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カテゴリー「読書」の6件の記事

2013年6月18日 (火)

お勧め『TPP黒い条約』(集英社新書)

中野剛志編『TPP黒い条約』(集英社新書)、お勧めです。
TPP黒い条約(集英社新書)

序にかえて/中野剛志
第一章:世界の構造変化とアメリカの新たな戦略―TPPの背後にあるもの―/中野剛志
第二章:米国主導の「日本改造計画」四半世紀/関岡英之
第三章:国家主権を脅かすISD条項の恐怖/岩月浩二
第四章:TPPは金融サービスが「本丸」だ/東谷 暁
第五章:TPPで犠牲になる日本の医療/村上正泰
第六章:日本の良さと強みを破壊するTPP/施 光恒
第七章:TPPは国家の拘束衣である―制約されるべきは国家か、それともグローバル化か―/柴山桂太


右派論客が揃うと、どんな本になるのかなあ(汗w)と思っておりましたが、読み終えた印象は、極めて着実な議論で貫かれたバランスの取れた良書です。


米国の世界戦略の分析(中野剛志氏)と対日要求の歴史(関岡英之氏)という総論を踏まえ、ISD(岩月)、金融・保険(東谷暁氏)、医療(村上正泰氏)の各論(網羅的ではないが、経済的観点からはTPPの本質的部分を摘出している)を経て、ボーダレス化と人間(施光恒氏)、グローバル化と脱グローバル化の歴史の視座(柴山桂太氏)を提供して展望とする一連の流れは、さすがに中野剛志氏の見事な編集だと思いました。


末席を汚させていただいたのは光栄としか言いようがありません。


要するに、TPP(並行日米二国間協議=日米FTAを含む)は、普通の日本人にとって、ごく公平に見て『売国』と呼ぶしかない訳です。
そして、グローバル化というのは、一種のイデオロギーに支えられた運動であって、それは普遍的なものでも歴史的必然的なものでもない。
むしろ行き過ぎたグローバル化が国家間の対立を抜き差しならないものにしたという20世紀初頭の状況を教訓とすべきだということです。


個人的には、施光恒氏が、第6章で、国内に多様な仕事があるということが生きるということの多様性を保障するといった趣旨を述べておられることに大変、共感した次第です。
グローバルに最適地での経済活動が行われれば、当然、国家の産業は資本に都合のいいようにモノカルチャー化し、仕事の種類は限られてきます。
多様性のある国家の間での(互恵的な)交易という世界秩序を提示されています。


「仕事」は生きるということの重要な一環を占めています。
フロムが、全体主義からの脱却の展望として「愛」と「生産的な仕事」を挙げていたことを思い起こしました。

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追記 そういえば、佐伯啓思氏は、「インターナショナル(国際)」でもなく、「ワールド(世界)」でもなく、「グローバル(地球)」という言葉を使うことの意味を問い、強い警鐘を鳴らしていました(『アダムスミスの誤算』)。
「インターナショナル」は当然、国家間の関係であるから国家が強く意識されている。
「ワールド」と呼んでも、世界の中の各地域、各国の多様性は前提になる。
しかし、「グローブ」として宇宙から見てしまえば、陸と海があるだけの一様の空間になる。
「グローバル」という言葉には、多様性を無視した一律一様なルールの適用を理想とする含意がある。1999年の日本において、2013年TPPに直面する日本でまさに問われる問題の本質を喝破していたことには、改めて敬服せざるを得ません。

2011年12月26日 (月)

ホワイトクリスマスのフィギュアスケート   (「発送電分離」とTPP追補)

昨夜は、ホワイトクリスマスになった
名古屋で、
久しぶりにフィギュアスケート大会の
テレビを、ゆっくり見ていました。

真央ちゃんは、強い子ですねぇ。

また、村上佳菜子ちゃんは、
天然なんですかねぇ。
大失態を演じた後の
キス&フライでの
大爆笑 (^。^)。

以前、読んだ本では、
山田満知子コーチの
コーチングの要は、
「選手を型にはめるのではなく、
長所を伸ばすようにする、
主体性を引き出す、
たかだか20年の選手生活より
その後の長い人生を
豊かに送れるように
人間性を養ってもらう
ことが一番大事 」
とのことで、
多くの才能が育ち
愛されている秘訣が
ここにありますね。

-ー------------------------------
ところで、
「発送電分離」とTPPで追補。
「発送電分離」に
賛成する人の中には
再生可能エネルギーの
買取を送電会社に義務づけ、
クリーンエネルギー促進の
ために太陽光発電などの
開発を促進する
インセンティブになる
価格設定を政府が行うみたいな
構想を描く人もいるのかなと
思います。

TPPに参加すると、
こうした義務づけや
価格設定が
全て自由貿易の観点から
点検されます。
グローバルスタンダードではない
規制は、非関税障壁として
全て違法・無効となり、
たとえば、
外国の発電会社に対して、
政府が巨額の損害賠償を
しなければならなくなります。

グローバルスタンダードか
どうかはTPPでは
アメリカンスタンダードに
他なりません。

アメリカが苦手な分野は
全て違法になります。
エコカー減税などは
もってのほか。

要するに
あらゆる政策決定が
法的にアメリカの監視下に
置かれ、
独自の政策決定が
できなくなるという
法的枠組みが
TPPなんですね。

2011年3月10日 (木)

岩波書店『世界』4月号 TPP批判

古式ゆかしき、サヨクである僕は、岩波書店の「世界」を20年近く定期購読している。

さて「世界」4月号は、TPP批判の特集号である。

815

積ん読になりがちな「世界」であるが、今月号は読み甲斐がありそうである。

特集TPP批判の該当目次は以下のとおり。

特 集 1 TPP批判──何が起きるか

【対  談】
TPPは社会的共通資本を破壊する
  宇沢弘文 (東京大学名誉教授)、内橋克人 (経済評論家)

【Q&A】
TPPで何がどうなる?
  中野剛志 (京都大学)

【回避すべき危険】
「平成の開国」── 四つの落とし穴
  本山美彦 (大阪産業大学学長)

【座談会】
「地域の力」でTPPを打ち返そう
  鈴木宣弘 (東京大学)、結城登美雄 (民族研究家)
  色平哲郎 (医師)、司会=榊田みどり (農業ジャーナリスト)

【雇  用】
どのような国づくりを目指しているのか──「理念」と「対話」を欠いた菅政権の経済政策
  山口義行 (立教大学)

【短期集中連載】
失われるか世界の10年 (2) 1932年と2011年──大停滞の深化 (その1)
  赤木昭夫 (元慶應義塾大学教授)

また、

シロクロだけが問題か
小沢事件の本質は何か──「検主主義」覆い隠す「政治とカネ」報道
  横田 一 (ジャーナリスト)

も特筆すべき論考である。

「権威ある」メディアでは、初めて小沢氏の「政治とカネ」の問題が虚構に過ぎないことを明らかにしている。

編集後記も刮目すべきである。

米“安保マフィア”は政権交代まもなくから、小沢・鳩山を警戒し、政治資金規正法違反事件が起こされたとする。

格式ある「世界」が、編集後記とはいえ、「米“安保マフィア”」と踏み込んだ表現をする決断に至った勇気を称えたい。

TPPは日本の植民地化と独立の問題なのだと、言いたくなるとき、僕はサヨクというより民族主義者である。

心ある方は、是非、雑誌「世界」4月号をお手にお取りくださいな。

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2011年2月23日 (水)

断片2 「I Love You,答えてくれ」と「なんくるない」

中島みゆきの「I Love You,答えてくれ」が発表され、

よしもとばななの「なんくるない」が文庫化された年の夏、

僕は、中島みゆきに騙され、

あのひとは、よしもとばななに騙された。

はたから見れば、見慣れた顛末、愚かな暴走に過ぎなかろう。

でも、僕の中には、今でも確実に「I Love You,答えてくれ」が刻まれきえていない。

そのことを今、幸せと思う。

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2011年1月 2日 (日)

「生物と無生物のあいだ」のもたらす生命観

エントロピー増大法則は、あくまで物理学上の話であって、日常生活に混同して使ってはいけないんだそうだ。

だけど、僕の身の回りはエントロピーそのものなのが実感だ。

ついこの間あったはずの生命保険証券が、大事なところにしまったとたん、どこかに消えてしまって困っている。

 

エントロピーとか言っていたら、ずっと前に読んだ「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一・講談社現代新書)を思い出した。

この本は、発売後3年以上経っても、まだ平積みにされているのを見かける。

それだけのことはあるよい本だと思う。

曖昧な記憶しかないので、不正確かも知れないけれど、印象に残った部分に触れてみる。

 

生命体は常にエントロピーの増大により生体秩序攪乱の危険にさらされている。

そのため生命体はエントロピーが増大する以前に、まだ健全なタンパク質を破壊して捨て去り、新たにタンパク質を合成するという代謝を繰り返しているという。

エントロピーされ放題の僕とは大違いである。

エネルギーの流れの中の周到で絶え間ない代謝が生命秩序を維持し、生命を生命たらしめているのだという。

著者が動的平衡と名付ける生命活動の特徴の一つである。

 

著者は、生命とは、絶え間ないエネルギーの流れに浮かぶ淀みのようなものだと比喩する。

川の水はどんどん流れて、水分子をとれば全く違うものなのに、よどみは同じ形を保ち続けている。

ヒトも数ヶ月で全ての細胞が入れ替わり、細胞単位では別のものになりながら、ヒトとして同一性を保ち続けている。

 

この本は僕に、生命観に関わる静かな感銘と確信を与えてくれた。

 

今こうして生きていることということと、広大な宇宙のエネルギーとはつながっているということ。

意識を有した個体としての僕が、実は宇宙の中のエネルギーの代謝現象に過ぎないということ。

孤立から救われる世界との一体感の意識とともに一種のはかなさを伴う諦観。

宮沢賢治の詩をどこか思わせる。

理系の立場からは、賛否両論あるようだが、少なくとも文科系の僕にはとても哲学的に示唆されるところがあった。


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2010年12月 3日 (金)

ηなのに夢のよう 森博嗣の死生観

自殺の経済損失のニュースが伝えられた頃、僕は、
森博嗣の「η(イータ)なのに夢のよう」を読んでいた。

「ηなのに夢のよう」という謎のメッセージを残す連続自殺(他殺?)事件を題材にする小説だ。

かなり粗雑な要約になるが、この小説から読み取れる自殺観は次のとおりだ。

殺人(凶悪犯罪)には動機などない。
動機と呼ばれるものは、社会が、納得して不安を抑えるために考えられた虚構に過ぎない。

同様に自殺にも動機はない。

生まれることに動機がないのと同様に、死ぬことにも動機などない。

生きることに意味がないのと同様、死ぬことにも意味などない。

最終章近く、卓越した能力を持つ科学者に森はこう語らせる。

「そんなに、深刻になる問題ではない、と私は思うの」

瀬在丸はゆっくりとした口調で言った。

「死ぬことってそれほど特別なことかしら?そうじゃないわ。本当に、身近なことなんですよ。(略)生命は刻一刻どんどん入れ替わっている。人間よりも、もっともっと短い時間しか生きられないものがたくさんあります。今鳴いている虫は、もう明日は死んでいるのよ。それが虚しい?でも、普通のことでしょう?とても平和で、穏やかな事なんです」

「まだ、若いのだから、死が遠いと感じるのも、無理はありません。私くらいになったらね、もういつ死んだっておかしくないんだから」瀬在丸は笑う。

「ですから、自殺についても、そんなに不思議なことではないと私は理解しています。なかには、生きることに執着する人もいますけれど、それとまったく同じレベルで、反対の道を選ぶ人もいる。つまり、どうせ一度死ぬのならば、自分で今と決めて死にたい、と考えるのね。そう、たとえばね、立っている場所がもうすぐ崩れ落ちるというとき、崩れるぎりぎりまで待つ人と、自分からジャンプして落ちていく人がいるんじゃない?それだけの違いでしょう?どちらも生きたのです。一回生きて、一回死んだのです。同じじゃありませんか?」

森博嗣の死生観は、諦観のような静けさも感じさせる。
悔やまなくていいんだと、遺族に告げているようで、優しくもある。

そこには、少なくとも「死んでも働け」等という心ないメッセージはない。

生きることに意味がないとすれば、そして自殺者の周囲もなぜ自殺したのだろうと後悔する必要もないのだとしたら、自殺はやはり権利、少なくとも自由の範囲に属することになるだろうか。

おそらく、そうだと僕は思う。

森は、この世の物とも思えぬ才能に恵まれた天才にとっての死生を想定する。
天才にとって、生きることのジレンマはさらに深刻になる。
なぜなら、天才にとっては、自分と自分を取り巻くものしか存在せず、社会への定着という概念が存在しないからだという。

自分が必要とされていることを実感できてこそ、人は、生きていたいと思うのではないだろうか。それが森の言う社会への定着である。

そして、自分自身を必要としてくれる存在を身近に感じられるほど、生きていたいという思いは、切実になるだろう。

仮にも自殺対策として政策を考えるのであれば、何よりも必要なのは、ばらばらにされた人間関係の回復と、働くことだけでは満たされない関係性の欲求を満たす時間の余裕だろう。

うつ病を生み出し、政府が自殺せずに働くことを想定している職場は、仕事の内容も著しく細分化されて非人間的な作業の反復となり、人間関係も分断され、しかも、表には現れない(タイムカードを押す前の、そしてタイムカードを押した後の)際限のない時間外労働を強いる職場だ。

急速に発展したトップ企業であるほど、24時間、全人生を会社に尽くすことを求める(ネットではブラックと呼ばれている)。数年で半数近くがうつ病に近い状態になって退職していく。

そうした企業環境を是正・監督することなく、自殺せずに働くことを求めても、自殺者が浮かばれるはずもない。

自殺者には、人間らしい労働と、仕事を離れた親密な人間関係こそが必要だろう。

ただ、労働力として、死んでも働け、国家財政の損失だといわれて「生きていたい」と思う者などいる筈もないのだ。

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