用を推進する立場ですから、脱原発ではなく、「より安全な原発を」というのが彼らが出す結論であることは見え見え。

2011年5月15日 (日)

第1回高橋尚子杯ぎふ清流マラソン

新年の抱負に従い、ひとまずハーフマラソンに挑戦。

高橋尚子の名を冠したこの大会は、第1回にも拘わらす、運営面でのそつのなさが印象的だった。
というより運営ボランティアがみな熱心で心がこもっているところがいい。
沿道には応援が切れることなく続き、ランナーを励ましてくれる。市を挙げてのおもてなしとも言うべき歓迎は、都会の大会では足下にも及ばない中都市の大会ならではの良さである。

圧巻は高橋尚子である。彼女が一緒に走ったのはもちろんだが、ゴール後は後からゴールするランナー全員とハイタッチの大サービスである。彼女は大会前日のサブイベントから出ずっぱりだったが(また、みんなを盛り上げるのがうまいんだな、彼女は)、一人一人の市民ランナーに対するこの気遣いには正直参った。

Qちゃんと言えば、市民ランナーにとっては雲の上の人。一般市民ランナーを対等に遇するその謙虚さと親身さに頭が下がる思いである。
人柄の良さが光った選手だとは思っていたが、また見直した。

この2週間、体調は低下気味で、先週末も10キロを走るのがやっとだった。

10年ぶりの記録はかつての記録より何と1時間以上も遅かった。
最後の5キロは実にキロ9分近くもかかる体たらくは、暑さのせいだけにはできぬ。

これでは制限時間2時間30分の揖斐川にも、犬山にも出られない。

しかし、今回は、まずは10年ぶりにハーフを完走できたこと、Qちゃんとハイタッチできたことで良しとしよう。

そうしなければ罰が当たるほど市民ランナーにとっては有り難いことなのである。

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2011年2月22日 (火)

断片1 「I Love You,答えてくれ」

東京での予定が思いの外、早く終わって、名古屋駅に着いたのが、午後2時過ぎ。

ホームから見上げた空の青さと、春の光。

無性に春の光にまみれたくなり、緑地へ出かけて軽く5㎞ほど走った。

Ipodが、中島みゆきの「I Love You,答えてくれ」を奏でる。

何か返してもらうため 君に愛を贈るわけじゃない

後で返してもらうため 君に時を贈るわけじゃない

君はひどい目に遭いすぎて 疑い深くなってしまった

身を守るのはもっともだけど 世界全部毒だなんて悲しいよ

愛さずにいられない馬鹿もいる

気にしないで受けとればいいんだよ

愛さずにいられない馬鹿もいる

受けとったと答えてほしいだけさ

…………

プラスマイナス数えながら 君をみつめるわけじゃない

いつか実りをもらうため 君を大事にするわけじゃない

惚れた方が損になるなんて 取引や投資じゃあるまいし

惚れて嬉しい 単に嬉しい 同じ時代に生まれて嬉しい

訳あって、2年以上、このアルバムを聴く勇気が持てなかった。

やたらテンションの高い、このアルバムを、ようやく、聴くことができるようになった。

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2011年2月13日 (日)

走れるようになるためなら健康を害してもいい

遅まきながら、今年の抱負は実はもう一つあった。
今年に入って、毎週末、緑地を走ることにしている。
一昨年8月以降、走る気持ちが萎えて走るのを止めていた。
融通無碍が僕のいいところである。

ところが、1月の中日新聞が、「心の火は消えない」として野口みずきの連載を3回ほどしたのに触発されて、また走り始めることにした。

北京五輪に野口は出られなかった。
おそらくラドクリフやアフリカ勢らを意識して2時間15分前後で走るような過酷な練習で追い込んでいたに違いない。
その結果、故障して出られなかった。

結局、ラドクリフが敬遠した北京五輪はオリンピックとも思えない平凡でつまらないレースだった。
野口は、無理な練習をしなくても出場さえすれば楽勝で金だったろう。

その野口が2年振りの再起をかけて挑んだ2戦目の駅伝で、骨折した。
ロンドン五輪のときには34歳になる野口にはかなり厳しい状況であることは否めまい。
その野口の「心の火は消えない」のである。

名古屋シティマラソン(ハーフ)は、陸連登録選手のレースと並行して行われる市民マラソンだ。まだ、無名だった野口のデビュー戦に近い1999年の名古屋ハーフマラソンを僕は、一応、野口と一緒に走ったということにしている。
だから野口を応援する。
野口の再起が成功することを心から祈る。

という訳で、今年は1月初めから僕も、毎週末10㎞を走ることにしている。
中断期間が長いため、年末までは、10㎞は無理な距離だったし、
55歳にもなると、走り慣れないまま10㎞も走ると、疲れが1週間近く残る。
その結果、平日がやたらしんどかったり、38度近い発熱をしたりしている。
それでも、「心の火は消えない」のである。

(身近な方へ。僕が「風邪で」などと会議や催しを欠席・早退しているのは、本当は、走った後遺症なのです)

ランナーの笑い話に「健康のためなら死んでもいい」というのがある。
僕は、「走れるようになるためなら、健康を害してもいい」という覚悟である。
過剰な負荷を与えなければトレーニングにならぬ。
若い頃は、2日で回復したが、今は1週間くらいかかる。
しかし、それでも過剰な負荷を与えれば、50歳を超えてもトレーニング効果で、体はきっと順応してくれる。
と、勝手に信じて野口に触発されて、トレーニングに励んでいる。

さて、今週末である。
3連休初日の2月10日、雪が降った。
僕の読みは雪が溶けたぐじゅぐじゅの山道を走るのはかなわないであった。
そこで、今週末は連休初日の金曜日にノルマを果たした。
気温はほぼ0度、雪で濡れるのを防ぐために厚手のジャージの上にさらにアノラックを重ねて走った。
さすがに、走りにくいし、顔に雪が降りかかるし、なかなかしんどい走りだった。

この2日、健康を害さないようである(まだ、安心はできないが)。
ということで、健康を害するためには、そろそろ走る距離を13㎞に伸ばそうかと考えている。

以下の写真は、小幡緑地コース周りの様子である。

クリックしていただければ、寒さを実感できますw

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