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カテゴリー「裁判所界隈」の7件の記事

2011年5月27日 (金)

思い上がるな、しっかりしろよ、テレビ局!(体験的メディア論4)

新聞報道によれば、名張毒ぶどう酒事件の奥西勝死刑囚の再審裁判で、弁護団が、事件当時のテレビニュースの映像を証拠として提出した事に対して、フジテレビが猛烈に抗議し、取り下げるように求めているという(朝日新聞5月25日)。

奥西死刑囚が死刑判決を受けた物証の1つが、葡萄酒の王冠に残った歯形が奥西死刑囚の歯形と一致するとする鑑定にあった。

今では、鑑定は不正確なもので、王冠の歯形と奥西死刑囚との間には結びつきはないとされているが、今回、弁護団がニュース映像を提出したのは、検察側は提出した9個の王冠が全てだと主張しているが、映像によれば、少なくとも18個の王冠が存在したことが明らかであり、検察は、未だに全ての証拠を出そうとしていないことを証明するためであるとのことである。

人一人の命のかかった事件であり、検察の証拠隠匿の可能性があることを示すのは極めて重要な意味を持つ。

にも拘わらず、フジテレビは抗議しただけでなく、取下まで求めた。
単純に人権感覚が疑われる。

新聞で伝えられる理由も薄弱である。

「放送を目的として独自に取材・放送した映像を無断で証拠として提出したことは到底容認できない」

というのである。

著作権法は、著作権者の了解を得ないで、著作物を利用できる例外として裁判における利用を明確に認めている。

(裁判手続等における複製)
第四十二条  著作物は、裁判手続のために必要と認められる場合(略)、その必要と認められる限度に おいて、複製することができる。

複製が認められているのは、裁判所に証拠として提出することは当然のこととして認められているからだ。

フジテレビの抗議、まして取下要求は、著作権法に違反するだけでなく、裁判を受ける権利を保障する憲法の精神に著しく反している。




実は、フジテレビだけが特殊な訳ではない。
現在では、どこのテレビ局も映像を裁判所に出そうとすると必ずクレームを付けてくる。

かつてはテレビ映像の証拠提出はごく普通に行われていた。
クレームなど、聞いたことがなかった。


僕が初めて、テレビ局が文句を言うという話を聞いたのは、10年ほど前になるだろうか。
これも弁護団を組んで組織的に取り組んでいた事件だった。
そのときは、テレビ局は、著作権法も知らないのか、という議論が支配的になって、そのまま提出したような覚えがある。

ところが、その後も、何度も同じようなことが繰り返されてきた。

今では、弁護士にとって、テレビ映像の提出はタブーに近い。
何も疾しいことはないのに、面倒くさいことにならないよう極力知られぬようにこっそり出す。


よもやテレビ局も、著作権法を知らぬ訳でもあるまい。
違法だと考えれば、訴訟で差止なり賠償なりを求めればいい。

どうしようもないことがわかっているから、やたらきつい言葉で抗議し、事実上、証拠提出を断念させようとしているのだろう。

これは、弁護士に対する一種の圧力である。
今後、我が局は、奥西死刑囚の再審事件については、取り上げてやらない、それでもいいのかという暗黙の圧力が見える。

別件のときも、僕は、そんな不利益を忍ばなければならなくなるのかと感じた記憶である。
社会的な問題を扱う事件は、テレビが世論を喚起してくれるかどうかが、極めて重要である。
したがって、テレビが取り上げないかもしれないと思わせるのは、十分な取引材料になるのである。

弁護士が感じるテレビ局の圧力は、そうである。



では、なぜテレビ局は、以前は、自由だった映像を、それほどまでして、裁判では使わせないようにしようとするのか。

やはり圧力の問題に行き着かざるを得ないだろうと僕は考える。

刑事事件であれば、被告人に有利な映像を裁判所へ提出させたテレビ局に対しては、警察や検察は取材上の差別をしようとするのだろう。少なくともテレビ局が、そう受け止める事情があるのだろう。

民事事件であれば、被告企業は、テレビ局の大事なスポンサーなので、原告に有利な映像の提出を阻止しなかったテレビ局は、被告企業からの広告収入を失うという圧力があるのだろう。

正々堂々と著作権違反で争えないし、本音は自らの保身にあるから、理屈にもならないことを居丈高に言い張って、横車を押そうとする。

見苦しい。


東電がまだスポンサーであり続けるかもしれなかった時期のテレビの、あの余りにも卑屈な報道を思えば、テレビ局が弁護士に対して見せるおごりと裏腹にスポンサーと政府まる抱えの、保身と怯えに満ちた姿が透けて見える。

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2011年4月18日 (月)

ある簡易裁判所事件

裁判所は親切な役所だと書いた途端、
不親切の典型のような事件を見てしまった。

口頭弁論という手続き期日では、大抵、複数の事件が
同一時刻に指定され、当事者がそろった順に審理がされる。
自分の順番が来るまでは傍聴席で順番待ちである。

地方裁判所の合議部で順番待ちをしていたときに見た事件。
簡易裁判所の判決に不服で控訴した控訴人は
弁護士を付けず、本人であった。

彼は、Aさんという個人を訴えたつもりであったらしい。
ところが、簡易裁判所の判決は、
被告をAさんの勤務先である法人として彼の訴えを棄却したようである。

彼は、控訴審のその場になって、
初めて被告が法人になっていることを裁判官から知らされて、
何度も何度も、自分はAさんを訴えたのだと繰り返す。

どうも簡易裁判所備え付けの訴状の書式に
「法人の場合は、代表者の名前を書く」とかいう欄があり、
Aさんの勤務先のつもりで法人を記載してしまったのが間違いのもとのようだ。その様式はそこは被告を書く欄だったのだ。

随分、時間がかかって、
彼は、納得はできないが、事態は理解したようで、退席し、

ようやく僕たちの裁判の順番が来た。

僕たちの裁判は、支援者の方も傍聴に来ている事件だったので、
その後の打ち合わせでは、
この事件のことが、ひとしきり話題になった。

簡易裁判所の裁判官が、審理をすれば、
彼が被告の記載を間違っていることに気づかない筈がない。
間違いを指摘して、改めてAさん個人に対して
提訴を促すのはあまりにも当然ということで、
簡裁の裁判官のあまりの不親切さに一同、非難囂々であった。

控訴審の第1回期日まで、
慣れない訴訟で随分苦労をしたに違いないのに、
「被告が違いませんか」との一言もなく、
ずっと裁判を続けていた彼の心情は察するにあまりある。

完全な裁判所不信になるだろう。

確かに、簡易裁判所には、
まま不親切な裁判官がいることがある。
裁判官は大抵、裁判官の仕事が好きでやっているが、
必ずしもそうではない人が裁判官をやっていることもある。
で、判決を書くのが嫌なので、
すぐに調停に回して話し合いをさせてみたりする。

先日、家賃不払いで明渡を求めて簡易裁判所に
提訴した大家さんが、
すぐ調停に回されてしまって、
相手から不当な明渡料を要求されて調停が不成立になり、
と言って、判決してもらえずに、
結局、僕の所へ依頼に来たケースがあった。

お陰で、僕の仕事になってありがたいが、
簡易裁判所は、本来、一番、市民に身近な裁判所である。
だから、当事者本人による訴訟も多いはずで、
地方裁判所以上に親切さが求められる。

地方裁判所は、僕が出す訴状にミスがあると
親切に訂正を求めてくるのに、
簡易裁判所は、被告の取り違えという重大なミスがあっても
そのまま放置して判決を出したのだ。
これは、本人訴訟の多い簡易裁判所としては
いかにもまずい。

簡易裁判所は、裁判官によって、ばらつきが大きすぎて、
確かに、ときどき、いかにも不親切な裁判官を
見かけることは事実である。

やみくもに弁護士を増やすより、
簡易裁判所の裁判官の質をもう少し均質にして、
かつ、増員する方が、
法の光をすみずみまでという
司法改革の理念にはるかに合致するのではないだろうか。

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2011年1月21日 (金)

準備書面の書き間違え

僕は、裁判所が概して好きである。
昨日も、裁判官の真面目な姿勢に触れて、ちょっと感動した。

訴訟関係の書面は期日の1週間前に出すのがルールである。

しかし、これを遵守するのはなかなかむつかしい。
たいてい期日間際になって、駆け込みで提出することになる。

昨日の期日も例に漏れず、2日前に駆け込みで書面を出した。
ところが、
裁判官は、
「3頁の4行目に『被告は』、とあるのは、『原告は』ではないですか」
と指摘をしてきた。
私「あ、間違いです。だいぶ直したんですが、残ってしまいました」
裁「あとの誤字などは別にいいんですが」
私「誤字などは勘弁してください」(苦笑)

緻密に記録を読み込んでいるのがわかる。
民事では裁判官は一人大体300件の事件を常時、抱えている。
期日間際になって出された書面を読み込むのは並大抵の努力ではない。
そこまで読まれていると思うと、いい加減な訴訟活動をしてはいけないなと自戒する。

まぁ、ろくに記録も読まずに独断的な判断を示す裁判官もいるにはいる。
そういう裁判官は、説得不能である。
が、概して言えば、僕の印象では、裁判官は、それぞれの個性で真摯に仕事に向き合っていると思う。

裁判の基本は事実と法律である。
裁判官は事実を認定して法律を適用する。
それは一種の職人芸の世界である。

当事者と、裁判官の息が合えば、勝ち負けはともかくとして、よい判決が生まれるし、あるいは、よい和解に導かれる。

僕は、確かに見方によっては、政治的ともいえる裁判にも関わっている。

しかし、30年近くやってこれたのは、こうした職人芸的世界と弁護士の在野の自由業的な志向が好きだからだろう。

だからこそ、憲法論を措いても、裁判所が政治利用されることには、抵抗が強い。

なお、書面で原告と被告を書き間違えるのは、僕に限らず、よく起きることである(はずであると思う)。

原告側の事件では書き間違えることはほとんどないが、被告事件のときに気分が攻勢的になってくると、依頼者である被告を原告と書き間違え、相手方である原告を被告と書き間違えるのである。
相手方である原告を追及する気分になると、当方の当事者を原告と無意識の内に呼んでしまうのである。

今回の書面は、他にも10カ所近く書き間違えがあったのを見直してほとんど訂正したが、1カ所残ってしまったのが裁判官の目に触れたのである。

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2010年12月15日 (水)

司法統計2 弁護士さえ増やせば法の支配は行き届くのか

昨日は、最高裁の司法統計をグラフ化したことだけを報告して、仲間内にしかわからなかったと思いますので、改めて、グラフ化してわかったことを説明してみます。

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1 平成13年から平成17年まで事件総数が減少傾向にあった。

  この時期は、いざなぎ越えをいわれる長期好景気であった。
  しかし、事件数は平成13年15万7000件から平成17年の13万5000件へと約85%に減少した。
  一般市民にとっては、好景気という実感はなかった。

2 事件数は平成18年から反転して増加している。急増といえる。
  平成17年の13万5000件から平成21年21万5000件へと6割増という大増加である。

3 その全ては、金銭を目的とする訴訟である。
  同時期に9万件から17万件に増加している。9割近い増加である。

4 平成17年にサラ金関係で、過払金返還を原則化する最高裁の重要判例が出されている。
  この判決が過払金請求のブームを起こした。
  増加している金銭を目的とする事件は、全てこの過払金請求事件であると一応、推定しても不合理ではない。

5 金銭を目的とする事件以外は、平成13年から平成21年まで一貫して減少傾向にある。
  平成13年5万7000件あった金銭以外の事件は平成21年には、4万1000件とほぼ7割に減少している。

6 金銭を目的とする事件も、過払金請求を除けば、減少している可能性が高い。
  争いのある事件では、最低限でも当事者尋問は行われる。
  したがって、当事者尋問延べ件数は、事件数の増減に応じて正比例していた(以下、表24参照)。
  当事者尋問延べ件数は平成13年3万4000件から平成17年2万6000件に減少、この間、事件数は、15万7000件から13万5000件に減少しており、ほぼ正比例している。
  ところが、平成18年以降、事件数が増加しても当事者尋問延べ件数は減少の一途をたどっている。平成17年2万6000件から平成21年には2万2000件に84%に減少している。
過払金請求事件では、争いがあっても、当事者尋問が行われることは皆無に近い。
 つまり、過払金事件以外は、平成17年から平成21年にかけておおむね84%に減少したものと考えることが加納である。

7  したがって、過払金請求事件を除いた実質事件数は、平成17年より84%に減少したと推測するのも不合理ではない。
 この推測は、平成18年以降の事件増分だけ、過払金請求事件があるのではなく、増加分を超えて過払金請求事件があることを示す。
 法廷の事件一覧表の大半が「不当利得返還請求事件」(過払金請求事件はこうした法的呼称になる)で埋められている日常の実感にも合致する。

8 過払金請求のブームはほぼ去りつつある。せいぜい1,2年である。

9 過払金請求を除いて、平成13年から平成21年の事件数を推測すると、平成13年15万7000件、から平成21年11万3400件(平成17年事件数13万5000件に84%を乗じた)になる。8年間で72%に減少したことになる。この減少率は、5で述べた金銭を目的とする以外の事件の減少率とほぼ一致している。

10 平成13年から平成21年にかけて弁護士数は1万8000人から2万7000人に5割増加している。
 過払金を除く一人当たりの事件数は、平成13年の8.7件から平成21年4.2件に減少している。

11 以上、通常訴訟を見る限り、過払金資源枯渇後の弁護士業界には先の見通しは全くないといってよい。

 異なる観点からの意見や批判が様々にあることは十分に承知している。

しかし、司法改革の理念である生活のすみずみまで方の支配をもたらす(泣き寝入りをなくす)ことが、弁護士増員によって図ることができていないことは明らかである。

 過払金返還請求が、一面で、困窮した市民の権利実現につながっていることは否定しない。しかし、弁護士と司法書士が競うようにして出している広告の氾濫を踏まえれば、現状は割のよい事件の奪い合いの様相を呈している。困窮した被害者の救済や生活再建を目的としたものとなっていないと僕は考えている。法廷でも、裁判所からもそう見えているに違いないという光景をしばしば目にする。

 弁護士の増員は過剰な市場化をもたらしただけだ。この状況が続く以上、とりあえず弁護士増員には可及的速やかにストップをかけなければ、弁護士を志す有為の人材自体が枯渇することは目に見えていると思われる。

司法統計のみによっているので、推論の中にはおおざっぱな部分があることは否定しない。

これだけ金銭を目的とする種類の事件が突出して増えているのであるから、本来、最高裁が過払金返還請求事件が何件あるのか司法統計で明らかにすべきである。過払金返還請求事件のくくりが難しければ、金銭を目的とする事件の内、「不当利得返還請求事件」の件数であれば容易に集約できるはずである。それによって、現在の裁判所の実態は鮮明になるはずである。

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2010年12月14日 (火)

司法統計

最高裁の司法統計で、平成13年から平成21年までの地方裁判所の新受件数(その年に新たに提起された訴訟件数)の概要を拾って、グラフにしてみた。

普通、弁護士の活躍場所は地方裁判所とされているので、その件数と、弁護士の関与件数を拾った。

「訴訟件数推移」

一見、右肩上がりで順調そうである。

ところが、僕はむしろ危機的な兆候があると見る。

多分、普通の一般市民の事件を主として扱っている人は、すぐにこのグラフの危うさに気づくと思う。

ちなみに、サラ金について、取引履歴の開示義務を認めた最高裁判決は、平成17年7月19日。

そして、それまで通用していた見なし弁済(利息制限法を適用せず、サラ金の約定利息をそのまま有効とするため、過払金が生じない)を一般的に否定するのに等しい最高裁判決が出たのは平成17年12月15日。

この後、過払金バブルが始まった。

 とりあえず、あまりグラフ化されたものを見たことがなかったので、グラフ化して分析しやすくしてみた次第です。

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2010年12月 8日 (水)

疲れは走って取る! 年相応の言い訳

特定の事件のため韓国へ、かなり頻繁に行き来している。
で、行くたびに太って帰ってくる。
何しろ、韓国食は旨い。辛くて食が進む。
韓国人は、たくさん食べてくれるのを喜ぶ。
影響を受けたか、一緒に韓国へ行く仲間も、僕がたくさん食べるのを見て喜ぶ。
だから、つい度を超して食べる、

韓国へ行って、太って帰ってくる。
体重が減る前に、また韓国へ行ってたくさん食べる。

体重はこのところ、増える一方である。
ついに先日68㎏に達した(身長164㎝)。
僕のベスト体重は58㎏から60㎏である。

この体重のとき、一番気持ちよくランニングができる。

65㎏を超えたら自覚的危険水域であるが、最近は、65㎏まですら戻ることがない。
季節が変わる度にはけるズボンを探して大騒ぎである。

週末が連続してつぶれたりしたこの月曜日(12月6日)、疲れ気味であった。
疲れを吹っ飛ばそうと考えて、昼間に緑地公園へ走りに出た。
走れば疲れは取れるものなのである。

残念ながら、走り出しから体が重い。
10㎏の荷物をしょって坂を駆けるのだから無理はない。
1周回って、しんどいなと思ったが、疲れを乗り切ってこそ、疲れも取れると信じて2周してみた(計約7㎞)。

結果は、疲れが取れるなんてものではなかった。
走ってから、事務所に戻り、仕事をしようとするが、体は泥のように重く、電話で話すのおっくうだし、手元もおぼつかず単純なタイプミスは連発するわで散々である。

翌火曜日、重要な予定が午後にあったが、疲れがたまって、緊張感ゼロ。
相方の仲間にはずいぶん迷惑をかけた。

で、今日であるが、僕にとっては位置づけのある大事な裁判がある。
本来なら、機先を制して、数日前に出た相手の書面に反論するところだったが、残念ながら、できそうもない。
相手方の書面に対する反論は次回に回すことになる。
通常の進行であるからそれでよいのであるが、本当はもっと意気込みを見せたかった。

結局、疲れを吹き飛ばすために、激しい運動(と言っても10㎏の土嚢をしょったような超スローペースのジョギングであるが)をするのは、もう年齢的に無理だと知った。

年寄りの冷や水とは呼ばないで。
でも年相応に疲れたときには素直に休むことにしようと改めて自覚する次第である。

名古屋シティマラソン(11月23日)が、片隅に追いやられ、衰退の危機にあった頃、仲間を集めて、名古屋市に掛け合った。

今の名古屋シティマラソンの盛況もわれわれ仲間の力があってこそであると自負している。

今年のシティマラソンには、エントリーを目指すだけの走力もなかったのが残念である。

反省しながら、なお、野心は捨て難し。再来年の名古屋シティフルマラソンに参加できるように頑張りたい。

まとまりのない日常の話である。


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2010年12月 4日 (土)

若年非正規労働者の命の値段

命をめぐる話が続いた。

政府が人を利益を生み出す機械と考えているのと同様に、裁判所にもその傾向が忍び寄っている。

生命侵害(死亡事故)の損害賠償の問題がそれだ。

生命侵害の損害賠償額は、交通事故を中心とする多数の裁判例の積み重ねの中で、「逸失利益+慰謝料」という算定式が確立してきた。

(命を金額に換算すると言うこと自体に無理があることは裁判所も承知している。しかし、民事事件としてこれを裁く以上、損害賠償事件として裁かざるを得ない。そのために一定の算定式が必要なことも大方の異論はなかった)

逸失利益というのは、生きていれば働いて得られたであろう利益のことである。

これまで多くの裁判例は、労働者の現実収入が平均的な正規労働者の賃金を下回る場合でも、いずれ平均賃金相当額の収入を得られるようになる見込が高いとして、低収入の労働者の場合でも原則としては、平均賃金による逸失利益を認めてきた。

死亡事故について仮に現実収入で逸失利益を算定するとすれば、低収入の労働者の命に対する賠償額は著しく低額になることが避けられない。

これは命の価値は本来、平等であるというだれも否定できない真理に反することになる。

このため、裁判所は多少のフィクションを用いても、生命の価値をできるだけ平等に扱うように工夫し努力してきたと言ってよい。

たとえば、無収入の主婦についても家事労働を平均賃金と同程度の価値を生み出す労働とみなして、女性の死亡事故の逸失利益を算定してきたのも、一種のフィクションを用いながら、生命価値の平等を確保する努力とみてよい。

ところが、最近、重大な変化が現れようとしている。

交通事故をめぐる実務的問題については、東京、大阪、名古屋の各地方裁判所の交通事故専門部が、随時、会合を開いて意見交換をしている。

この意見交換会は、交通事故の裁判実務に支配的な影響を与える。

昨年開かれた3庁合同の意見交換の結果が、法曹時報62巻1号(今年初め頃発行)に掲載されている。

これによれば、今後、非正規若年労働者については、平均賃金相当の収入が得られる見通しが高くないことが明らかであるから、現実収入で逸失利益を算定すべきだとする意見が主張されている。

さすがに、単に、非正規若年労働者は、平均賃金相当額が得られる見込が少ないとするだけでは説得性に乏しいと考えたのか、提案者である裁判官は、次のような見解を述べている。

「グローバル化に伴う厳しい市場競争や産業構造の変化、生産・サービスの柔軟な供給体制を取る企業の経営戦略、……労働者の意識の変化等が複合的に結びつく形で就業形態の変化が進む中、非正規雇用者が増加し、雇用者に占める割合も上昇してきた。……企業の採用抑制や雇用情勢の悪化とともに、雇用者の意識の変化などもあり、特に、若年層で大きな増加が見られてきたところである。そして、非正規雇用者は、技術・技能形成のための機会が乏しい」
「正規雇用者に比べて賃金水準・上昇において劣る非正規雇用者が、全年齢層において増加し、2008年には全労働者中、34.1%を占めるまでにな(った)」

さらに政府の経済白書を次のように引用している。

「20歳台前半層の非正規雇用者には、自分の都合の良い時間に働けるから等の理由でその就業形態を選んでいる者が少なくなく、長期の職業キャリアを十分に展望することなく安易に職業選択を行っている」

こうした認識を元に裁判官は、若年非正規労働者には、原則として平均賃金によるのではなく、現実の少ない収入によって逸失利益を算定すべきであると主張するのである。

そこには命の尊厳の平等という規範的要請に対する配慮は全く見られない。

こうした意見を述べる裁判官の非情さを責めるのはやさしい。しかし、こうした意見が出てくる日本社会の土壌にこそ問題の本質があるだろう。

自殺する命を救うための対策を取る理由が、自殺者が働き続ければ、1兆9000億円の経済利益が得られたはずだからだとする、厚労省の発表と、この裁判官の意見交換会の発想は通底している。

人間を、何よりも利益を生み出す機械とみる見方だ。

バブル経済、失われた20年を経て、市場原理主義が深く根付いた社会は、ますます労働の意味を利益を生み出すことだけに見いだし、生きることの価値を利益を挙げることだけに見いだすようになろうとしている。

この国の陥った拝金主義の病は重い。


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